「ハートフル・コメディ家族百景」1・2・3景

 ハートフル・コメディー

   家族百景

           作・広島友好


第一景『友、遠方より』

第二景『金は家族の……』

第三景『見果てぬ夢』


○時……今

○場所……主に百山家の居間

○登場人物

百山富士雄(ももやまふじお)

百山幸子 富士雄の妻(ももやまさちこ)

百山翼 富士雄と幸子の子ども

百山愛 富士雄の母

春日一郎 幸子の父

ミッキー 幸子の旧友

金田 富士雄の同僚

*台詞はそれぞれの地域の生活語に直してもらって結構です。

                        (作者)




第一景『友、遠方より』


   百山家の居間。

翼  おばあちゃんが来ていた。おとうさんのおかあさん。うちから少し離れたとこに一人で住んでいる。いつもは元気なおばあちゃんだけど、きょうはちょっとちがってた。

   百山愛が一人煎餅を食べている。

愛  バリリ。バリバリ。(お茶をすする)ズズーズー。

   翼来る。塾へ出かけるところ。

翼  大丈夫? お腹悪いんでしょ。

愛  ばあちゃんね、もしかしてガンじゃないかと思うほ。お腹にポリープとかいうのができててね。

翼  食べ過ぎなんじゃない。

愛  こんなこと一度もなかった。あんまりしくしくするから病院行ったほ。病院なんて本当は子どものころから大嫌いなんじゃけどね。

翼  なんで?

愛  「百山愛さーん」って大きな声で呼ばれるの恥ずかしいじゃろ。この年で愛もなにもありゃせん。でもお腹しくしくするし、仕方なく病院行ったほ。そしたらポリープ見つかって、すぐ検査しろってことになって。きょうその結果がわかる日なほ。幸子さんに聞きに行ってもらっちょる。

翼  怖いんでしょ?

愛  バカな。

翼  じゃなんで自分で行かないの?

愛  こういうのは他人が一番ええの。わたしが行ったんじゃ医者は本当のこと言いやせん。その点幸子さんは嫁じゃから。医者も言いやすいし。わたしにだって本当のこと伝えやすいでしょ。

翼  おとうさんじゃダメなの?

愛  ありゃ気が弱い。もしわたしがガンだってわかったらブルブルふるえてとても本当のこと言い出しゃせん。

翼  おかあさんだって言いにくいんじゃないかな。

愛  ん。末期のガンだったらそうかもね。ごまかそうとするかもね。すぐに結果言わないで、病院で誰かと会ったとか、それも会うはずもない人に偶然会ったとかなんとかごまかして、後回し後回しにしようとするじゃろね。まず第一にわたしの目を見ようとせん。それですぐわかっちゃう。

翼  あ、時間。んじゃ行ってくる。

愛  どこ?

翼  塾。

愛  気をつけてね。

翼  はーい。

   翼去る。

愛  ふーっ。バリバリ。バリリ。

   幸子帰ってくる。慌てて。

幸子 ただいま。大変、大変。友だちにばったり会っちゃった。それも会うはずもない友だちに。

愛  ええ!

幸子 偶然。病院でいきなり。昔のバンド仲間なんですよ。二十年ぶり。今からここに来るんです。

愛  幸子さん。

幸子 ああ、部屋片づけなきゃ。

   愛、幸子と目を合わそうとするが、幸子は部屋のあちこちを片付け始める。目が合わない。愛、呆然とし、その場から出ていこうとする。

幸子 あ。いてくださっていいんですよ。

愛  ちょっと。心の準備が。(奥へ去る)

幸子 心の準備? そうだ。(紙を取り出す)検査の結果なんですけどね。どうしたんだろ。あんだけせかしといて。大丈夫かな。最近ボケてきてるみたいだし。

   ト幸子の友人ミッキー来る。

   隣の部屋では愛が聞き耳を立てている。

   

ミッキー キャー。来ちゃった。

幸子 入って入って。狭いとこだけど。

ミッキー きれいにしてる。

幸子 そんなことないよ。物ないだけ。

ミッキー ホント懐かしい。いつ以来だろ。

幸子 ミッキーが東京行ってから会ってない。

ミッキー じゃ十八以来?

幸子 二十年ぶり。

ミッキー そんなになるかぁ。

幸子 ずっと帰ってこないんだもの。仕事どう? ヨーミンってやっぱり歌下手なわけ? そんなことバンドのメンバーが言えないか。ああ懐かしい。わたしもバンドやってたころ思い出すわ。

ミッキー 幸はもう音楽やってないんだっけ。

幸子 全然。仕事と子育てで手いっぱい。

ミッキー 翼くんだっけ?

幸子 そう。小六。ああ懐かしい。こっちはなに、仕事? コンサートでもあるの? 病院なんかで会うと思わないから。ビックリ。

ミッキー ホント。

幸子 わたしもめったに行かないから病院。おばあちゃんがちょっとあれで。

愛  (ドキリ)

ミッキー ちょっとあれって?

幸子 ううん。たいしたことじゃないの。ミッキーどうして病院なんか行ってたの?

ミッキー え、わたし?

幸子 うん。

ミッキー 幸。

幸子 なに?

ミッキー 実はね……

幸子 なによ?

ミッキー 実は今ちがう仕事してるんだ。

幸子 え?

ミッキー 音楽とっくの昔にやめてたんだ。

幸子 エー。でも毎年年賀状で。

ミッキー ごめん。見栄張ってた。今はね、インターネットで仕事してんの。ネットショッピング。ネットで健康食品なんか扱ってんの。

幸子 だから病院?

ミッキー (パソコンを出し操作しながら)ね。いろんな商品あるでしょ。サプリメント。ウコンにレイシ。ローヤルゼリーにたんぽぽ茶。こっちはダイエット食品。美容にいいモノもあるの。幸はお肌きれいだからいらないか。

幸子 そんなことない。もうボロボロ。お手入れするヒマなんてないもの。

ミッキー ね。最近疲れてない? 滋養強壮に効く薬もあるの。疲労回復。ちょっと値段高いけど。

幸子 わ。ホントだ。

ミッキー 売れてんだよ。こっちはね、ガンの特効薬。

愛  ガンの特効薬。ああダメ。(ドキドキして奥に引っ込む)

ミッキー ここだけの話だけど、これ飲むとどんなガンでもいっぺんに治っちゃうの。あ、疑ってる。みんな初めはそうなんだよねぇ。でもガンの人には喜ばれてるんだよ。

幸子 ふうん……。

ミッキー 取りあえずさ。登録だけしてみない。 

幸子 登録?

