ハートフル・コメディ「恋、おばあちゃんの」/家族百景 第七景 各地で上演の大人気の戯曲です。

ハートフル・コメディ

   家族百景

           作・広島友好

第七景『恋、おばあちゃんの』


○時 ……今

○場所……主に百山家の居間

○登場人物

百山翼  (ももやまつばさ)

百山幸子 翼の母(さちこ)

百山愛  翼のおばあちゃん

杉下桂  愛の幼なじみ

坂田絹  愛の幼なじみ

坂田澄子 絹の娘


*台詞はそれぞれの地域の生活語に直してもらって結構です。                      (作者)




翼  (独白)おばあちゃんには親友がいる。むか〜しからの幼なじみで、付き合いはン十年になる。

   親友ってなに、て聞くと、なんでも隠し事しないのが親友だよって。そんな友だち今いないじゃん。だからちょっとうらやましい。

   愛と桂がお茶を飲んでいる。年寄り二人。茶飲み話。

愛  早いねぇ。

桂  早いねぇ。

愛  もう花見だって。

桂  桜がねぇ、満開。

愛  この前お正月かと思ったら、

桂  花見の季節じゃものねぇ。

愛  じきに木の芽時になって、梅雨が来て、夏が来て、

桂  すぐ秋よねぇ。んでまた寒うなって。

愛  お正月じゃねえ。

桂  そんでもってまた桜の季節が来る。

愛  早いねぇ。

桂  早いねぇ。

   ト二人茶をすする。

桂  ん? (家の中が)静かじゃねぇ? あれ? そういえば幸子さんは。

愛  出かけちょるの、翼と。

桂  翼ちゃんと?

愛  今度高校生でしょ。その準備でなんやかんや買い物して来るって。

桂  高校生。翼ちゃんが。もうそんなになるの。生まれたばっかしじゃと思っちょったけど。早いねぇ。

愛  早いねぇ。

   幸子、帰ってくる。

幸子 ただいま。あら、桂のおばちゃん。いらっしゃい。

桂  はい。お邪魔してますよ。ねえ、幸子さん。翼ちゃん、高校生になったんて?

幸子 そうなんですよ。

桂  おめでとう。

幸子 ありがとうございます。

桂  (鞄を探り)お祝いあげんといけんねえ。

幸子 あ、いいんですよ。

桂  (鞄を探りつつ)でもねえ。

幸子 ホントに。

桂  あとでなんか言われても。(鞄の中身を次々と取り出す)桂のおばちゃんはケチじゃったとか。

幸子 やだ。言いませんよ、そんなこと。気持ちだけで。

桂  でもねえ。

幸子 気持ちだけで、充分。ね。

桂  あ、そう?(あっさりとしまう) じゃ、かえって迷惑になってもいけんからね。

幸子 ハハ……。

愛  翼ちゃんは?

幸子 うん。今部屋。すぐ来る。

桂  でも早いねぇ、翼ちゃんが高校生。

幸子 ホントに。

桂  歳取るわけじゃ、わたしらも。

愛  あとは翼が大学行って、ええ会社入って、嫁さんもろうて、孫の顔が見られれば、いつ死んでも悔いはない。

桂  そりゃあんた、とうぶん死ねりゃぁせんでね。

愛  ホントじゃ。ハハハハ。

桂  ハハハハ。

   愛と桂、ほがらかに笑う。幸子もお愛想笑い。

幸子 ホント二人、元気よねえ。感心しちゃう。仲もいいし。

桂  ほうかね。

幸子 ずっと一緒でしょ。子どものころから。

愛  小学校からね。

桂  小学校からかいね? もっと前からじゃろ?

愛  もっと前からかもしれんねぇ。

幸子 それからずっとでしょ?

桂  戦争でちょっと一緒におれん時もあったけど。あとはずっと一緒。

愛  腐れ縁じゃねえ。

桂  腐れ縁じゃねぇ。

幸子 ホント天然記念物みたい。

愛  天然記念物って、人を化石みたいな。

幸子 あ。すみません。

桂  ええのよ。化石よねぇ、化石。

愛  やっぱり化石かね? ハハハハ。

桂  ハハハハ。

   愛と桂笑う。

幸子 ねえ、仲のいい秘訣ってなに?

桂  ん? そりゃ隠し事せんことじゃろうね。

幸子 隠し事。

桂  隠し事しよったら長続きはせんぃね。

幸子 へえ。じゃ二人はなんでも知ってるわけだ、お互いのこと。

桂  そりゃ、家のことも、なんもかんも。

幸子 じゃ、好きだった男の人のことも?

