「家族百景」コピー 広島友好
百山富士雄と妻の幸子。そして子どもの翼。
百山ファミリーとかれらを取り巻く人々の心あたたまるハートフルコメディ。笑いでつづる家族スケッチ。
百山ファミリーにきょうはなにが起こるのか?
「家族百景・第8景 家庭訪問危機一髪!?」
きょうは、翼の家庭訪問の日。ところが先生のお相手をするのは、母の幸子ではなく、愛おばあちゃん。「うちの代々の家訓は、毎日テキトー」なんて言い出す始末。その上なんと、翼の先生が、父の富士雄の同級生で……
抱腹絶倒のハートフルコメディ。
人気の作品。各地の劇団により好評上演。
登場人物5名。約40分。
ハ―トフル・コメディ
家族百景
作・広島友好
第八景『家庭訪問危機一髪⁈』
○時……今
○場所……主に百山家の居間
○登場人物
百山富士雄(ももやまふじお)金型工場の職人サラリ―マン
百山幸子 富士雄の妻(さちこ)
百山翼 富士雄と幸子の子ども・小学六年生
百山愛 富士雄の母…富士雄とは別住まい
緒方珠美 翼の担任の先生(おがたたまみ)…旧姓・望月(もちづき)
*台詞はそれぞれの地域の生活語に直してもらって結構です。(作者)
◎第八景『家庭訪問危機一髪⁈』
翼 きょうは、ぼくんちの家庭訪問の日。来るのは美人の新しい先生。でも、先生の相手をするのは、お母さんじゃなくて……
富士雄と幸子が居間にいる。幸子は外へ出かけるところ。富士雄はギックリ腰を起こし、ヘッピリ腰で幸子と話している。ボタン付きの部屋着を着ている。
富士雄 いいから行ってきなよ。
幸子 大丈夫なの、富士雄さん?
富士雄 (腰をさすりつつ)じっとしてれば……仕事も丸一日休みもらったし。
幸子 悪かったなァ、タンス動かすの頼んで。居間と玄関だけ片付けるつもりだったのに。
富士雄 やりだすと止まんないんだもん、幸子さん。
幸子 奇麗にしとかなきゃ恥ずかしいでしょ。「何、この家?」って。
富士子 家を見に来るわけじゃないんだから。
幸子 家を見て、親を判断して、子どもを評価する。それが家庭訪問。
富士雄 やだな、そんな先生。
幸子 あぁあ、うちにいようかな。
富士雄 お義父さんが電話してくるくらいだから、そうとう弱ってるんだよ。
幸子 お金がないの、病院に支払う。パチンコ行くのやめてって言ってるのに、聞かないから。自業自得。
富士雄 まあまあ。骨折じゃなくてよかったじゃん。
幸子 どうなのよ、パチンコ玉で足すべらせてこけるって。
富士雄 (苦笑して)お義父さんらしいかな。
幸子 (目の前にいる架空の父に猫パンチ!)クソっ、くたばれダメ親父! このッ、このッ!
富士雄 (幸子をなだめようとして)やめなよ。やめなっ――アッつっっ!!!
富士雄、また腰がギックリ!
富士雄 (激痛に悶絶)ア――っ、あっつぅぅ……!!!
幸子 大丈夫、富士雄さん⁈
富士雄 (慎重に息を吐き、痛みを逃がして)ふうぅぅうぅぅ……だ、大丈夫……大丈夫……。
幸子 気をつけてよ。
富士雄 ……ま、ま、あれだよ、娘の顔見たら、お義父さんだって安心するんだから。転んだ拍子に頭でも打ってたら大変だし、よく検査してもらってさ。
幸子 ……ん。行ってくる。
富士雄 ――あ、そうだ、先生名前なんだっけ?
幸子 えっと、緒方……緒方珠美先生。
富士雄 緒方先生。
幸子 空手やってるんだって。
富士雄 その、先生が?
幸子 有段者らしいわよ。翼が言ってた。先生のお父さんが昔、この町で空手道場やってたとか。
富士雄 へええ……って、ちょっと待って。先生名前なんだっけ?
幸子 だから、緒方。
富士雄 緒方……? 下の名前は?