ミッキー 会員登録。うちのネットショッピングの。

幸子 え、でも。

ミッキー 簡単なんだ。(パソコンに入力していく)名前でしょ。百山幸子。生年月日は○年○月○日。住所は○市○○……

幸子 あ、なんで知ってんの。

ミッキー え。あ、さっき郵便受け見て覚えちゃった、仕事柄。後は銀行の口座番号入れとけばいいの。どうする? 別に買わなくたっていいんだけど。

幸子 ハハ。じゃ、登録だけね。

ミッキー カードか通帳ある?

幸子 うん。なんか変な感じ。(鞄からカード出し渡す)

ミッキー 口座を入力して。後は商品買うときに銀行の暗唱番号入れてクリックすればいいだけ。ちょっとやってみるね。例えばそうね、幸の誕生日にでもしとくか。

幸子 ええ!

ミッキー 暗証番号誕生日ってことないでしょ? 今どき。

幸子 う、うん。ない……。

ミッキー これでよし、と。後は好きな商品をクリックすれば翌日配達だから。ここをこうして……(クリックしようとする)

幸子 あ、あ、あ!

ミッキー なんて。幸には売る気ないから。

幸子 え? どうして?

ミッキー そんなに貧乏じゃない。

幸子 言ったな。

ミッキー うそうそ。幸はわたしの一番の親友だもん。ハハハ。

幸子 フフフ。でもいろいろ大変なんだ。

ミッキー うん。

幸子 あのころが懐かしいよね。今みたいな生活の心配事なんてなくてさ。燃えてたっていうか、夢があった。

ミッキー うん。

幸子 ヒロシにケン坊。わたしにミッキー。ミッキーだけは音楽やってるんだと思ってたけど。

ミッキー (さみしく微笑む)

幸子 そうだ。ケン坊ってさ、ドクターと高校から付き合ってたって知ってた?

ミッキー ドクター。

幸子 ほら。クラスで女の子なのに医者になりたいって子がいたじゃない。ドクターってあだ名で。

ミッキー ああ。結婚してんでしょ、二人。

幸子 うん。

ミッキー 子ども四人もいるのよね。うるさいよね、あの家。

幸子 そう。にぎやか。

ミッキー ねえ。

幸子 あれ? なんで知ってんの?

ミッキー え?

幸子 ケン坊とドクターの家のこと? 行ったの?

ミッキー 行ってない。行ってない。

幸子 でも……。

ミッキー ほら、同窓会名簿に載ってた。

幸子 名簿に載ってる、そんなこと? 子ども四人いるとか。

ミッキー 載ってんじゃない。 

幸子 ええ?

ミッキー いや。年賀状だったかな。近況報告。

幸子 ああ。年賀状か。(と言いつつも釈然としない感じ)

ミッキー (空気を変えるように)わたしさ、昔の写真持ってんだ。バンドのころの。

幸子 エー。うそうそ。(写真見て)キャー! オーディションに行ったときのじゃん。東京の。懐かしい。涙出てきた。惜しかったよね、あのとき。もうちょっとで契約できてたよ。ミッキーのボーカル良かったもん。

ミッキー 幸のドラムも最高だった。

幸子 そんなことないけど。

ミッキー CD出さないかって話あったんだよ、レコード会社から。

幸子 あの曲? 「愛のバカヤロー」?

ミッキー そう。

幸子 あの曲が?

ミッキー ちょっとやってみる?

幸子 エー! やる? フフフ。

ミッキー やろやろ。

幸子 うん。いい? ワン・ツー、ワン・ツー・スリー・フォー!

   幸子とミッキーの歌と演奏。ミッキーはギターを弾く真似、幸子もドラムを叩く真似。二人ともノリノリで演奏する。かつてのロックバンドのころのように。

二人 愛のバカヤロー 愛のバカヤロー

   愛なんてもういらない 愛なんて邪魔くさい

   一度でいいからわたし自由にさせて

   愛なんかどっかいっちまえ 

   愛のバカヤロー!

   愛、いつの間にか出てきて、

愛  楽しそうじゃね。

幸子 あ、おかあさん。

愛  愛、愛って。

幸子 あ。ちがうんです。おかあさん。愛っておかあさんのことじゃ。

愛  いいの、いいの。どうせバカヤローですからね。(部屋の隅にすわる)

幸子 おかあさん。

愛  (無視)

ミッキー 大丈夫?

幸子 はぶてちゃうといつもああなの。耳聞こえない振りして。

ミッキー ヒロシのおかあさん、じゃないわよね。百山だもんね。

幸子 ヒロシとはとっくの昔に別れてる。

ミッキー 今どうしてるの?

幸子 さあ。印刷工場で働いてるらしいけど。

ミッキー そうなんだ。

幸子 うん。

ミッキー わたしね。ホントはヒロシのこと好きだったの。

幸子 え?

ミッキー 黙ってたけど。ヒロシに告白したことあんだ。でもふられちゃった。ヒロシは幸がいいって。ガーンときちゃった。

愛  ガーン……の薬?(とパソコン見る)

ミッキー 十八の乙女は恋破れて一人東京へ旅立ったのだ。

幸子 知らなかった。ヒロシもなにも言わなかった。

ミッキー そういうやつだよ。あいつ。

幸子 ……。

ミッキー 意地んなって音楽やってたけど結局食べてけなくて。ヨーミンのバックやってたってのはホントだよ。一時期だけど。ツアー一緒に回ってた。でもやっぱ食べてけなくて。今はこんな仕事してる。

幸子 結婚は?

ミッキー してない。一人いるんだけど。どうしようもないやつで、まるでガン。

愛  ガン!(思わずクリック!)

   愛は二人の会話の間にパソコンのマウスをいじっていた。

愛  わ! わ! 幸子さん! 画面変わった。

幸子 え?

愛  (パソコン画面の文字を読む)「お買い上げありがとうございます」?

幸子 おかあさんなにやってるんですかあ! あ! ガンの薬買ってる! こんなの飲んだって効き目ないですよ! おかあさんには!

愛  ええ! そうなの?

幸子 当たり前じゃないですか。

愛  がーん!

幸子 (ミッキーに)あ、ごめん。つい。

ミッキー 滋養強壮にもいいけど、それ。

幸子 ごめん。一つ買うわ。

ミッキー いいよ。無理しなくて。どうせ無駄になっちゃうんなら。

幸子 いいの。再会を祝して。でも分割にしてくれる。

ミッキー フフ。

幸子 本当はうらやましかったんだ、ミッキーのこと。東京でがんばってるんだと思ってた。わたしなんかただの主婦だし。夫はうだつの上がらない万年ヒラだし。

ミッキー え。年賀状にはヤン様みたいだって書いてたじゃん。

幸子 ジョーク、ジョーク。

ミッキー いや。幸はえらいよ。子育てして、働いて。わたしは夢捨てちゃったしさ。子どももいないし。ときどき自分でもなにしてるんだろって思うよ、ホントに。

   ト幸子の携帯電話が鳴る。

幸子 ごめん。(携帯に出て)もしもし。え、はい。そうです。はい、はい……(隅の方へ)

   愛、幸子をうかがいつつミッキーを袖に寄せて聞く。

愛  あんた幸子さんとは親友かね。

ミッキー そうですけど。

愛  悪いけどあんた聞いてくれんかね。ばあちゃんって本当はどうなのって。聞いてくれるだけでええから。

ミッキー なんのことです、それって?