桂  そりゃそうよ。

愛  桂ちゃん。あんたはいらんこと言わんのよ。

幸子 いいじゃない。聞きたい聞きたい。

愛  昔のこと。みんな忘れた。

幸子 もう。

桂  とにかくね、友だちつくらんにゃつまらんよ。翼ちゃんによう言うちょってちょうだい。勉強も大事じゃけど、友だちが財産じゃって。ね。

幸子 はい。

桂  グッ。(指でOKポーズ)

幸子 友だちで思い出したけど、このごろ坂田さん来られんね。

愛  入院したのよ、病院に。

幸子 あ、そうだったね。

愛  足、骨折してね。

幸子 でもだいぶ前でしょ、それ?

桂  ん……、ありゃ桜の季節じゃったから、一年経つかねぇ。

愛  退院はしたっちゅうけど。家が遠いからねぇ。

幸子 三人娘が揃わんとさみしいわね。

桂  それそれ。わたしら三人いっつも一緒じゃったからねぇ。あんまり仲がええからあんみつ三人娘って呼ばれちょった。

幸子 あんみつ三人娘?

愛  学校の近くに「たぬき」っていうあんみつ屋があってね。なにかっちゅうとそこに寄っちょったから、三人で。

幸子 それで、あんみつ。

桂  たぬき娘っちゅう人もおったけど。

幸子 いやだ。(プッと吹き出す)ウフフフフ。

愛  幸子さん。笑い過ぎ。

幸子 ごめんなさい。フフフ。

   翼来る。

翼  おかあさん。着替えたよぉ。

   翼、詰め襟の学生服姿。新しい服に身体が飲み込まれている感じ。

   愛と桂、初々しい翼の姿に賛嘆の声を上げる。

愛  わぁ、翼ちゃん。かっこええねえ。

桂  ええ。ええ。

翼  (桂に)こんにちは。(照れている)

幸子 翼、ぐるっと回ってみて。ぐるっと。モデルみたいに。

翼  (照れて)ええっ! いいよ。

幸子 いいから。

愛  翼ちゃん。おばあちゃんたちによう見せて。ね。

翼  一回だけだよ。(ぐるっと回る)

愛  ええねえ!

桂  ええ! ええ!

   愛と桂が翼に拍手する。

桂  (愛に)ねえねえ、そっくりじゃない。

愛  え? だれに?

桂  だれって――。

愛  (すぐに思い当たる)ああ。

桂  学生服のね、着た感じが、生き写しじゃぁね。

愛  ホントじゃ、ホント。

幸子 え? だれにそっくりなの?

愛  おじいちゃんよ。

桂  耕次郎さん。

幸子 お義父さんに? 翼が?

翼  おれが? だれに似てるって?

幸子 おじいちゃんよ、おじいちゃん。耕次郎おじいちゃん。

翼  耕次郎おじいちゃんって、おばあちゃんのおじいちゃん?

愛  ちがうちがう。

幸子 おばあちゃんの夫。おとうさんのおとうさん。

翼  ああ。

桂  血は争えんね。

愛  血じゃねえ。

幸子 隔世遺伝って子どもより孫が似るって言うもんね。

桂  それそれ。カクセイカクセイ。

翼  おれ、おじいちゃんにそっくりなの? なんかキモッ。

幸子 なに言ってんの。

桂  翼ちゃん。翼ちゃんのおじいちゃんはね、そりゃ素敵じゃったんじゃから。しゅっとして、すらっとして。頭もようて、やさしゅうて。女学生の憧れの的じゃった。

翼  へえ。

愛  (うれし恥ずかし)モテたのよ、おじいちゃん。

桂  耕次郎さんが愛ちゃんと結婚したときは、そりゃもうみんながびっくりしたんじゃから。

愛  ちょっと待って、桂ちゃん。それどういう意味?

桂  え? どういうって?

愛  耕次郎さんがわたしと結婚したときみんながびっくりしたって。

桂  言ったそんなこと?

愛  言った。

桂  言ってないよ。

愛  言った。

翼  おばあちゃん。おれのことでけんかせんで。

愛  してないよ、けんかなんか。

桂  そうよ。わたしら仲ええんじゃから。

   ト電話の音。

幸子 電話だ。(部屋を出る)

翼  おかあさん、もう脱いでいい?(ついて出ていく)

幸子の声 ちょっと待って、みんなで写真撮るから。

翼の声 (ちょっと不満げ)はぁい。

   愛と桂。二人ねちねちと。気まずい空気。

愛  あんたがそんなふうに思っちょったとは知らんかった。

桂  え? なにが?

