百山富士雄と妻の幸子。そして子どもの翼と愛おばあちゃん。
百山ファミリーとかれらを取り巻く人々の心あたたまるハートフルコメディ。
笑いでつづる家族スケッチ。
百山ファミリーにきょうはなにが起こるのか?
「家族百景・第14景 逃げるが負け⁈」
ある秋の夕暮れ時、富士雄が真っ青な顔で帰ってくる。
心配して幸子たちが問いただすと、「人を…ひいちゃった!」と衝撃の告白!
しかもそのままにして逃げ帰ってきたらしい。
警察に行くように説得する幸子に、愛が思わずつぶやいたひと言とは…⁉
そして次から次に思わぬ展開が‼
富士雄はいったいどうするのか…⁈
抱腹絶倒のハートフルコメディ。
人気の作品シリーズ。
各地の劇団により好評上演。
登場人物6名。約25分。
ハートフル・コメディ 家族百景
作・広島友好
第十四景『逃げるが負け⁈』
○時……今
○場所……百山家の居間
○登場人物
百山富士雄(ももやまふじお)金型工場の職人サラリーマン
百山幸子(ももやまさちこ)富士雄の妻・四十代半ば
百山翼 富士雄と幸子の子ども・小学六年生
百山愛 富士雄の母・翼の祖母……富士雄たちとは別住まい
高鍋恭司(たかなべきょうじ)愛の友人以上恋人未満? 元自治会長
松山ますみ 百山家の近所の住人 四十代半ば
*台詞はそれぞれの地域の生活語に直してもらって結構です。(作者)
◎第十四景『逃げるが負け⁈』
翼 「おうまがとき」……って知ってる? このあいだ国語の時間に先生が教えてくれたんだけど、夕方、薄暗くなってくると、なんだか辺りの様子がおかしくなって変なことが起こりやすいんだって……そんな時間のことを「おうまがとき」って言うのよって。(おびえて)怖いよぉ言葉の響きが……おうまがとき……!
百山家の居間。秋の夕方の六時ごろ。翼がテーブルで珍しく宿題をしている。愛がそれを覗いて見ている。
愛 ありゃありゃ! このごろの宿題は難しいのねえ。なにこれ、社会の教科書?
翼 作文書かなきゃいけないんだ。
愛 あたしらの子どものころはもっとみやすかった(易しかった)気もするねえ。
翼 おばあちゃんの子どものころも宿題ってあったほ?
愛 あったあった、そりゃあった。読み・書き・算盤。(翼の教科書を覗いて)んでも……こねいな環境問題とかはなかったねえ。
翼 今は環境問題が大事なんだよ。異常気象で地球が大変だから。
愛 嫌な世の中になったもんじゃ。翼ちゃんがおばあちゃんの歳になるころには、熱帯地獄の砂漠になっちょるかもしれんねえ。
翼 ゲッ! そんなのヤダ。大人の責任じゃん。二酸化炭素いっぱい出すからじゃん。
愛 おばあちゃんはなんも責任ないよぉ。車も乗らんし、エアコンも我慢しよるし。
翼 だから、そうなんないようにみんなが気をつけて――
そこに富士雄が真っ青な顔で飛び込んでくる。ガクガク震え、物も言えない様子。明らかに変である。
翼 あ。お帰り~おとうさん。
愛 (富士雄の様子が異常なのに気づいて)……ん? どうした富士雄?
富士雄 (ガクガク震えて)ん……うん……。
愛 どうしたそかね⁈
翼 おとうさん……⁈
富士雄 ひ……ひ……
愛 え?
富士雄 ひ……ひい……
翼 え?
富士雄 ひ、ひ、ひいちゃった……!
翼 ひいた? なにをひいたの?
富士雄 もう駄目だおれは……! もう終わりだ……!
愛 富士雄……⁈
翼 (台所に駆けていく)おかあさーん! おかあさーん! おとうさんが変だよぉ!
愛 富士雄? 富士雄? 富士雄ちゃん?
富士雄 ……!
エプロン姿の幸子が急ぎ来る。翼も。
幸子 どうしたの、富士雄さん?