愛  ごまかさんで。親友じゃないんかね。親友っちゅうもんは心の中のことなんでも話せるもんじゃろ。

ミッキー はい……。

愛  ね、この通り。わたし隣で聞いちょくけえ。ね。(出ていく)

ミッキー ちょっとおばあちゃん。……

   一方、幸子。

幸子 え、まさか。今来てるけど。うそでしょ。サギ? 友だちんとこ回ってるの? うん。わかった。確かめてみる。本当だったらわたしそれやめさせるわ。わかってる。ありがとう。(携帯切る)

   愛、隣の部屋で立ち聞きしている。

ミッキー あのさ、おばあちゃんのことだけど。

幸子 今電話あった。ドクターから。

愛  ドクター!

幸子 寄ったんでしょ?

ミッキー うん。

幸子 なぜ言ってくれないの。

ミッキー ……。

幸子 隠しとくことできないから、こういうことわたし。

愛  なになに?

幸子 ダメ。いけないよ。

愛  え! ダメ? いけない?

ミッキー 幸。わかってたんだ。

幸子 こんなことやめて。普通になって。

ミッキー もう引き返せないとこまできてるんだってば。

愛  引き返せない。

幸子 人生やり直せるわ。これじゃサギよ。ドクターだましてたんでしょ。

愛  つい、なんでもないって言っちゃった。

幸子 いったいどうして?

ミッキー 知らず知らずこんなことになってたのよ。弱いんだ。ガンみたいなやつなのよ。つきまとって離れない。借金だってあるし。ガンって一生治んないのよ。

愛  がーん!

幸子 ばっさり切っちゃうのよ、ガンなんて。

愛  手術!

幸子 思い切ってやっちゃえばいいの。見栄や体裁やまわりのこと気にしてるときじゃないわ。思い切ってやれば後はどうにでもなるもんよ。

愛  もう後のこと考えてる。

幸子 三ヶ月がんばってみたら。

愛  余命三ヶ月?

幸子 今までのことはちゃんと反省して、けじめつけて。あやまって。そんでもって新しい気持ちで三ヶ月まっ正直に生きてみるのよ。なんとかなるわよ。なんとかならなくても一生懸命生きてれば、せめて悟りぐらいひらけるわ。

愛  ナムナムナム……

幸子 きついかもしれないけど。

ミッキー 今さら生まれ変われないよ。長く生きてるとね、浮き世の垢で汚れきってるの。

幸子 なによ。まだ若いわよ。

愛  そうかね。

幸子 あっちでも十分やり直せるわ。

愛  あっち(天を指す)!

幸子 あっちで夢追ってるってずっとうらやましく思ってた。

ミッキー 幸。

幸子 あのころ思い出して。ね。がんばればまたあっちでもいいことあるわよ。

愛  悪いとこじゃないかもね。

幸子 死ぬ気でやればいいの。生まれ変わるのよ。今までやってきたことの罪はみんな償ってさ。

愛  罪多き人生でした。

幸子 ダメなときはダメなものよ。それでもがんばろうとするのが人間じゃない。

ミッキー 幸。

愛  幸子さん。

幸子 ね。

ミッキー・愛 (同時に)ありがとう。死ぬ気でがんばる。

幸子 うん。信じてる。

ミッキー・愛 うん。うん。

幸子 行ってもう。別れは悲しいけど、出発して。旅立ちは早い方がいい。

愛  旅立ち。

幸子 これ以上まわりのみんなに迷惑かけないでね。

ミッキー うん。

愛  はい。

ミッキー でもこれだけはわかって。幸のところへは来る気なんてなかった。たまたま病院で。

幸子 うん。わかってる。

   ミッキー出ていく。

ミッキー ごめん。ありがと。

幸子 いいの。がんばって。

ミッキー (去りかけて)あ、おばあちゃんだけど。

幸子 うちのことはいいの。わたしがなんとでもするから。

愛  後はまかしたよ〜。(静かに奥へ引っ込む)

ミッキー でもおばあちゃんって不思議な人ね。

幸子 なんで?

ミッキー わたしのことみんなお見通しだったような気がする。

幸子 おかあさんが? 

ミッキー あんた幸の親友だろって。

幸子 フフ。とってもいい人よ。

ミッキー それじゃ。

幸子 うん。またね。

   ミッキー去る。

   愛、フラフラと帰ろうとする。

幸子 おかあさんどうしました?

愛  いろいろお世話かけたね。そうだ。前に幸子さんの服なくなったことあったじゃろ。

幸子 ああ、イブニングドレス。

愛  あれね、わたしんちにあるほ。いっぺんだけ幸子さんの服着てみたかったほ。ごめんね。(出ていこうとする)

幸子 あ、おかあさん。検査結果、病院の。

愛  もういい。もういい。

幸子 いらないですよね、こんなの。

愛  あっても無駄だね。

幸子 そうですよね。どこも悪くないんだから。

愛  そうそう。どこも悪く……え? でもさっきガンとか、あっちとか、旅立ちって。

幸子 あれはミッキーのことですよ。彼女きっと立ち直ってくれると思う。

愛  幸子さん。検査結果の紙は?

幸子 (検査結果の紙を取り出し)はい。

愛  (検査結果見て)あ。異常なし。フフ。フフフ。(うれしくて踊り出す)フンフフンフン。愛のバカヤロー。愛のバカヤロー。

幸子 おかあさん! フフフ。

愛  愛のバカヤロー。愛のバカヤロー……

   ト幸子、愛の歌に乗ってドラムを叩き出す。そのドラムに合わせ歌い踊る愛。ノリノリの二人。

二人 愛なんてもういらない 愛なんて邪魔くさい

   一度でいいからわたし自由にさせて……

   ト翼帰ってくる。「忘れ物、忘れ物」

翼  あ!(ビックリ、呆然)

二人 愛なんかどっかいっちまえ 

   愛のバカヤロー!               (幕)




第二景『金は家族の……』


翼  おじいちゃんが家(うち)に来た。でもぼくはたまにしか会ったことがない。それは塾からの帰り道のこと。

   路上。春日一郎来る。花粉症のマスクにサングラス、帽子。あやしい。鼻がむずむず。

一郎 へへ……へへ……ヘックシュン。

   翼来る。塾の帰り道。

一郎 翼くん。

翼  だれ?