愛  なにがって。耕次郎さんとわたしが結婚したときびっくりしたってこと。まるでわたしが耕次郎さんと釣り合わんみたいじゃない。わからんもんじゃね。長う付き合っちょっても人の心は。

桂  またねちねちと。

愛  またってなんかね、またって。

桂  言ったそんなこと?

愛  出た、その台詞。

桂  なに? その台詞って?

愛  桂ちゃん、都合が悪くなるといっつもそれじゃもん。「言ったそんなこと?」。ボケ老人の振りして。

桂  ボケ老人って。ボケちょるのはあんたでしょうがね。

愛  いつわたしがボケた?

桂  ボケちょるのがわからんのがボケちょる証拠なの。

愛  言ったな。

桂  言ったそんなこと?

愛  あ、またワザと。

桂  へ、へ、へ。

   険悪な雰囲気。

   幸子来る。

幸子 おかあさん。坂田のおばちゃんが今から来るって。

愛  絹ちゃんが。

幸子 それがもう家の前まで来てるんだって。(ト玄関に去る)

愛  わざわざ電話することないのに。

幸子の声 娘さんが電話してきたの。一緒なんだって。

愛  澄子ちゃんと?

   玄関のチャイム。「ピンポーン」

幸子の声 はーい。

桂  元気になったんじゃね。

愛  退院してから一度も病院で顔会わせんから、病気かと思っちょった。

桂  よう来んのよ、保険料が高いから。

愛  なに言いよるの。あそこは金持ちじゃあね。

桂  じゃったらなんで?

愛  娘夫婦がいじめるんよ。

桂  澄子ちゃんが?

愛  澄子ちゃんの旦那がよ。

桂  よう同居せんかね、娘の親とは。

愛  酒飲みじゃそうじゃから。酔うときついこと言うてらしいよ、ストレスで。

桂  ほうかね。嫌じゃね、エリートも。

   幸子来る。

幸子 どうぞ。

   絹来る。少し足元がおぼつかない。ヨチヨチ歩き。そのうしろから介添えする心持ちで娘の澄子が来る。

   絹のどんよりとした表情が一瞬の晴れ間を覗かせるように輝く。

絹  愛ちゃん! 桂ちゃん!

愛/桂 絹ちゃん!

愛  どうしたんかね、あんた。

桂  心配しちょったんよ。

絹  愛ちゃん。桂ちゃん。

   澄子、幸子を部屋の隅に連れてくる。

澄子 迷ったんですけど……話そうかどうしようか……

幸子 はい……?

澄子 実は……母がボケちゃってて。

幸子 え? (気づいて声を小さくして)おばさんが?

澄子 こないだから入院してたでしょ。その間に急に。

幸子 でも骨折だったって。

澄子 あぶないって言うでしょ、年寄りの骨折は。あれって、ボケにも当てはまるの。

幸子 へえ……。

愛  ええからちょっとすわりなさいね。

桂  アメ食べるかね? 煎餅は?

愛  お茶飲んで落ち着きんさん。

桂  そんな興奮していっぺんに言っても。

愛  そりゃ桂ちゃんでしょ。

絹  愛ちゃん。桂ちゃん。

愛  なに言いよるんかね。愛はわたし。

桂  わたしが桂でしょうがね。相変わらず好きじゃねぇ、冗談が。

絹  愛ちゃん。桂ちゃん。

澄子 前ね、畳で転んだんです。なにもないところで。

幸子 畳で。

澄子 今思えばそのときからおかしかったのかも。あっという間に。

幸子 見えないけど。そんな風に。

澄子 徘徊するんです。もう疲れちゃって。

幸子 ……。

愛  ホント元気になってよかったね。

桂  足はどんなかね。歩けるかね?

絹  桂ちゃん。桂ちゃん。

桂  うん、うん。歩けるかね。

澄子 共働きでしょ、うち。面倒見切れなくて。冷たい気持ちじゃないんだけど。

幸子 そりゃ、ねえ……。

澄子 運良くあったんです、空きが。

幸子 空き?

澄子 施設の。主人のお得意さんにつてがあって。普通は老人ホームなんてなかなか順番回ってこないんだけど。ちょっとお金も使って。

幸子 へえ……。

愛  澄子ちゃん、よう絹ちゃん連れてきてくれたねえ。ありがとう。

澄子 おばさん、こんにちは。ご無沙汰してます。

桂  ああ、あんた素敵な服着て。お出かけ。

澄子 ちょっと……母を連れて……。

愛  絹ちゃんも?