富士雄 (震えて目も合わせられない)………。
幸子 ねえ、どうしたの?
富士雄 ………。
幸子 富士雄さん、言って! 黙ってちゃわかんないでしょ? 富士雄さん⁈
愛 もしかして浮気したとか?
幸子 ええっ⁈
愛 隠し子ができたとか?
幸子 ええッ! ホントなの⁈
富士雄 そ、そんなんじゃない……!
幸子 ねえ言って。怒んないから。ね? ね?
富士雄 ………。
幸子 翼、水、水! 水持ってきて。
翼 ラジャー。(台所へ駆けていく)
幸子 仕事でなんかあった? また金型に穴開けたとか? メモリ間違えたとか?
富士雄 んなことしないよ!
愛 安心安心。怒る元気はあるようじゃね。
富士雄 ………。
翼 (コップの水を持って戻ってきて)はい、おとうさん!
幸子 飲んで。気持ち落ち着けて。
富士雄 (水をごくごく飲んで)……!
幸子 ちゃんと話して。聴くから。ビックリしないから。責めたりしないから。
愛 さ、言ってごらん。どこに愛人をかこっちょるほ?
翼 (いさめて)おばあちゃん!
幸子 ね? 富士雄さん。
富士雄 ……ひ、ひ……ひいちゃった……!
幸子 えっ⁈
富士雄 人を……人をひいちゃった‼ (絶望的に両手で顔を覆って)アアッ!
翼 ウソ⁈ マジで⁈
愛 あんた逃げ出してきたんかね⁈ 情けないッ!
富士雄 (苦しみ悶えて)アアッ! アァアッ!
翼 おとうさん、水飲んで水!
愛 (泣きながら怒って)富士雄ぉ! この馬鹿たれが!
富士雄 ……!
幸子 (自分も気持ちが乱れているが……)おかあさん、今は。すいません。わたしが富士雄さんと話しますから。
愛 ………。
間。
幸子 (できるだけ平静でいようと努めつつ)……どこで? どこでひいたの?
富士雄 ……三俣町(みまたちょう)の……三俣町のバス停の近くで……。
幸子 なにしに行ってたのそんなとこに?
富士雄 (責められていると感じて)届け物だよ! 栄田(さかえだ)工業に金型のサンプル届けに行ってたんだよ……。んで、社長と話し込んでたら、なんか夕暮れてきて……帰るころには外が暗くなってて……。
幸子 ライトつけてなかったの?
富士雄 う、うん……まだ大丈夫だろうって思って……。
幸子 んで、人ひいちゃったんだ?
富士雄 ていうか、倒れてたんだけど。
翼 倒れてた?
幸子 どういうこと? 歩いてる人をひいたんじゃないの?
富士雄 道に倒れてたんだよ、寝てたっていうか。倒れてる人に車ごと乗りあげて、そのまま……
幸子 そのままにして逃げちゃった⁈
富士雄 道が急に暗くなってさ。山が近いだろあの辺。山陰になってて。アッて気づいたときには車で乗り上げてて。(涙混じりに逆ギレして)道路に寝てんだもんその人! それも黒い服着てさ。もっこもっこのセーターかダウンジャケット着て。わかんないよそんなの! よけらんないよ!
幸子 だからって、逃げちゃ……。
富士雄 (半狂乱)アアッおれの人生終わりだ~! 詰んだッ。もう終わりッ。まだやりたいこともあったのにぃ……!
翼 やりたいことって?
富士雄 え? いや、い、今は……頭真っ白で……。
間。
幸子 (優しく諭すように)警察行こ、富士雄さん。警察行かなきゃ駄目。
富士雄 でも……なにもかも終わっちゃうよ。
幸子 富士雄さん。なんにも終わってないし、終わんないから。罪償って、一からやり直そう。
富士雄 でも……その人まだ……死んでるとは……
幸子 ええっ⁈ 確かめてないの⁈
富士雄 だから……すぐ逃げてきちゃった。
幸子 駄目でしょ! まだ生きてたかもしれないのに⁈
富士雄 アアッ!
幸子 なんで助けなかったの!