一郎 おじいちゃん。

翼  え、うそ。

一郎 流山のおじいちゃん。正月会ったじゃろ。

翼  (首ひねる)

一郎 忘れたか。おかあさんのとこに行くとこなんじゃ。一緒に行こう。

翼  ダメ。

一郎 どうして?

翼  知らない人と一緒に歩いちゃダメだって。

一郎 知らない人って、おじいちゃんだって。

翼  近寄らないで。腕二本分。

一郎 腕二本分?

翼  学校で習ったの。防犯訓練で。

一郎 おじいちゃんだって。

翼  じゃマスク取って。顔わかんない。

一郎 マスクは取れん、花粉症で。

翼  じゃ近づかないで。

一郎 冗談はええから一緒に行こう。

翼  (防犯ブザー出して)鳴らすよ。

一郎 待ちなさい。

翼  じゃ取って。

一郎 いやいやマスク取ろうとしただけで、鼻が、むずむずして、へ、へ、ヘックシュン。

翼  (ビックリして思わずブザーのひもを引っぱってしまう)

   「ブー!」

   翼、慌ててブザーを一郎の方に投げ捨て、逃げる。

一郎 アワワワ!

   一郎もあわくって逃げる。

   人の声。「誰だ!」「待て!」

   所変わって百山家の居間。

   翼駆けてくる。

翼  おかあさん! おかあさん! 襲われそうになっちゃった。

幸子 (出てきて。エプロン姿)ええ! 大丈夫だった?

翼  ブザー鳴らしたら逃げてった。

幸子 どこで?

翼  坂の通り。

幸子 あそこ前からあぶないって言ってたのよ。それで、どんなやつ?

翼  マスクして、メガネかけて、帽子かぶってた。

幸子 見つけたらおかあさんバットで殴ってやるわ。

翼  それが、おじいちゃんだって言うんだ。

幸子 おじいちゃん?

翼  うん。

幸子 おじいちゃんっておかあさんの(わたしの)おとうさん?

翼  かな。

幸子 新手ね。

翼  新手?

幸子 今ごろはいろいろ新しいテクニック使うのよ。不審者も。

翼  へえ。

幸子 今におじいちゃんだって顔して家に上がり込んでくるかもね。

翼  じゃ、おじいちゃんじゃないんだ、やっぱり。

幸子 なんで?

翼  マスクして顔わかんなかったから。もしかして。

幸子 おじいちゃんは今ごろパチンコよ。

翼  そっか。

幸子 ホント。毎日毎日、朝から晩まで。パチンコするお金あるんだったら娘におこづかいくれればいいのに。

翼  孫にじゃないの?

幸子 まず娘によ。どんだけ心配してるかわかってないのよ。

翼  さびしいんじゃないの。

幸子 どうして?

翼  一人だから。

幸子 それにしてもよ。やめよ。腹立ってくるから。

翼  そうだ。集金。(鞄から封筒出す)

幸子 なに?

翼  参考書代と教材費。塾の。

幸子 また。(鞄から財布取り出す)来週でいい?

翼  うん。

幸子 きょうはちょっとね、お金ないの。おとうさんにおこづかいあげなきゃなんないし。

翼  ふぅん。お菓子ある?

幸子 その前に手洗って。うがいして。

   二人台所へ。

   一郎来る。富士雄と一緒に。

富士雄 すみません。そうですか。ブザーを。

一郎 (ムス……ブザーを富士雄に渡す)

富士雄 ハハハ。子どもにみんな持たすんですよ、最近。わたしらのときはなかったですけどね。不審者もいたんでしょうけど平気で道草してましたよ。きょうはなんです、おとうさん。またパチンコですか。どうでした?

一郎 (首振る)

富士雄 出ませんよね、最近どこも。ハハハ。

一郎 ……。

富士雄 ただいま。あれ? 買い物にでも行ってるのかな。おとうさん、わたしちょっと回覧板まわしてきますから。すわっててください。(去る)

   一郎すわる。鼻むずむず。

一郎 ヘックション。

   翼来る。菓子を食べながら通り過ぎようとしてビックリ。のどに詰まりそうになる。幸子を呼びに慌てて引っ込む。

   一郎、ふと幸子の財布に気づく。

一郎 幸子のか。(まわり見て)すまんねぇ。ちょっとだけね〜。(財布を開けようとする)

   幸子と翼来る。幸子はバットを持っている。

   一郎、背中を向けていたがハッと気づく。

幸子 (バットを振り下ろす)キャー!

   一郎、間一髪よける。よろしく立ち回り。

一郎 わしわし!(マスクとサングラス取る)

幸子 え? おとうさん!

一郎 殺す気か。

幸子 なにしに来たの。

一郎 おまえ出かけてたんじゃ?

幸子 出かけてなんかないわよ。あ。

   幸子、ハッとして一郎から財布を取り返す。

幸子 なにしてるの。これ富士雄さんのおこづかいよ。

一郎 いや。別に。

幸子 またパチンコ代? そうでしょ?

一郎 頼む。少しだけ。

幸子 ダメ。もう。この前も財布から……(ト翼がいるのでそれ以上言うのはやめる)

一郎 ……。

幸子 パチンコばっかりして。おかあさん悲しむわよ。他になにか趣味ないの。情けない。絵描くとか。散歩するとか。カラオケでも。旅行でも。

一郎 一緒に行くもんおらんとつまらん。

幸子 友だちつくったらいいじゃない。

一郎 この年になったらそんな気の合う者おりゃせん。

幸子 ……。

一郎 定年したらかあさんと一緒に温泉巡りしようと思って金も貯めちょったけど。

幸子 その金みんなパチンコにつぎ込むことないじゃない。

一郎 一人じゃつまらん……。

幸子 ……。ご飯食べてく?

一郎 (立ち上がる)

幸子 どこ行くの?

一郎 トイレ。どっちじゃったかな。

幸子 翼。教えたげて。

   翼と一郎、二人奥へ。

   幸子なんだか気が晴れず「ああ! クソ!」とバットを力いっぱい振り回す。トそこへ富士雄帰ってくる。

富士雄 ウワッ! なに?

幸子 むしゃくしゃして。

富士雄 なに?

幸子 父よ。また財布からパチンコ代とろうとしたの。

富士雄 また。困ったね。

幸子 パチンコやめさせなきゃダメだ。なんか起こってからじゃ遅いもの。あなたも父にお金あげないでね。

富士雄 おれはあげないよ。

幸子 きっとよ。あぁあ。昔はあんなじゃなかったけどな。まじめ人間で。パチンコなんかしなかった。

富士雄 なんだっけ? カタイ仕事だったよね、おとうさん。

幸子 冷凍食品。

富士雄 でもさ。知らなかっただけじゃない。

幸子 なに?