澄子 ええ……。

愛  でも、まだ時間ええんじゃろ?

澄子 それがあんまり。主人に迎えに来てもらうことにしてるんで。

桂  どこへ行くの?

澄子 え――?(言葉につまる)

桂  ん?

澄子 ちょっと……施設に。

愛  なんの施設かね?

澄子 ええ。それがね、おばさん……

絹  (突然澄子に)どなたか存じませんが、どうもご苦労さんでした。

澄子 まあ、かあさん! いやだ。

   澄子、たまらなくなって背を向け涙をこらえる。

愛  また、絹ちゃんの冗談が出た。冗談よ、澄子ちゃん。

桂  これ聞かんと調子出んからね。

   愛と桂、笑う。絹もつられて笑みを浮かべたように見える。

   幸子が澄子の様子を気にする。

澄子 (涙を拭って)ごめんなさい。幸子さんなら、ほら、わかってもらえると思って。気持ち。同じ年寄り抱えてるから。

幸子 元気だからうちは……。

澄子 (幸子の言葉に同意して)ねえ。

   ホントは黙って施設に入れちゃおうかと思ってたんだけど。

幸子 澄子さん。

澄子 おばさんたちもショックでしょ、母がボケてるって知ったら。でもそれもどうかと思って。なんだかさみしいし。思いが残るでしょ。かと言ってみんなの前でボケてるなんて言うと本人のプライドもあるし。

幸子 わかるの、おばさん?

澄子 時々ねぇ。変なときに。悪口とか言ってるとひどく怒って暴れるの。かみついたり。

幸子 うそ。おばさんが?

澄子 そう。これ。(手の甲見せる)

幸子 まあ。

澄子 限界。

   翼来る。

翼  ねえ、いつ写真撮るの?

幸子 ちょっと待ってて。今お客さんだから。

翼  早くしてね。(去りかける)

   ト絹が立ち上がり、翼の前に来る。

翼  ……あ、こんにちは。

絹  ご進学……おめでとうございます。

翼  (戸惑い気味)どうも。ありがとうございます。

絹  いつ、東京へ?

翼  え? 東京?

絹  いつ? 耕次郎さん。

愛/桂 耕次郎さん?

絹  東京へ、いつ?

翼  え? なに?

絹  八幡へ引っ越すんです、わたし。親戚が製鉄所で働いてるので。落ち着いたらまたここへ戻ってきます。ふるさとですから、ここが。

翼  おばあちゃん。(わけがわからず愛に助けを求める)

愛  絹ちゃん。どうしたの? これ翼よ。翼。わたしの孫よ。

桂  また絹ちゃんの冗談よ。

絹  ……耕次郎さん……。

愛  しっかりしてよ。耕次郎さんは十三年前に脳卒中で死んだでしょ。

絹  死んだ……耕次郎さん……。

桂  びっくりした振りして。じゃけど、間違えるのもしょうがないわ。惚れ惚れするほどそっくりじゃもの、耕次郎さんに。

愛  じゃけど翼ちゃんは高校生よ。

桂  体格がええから大学生に見える。

愛  ほうかねぇ。

絹  いい……お孫さんね……。

愛  じゃろぅ。なんて。孫自慢しちゃいけんね。

桂  ええよええよ。翼ちゃんは愛想もようて。男前で。それにおばあちゃん思いじゃし。うちの孫なんか寄りつきゃせんからね。

愛  ほうかね。恵ちゃんが?

桂  小遣いやるときだけ。(孫の甘い声を真似て)おばあちゃぁんって。

愛  ホントに?

桂  ちゃんと調べちょるんじゃから、年金の支給日。

愛  まさか。そりゃあんたが年金年金言うからじゃろ。

桂  おばあちゃんあれほしい。おばあちゃんあれ買ってって。

絹  好かん。孫は。

愛/桂 え?

絹  ボケちょる、おばあちゃん。きらい、おばあちゃん。おばあちゃんこっち来んで。……(ブツブツブツブツ)

澄子 もう! 瑠実たち、一言も言ったことないでしょ、そんなこと。

絹  (ブツブツブツブツ)……

   気まずい間。

翼  おれ、部屋におるから。

幸子 うん。

翼  写真撮るとき呼んで。(去る)

絹  あ。

   絹、翼の去ったあとをじっと見ている。

澄子 (愛たちに)あの、さっきのあれっていつのことですか?