富士雄 わかんないよ! 体が勝手に……。怖かったんだよ! 魔がさしたっていうか……
翼 (思い当って)それって……「おうまがとき」だ、きっと。
幸子 なに急に? おうまがときって?
翼 学校で習ったほ。夕暮れ時は変なことが起きるんだって。おとうさんきっとたたられたんだよ、なんか魔物に。
愛 魔物にたたられた……⁈
富士雄 おれもう駄目だぁ……!
幸子 駄目なんかじゃない! ね、富士雄さん。なにがあっても支えるから。ね。週に一回は面会に行くし、富士雄さんの大好きなイチゴ大福も差し入れするから。
富士雄 もうおれ刑務所に入っちゃってんじゃん⁈ やだよ~刑務所なんて。みんなと一緒にいたいよぉ……!
幸子 富士雄さん……!
翼 おとうさん……!
間。
愛 わかった、富士雄。心配せんでええから。
幸子 おかあさん?
愛 警察に自首してくる。あたしがあんたの身代わりに。
三人(同時に)「(富士雄)かあさん⁈」「(幸子)おかあさん⁈」「(翼)おばあちゃん⁈」
愛 もうあたしは十分に生き切った。じゃから残り二十年の人生を刑務所で。
幸子 (思わず小声で)あと二十年も生きるつもりなんじゃ⁈
愛 なに、幸子さん……?
幸子 いえ、別に……。
愛 富士雄にはまだまだ将来がある。仕事もこれからバリバリやってもらわんにゃいけん。
富士雄 (目頭が熱くなって)かあさん……!
愛 幸子さんだって、あれじゃろ?
幸子 なんです?
愛 翼ちゃんを人殺しの息子にしたくないじゃろ? 変な負い目を負わしたくないじゃろ?
幸子 それは……まあ……
愛 ほら、困るって顔した!
幸子 でも――それは……
愛 はい、決まり!
翼 (困惑して)おばあちゃん……。(幸子に)おかあさん、なんとか言って。
幸子 (愛に)おかあさん、気持ちはよくわかりますけど……それはやっぱりなんていうか……いけないことですよ……いけないことなんじゃけど……本当にアレなんですけどね……おかあさんがそれほどまでおっしゃるんなら……それも一つの方法かと。ね、富士雄さん?
翼 駄目だって、おかあさん! それってやっぱ正しくないよ。
幸子 そ、そうよねやっぱり。
愛 ええのええの幸子さん、ここはあたしに任せて。
幸子 でも……
愛 翼ちゃんも、ね、おばあちゃんの好きにさせて。お願い。この通り。
翼 ……ん。
愛 ありがと。ありがと。(富士雄に)さ、口裏を合わせちょかんとね。
富士雄 (同意して)ああ……。
愛 (確かめつつ)三俣町の?……バス停の?……近くじゃったね。
富士雄 うん。
愛 夕方の六時ごろ?
富士雄 今から二十分ぐらい前だから、五時四十分ごろだよ。
愛 黒いもこもこした服を着た……道路に寝ちょる男をひいちゃった……と?
富士雄 そう。
愛 よし、憶えた! ところで……
富士雄 なに?
愛 最近の車って……どうやってエンジンかけるほ?
富士雄 はぁ⁈ なにそれ⁈
愛 このごろの車は違うんじゃろ、かけ方が? エンジンかけるのに鍵がいらんとか?
翼 あっ、駄目じゃん! おばあちゃん、はなっから運転できないじゃん!
愛 バレたか。
幸子 もう! 冷静に考えれば、身代わりなんて初めっから無理じゃない、アハハ。
愛 (しょげて泣いて)あたしはよかれと思って……せめて息子にしてやれることを……。
富士雄 かあさん……ありがと。気持ちだけでもうれしいよ。
愛 (じっと幸子を見て)……幸子さん。
幸江 え?
富士雄 (愛につられてじっと幸子を見る)………。
翼 (翼もなんだかじっと幸子を見る)………。
幸子 (三人の視線に気づいて)……なにみんなで見てるのよ? なんです、おかあさん? (ハッと気づいて)やーよ! わたしは身代わりなんて! ゴールド免許なんだから!