幸子 珠美。
富士雄 たまみ……珠美で、空手道場……有段者……
幸子 どうしたの?
富士雄 や、ちょっと知り合いに似た感じの人がいて――
幸子 ふぅん?
愛(声) 幸子さん、居るぅ?
と、愛が居間に入ってくる。手に梅干の入った小さな壺。(愛は富士雄たちの家の近所にひとりで住んでいる)
愛 あ、いたいた。これ持っていきんさい、病院に。
幸子 なんですか、お義母さん?
愛 梅干。
富士雄 いらないよ、こんなときに。病院でバタバタしてるだろうし……
愛 梅干は体にええの。幸子さんのお父さん喜んでたわよ、おいしい、おいしいって。愛さんの梅干は一級品ですなァって。
富士雄 それ、社交辞令。
愛 ま! せっかく家に飛んで帰って、取ってきたそに。病院の食事は味気ないでしょ。この愛ちゃん特製の梅干があれば、食欲増進、精力アップ!
富士雄 あのね、まだ入院するって決まってないの。
愛 年寄りがこけたら、たいてい入院。
富士雄 だから!(と大声を出した弾みで腰に痛みが)アテテテっ。もうっ、母さんの相手してる暇ないの!
愛 なんじゃと!
幸子 (割って入って)富士雄さん。(愛に)お義母さん、ありがとうございます。いただいていきます。
愛 (笑顔)ほんと、幸子さんは素直でええ人。それに比べて……
富士雄 おれは素直じゃないよ。あぁあ、だれに似たんだろ、親の顔が見てみたい。
愛 あんたは捨て子。
富士雄 ええっ⁈ ……何度聞いてもその冗談、心臓に悪い。
幸子 フフ。あの……そろそろわたし。
愛 ほうじゃったほうじゃった。
富士雄 気をつけてね。お義父さんによろしく。
幸子 頼むね、家庭訪問。
愛 まかせときんさい。
富士雄 母さん関係ないだろ⁈ (幸子に)心配ないから。
幸子 無理しないでね。
愛 いってらっしゃい。
幸子 夕飯までには帰るから。(と玄関へ消える)
富士雄 (一緒に玄関へ、そろそろと……)こっちは心配ないから。
幸子(声) いいよ、送らなくて。じゃあね。
「いってきま―す」……幸子、出かけたらしい。
富士雄、そろそろと見送りから戻ってくる。
愛 あんた、特製シップは張ったそかね?
富士雄 あれ、くさいんだもん。
愛 せっかく永田薬局で買うてきてあげたそに。
富士雄 いいから(かまわなくて)。
愛 じゃったら、奥で休んじょき。(休んでなさい)
富士雄 けど。
愛 先生来たら呼んじゃげるから。まだ時間あるほじゃろ?
富士雄 ん……じゃ、チャイム鳴ったら呼んでね。
愛 そうしなさいそうしなさい。
とそこへ翼が学校から帰ってくる。背にランドセル。
翼 たっだいま~!
愛 おかえり~、翼ちゃん!
富士雄 おかえり。
翼 お菓子ない?
富士雄 帰ってひと言めが、お菓子か。きょうはおまえの家庭訪問なんだぞ。
翼 知ってるよ。けど子どもはやることないじゃん。あ、お父さん、腰大丈夫?
富士雄 きのうよりは。
翼 無理しないでね。
愛 優しいねぇ、翼ちゃんは。
翼 だって、この先まだまだがんばってもらわないと。先生が、教育費にはお金がかかるって言ってたし。
富士雄 なんだその先生は。緒方先生だっけ、どんな教育してんだよ。
翼 フツ―だけど。でもすっごい男前。
愛 男前?
翼 空手やってたんだって。
愛 へええ。
翼 キリッとしてて人気がある。特に女子から。
愛 そりゃええ先生じゃ、女が女にモテるのは。
富士雄 どうだか、会ってみるまでわかんないよ。
翼 ぼく、おってもええ?