愛  え? あれって?(耳に手をやる)

澄子 (大きめの声で)さっき母が言ってた、引っ越しがどうのっていう?

愛  ああ。戦後すぐのことじゃないかね。

桂  耕次郎さんが東京の大学へ行って、絹ちゃんが九州の親戚の所へ行ったのよ。ちょうど同じ時期に。

愛  そうそう思い出した。わたしらになんにも言わんで引っ越してったのよ、絹ちゃん。

桂  しょうがないぃね。戦後の、まだまだ混乱しちょったころじゃもの。

愛  それにしても、よ。

澄子 そういえば聞いたことあります、母から。八幡に行ったって。

桂  こっちの家をね、なんとかするのが大変じゃったそうな。

愛  絹ちゃん。なんであんたなんにも言わんで引っ越してったの。あんときは哀しかったんよ、わたし。

桂  もうええじゃない。(幸子と澄子に愛の気持ちを解説する)三人娘が唯一バラバラじゃったからねぇ。

愛  ねえ、なんでじゃったの。怒らんから言ってみて。

絹  愛ちゃん。

愛  なに? 怒らんから言って。

絹  ……。

愛  絹ちゃん。

絹  どこ、お手洗い?

愛  お手洗い? もう! いつも行っちょったじゃない。そっちの角。

絹  ほうじゃった。(ト立ち上がって部屋を出る)

桂  ボケちゃダメよ、絹ちゃん。ハハハハ。

   澄子、幸子に目でサインを送る。

澄子 トイレは大丈夫なんです。不思議に。

幸子 そうですか。

澄子 ……あの、わたし、やっぱり、おばさんたちに言います。

幸子 え?

澄子 このまま一生逢えないなんて、やっぱり。

幸子 (うなずく)

   澄子、愛たちの元へ。

澄子 おばさん、あのね。聞いてほしいんだけど。

愛  なに?

桂  ん?

澄子 実はね、うちのおかあさん、ボケちゃってるの。それもかなりひどいの。

桂  え?

愛  絹ちゃんが?

澄子 今もちょっと変だったでしょ。

愛  気づかんじゃったけど……

桂  ……いや、変じゃった。

愛  あんた、また!

桂  わたしゃちょっと感じちょった。

澄子 入院してる間に急に悪くなってね。このごろは徘徊もするし、暴れるしで、わたしらの手に負えんの。

愛  信じられん。絹ちゃんがボケちょるじゃなんて。

桂  ボケは、あんた、人選ばんよ。総理大臣でもボケるんじゃから。

愛  あんたはだれの味方かね。わたしゃ信じん。信じられん。

幸子 おかあさん。

   ト絹帰ってくる。

愛  絹ちゃん。トイレわかった?

絹  どなたか存じませんが、ご親切にありがとう。

愛  き、絹ちゃん。(強いショックを受ける)

   絹、愛たちに背を向け、部屋の隅に小さく座る。

絹  (脈略なしに歌う)はぁるの〜 うらぁらぁの〜 すぅみぃだぁがわぁ〜……

愛  絹ちゃん……。

幸子 あ。(聞き耳を立てる)

愛  どうしたの?

幸子 トイレの水。出しっぱなし。(駆けて出る)

澄子 すみません。

愛  絹ちゃん。

澄子 (決心して)おばさん聞いて。

愛  なに? 怖い顔して。

澄子 あのね、母をね、施設に預けることにしたの。今から行くとこなの。

愛  施設に。

桂  ほうかね。

澄子 怒られるかもしれんけど、おばさんたちに。

桂  なにを怒ろうかね。そりゃぁショックじゃけど。わたしらよりももっともっとあんたの方が苦しんじょるんでしょ。わかるよ、わたしは。

澄子 おばさん。

愛  ……。

桂  好きで自分の親を施設に預ける子どもはおりゃぁせんぃね。みんな仕方なくそうするんじゃから。

愛  わたしは信じん。信じんよ。桂ちゃん、なんかええ方法ない? 絹ちゃんを元に戻す。

桂  ええ方法っても。

愛  びっくりさせたらどうじゃろねぇ。

桂  びっくり?

愛  あれあれ、なんとか言うた……

桂  ショック療法。

澄子 ダメダメ、逆効果になっちゃって。下手に刺激すると感情乱して大変なんです。暴れ出して。

絹  ♪さいたぁ〜 さいたぁ〜 チュウリップのはなが〜……

愛  (絹の肩を抱く)絹ちゃんうそじゃろ。うそじゃって言って!