富士雄 (見捨てられたように悲しくなって)アアッ!
幸子 そ、そういう意味じゃなくて、ゴールド免許はどうでもいいんだけど。自分でちゃんと責任取らなくちゃ、親として人として。翼も見てんだから。あなたがこういうとき、どういう態度を取るか。
翼 おとうさん……。
愛 こういうときに人のボロが出るからねえ。
幸子 (信頼と愛情)ね。一緒についてってあげるから。
富士雄 幸子さん……!
愛 うんうん、離婚はいつでもできるからね。
幸子 おかあさん⁈ 離婚なんてしません絶対に!
間。
富士雄 ……わかったよ。……行くよ警察に。
このとき玄関にチャイムの音。
愛 翼ちゃん、出てくれる?
翼 うん、ええよ。(玄関へ行く)
幸子 大丈夫。わたしがついてるから。
富士雄 うん……。
幸子 なにか持ってく物とかいるのかな?
愛 そうだねえ、取りあえず着替えを一週間分。
富士雄 ええっ、帰れないのおれ?
愛 そりゃそうじゃろう。下手したらこのまま一生……
富士雄 ガーンッ!
幸子 おかあさん、そういうこと言わないで。
愛 だって……
と、翼が駆け込んでくる。
翼 おばあちゃん、高鍋さんが来た。
愛 え、恭司さんが?
愛の友人で恋人(?)の高鍋恭司が来る。唇は色を失い真っ青な顔をしている。
愛 どうしたの、恭司さん?
高鍋 愛さん……あなたにお別れを……
愛 え⁈
高鍋 妻と死に別れて七年……くじけそうになっていたわたしを、愛さん、あなたは……いや、もうよそう。ありがとう今まで。さようなら。
愛 なに急に? どうしたの? なにがあったほ?
高鍋 じ、実はさっき……人を……ひいて……!
四人 ええッ⁈ 人をひいたぁ⁈
高鍋 (自分が責められていると思って)も、もちろんこれから警察に自首を。その前に愛さんに一目逢いたくて……!
幸子 それって、あの、どこで?
高鍋 三俣町の……
富士雄 バス停の近く?
高鍋 ど、どうしてそれを⁈ アアッ、免許を返納しとけばよかった! 周りからは返納しろ返納しろって言われてたんだけど……でも車がないと不便だし、病院行くにしたってなんだって。アアッ、でも馬鹿じゃった!
愛 恭司さん、自分を責めちゃ駄目よ。
高鍋 愛さん、今までありがとう。愛さんがいなければわたしの老後は味気ないものだった。あなたがいたから楽しく過ごすことが……!(思いが胸に込み上げて)さよなら、愛さん……!
愛 駄目駄目そんなこと! ふたりで死ぬまで楽しくおしゃべりしましょうって誓ったじゃないほ。いんや、いっそ二人で心中を! 一緒に死のうと言って、恭司さん。愛はあなたの言う通りにします。どうせあと、三十年の命じゃもの。
幸子 (小声)ゲッ、さっきより十年延びてる。
高鍋 その言葉を聞いただけでも、わたしは……!
愛 恭司さん……!(と高鍋の胸にそっと手を添え体を寄せる) ……じゃけど、なんでこんな晩方に三俣町まで? 暗くなると危ないから運転せんことにしちょるって?
高鍋 (困って、へどもどして)や、あ、それは、その……
愛 なんで? ね、なんで?
高鍋 いや、友達がね、いい青汁が手に入ったから、ちょっと一緒に飲まないかって……
愛 ああッ! もしかして鮫島妙子の所ぉ⁈
高鍋 や、や、や、なんでもないのなんでも。青汁飲んだだけ。ホ、ホントだって。
愛 もうッ! あのばあさんの所には行かんって、約束したそに! 好かーん!
高鍋 (困って)愛さん。
愛 警察には一人で行って! んにゃ、妙子についてってもらったらええわ! あたしゃ刑務所に、あんたの大好きな青汁でもなんでも差し入れしちゃげるから!