富士雄 子どもだったから知らなかっただけで、案外昔から(パチンコやってたんじゃ)……

幸子 父はまじめな人でした。会社人間で、残業残業。家族なんてホッパラかし。家じゃ亭主関白で、おかあさんあごで使うような人だった。でもパチンコなんかやらなかったわ。趣味のない人で。それが急にパチンコなんか始めて。

富士雄 おかあさんの存在がそれほど大きかったってことじゃない。

幸子 そうね……。

富士雄 おかあさんが亡くなって、その穴、埋めようとしてんじゃない。パチンコで。

幸子 ……。

富士雄 あ、ごめん。話変わるけど、来週飲み会でさ。

幸子 知ってる。

富士雄 それで、少し援助してくれると助かるんだけどな。

幸子 この間あげたじゃない。

富士雄 あれはあれだよ。それにおれ……フフフ。

幸子 なによ?

富士雄 今度課長になるかもしれないんだ。

幸子 え、本当。

富士雄 その人間がさ、後輩におごってやれないとまずいじゃん。

幸子 でもそれ課長になってからにして。

富士雄 幸子さん。

幸子 うそうそ。ちゃんと用意してありますよ。

富士雄 ありがと。(幸子からこづかいをもらう)あれ、なんか匂うな、この金。

幸子 え、そう?

富士雄 味噌くさい。

幸子 そりゃ糠味噌の中に……

富士雄 糠味噌の中?

幸子 あ、やば。

富士雄 ハハァン。幸子さん、そんなとこに隠してんだ、へそくり。

幸子 親譲りよ。

富士雄 親譲り?

幸子 母もそうしてたの。もういいじゃない。(慌てて台所へ)

富士雄 あ、別のとこ隠すつもりだな。

幸子 来ないでよ。

富士雄 ヘヘヘ。

   幸子台所へ。富士雄残る。

   一郎戻ってくる。元気ない。

一郎 それじゃ帰るわ。

富士雄 今食事の支度を。

一郎 嫌われもんがおってもつまらんじゃろ。

富士雄 そんな。

一郎 家族三人楽しく食事してちょうだい。

富士雄 おとうさん。

一郎 あんたには苦労かけるの。

富士雄 え?

一郎 幸子は小さいころから曲がったことが嫌いな性格で。まじめすぎてパチンコなんか我慢できんのじゃ。でもまじめすぎるとポッキリ折れやすい。かあさんもそうじゃった。簡単にポッキリいってしもうた。わしはどこへも行くとこない。会社におる間は趣味の一つも持たんとやってきた。定年したらかあさんを温泉旅行ぐらい連れてっちゃろうと、それを励みにがんばってきたけど。かあさん死んでどこも行くとこない。行く気もせん。せめてパチンコぐらいと思ったが、その金もありゃせん。情けないのう。ホント、情けない。ちいとでええからこづかいでもあったらのう。

富士雄 え?

一郎 ちいとでええからこづかいがあれば、わしもストレス解消できるし。胃の痛いのも治るんじゃが。

富士雄 でも。

一郎 ああ、どこぞにやさしい婿がおって、おとうさん、こづかいですよ。パチンコでもしていらっしゃいよ。ハハハ。いやでも。パチンコぐらいみんなやってますよ。それでストレス解消になって長生きしてくれるなら安いもんですよ。いや悪いのう。なんていう婿でもおったら少しはわしも幸せなんじゃが。あ、いかんいかん。なんか当てこすり言ってしもうたみたいじゃな。

富士雄 いえ。

一郎 ああ、帰って寝よう。ああ。アァア。

富士雄 おとうさん。

一郎 はい! なんでしょう。

富士雄 ハハ。これ少ないですけど。(先程幸子からもらったお金を出す)

一郎 いかんよ富士雄くん。幸子に叱られる。そうか。悪いの。いやぁええ婿持った。ええ婿持ってわしは幸せじゃ。

富士雄 はあ。

一郎 かあさん。富士雄くんがこづかいくれたよ。うんうん。うちの婿はとってもグッドよ。心配せんでええよ。

富士雄 ありがとうございます。

一郎 ん。これなんかくさいな。

富士雄 そう、ですか。

一郎 う〜ん。

富士雄 どうしました?

一郎 なんか懐かしい匂いじゃなと思うて。

   ト幸子の声「富士雄さん、ちょっと」

富士雄 ほい。おとうさんご飯食べてってくださいね。(台所へ去る)

一郎 ……。たった五千円か。みみっちい婿じゃ。このごろぁ婿は選ばれんからの。ああでももうちょっと軍資金がほしいの。(幸子の財布に手を伸ばす)♪パチンコはやめられませ〜ん。

   ト翼来る。料理を運んで。

翼  あ!

一郎 あ!

   固まる二人。

一郎 いや。これは、その……

翼  ああ、わかった!

一郎 え?

翼  お、おこづかいだ。おかあさんにおこづかいあげるんでしょ。そうでしょ。

一郎 ああ。うん。

翼  おかあさんいつもおじいちゃんのこと心配してるもの。一人でさみしくないかねぇ。身体大丈夫じゃろか。風邪引いてないかな。栄養のバランスとっちょるじゃろか。運動してるかなって。

一郎 幸子がそんなこと……。

翼  だから、だから、おこづかいあげるんだ。おかあさんきっと喜ぶよ。いつもおじいちゃんからおこづかいほしいって言ってたもの。ぼくおかあさん呼んでこよっと。おかあさん。おかあさん。(慌てて去る)

一郎 翼くん。

   一郎、財布の中身を見る。

一郎 なんじゃ。千円しか入っちょらんじゃないか。富士雄くんのこづかいじゃとか言いよったけど。こづかいが千円か。チッ。しょうない。(さっき富士雄からもらった五千円を取り出し)ん。クンクン。わかった。この匂いじゃ。この匂いでかあさん思い出してしもうたんじゃ。ま、ええか。(お金を幸子の財布に入れる)いの、いの。用のないものは帰るとしよう。

   一郎去る。

   幸子と翼来る。幸子、手にお玉。

幸子 おとうさん! 

   が、一郎はいない。幸子、財布に飛びつき中身を見る。

幸子 あ!(五千円取り出し)入ってる。

翼  だから言ったでしょ。おこづかいだって。

幸子 (涙ぐむ)バカバカバカバカ。親疑うなんて。恥ずかしい。

翼  うん。

   富士雄来る。

富士雄 あれ? おとうさんは。

幸子 うん。

富士雄 帰ったの。パチンコかな。

幸子 父はそんな人じゃありません!