桂  愛ちゃん!

   幸子、戻ってきている。

   翼来る。

翼  おかあさん。(愛たちをチラッと見て)あれ、なんかあったの?

幸子 ちょっとね。

翼  ……。

幸子 ん? なに。

翼  これ。(ト一枚の紙切れを幸子に渡す)

幸子 なに? (紙切れになにか書いてあるが字が汚くて読めない)汚い字ねぇ。

翼  坂田のおばあちゃんに。

幸子 え?

翼  読んでって、渡された。さっきそこで。

澄子 うちのおかあさんが?

翼  はい。

愛  どうしたの?

幸子 おばさんが、翼にこれを渡したんだって?

愛  絹ちゃんが?

桂  なんて書いてあるの?

幸子 う〜ん……

澄子 (横から読んで)……「お話があります。いつもの所でお待ちしてます。絹」

幸子 なに、これ? ラブレター?

愛  まさか? 翼ちゃんに。

翼  うそ。マジで?

幸子 でもお話がありますって?

桂  もしかして、耕次郎さんに話があるんじゃないの?

愛  ええ?

幸子 おじいちゃんに?

桂  絹ちゃん、翼ちゃんのことを耕次郎さんと思い込んじょったでしょ。じゃから、もしかして。

幸子 なるほど。

桂  なにか思い残しがあるんじゃないの。

幸子 思い残し?

翼  なにそれ? 思い残しって。

桂  わからんけど。なにか伝えたいことがあるんじゃなかろうか。伝えられんかったことが。

幸子 おかあさん、なにか心当たりある?

愛  いんや、全然。

澄子 大切な思い出かしら。

愛  思い出?

澄子 昔のことは思い出すみたいなんですよ。昔にタイムスリップしたみたいに。そのときだけはしゃんとして昔のままの母なんです。

愛  じゃ、耕次郎さんと話すときは絹ちゃんも昔のままに戻るってこと?

澄子 たぶん。一時的には。

愛  (思い入れて)よし。

桂  よしってなによ?

愛  そこから絹ちゃんを元に戻そう。

桂  愛ちゃん。無理じゃって。

愛  ええから、黙っちょって。

桂  ……。

愛  翼ちゃん。お願いがあるの。一生のお願い。

翼  なに急に?

愛  おじいちゃんになって。

翼  ええ? おじいちゃん?

幸子 おかあさん。

愛  翼ちゃんに耕次郎さんになってもらうの。

桂  耕次郎さんに?

愛  翼ちゃん。いっときでええからおじいちゃんの振りしてみて。絹ちゃんが元に戻るかもしれんから。元に戻らんでもね、その思い残しをね、伝えさせて上げて。ね、この通り。

翼  無理だよ。

幸子 翼。おばあちゃんの一生の頼みなんだから。

翼  でも。

幸子 あんたにも親友おるでしょ。おばあちゃんの気持ちわかるでしょ。

翼  でも。

幸子 もう! でもじゃないの。おばあちゃんの一生って短いんだから。

愛  幸子さん!

幸子 あ。ごめんなさい。

翼  わかるけどさ。気持ち。

愛  翼ちゃん。

澄子 わたしからも。

翼  ウ〜ン……。

幸子 翼。

桂  わたしも、お願いするよ。

愛  (うれしい)桂ちゃん。

翼  わかったよ、もう。

愛  ありがとうね。

翼  その代わり……

幸子 その代わり、なによ?

翼  来月からおこずかいアップしてよ!

幸子 現金なんだから。

愛  おばあちゃんがお小遣いあげるから。

翼  よぉし!

絹  ♪おてぇてぇ〜 つないでぇ〜 のみちをゆけば〜……

翼  でもどうすればいいの?

幸子 演技よ演技。おじいちゃんになりきったつもりで。

翼  演技っても。見たことないもん、おじいちゃん。

桂  ほうかぁ。

愛  翼ちゃんの赤ちゃんのころじゃったね、おじいちゃん死んだの。

幸子 だったらね、こうしてみて。この言葉だけ使ってみて。「そうですね」と「なぜです?」。それから「いいかもしれない」。この三つの言葉でなんとかつないでみて。あとはこっちで指示出すから(身振り手振りで)。

翼  う、うん。「そうですね」「なぜです?」「いいかもしれない」だね。でもちょっと不安。

幸子 大丈夫。いい。おばさんにショック与えっちゃダメよ。とにかく相手の言う通りに。ね。おばさんの大切な思い出かもしれないんだから。

翼  わかったよ。

澄子 でも、そうだ。いつもの所って?