富士雄 ダメだよ。大人同士の話し合いなんだから。
翼 ちぇッ、ズルっ。ぼくのことなのに。
富士雄 あのな――(と説教しようと力を入れた弾みで腰に痛みが)アテテテっ。
愛 ほらほら、奥で休んじょき。ギックリ腰はじっとしちょるのがいちばんの薬なんじゃけえ。
富士雄 ほいほ~い。じゃ、先生来たら呼んでね。
富士雄、ヘッピリ腰でそろそろと奥の部屋へ向かう。
翼 おばあちゃん、お菓子どこ?
愛 台所じゃないほ?
翼 (富士雄に追いつき、腰を優しく押して)ほい、ほい、ほい!
富士雄 (半分笑顔で)やめろ翼、マジで。
翼 押してあげてんじゃん。
富士雄と翼、奥へ去る。
愛 仲のええこと。さてと……
愛、自分の鞄から化粧道具を引っ張り出し、化粧を始める。パフをぱふぱふ。口紅をぬりぬり。
翼、お菓子を食べながら戻ってきて、
翼 ゲッ、何しちょるほ⁈
愛 見りゃわかるでしょ。お・も・て・な・し。
翼 おもてなし⁈
愛 先生をお迎えするんじゃから当り前でしょ。
翼 (否定)ええっ、いいよ! お母さんは?
愛 病院。春日のおじいちゃんが転んで怪我したほ。
翼 え、おじいちゃんが⁈
愛 パチンコ屋でパチンコの玉踏んづけて、足を取られてすってんころりん。
翼 大丈夫かなァ。
愛 心配ない心配ない。幸子さんちは大げさなほ。(笑顔で)あの人は殺しても死にゃあせん。
翼 またァ。
愛 富士雄もギックリ腰じゃし、ちょっと厄払いでもしたほうがええかもね。不幸は不幸を呼ぶ。
翼 やめてよ、不幸って。
愛 富士雄も部屋の片付けぐらいでギックリ腰じゃなんて。やだやだ年は取りたくない。
翼 あ、おばあちゃん! これ、お母さんの口紅じゃない?
愛 わかるの、翼ちゃん?
翼 だって、お母さん自慢してたもん。資光堂(しこうどう)の高いやつだって。
愛 (たっぷり塗りながら)あたしゃホントは、ツヤツヤ光るほうが好きなんじゃけど。
翼 怒られるよぉ。
翼はお菓子をもぐもぐ。愛は念入りにお化粧を……
愛 翼ちゃん。学校の成績はどうなほ? がんばっちょるの?
翼 ……まあ、お父さんの子どもじゃもん。
愛 微妙な答えね。
翼 ハハ……。
愛 どう、学校楽しい?
翼 アイム、ファイン、センキュ―!
愛 まあ! 英語しゃべれるの?
翼 ヘヘヘ。習ってんの、緒方先生に。
愛 へええ! 楽しけりゃよしとするか。(パフをはたく。目をしばたたかせる)ちょっと粉っぽいねぇ。……で、どんな先生って言ったっけ、きょう来る先生は?
翼 さっき話したじゃん。……けど、ほんとはよく知らない。
愛 なんで?
翼 四月に学校移ってきたばっかじゃし。
愛 ふぅん。
翼 ……あ、たまに先生、人が変わる。
愛 人が、変わる?
翼 空手やってたからかな? (空手チョップをひとつ)てえぇいッ!
愛 へええ。……好き?
翼 先生? フツ―、かな。
愛 (パフの手を止めて)あちゃちゃ、粉が目に……
翼、ふと部屋の窓から緒方先生の姿を見つけて――
翼 あれ? あれれ? 先生じゃん! 早っ。
愛 あれあれ、こうしちゃおれん。(パフをさらに顔に叩きつける。粉が舞う)
翼、緒方先生を呼びに玄関へ駆けて出ていく。「先生~! ここ、ここ!」
愛、手鏡を覗き、化粧の最終チェック。パフをさらにぱふぱふはたく。
愛 (むせて)オホッ、オホッ。(粉の入った目尻を押さえ)アタタ。
「こっちこっち」「お邪魔します」
翼に連れられて、緒方先生が部屋に入ってくる。
緒方先生はおしゃれなレ―スの飾りの付いたブラウスにキュロットスカ―ト。キリッとした顔立ちで「男前」。年の頃は富士雄と同じぐらい。
愛 はぁはぁ(どうもどうも)、ようこそおいでくださいました。
緒方 初めまして、琴原小学校の緒方と申します。
愛 お待ちしておりました。どうぞどうぞ。
緒方 前のご家庭の時間が急に変更になってしまって、予定より早く来てしまいました。翼くんのおうちの場所だけでも、先に確認しておこうと思いまして。
愛 ほうですか。あ、申し遅れました、翼の祖母の、百山愛です。
緒方 おばあさまでいらっしゃいますか。
愛 あら、「おばあさま」じゃなんて! そんな高級なもんじゃ、ないんでござァますのよ。オホホホ!