富士雄 なに急に。

幸子 お金持ってないと思うし。

富士雄 そうだね。ハハ。ところで幸子さん。

幸子 なに?

富士雄 あのさ、悪いけどおこづかいもうちょっともらえないかな?

幸子 さっきあげたじゃない。

富士雄 もうちょっとだけ。ね。今度課長になるかもしれないんだぜ。五千円じゃ恥ずかしいよ。

幸子 しょうがないわね。このお金は大切に使ってね。

富士雄 ほい。(お金受け取り)クンクン。ハハ。糠味噌くさい。

幸子 うそ。

富士雄 うそって。へそくりだろ。

幸子 ちがうのよ。これ父が。

富士雄 おとうさんが? じゃおとうさんもお金糠味噌に隠すのかな。

幸子 まさか。そんなことする人じゃないわ。

富士雄 あ。待てよ。これ、おとうさんが幸子さんにあげたの?

幸子 うん。

富士雄 てことは……

幸子 なに?

富士雄 ハハ。なんでもない。

幸子 富士雄さん。

富士雄 ハハハ。

幸子 なによ、笑って。

富士雄 金は天下の回りもの、なんちゃって。

幸子 なに言ってんの。フフ。

富士雄 食事にしよ。

幸子 手伝って。

富士雄 ほい。

   幸子と富士雄、台所へ。

   翼、両手を広げて「やってられない」のおどけた仕草。

幸子の声 翼。

翼  はーい。(台所へ去る)                  

                         (幕)




第三景『見果てぬ夢』


翼  その夜、おとうさんの帰りは遅かった。

   百山家の居間。テーブルでうつぶせて寝ている幸子。

   テーブルの上には課長昇進のお祝いのケーキ。

   翼来る。

翼  寝たら。

幸子 あ。こんな時間か。

翼  遅いね、おとうさん。早く帰るって言ったのに。

幸子 うん。

翼  ダメだったんじゃない?

幸子 でも、あんなにはっきり確実だって。

翼  課長ってそんなにうれしいの?

幸子 そりゃ、ヒラよりいいわよ。

翼  給料増える?

幸子 ちょっとね。

翼  金型作る会社っておもしろいのかな?

幸子 大人の仕事はおもしろいとかそういうんじゃないの。でもおとうさんは今の仕事に誇り持ってるわよ。翼も金型作る仕事やってみる?

翼  う〜ん。どんな仕事かよくわかんないし。

幸子 働いてるとこ見たことないか。ま、自分の好きな仕事についてちょうだい。好きなこと見つけるのが大変なんだから。好きなこと見つけらんないうちに人生終わっちゃう人もたくさんいる。

翼  ホント遅いね。ケーキ無駄になっちゃうんじゃない。

幸子 縁起でもない。もしそうだとしても、おとうさんはちょっとのことじゃ落ち込まないわ。

翼  やけ酒飲んで酔っ払って帰ってきたりして。

幸子 そんなことないわ。きっと残業よ。もう寝なさい。

翼  はーい。(奥へ去る)

   ト富士雄が帰ってくる。酔っ払って。

富士雄 ただいま〜。ピンポ〜ン。

幸子 どうしたの?

富士雄 幸子さん、待ってた。ごめん。電話すればよかったね。翼は? 寝てる? 翼〜。

幸子 今寝ました。声大きいって。

富士雄 幸子さん。ヘヘヘ。

幸子 なによ? 気持ち悪い。

富士雄 今貯金いくらある?

幸子 なによ、急に?

富士雄 ねえ、ねえ。

幸子 いくらもないわよ、そんなの。

富士雄 糠味噌貯金は?

幸子 知らない。なに、どうしたの?

富士雄 ジャーン!(封筒から冊子や本を取り出す)

幸子 なに? (冊子のタイトルを読む)「おいしいメロンパンの焼き方」。「あなたもなれるメロンパン屋」。「メロンパン屋開業の手引き」。なにこれ?

富士雄 実はメロンパン屋始めようと思うんだ。

幸子 ええ?

富士雄 前から計画練ってたんだ。チェーン店あるの知ってる? メロンパン屋の。(封筒に書かれているチェーン店の名前を示す)自己資金二百万で開業できんのよ。最初はチェーン店入ってノウハウ学んで、顧客つかんでさ。ワゴン車での路上販売だけど。そのうちにお金返して独立して、自分の店持つってどうよ。小さな店でも主は主。気持ちいいぞ。人に使われることもないんだから。朝まだ日の昇らないうちに二人で起きて、美味しいメロンパンを焼く。湯気の出てるできたてほかほかを店に並べる。店の前には美味しい匂いに誘われて主婦やOLや子どもたちが行列を作ってる。いらっしゃいませ。ありがとうございます。ここのメロンパン美味しいわね。メロンパンだーいすき。店にはお客の幸せそうな笑顔があふれてる。いいよ。いい。な。小さいころからの夢だったんだ、メロンパン屋。

幸子 富士雄さん。ここすわって。

富士雄 ねえ、幸子さん、貯金いくらある?

幸子 すわって。

富士雄 はい……。

幸子 どうしたの? ちゃんと話して。ねえ。

富士雄 金田が課長になったんだ。

幸子 え、そうなの。でも部長さんからあなたが課長だって言われたんでしょ。

富士雄 言われたと思ったんだけど。

幸子 思った?

富士雄 勘ちがいだったんだよ。おれの早とちり。もういいじゃない。どうせ今の仕事なんて好きじゃないんだから。

幸子 うそ。金型作るの好きじゃない。

富士雄 好きは好きだけど。もうどうでもいいよ。

幸子 ……。

富士雄 ねえ、メロンパン屋やろうよ。きっと成功するよ。してみせるよ。そんでもってビル建てようよ。メロンパンビル。ね、いいじゃない。夢あって。

幸子 翼いるのよ。どうするの、教育費は? 食ってけないわよ。

富士雄 幸子さん協力してくれたらなんとかなるよ。

幸子 わたしはいやよ。料理下手だし。

富士雄 一から教えてくれるんだって。パンの焼き方。

幸子 そういう問題じゃないの。

富士雄 ねえ。やろうよ。メロンパン屋。ねえ。

幸子 逃げてちゃダメじゃない。富士雄さん。

富士雄 逃げてなんかないよ。

幸子 そう? だったらこれはどうなのよ。

   幸子、本棚から本を取り出して富士雄に一冊ずつ渡していく。

幸子 「美味しいそばの作り方」。「そば職人への道」。こっちはなに。「夫婦でできるペンション経営」。こっちは「今からでも遅くない楽しい田舎暮らし」。「自給自足のスローライフ」。