幸子 いつもの所?

澄子 さっき手紙に書いてあった「いつもの所」。

桂  「たぬき」じゃろ。

澄子 たぬき。

桂  あんみつ屋。わたしらなにかっちゃぁたぬきに寄りよったから。ね、愛ちゃん。

愛  そうじゃろうね。

幸子 じゃ、たぬきであんみつ食べながら(チラッと絹を見て)ご機嫌に歌をうたって待っている若き日の絹さんの所へ、紅顔の美青年、大学生の耕次郎が話しかけるシーンから行くわよ。「絹さん、話ってなんでしょう?」。いい?

翼  なんか映画監督になってる。

幸子 いいのよ。

愛  翼ちゃん、頼んだよ。

翼  うん。

愛  胸しゃんと張って。ええ男じゃったんじゃから、おじいちゃんは。

翼  うん。

幸子 ヨーイ、アクション!

   翼、胸をしゃんと張って絹に近づいていく。愛と桂、幸子と澄子は部屋の隅でそれを見守る。

翼  あの、絹さん、話ってなんでしょう?

絹  (振り向いて、しばらく翼の顔をぼうっと見ていたが、目に急に輝きが戻り)耕次郎さん。

翼  いいかもしれない。――じゃなかった。そうですね。

絹  来てくれたんですね、耕次郎さん。お呼びだてしてごめんなさい。

翼  (最初は言葉を探りつつ)な、なぜです?

絹  実はわたし遠い所へ行くんです。引っ越すんです。

翼  なぜです?

絹  家を焼かれたもんですから。九州の親戚を頼って行くんです。あなたは東京の大学へ行ってしまわれるし。もう二度と逢えないかもしれませんね。

翼  そうですね。

絹  わたし、耕次郎さん――

翼  ?

絹  ――あなたのことをお慕いしていました。(ト翼の腕にそっとすがる)

愛/桂 ええ!

幸子 (傍白)思わぬ展開!

絹  ずっとずっと耕次郎さんのことを。

翼  いいかもしれない。

絹  本当に。本当にそうお思いになる?

翼  なぜです?

絹  だって耕次郎さんには、愛ちゃんが……

翼  なぜです?

絹  だって二人は親同士が決めた相手なんでしょ。

翼  そうですね。

絹  でも、もしももしも、わたしのことを好いて下さっているのなら、

翼  いいかもしれない。

絹  耕次郎さん、――わたしを東京へ連れてって下さい!

翼  そうですね。

絹  耕次郎さん!(翼の腕に強くすがる)

愛  うぎぎぎぎぃ。(嫉妬の炎がメラメラと)

桂  愛ちゃん落ち着いて。思い残し思い残し。

幸子 (小声で)バカ! 翼!

翼  いや、その、なぜです?

絹  わたしの方が好みだとおっしゃったじゃありませんか。愛よりきれいだし、わたしの方が可愛いって。(恥じらう)

翼  そうですね。

愛  そうですねって、くやしっ!

幸子 おかあさん、演技演技。

絹  でも、ダメ、やっぱり。

翼  なぜです?

絹  愛を傷つけてしまう。

翼  そうですね。

絹  耕次郎さん。――一度だけわたしを抱いて下さい。

翼  ええ!

絹  ごめんなさい。こんなはしたないこと言って。でも逢えないと思うと、抑えきれなくて。やっぱりダメですよね。

翼  い、いいかもしれない。

絹  耕次郎さん!(翼の胸に)

愛  う〜ん。(気を失う)

幸子 おかあさん!

絹  いいえ、ダメダメ。わたし知ってるんです。耕次郎さんは愛ちゃんを愛してる。耕次郎さんはいつも愛ちゃんのことばかり話してた。

翼  そうですね。

絹  耕次郎さん。一度だけでいいです。わたしのこと、絹と呼んで下さい。絹と呼び捨てに。

翼  なぜです?

絹  その思い出だけで、強く生きていける気がするんです。離ればなれになっても。

翼  (幸子の方を振り向いて小声で)どうしよう?