翼 (つぶやく)おばあちゃん、なんか気取ってる。
愛 翼ちゃん、奥へいっちょりんさい。(行ってなさい)
翼 でも。
愛 まかせちょき、おばあちゃんに。
翼 (小声で)いいの、お父さん呼ばなくて?
愛 (小声で)テキト―なときに富士雄を呼ぶから。(緒方先生に聞かせるように)ええから、翼ちゃん、奥のプ―ルで遊んでらっしゃい。オホホホ。
翼 プ―ルなんてないじゃん⁈
愛 (小声で)池があるじゃろ、池が。
翼 まったく。
翼、部屋を出る。……しかし、そっと引き返し、戸の陰に隠れて立ち聞きする。
緒方 あの……翼くんのお母さんは?
愛 (パフの粉でにじんだ目尻の涙をぬぐいながら)はぁ……嫁の幸子は、実家のお父さんがちょっと、その……
緒方 はい?
愛 (小声で)パチンコ屋でこけたっちゅうのもアレじゃし……。ちょっとその……実家にその――不幸がございまして。
緒方 ご不幸が?
愛 実は……幸子さんのお父さんが倒れましてね。(外聞をはばかりながら)人さまの前で大きな声では言えませんが、ここだけの話……「玉」を踏んづけまして。
緒方 え、タマを――タマを踏んづけた⁈
愛 ええ、そりゃもう目ん玉が飛び出るぐらい痛かったそうです。(恥ずかしそうに)あたしゃ女ですし、ああいう「玉」とは、縁がないもんですからとんとわかりませんが――痛いそうですね、ありゃ?
緒方 はぁ……らしいですね。
愛 (目をしばたたかせながら)そりゃあかわいそうなことをしました……
緒方 ……あの、でしたら翼くんのお父さんは?
愛 富士雄ですか。息子は息子で、ちょっと体が……(涙をぬぐう)なんでこんなに涙が――あぁ、ごめんなさいね。実は奥で臥せって寝ちょりまして。
緒方 え? 富士雄君が――
愛 ありゃ、息子を存知で?
緒方 あ、いえ……
愛 ああッ、涙が止まらん。……息子もええ年でしてね、急にもう……ありゃ急に襲ってくるんでしょうかねぇ、痛みがひどうて。親のあたしゃ見ちゃおれません。もう当分は起き上がれんかと……(とまた涙をぬぐう)
緒方 まあ、そうですか! 全然知らなくて。翼くんいつも明るいし。
翼 (戸の陰でつぶやく…以下「※」で表わす)ヤベ、先生なんか勘ちがいしてる。
愛 ほうでしょほうでしょ、そういう優しい子なんですよ、翼は。
緒方 ええ、ええ! そりゃもう、とっても優しいお子さんです。
翼 ※ま、いっか、ほめられてるし。
緒方 あの……、また日を改めて――
愛 いえいえ、先生もお忙しいでしょうし、あたしでわかることであれば。翼とはもうしょっちゅう一緒におりますし……実を申しますと、ほとんどあたしが育ててるみたいなもんでして。
翼 ※あ、またテキト―なこと言ってる。
緒方 そうなんですか。
愛 親はふたりとも仕事をしちょりますしね。幸子さんからも、「お義母さんのほうが翼のことをよくわかってるから、先生のお相手もおまかせします」と。学校も楽しいと言っちょりますよ。先生も美人で、だ~い好きじゃと。
翼 ※ええっ、「フツ―」て言ったのに。
緒方 そうですか! わたしのどんなところが好きだと?