富士雄 ……。

幸子 あなた、なんか会社でつまづくとこれじゃない。現実逃避よ。

富士雄 それを言っちゃいけないよ。

幸子 わたしはちゃんと現実見つめてって言ってるの。そりゃ課長になれなかったのは残念だけど。翼もいるのよ。会社辞める勇気なんてないくせに。

富士雄 今の仕事嫌いだって言ったろ。

幸子 もう! くだくだ言ってると別れるわよ。

富士雄 あいつの部下になるんだよ。金田の。なんで同期の金田に頭下げなきゃいけないわけ。

幸子 仕方ないじゃない。会社なんだから。

富士雄 あ、金田の肩持つの。

幸子 そうじゃないわ。

富士雄 幸子さんに同期の、課長昇進の飲み会に出るつらさがわかりますか。笑顔でおめでとう、なんて言わなきゃいけないんだよ。

幸子 わかるわよ。

富士雄 わかってないよ。おれはもう金田も金型も嫌いになったの。

   ト同僚の金田来る。

金田の声 こんばんは〜。ピンポ〜ン。

富士雄 あれ? 金田じゃない。

幸子 金田さん?

金田の声 こんばんは〜。

   富士雄玄関へ。金田を迎え入れる。

富士雄 どうしたの。さっき別れたばかりじゃない。それに家反対方向じゃん。

金田 飲み足りなくてさ。

富士雄 奥さん待ってんじゃない。課長昇進のケーキかなんか用意して。

幸子 あ。(そそくさとケーキを隠す)

金田 二人で飲みたくなってさ。

富士雄 なに言ってんの。あれだけみんなからお祝いされて。

金田 ま、いいから飲もうや、一杯だけ。他のやつなんていいよ。おれはおまえと飲みたいの。会社で一番気の合う同期なんだもの。

富士雄 まあ、いいけどさ。幸子さん、ビール持ってきてくれる。

金田 あれ覚えてる、おまえ。Kの32。

富士雄 なんだよ、いきなり。

金田 覚えてるかって。Kの32。

富士雄 Kの32だろ。忘れるわけないじゃん。あれ苦労したもんな。

金田 0.1ミクロンだもんね。0.1ミクロン。

富士雄 最後のカーブつけるのが、うまくいかなくてな。鉄にストレスかかっちゃって。

金田 あれどのくらいかかったっけ? 日にち。

富士雄 半年。七ヶ月。いやもっとか。

金田 218日。

富士雄 そんなか。覚えてんじゃん。

金田 プレッシャーあったからな。会社ちょっとこうなってて(傾いてて)。大きな仕事だったし。最後はやっぱり腕だよな、腕。おまえならできると思ってた。

富士雄 おまえの図面無理ばっかだもんな。

金田 おまえだからさ。

富士雄 へへへ。

金田 燃えてたよな、あんとき。

富士雄 そうだな。会社の危機乗り越えたもんな、あれで。

金田 苦労わかるのは、百山だけだよ。(急に涙ぐむ)

富士雄 なんだよ、急に。

金田 話、聞いてくれるか。

富士雄 なに? 改まって。

金田 驚くなよ。

富士雄 うん。

金田 実はおれ、メロンパン屋やろうと思うんだ。

富士雄 ええ! なに言ってんのおまえ。

金田 驚くなって。

富士雄 バカ、おまえ。メロンパン屋ぁ? 課長になったばっかじゃないか。

金田 いや、前から計画練ってたんだ。(鞄から冊子を取り出し)チェーン店あるの知ってる? メロンパン屋の。自己資金二百万で開業できんのよ。最初はチェーン店入ってノウハウ学んで、顧客つかんでさ。ワゴン車での路上販売だけど。そのうちお金返して独立して、自分の店持つってどうよ。小さな店でも主は主。気持ちいいぞ。人に使われることもないんだから。朝まだ日の昇らないうちに夫婦二人で起きて、美味しいメロンパンを焼く。湯気の出てるできたてほかほかを店に並べる。店の前には美味しい匂いに誘われて主婦やOLや子どもたちが行列を作ってる。いらっしゃいませ。ありがとうございます。ここのメロンパン美味しいわね。メロンパンだーいすき。店にはお客の幸せそうな笑顔があふれてる。いいよ。いい。な。小さいころからの夢だったんだ、メロンパン屋。

富士雄 ここすわれよ、金田。どうしたの?

金田 どうもしないさ。今の仕事好きじゃなくなったんだ。

富士雄 うそつけ。金型作るの好きなくせに。

金田 好きは好きだけど、どうでもいいよ。な。メロンパン屋いいと思わないか。きっと成功するよ。してみせるよ。そんでもってビル建てる。メロンパンビル。な。いいじゃない。夢あって。

富士雄 子どもいるんだろ。三人も。教育費どうすんだ。メロンパン屋なんてやっても食ってけないぞ。

幸子 そうでしょ。その通りよ。

富士雄 いや、金田はさ、課長になったばっかじゃないか。みんなも期待してんだし。ヒラとはちがうよ。

   突然金田が富士雄に頭を下げて頼む。

金田 百山、課長かわってくれないか。

富士雄 ええ?

金田 一生のお願い。今ならまだ間に合う。部長に話せばわかってもらえる。

富士雄 そんなことできないよ。

金田 元々おまえがなるはずだったんだ。それがおれの方がルックスいいもんだから。

富士雄 金田。からかってんのか。

金田 いや、ごめん。本当に真剣に頼んでるんだ。

幸子 あなた。かわってあげたら。

富士雄 幸子さん。

幸子 こんなに熱心に頼んでらっしゃるんだから、むげに断ったりしちゃ悪いわ。

翼  (出てきて)それがいいよ、おとうさん。

富士雄 なんだおまえは。寝てなさい。

   翼、引っ込む。

富士雄 奥さん知ってるのか。おまえがメロンパン屋やるなんて聞いたら別れてやるなんて言うぜ。きっと。

幸子 それはそうよ。メロンパン屋なんて始めたら絶対別れてやるわね。

金田 いや、奥さん。うちのは大賛成なんです。

幸子 ええ?

金田 料理も上手だし。むしろ女房の方が乗り気なんです。

富士雄 あ、そうなの。料理上手で大賛成。うちと真逆じゃ。

幸子 (富士雄のももをつねる)

富士雄 アテテテ。

金田 どうした?

幸子 ホホ。なんでもないんですよ。

富士雄 ハハ。でも夫婦でメロンパン屋っていいだろな。

金田 な。いいと思うだろ。

富士雄 二人で協力して生きてくっていいよ。人生の後半を夫婦二人で額に汗して働く。ときにはどっか旅行いったりしてな。

金田 それ理想だろ。

富士雄 マイ・ビューティフル・メロンパン・ライフ!なんて。

金田 最高!