高鍋 誤解だって誤解。なんにもなかったんだから。愛さん。愛ちゃん。
愛 フンッ、甘い声出しても駄目。
幸子 あの……お取り込み中のところすいません。その、高鍋さんが人をひいたっていうのは、何分前のことでしょう?
高鍋 そんなに経ってませんが……すぐここに来ましたし……十五分ぐらい前でしょうか。
富士雄 おれは……二十分前だ。
幸子 ん~残念、やっぱりあなたが犯人じゃあ~!
富士雄 だから犯人って言うなよ!
高鍋 え、どういうことです? (富士雄に)あなたが……犯人?
富士雄 いや、その……
幸子 実はこの人も三俣町で人をひいちゃったみたいで……それも高鍋さんより前に。
高鍋 三俣町のバス停の近くで……黒い服着た……相撲取りみたいな大柄の男性を……?
富士雄 はい……。
幸子 そのあと高鍋さんが倒れてる人を続けてひいたんじゃないかと。
高鍋 (富士雄に)あなたのときも……その人、倒れてたんですか?
富士雄 倒れてました倒れてました。寝てたんですよ道路に。だから気づくのが遅くなって。
高鍋 わたしも一緒です。あれじゃ気づきようがない。お互いとんだ災難だ。
富士雄 まったくそうですよ、ねえ!
高鍋 そうそう!
幸子 だからって、逃げていいことになんないでしょ!
富士雄・高鍋 ごめんなさい……!
幸子 行こう富士雄さん、警察。
高鍋 (自分より先にひいた人がいると知って気が楽になって)奥さん、ハハハ、わたしが付き添って行きましょう。今の彼の気持ちが一番わかるのはわたしですから。逃げ出したい気持ちはわたしが一番よくわかる。
富士雄 (優しさに感動して)高鍋さん……!
高鍋 愛さんとナニがナニすれば、きみはわたしの息子かもしれないんだから。
富士雄 お義父さん!……って呼ばせてください。
高鍋 (気が楽になってつい口がすべって)なんたって、きみが人をひき殺して、わたしはそのあとをただ通過しただけなんだからね。ある意味わたしは被害者だ、ハハハ、罪はみんなきみにある。
富士雄 お義父さん!……は撤回させてください。
と玄関でチャイムの音。
翼 あ。だれだろ?(と素早く玄関へ行く)
高鍋 ハハハ! やだなあ、冗談ですよ冗談。さ、行きましょう。一人より二人が心強い。
富士雄 はあ……。
幸子 富士雄さん。
富士雄 ……行ってくるよ。
高鍋 じゃ、愛さん。
愛 しっかり本当の事を話してきてくださいね。
すると翼が驚きの表情で駆け戻ってくる。
翼 おかあさんおかあさん! 松山のおばちゃんが!
と近所に住む松山ますみがよろよろとよろけるような足取りで居間に入ってくる。
松山 幸子さん……!
幸子 どうしたの、松山さん⁈
松山 あたし……あたし……もう駄目!
愛 この流れからすると……ひょっとして⁈
松山 ひいちゃった……!
五人 やっぱり!
松山 な、なんでわかったの⁈
富士雄 もしかして三俣町の?
幸子 バス停近くで?
高鍋 ひいちゃった?
松山 妹がね、三俣町に住んでて母の面倒見てくれてるの。あたし長女だし、本当はあたしが面倒見なくちゃなんだけど、妹に押しつける形になってるから、せめて十日に一度は顔を出すようにしてて……
幸子 それっていつごろ? ひいたの?
松山 すぐ届けようって思ってたのよホント。でも気が動転しちゃって。怖かったし。ミーちゃんにエサもあげてなかったし。
高鍋 ミーちゃん?
翼 松山さんちのドラ猫。
松山 なんじゃかんじゃやってるうちに時間が経っちゃって。んでも気持ちが落ち着かなくて、だれかに聞いてもらったら、あたしも勇気が……。
富士雄 (前のめりになって)で、いつごろ? それって今から何分前?
松山 かれこれ……四十分かな。道端からバッって飛び出してきて、アッと思ったときにはもう。
富士雄 よしッ! よしッ!