愛 え? (困って)そ、そりゃあ、あなた、もう――人が変わったみたいになるところが。
翼 ※あちゃ!
緒方 わたしの、人が変わったみたいになるところ?
愛 や、その、なんでしたか……そうそう、英語が楽しいと。
緒方 わたしの、英語の授業がですか?
愛 そうそう!
緒方 ああっ、英語をしゃべるときに外人っぽくしゃべるから、それで人が変わったみたいに思うのかな、翼くん?
愛 そ、その通り。オホホホ……。
翼 ※相変わらずテキト―だな、おばあちゃん。
緒方 では、おばあさま、ご家庭の教育方針的なものって、どんなことですか?
愛 教育方針って、そんな大それたものは……健康で、友達がおれば、言うことなし。しいてあげるなら、わが百山家に代々伝わる家訓がありまして……
緒方 家訓?
愛 「毎日テキト―、元気でぼちぼち」。
翼 ※(初耳)おばあちゃん⁈
緒方 家訓が、「毎日テキト―」……、アハハ、おもしろいっ!
愛 (少しムッとして)おもしろいって、あなた……
緒方 あ、いえ。それってほんとに大事なことです、百山さん!
愛 (意外)ええっ?
緒方 今はゆとりのない子どもが多くて。やれ、塾だ、やれ、習い事だ。時間に縛られ、ノルマに縛られ、ほんとかわいそうなくらい。だから、「テキト―」、大事です。
愛 (しみじみと)それがね先生……先生もたくさんのご家庭を訪問されちょると、あれでしょ、わかるでしょ、子を見れば親がナントカ、親を見れば子がナントカ……うちの富士雄も相当なテキト―人間でしてね……
緒方 (苦笑して)はぁ……
愛 このあいだも、家の網戸の修理を頼んだんじゃけど、張り方がテキト―でゆるゆる。すき間から藪蚊が入ってきて往生するわ……、こづかいがほしいっちゅうても、「ほいほ~い」って、テキト―な返事するばっかしで、千円もくれりゃあせん。
緒方 はぁ……
愛 あの子の、富士雄の父親が、また輪をかけたテキト―人間でしてね……友達に借金を頼まれて、金もないのに、「ほいほ~い」ってテキト―な返事して、人のへそくり勝手に持ち出すわ……、飲みに行っちゃあ、「独身、独身!」とかテキト―なこと言って、そんでスナックのカスミって女に言い寄られて、すったもんだの刃傷沙汰を起こすわ――、あぁッ、今思い出しても腹が立つ。あたしがどんだけ苦労したかっ!
緒方 (なだめて)あの、百山さん……
翼 ※また出た、おばあちゃんのグチ話が。ダメだこりゃ。(と奥へ走っていく)
愛 (半ばヤケになって半笑い)「トンビが鷹をナントカ」とか言いますけど、先生、孫だけが鷹じゃなんて、そんなの無理! アハハ、おじいちゃんもお父さんもトンビなそに。(急に涙ぐんで)……あぁ、かわいそうな翼ちゃん。なんせ家訓が「テキト―」ですから……(泣き笑い)アハハっ!
富士雄 (出てきて)何テキト―なことしゃべってんの!
富士雄、翼の肩を借りながら部屋の中へ。
愛 富士雄、あんた、生き返ったほ⁈
富士雄 おれはゾンビじゃないって! 家訓が「テキト―」って、何? そんなのあった?
愛 あんたには初めて言う。
富士雄 息子に初めて言う家訓なんてあんの⁈
愛 秘伝のタレみたいな。
富士雄 母さぁん!
愛 そんな怒鳴らんでも。まだ耳は聞こえちょる。(緒方先生に)実はいつもいじめられちょるんです、オヨヨ!(うそ泣き)
富士雄 全然いじめてないだろっ。……もうええから、お茶出してよ。
愛 はいはい。行こう、翼ちゃん。
愛、しぶしぶ部屋を出る。翼もついて出る。……しかし、ふたりはそっと引き返し、戸の陰に隠れて立ち聞きする。
富士雄 すみません、なんだかみっともないとこお見せしちゃって。
緒方 いいえ……。(好ましく微笑んで)フフ。
富士雄 あ、どうも。翼の父です(とお辞儀をしようとして)――アタタっ。
緒方 大丈夫ですか? ご無理されなくても……
富士雄 あ、うちのお袋がなんか言ってました?