   幸子、急に真顔になってテーブルをドン!と叩く。

幸子 それじゃ聞きますが。あなたにとってメロンパンってなんですか?

富士雄・金田 ええ?

富士雄 なんだよ、急に。

幸子 聞かせてください。メロンパンってなんで焼くんですか?

富士雄 (急な質問にしどろもどろになりながら)なに言ってんの。そりゃ小麦粉にイースト菌混ぜてさ。な。

金田 ああ。メロントッピングして。

幸子 そんなこと聞いてんじゃないわ。メロンパンっていったいなに? 売る目的は? お金? お金は今より収入落ちるはずよね。苦労も多いわ。責任だって重くなる。小さくても経営者は経営者なんですもの。ちょっと失敗すればどうなる? 家族も道連れよね。それでもやりたい理由ってなに?

金田 失敗恐れてたらなんにもできないですよ、奥さん。責任は重いかもしれないけど、一人でなんでもやる充実感はあると思う。

富士雄 そうだよ。お客さんがおれが作ったメロンパンで笑顔になる。それだけでも十分じゃない。

金田 そうだよ。

幸子 お客さんの笑顔って言ったけど、それって今の仕事でも同じじゃないですか。立派な金型作ってお得意さんに喜ばれてるじゃないの。立派な仕事じゃない。今の会社でできなくてどうするの? 逃げてるだけじゃない。

富士雄 ……。

幸子 そりゃメロンパン一筋なら、それが本当にやりたいことなら、わたしも応援するけど。夫婦なんだもの。

富士雄 幸子さん。

幸子 夫婦なんだもの。わたしたち。(涙ぐむ)

金田 他人になにがわかる! えらそうに。会社での苦労も知らないで。人のこととやかく言わないでください。一大決心なんだから。あんたなんかにはわからないよ! おれの気持ちは。

富士雄 わかるさ!

金田 百山?

   富士雄、そば屋やペンション経営や田舎暮らしの本を金田の前に置く。

富士雄 ほら。ほら。

金田 なんだよ。

富士雄 おまえメロンパン屋の前はそば職人になろうと思ってただろ。

金田 ど、どうしてそれを!

富士雄 その前はペンション経営。ちがうか。その前は楽しい田舎暮らし。おまえ、会社でなんかつまづくといつもこれじゃないのか。現実逃避だよ、それって。夢持つのはいいさ。でも逃げちゃダメだよ。

金田 それを言うなよ。

富士雄 ちゃんと現実見つめろって。せっかく課長になれたんだから。

金田 ……怖いんだおれ。人まとめていく自信がない。金型の図面ならいくらでも引いてやるさ。でもな、課長ってちがうだろ。職人たちまとめて、パートの女性たちまとめて。おれなんかおばちゃんたちに嫌われてるだろ。仕事細かいとか。それに部長もあんなだし。人の気持ちわかんない人だし。板挟みで、考えただけでも胃が痛いよ。うつなんだ。いっぱいいっぱいなんだ。でもおまえの手前そんな素振り見せちゃまずいと思ってな。

富士雄 金田。

金田 ハァ。おれはひとりぼっちだ。

   短い間。

富士雄 ここに味方いるじゃない。

金田 え?

幸子 あなた。

金田 でも百山。おまえおれの部下になるんだぜ。

富士雄 へっちゃらとは言わないが、おれは今の仕事愛してるんだ。おまえ支えてやるよ。

金田 百山。

富士雄 おれやっぱり、金型作るの好きなんだ。0.1ミクロンの世界でモノ作ってるのが性に合ってんだ。金型作るのが好きなんだよ。

幸子 あなた。

富士雄 いや、それでも夢は夢として取っとくよ。翼が大きくなって独立したら、そのときは早期退職して退職金がっぽりもらってさ、メロンパン屋やる。夢はそれまでお預けだ。うん。(本片付ける)

幸子 富士雄さん。

金田 ありがとう。百山。

富士雄 おう。

金田 元気出たよ。なんとかやってみる。

富士雄 うん。

金田 でも、なんだかおまえがメロンパン屋あきらめるみたいだな。

富士雄 ええ? そうか。ハハ、ハハハ。

金田 ハハハハ。

富士雄 さ、金型屋の朝は早い。

金田 そうだな。奥さん。すみませんでした。

幸子 いいんです。今後ともよろしくお願いします。

金田 それじゃ。

   富士雄、金田を玄関へ送る。

金田 そうだ。百山。あした朝一で納品書出しとけよ。

富士雄 え、あれまだいいって。

金田 これからは能率主義でいくからな。わかったな、百山。

富士雄 はい。課長。

金田 ハハハハハ。

富士雄 ハハハハハ。

   富士雄、戻ってきて。

富士雄 聞いた聞いた、今の? 幸子さん。出しとけよ、百山、だって。出しとけよだよ。ああ、頭来る。

幸子 富士雄さん。どうする本?

富士雄 あ。うん。そば職人と一緒に仕舞っといて。あぁあ。

幸子 なによ。ため息つかなくったって。わたしがいるんだから。

富士雄 幸子さん。

幸子 (ニッコリ)

   二人、いい雰囲気。

   ト翼来る。

翼  ケーキもらっていい?

   二人ビックリ。ドギマギ。富士雄は体操始めちゃったりする。

幸子 あ、あしたにしなさい。

翼  はーい。

富士雄 翼。ところでおまえ、将来なにになるつもりだ?

翼  子どもの夢に入ってこないで。(去る)

富士雄 あ。あんなこと言ってる。

幸子 寝よ寝よ。(寝る準備にかかる)

富士雄 ねえ、ところで幸子さん。

幸子 なに?

富士雄 ホントのところ貯金いくらある?

幸子 フフフ。内緒。

富士雄 糠味噌貯金は?

幸子 教えない。

富士雄 ねえねえ。

幸子 フフフ。

富士雄 これくらい? それともこれくらい?

幸子 フフフ。

富士雄 ねえ。ねえ。

幸子 フフフ。

   二人じゃれ合う。

翼  (出てきて)早く寝れば?

   富士雄と幸子、顔を見合わせ笑う。

                         (幕)

広島友好戯曲プラザ

劇作家広島友好のホームページです。 わたしの戯曲を公開しています。 個人でお読みになったり、劇団やグループで読み合わせをしたり、どうぞお楽しみください。 ただし上演には(一般の公演はもちろん、無料公演、高校演劇、ドラマリーディングなども)わたしの許可と上演料が必要です。ご相談に応じます。 連絡先は hiroshimatomoyoshi@yahoo.co.jp です。

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