幸子 (「やれやれ」と手振りで示す)

絹  耕次郎さん。

翼  (たっぷりと)絹。

絹  (翼の胸に顔をうずめる)ああ! ありがとう。ありがとう。きょうのことは大切な思い出にしてずっとわたしの胸にしまっておきます。

翼  いいかもしれない。

絹  わたし、愛には会わずに行きます。愛を大切にしてあげて下さいね。それじゃ。

   愛、絹の前へ。

幸子 あ、おかあさん。

愛  絹ちゃん。

絹  愛ちゃん。聞いてたの?

愛  うん。

絹  怒ってる?

愛  全然。

絹  うそじゃ。

愛  ちょっとね。

絹  うそじゃ。

愛  ものすごく怒ってる。じゃけど、平気。

絹  ごめん。

愛  ううん。(首を横に振る)

絹  愛ちゃん。

愛  絹ちゃん。(微笑む)フフフ。

絹  フフフ。

愛  桂ちゃんもおるよ。

桂  フフフ。

絹  フフフ。

   ト車のクラクションの音。

澄子 迎えの車だ。おかあさん。そろそろ。

愛  絹ちゃん、行っちゃいけん!(絹に抱きつく)

桂  絹ちゃん!

絹  愛ちゃん。桂ちゃん。

愛  絹ちゃん。絹ちゃん。

桂  オーヨヨヨヨ。(泣く)

絹  きっと帰ってくるから。ね。ね。友だちじゃから。友だちじゃろ、わたしら。

愛  うん。ずっと友だち。ずっとずっと。

桂  仲良し三人娘じゃからね、わたしら。

澄子 行きましょ。(一瞬考えて)――絹ちゃん。

幸子 あ、そうだ。待って。写真撮るから。写真。並んで並んで。ほら、翼も。

翼  え? おれも。

幸子 あんたは耕次郎さんよ。

   幸子、翼を真ん中に仲良し三人組を並ばせる。

絹  (ポーズを取りながら)落ち着いたら、わたしきっと戻ってくるから。ね。

愛  絹ちゃん!

桂  絹ちゃん、待っちょるよぅ!

   幸子、みんなの写真を撮る。

澄子 それじゃ。行こう、おかあさん。

絹  うん……。(灯火が消えたように大人しくなっている)

   絹、澄子に付き添われて去る。

愛  絹ちゃん。絹ちゃん……。

幸子 おかあさん。(愛の手をギュッと握る)

愛  幸子さん。

幸子 わたし、どんなことがあってもおかあさんをどこへもやったりしないから。

愛  ありがとう。ありがとう。

   ト突然桂、翼に近づき、翼の手をギュッと握る。

桂  耕次郎さん。

翼  え? なに?

桂  わたし、どんなことがあっても耕次郎さんのそばを離れんから。

愛  桂ちゃん?

桂  わたしも耕次郎さんを――お慕いしておりました。

翼/幸子 ええ!

愛  桂ちゃん!

桂  あんみつ屋で二人過ごしたあの夜がわたしの一生の宝物です。

愛  桂ちゃん! あんたなに言いよるの?

桂  あ、ごめん。つい昔の秘めた思いが――

愛  秘めた思い?

桂  愛ちゃん、ごめんね。いやなの、わたしも! 思い残して死ぬのはいや! 耕次郎さん! わたしを抱いて!

愛  桂ちゃん!

桂  だってあの夜、やさしい言葉をかけてくれたのは耕次郎さんなんじゃもの!

愛  きーっ!(嫉妬の炎が大炎上) 耕次郎さん、あんたって人は! 浮気ばっかり! わたしがどんだけ苦労したか! バカバカバカバカ!(翼を叩く)

翼  おばあちゃん。おれおれ。翼だよ!

愛  もう許さん!(翼を追いかけ回す)

桂  耕次郎さん!(翼を追いかけ回す)

幸子 いくつになっても女は女ね。

愛  待て〜!

桂  耕次郎さ〜ん!

翼  助けて〜!

幸子 でもなんかいい、恋って。

翼  おかあさん、のんきなこと言ってないで助けてよ!

幸子 ごめんごめん。おかあさん落ち着いて! おかあさん! おかあさん!

愛  待て! この浮気男!

桂  耕次郎さ〜ん!

幸子 もう! コラー! 言うこと聞かないと二人ともどっかへやっちゃうわよ!

   愛と桂、ピタッと止まる。

   不気味な間。

愛/桂 ……へ、へ、へ。やれるもんならやってみさん(やってみなさい)。

幸子 おかあさん!

愛/桂 フフフフフ。

幸子/翼 (ちょっと引きつった笑い)ハハ、ハハハハ……。

   皆、笑い合う。

                      (幕)

広島友好戯曲プラザ

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