緒方 臥せって寝てらっしゃる……当分は起き上がれない……
富士雄 いいえ、ちがうんです――起き上がれないってのは、まちがいでもないけど……、や、じつはその、ギックリ腰でして……アハハ。でもたいしたことは(と格好つけて腰をひねってみせるが)――アテテっ!
緒方 どうぞ無理なさらないでください。
富士雄 お恥ずかしい……。
緒方 あぁっ、急に襲ってくるって、ギックリ腰のことだったんですね、お母さまがおっしゃってたのは。
富士雄 ハハ、困ったお袋で。
緒方 いいえ、素敵なお母さま。
短い間。
富士雄 あ、どうぞ。(すわってください)
緒方 ……ウフ。
富士雄 え?
緒方 ウフフ。
富士雄 まだ何か、うちのお袋が?
緒方 久しぶり、富士雄君。
富士雄 え?
緒方 やっぱりそうだった。
富士雄 え? え?
緒方 富士雄君でしょ? 百山富士雄君、琴原中学の。
富士雄 ええっ⁈
緒方 (空手の型を決めて)てえぇいッ!
富士雄 あ、あ――っ、望月! 望月珠江⁈
緒方 ウフフ。相変わらずね、富士雄君。
富士雄 え、なんで――名前? 緒方? あ、結婚して――
緒方 元気?
富士雄 名前ちがうから、全然(望月だとわからなかった)。ハハハ。
緒方 翼くんの名簿見て、もしかしてって。あの富士雄君じゃないかなって。
富士雄 え~、先生になってたんだ。
緒方 他所の県で働いてたんだけど、最近こっちに戻ってきたの。やっぱふるさとがいいかなって。
富士雄 そうかァ、先生かァ。あ、空手まだやってんの?
緒方 ウフ、ぼちぼち。
富士雄 え~、いつ以来?
緒方 中学卒業以来かな?
富士雄 あ、そっか。おれ、工業高校行ったからなァ。
緒方 ウフフ。
富士雄 ああ、懐かしいっ……。
ふたり、微笑み合って見つめ合う。照れくさくもあり、懐かしくもある。
翼 ※なんかふたり、いいフンイキじゃない?
愛 ※初恋の匂いがする。
翼 ※え、マジで?
愛 ※まちがいないね、ありゃ。
富士雄 ウフフフ……。あ、なんでも聞いて、翼のこと。
緒方 富士雄君見てたら、もうなんかみんなわかっちゃった感じ。
富士雄 ええっ、何が?
緒方 「テキト―」。
富士雄 んなことないよぉ。
緒方 うぅん、いい意味でよ。「ほどほど」、「テキト―」。中学んときはその魅力がわかんなかった。けど、今はそれが結構大事なんだって……
富士雄 ……もしかして、苦労した?
緒方 (微笑んで)フフ、人並みに。
富士雄 そう。
緒方 子どもふたりいるし。前の夫と離婚してるし……
富士雄 あ、そうなの。でも名前……?
緒方 望月に戻したかったんだけど、上の子が嫌がるから。学校で何か言われてもかわいそうだし。それで。
富士雄 そっか……。
緒方 フフ……。
富士雄 にしても、「テキト―」って、そんな魅力ある?
緒方 フフフ。
富士雄 そっちはさ、空手やってたし、かわいかったし――
緒方 ――過去形? ウフフ。
富士雄 (照れて)いや、い、今も素敵だけど。――空手やってるのとギャップがあってさ、男子にぶち人気あったじゃん。
緒方 親が道場やってたから、無理やり稽古やらされてたの。
富士雄 (笑って)怖かったよねぇ、望月のお父さん!
緒方 知ってるの、うちの父?
富士雄 有名だったよぉ。あ、一度参観日で学校来なかった、中二のときかな?