高鍋 これは大逆転!
松山 な、なによ⁈
幸子 松山さんが真犯人⁈
翼 よかったぁ、人殺しの息子にならんで!
愛 恭司さんの罪もグッと軽くなる。
松山 なによなによ、みんなで寄ってたかって。
高鍋 (優位に立って)いやあ、すぐにでも警察に自首したほうがいい。
富士雄 (優位に立って)そうだよぉ。すぐにでも行くのが真っ当な人間ってもんだよ。人として当然の義務だ。現場を離れちゃみんなが迷惑する。
松山 ごめんなさい。
幸子 富士雄さん、調子に乗り過ぎ。高鍋さんも。
富士雄・高鍋 すいません……。
松山 その場を逃げちゃったのはアレだけど……でもさ、警察行かないと駄目?
翼 まずいんじゃない? 人殺しだもの。
松山 人殺しって……縁起でもない。熊よ、熊。
五人 え⁈
松山 だから、あたしがひいちゃったの、熊なの!
富士雄・高鍋 熊ぁ⁈
松山 人だったらすぐ警察に行くわよ。逃げたりなんかしない絶対に。あたしそんな人でなしじゃないもの。
富士雄・高鍋 (「人でなし」の言葉に二人で顔を見合わせて)………。
松山 でも熊でしょ。変に近づいてもアレだし。え~どうしようって悩んでるうちに、なんかこんなことになっちゃって。
幸子 でも熊かぁ。
富士雄 よかったよ~。
高鍋 や、熊には申し訳ないけど、正直ホッとしました。いやぁ、熊ですか熊! ハハハ!
翼 熊なんか出るの三俣町って? 町ん中でしょ?
富士雄 山に近いっちゃ近いけどさ、人もいっぱい住んでるよ。
幸子 ニュースでやってたじゃない? この異常気象で熊も住みにくくなって、エサ不足で、人里近くまで出没してるって。
富士雄 あったかくなって冬眠しなくてもよくなったのかな? その分余計に腹が減る。
幸子 そうそう。
高鍋 ま、どっちにしても熊でよかった。
富士雄 ホントに!
愛、天地も張り裂けるような大声で一喝!
愛 よくなーーーいッ‼‼‼
五人 えッ!
愛 ……よくない……人間以上によくない。
幸子 おかあさん……?
愛 熊だからよかったなんて、そんな息子に育てたつもりはない!
富士雄 だから、それは……
高鍋 愛さん、あなたの博愛の心は、それはわたしの尊敬するところですが、この場合……
愛 それに!
富士雄・高鍋 ……⁈
愛 ……それに、まだ生きちょったかも。松山さんにひかれて息絶え絶えのところを、富士雄と恭司が次々と……!
富士雄 (良心をグサリと刺されて悲鳴のような声で)やめてー、かあさん! 心が痛いよッ。
高鍋 アアッ神よ、赦したまえ! わたしは罪を犯しました。
愛 赦しません! 富士雄も恭司も地獄に堕ちるがええ。
幸子 いったいどうしたのおかあさん?
翼 おばあちゃん、そんなに熊が好きだったっけ?
愛 言ってなかった? あたしゃね、生まれが、おぐま座の熊年生まれなほ。
五人 おぐま座の、熊年生まれぇ⁈
翼 え、え、おぐま座ってあったっけ?
愛 あるある。ふたくま座もみずくま座も。
翼 え、え、熊年も?
愛 あるある。ええかね、よう聞いちょりんさいよ(聞いときなさいよ)、十二支を言うからね。
翼 うん。
愛 (指を折りながら)ね、うし、とら、う、たつ、み、くま、ひつじ、さる……
翼 あ、ホントだ。「くま」がある。
幸子 おかあさん⁈ 「くま」じゃない! うま、うま!
翼 ええ⁈
幸子 (こちらも指を折りながら)ね、うし、とら、う、たつ、み、「うま」、ひつじ……
愛 ……さる、くま、いぬ、い。ほら「くま」があった。
翼 ホントだ!
幸子 (あきれて)おかあさん⁈ もうッ。
富士雄、幸子を優しく止めて。
富士雄 ええよ、幸子さん。おれ……行ってくるよ。
幸子 警察……?