緒方 あぁ、理科の特別授業。カエルの解剖実験のとき。
富士雄 そうそう! 親父さん見て、男子みんなビビッちゃってさ。
緒方 そうなんだ。
富士雄 目つきがするど過ぎ、菅原文太か高倉健かって。で、みんな望月を遠巻きに見るようになったんだよなァ。
緒方 へええ、知らなかった。ウフフ。
富士雄 アハハ。
昔を懐かしむ短い間。
緒方 あ、ごめんなさい。昔の話してる場合じゃなかった。翼くんって、どんなお子さん? 学校ではいつも楽しそうだけど。
富士雄 どんなって、まぁ……普通だけど。ハハ。
翼 ※(渋い顔)フツ―……。
緒方 どこのご家庭でも聞いてるんだけど、子どもさんのいいところを五つ教えてもらってるの。どう、父親から見て、翼くんのいいところ?
富士雄 翼の……長所?
緒方 そ、五つ上げるとしたら?
翼 ※(身を乗り出して)エヘへ、そりゃもういっぱいあるでしょ?
富士雄 そうだな、いいとこいっぱいあるんだけど……
緒方 (指を折って数えようとする)うん。……
富士雄 えっと……元気で、活発で、病気一つしないで、いつも外で遊んで、悩みがない。
緒方 それって――何はともあれ元気ってことね。
翼 ※あちゃ!
富士雄 あれ? もっといいとこいっぱいあるんだけど――そうだ、声がでかい!
翼 ※あちゃちゃ!
愛 ※(抱き支えて)しっかりしんさい、翼ちゃん。
緒方 フフフ、子どもは元気がいちばんよ。
富士雄 ま、そういう点では。アハハ。
緒方 富士雄君も中学時代元気だったわよねぇ。なんかよく憶えてる。
富士雄 あの頃がピ―クだったなァ、人生の。
緒方 何言ってんの、ピ―クって。
富士雄 ほんとだって。
緒方 フフ。
富士雄 おれ、中学、野球部でさ。
緒方 知ってる。
富士雄 (うれしい)知ってる?
緒方 うちの野球部強かったじゃない。
富士雄 中三のさ、県大会の決勝戦で……自分で言うのもなんだけど、大活躍してさ。後にも先にもあんなに活躍したことないもの。
緒方 それ――憶えてる。
富士雄 うそ?
緒方 実は応援に行ってたんだ。
富士雄 あ――、川崎が好きだったんだもんね。あいつエ―スで四番だったし。
緒方 まあね……。
富士雄 こっちはレフトで八番。差があり過ぎ。ハハハ。
緒方 ……わたしね……ウフ。
富士雄 何? 笑って?
緒方 どうしようかな。
富士雄 何よ、言ってよ。
緒方 いっか、もう昔のことだから。実はね……富士雄君のことも、いいなって。
富士雄 ええっ!
緒方 (頬をポッと染めて)ああ、恥ずかし。ウフフ!
富士雄 思いもせんじゃった。え―っ、うわぁっ!
翼 ※まさかの告白⁈
愛 ※ありゃかなり浮かれちょるね。
緒方 だからよく憶えてるの。ほんとすごかったよね、あの試合。ほら、ホ―ムでランナ―、アウトにしたじゃない。
富士雄 あ―ッ、ほんとよく憶えてるね! あれさ、実は目つぶってたの。
緒方 目を、つぶってた⁈
富士雄 いや、もう頭の上抜けたかと思ったの。それでも、もしかしてって、後ろ向いたまま思いっ切り走って、パッと手を伸ばしたの。そしたら、球がグロ―ブに吸い込まれてて。
緒方 へええ! でもそのあともすごかった。
富士雄 もう必死よ。三塁ランナ―があわててタッチアップしたのが見えたから、バックホ―ムで球投げたら、ドンピシャのストライク返球!
緒方 間一髪ホ―ムでアウト!
富士雄 ああっ、鳥肌出てきたッ。
緒方 ウフフ! あの日はそれだけじゃなかったもんね。
富士雄 今でも信じられんっちゃおれ……最終回、一点負けてて、その裏の攻撃、ランナ―一塁。ホ―ムランが出れば逆転サヨナラ。
緒方 (ウグイス嬢のような抑揚で)「バッタ―はモモヤマ君」
富士雄 (あの頃の情景を遠く心に眺めながら)……おれさ、八番だし、だれも期待してなかったと思う。正直おれも自分に期待してなかった。(と、つと立ち上がり、バッタ―ボックスに立つ構え)
遠く球場の声援がよみがえってきたような……
緒方 (スタンドから応援していたあの頃のように、胸の前で固く手を握り合わせて)富士雄君、がんばって……!