富士雄 や、その前に現場行って確かめてくる、熊かどうか。んで、手を合わせてくるよ。
高鍋 わたしも一緒に。
松山 あたしも! このままじゃ寝つきが悪いわ。
愛 お線香持ってって。
翼 ぼく取ってくる。(居間を駆け出る)
富士雄 警察にも知らせるよ。役場にも。熊の遺体も脇にどけとくよ。これ以上ひかれないように。
松山 三人でできるかしら。熊って重いでしょ?
高鍋 贖罪だと思って。罪滅ぼし罪滅ぼし。
富士雄 ええ……。
翼 (戻ってきて線香を渡す)はい、おとうさん。
富士雄 サンキュ。じゃ、行ってくる。
幸子 うん。
愛 富士雄……気をつけんさいよ。
富士雄 わかってるよ、チョー安全運転で行ってくる。
愛 それもそうじゃけど、そうじゃない。
高鍋 なんです、愛さん?
愛 熊の祟り……!
富士雄 (ビクついて)え……⁈
愛 熊の復讐……! 殺された熊の家族が、おまえに復讐しちゃろうと待ち伏せしちょるかも。怒りに燃えた熊ほど恐ろしいものはない。おぐま座のあたしが言うんじゃから間違いない。
幸子 だから、おぐま座なんてないです!
愛 息子を殺された母熊はどんなことだってする。あんたが熊にかみ殺されたら、あたしゃその熊をひき殺してやる……!
幸子 おどかさないでくださいおかあさん……気持ちはわかりますけど。さ、富士雄さん? ……え、どうしたの⁈
富士雄 (震えて)……ど、ど、どうしよう幸子さん? 熊に襲われたら……?
幸子 もうッ、早く行ってらっしゃい! 逃げてちゃ駄目でしょ!
富士雄 でも……
幸子 早く行って! 離婚するわよ!
富士雄 は、はい! (高鍋と松山に)い、行きましょ。
高鍋・松山 はい。
翼 気をつけてねー!
富士雄 お、おう……!
富士雄・高鍋・松山、家を出ていく。愛は自分の部屋の方に去る。
翼 なんか大人になって、車運転するの怖くなっちゃった。
幸子 そうねえ。でも車がないと不便だしね。ま、安全第一で。
と、奥の仏壇のある部屋からチーンと鈴(りん)の音がする。
翼 あ。おばあちゃん。
幸子 わたしらも手を合わせよう。
翼 うん。(つぶやいて)熊さんどうか、安らかに。おとうさんをゆるしてください……。
幸子 翼……!
幸子と翼、しばし手を合わせる。
翼 あ。宿題やんなくちゃ。
幸子 台所、途中だった。(台所に去りかける)
翼 ところでさ……
幸子 なに?
翼 おばあちゃんって、ホントに熊年生まれなの?
幸子 ハハハ、ホントだったりして。熊年の丙熊(ひのえくま)生まれ。なんちゃって。
翼 なにそれ?
幸子 ホントは丙午(ひのえうま)なんだけどね。丙午生まれの女って昔っから激しい人が多いっていうの。だけどおばあちゃんは丙熊だから、もっと激しかったりして、アハハ。
愛 (居間に戻ってきていた)なに、幸子さん、あたしがどうかしたって?
幸子 あ! いや、その……。
愛 どうせあたしゃ丙熊の女よ。男運がない。
幸子 ハハハ……。
翼 おばあちゃんおばあちゃん、干支、十二支、ちゃんと教えてよ。
愛 うん、ええよ。(指を折る準備をして)ええかね?
翼 うん。(こちらも指を折る準備をする)
愛と翼、二人で指を折りながら……
愛 せーの……ね、うし、くま、う、くま、み、くま、ひつじ、さる、くま、いぬ、い。
翼 めちゃくちゃじゃん、おばあちゃん⁈
愛 ありゃありゃ! アハハハ!
翼 ハハハ!
幸子 もうまったくぅ! ウフフフ!
三人、明るく笑い合う。
(幕)
0コメント