富士雄 でもなんか全然あがってないの……
緒方 (あの頃のように大声で)かっせかっせ、モモヤマ!
富士雄 シ―ンと平静で。応援の声も聞こえないぐらい……
緒方 かっせかっせ、モモヤマ!
富士雄 ピッチャ―の球が止まって見えた……
緒方 かっせかっせ、フジオ!
富士雄 スコ―ッンってバット振ったら――打球がセンタ―の頭越えて――
緒方 キャ―――ッ!
「ワッ!」と球場の大歓声!
富士雄 センタ―バック、センタ―バック――
緒方 (心の声)わたし、富士雄君のこと――ずっと――ずっと――
富士雄 (架空のバットを放り投げて、雄叫び)オオオォォォッ!
緒方 富士雄く―――んッ!
富士雄 (飛び上がってガッツポ―ズ)やったぁッ、やったぁッ――
緒方 (半狂乱の歓喜)キャ―――ッ!
富士雄 やっ――ヤッアァつつっ!!!(ギックリ腰再発!)
緒方 あっ――富士雄君! 大丈夫⁈
富士雄 つ――っっ!!!
富士雄が腰を押さえ倒れかかるところを、間一髪、緒方先生が抱き支える。
富士雄 ウグゥっ……ゴキッて音した。
緒方 (抱きかかえたまま)やっちゃったの⁈
富士雄 ダメ、ダメ! そのまま。動いちゃダメ!
緒方 でも。
翼 ※(ギックリ腰の状態が)マジでヤバいやつだ。
愛 ※やれやれ、わが子ながら情けない。
富士雄 アテテテっ。
緒方 すみません! 富士雄君が――百山さんが。腰が! すみませんッ!
翼 (出てきて)大丈夫、お父さん?
愛 (出てきて)あぁあ、天罰テキメン。
富士雄 なんだよ、その言い(方)――アテテテっ。
緒方 じっとしてて。
愛 そのままそ―っと寝かせてもらえますか。ギックリ腰は寝るのがいちばん。
緒方 ここでいいですか。
愛 はいはい。そ―っと、そ―っと。
富士雄 イテテ! 待って待って! (慎重に息を吐いて)ふうぅぅぅうぅぅ……
緒方 大丈夫?
富士雄 ハハ、面目ない……。
緒方 ウフフ。
緒方先生は富士雄をそっと寝かそうとするが……
緒方 (富士雄のシャツのボタンと自分のブラウスのレ―スの飾りが絡まって)あ。あれ? あ、レ―スが⁈
富士雄 え?
愛 ありゃありゃ、引っかかって。
翼 取れないの?
緒方 やだ。うそ⁈
富士雄 アテテ。
愛 どれ、あたしが。(レ―スの飾りをほどこうとするが)……ン? ありゃ? ありゃりゃ? ありゃりゃりゃりゃ?
翼 おばあちゃん、そっちやっちゃダメだよ!
富士雄 何してんの⁈
愛 ……取れないね。
翼 前よりこんがらがってるよ⁈
愛 そのほうが富士雄が喜ぶかと。
富士雄 母さぁん!
愛 冗談冗談。
翼 (もつれ具合が)こりゃダメだわ。
緒方 あの、わたしやりますから。
愛 初めっからそう言ってくれれば。
富士雄 あのね、母さん――
幸子(声) (突然)ごめんごめん、忘れ物しちゃったァ!
みんな え――、幸子さん!(お母さん!)
と幸子がいきなり帰ってくる。玄関に入ってきたようだ。
皆、あわてふためく。富士雄と緒方先生は服が絡まったまま。
富士雄 ど、どうしよう! こんなところ見られたら!
愛 地獄行きじゃね。
富士雄 母さん!
翼 地獄ですめばええけど。
富士雄 翼! やっぱりそう思うか⁈
愛・翼 まちがいない!
緒方 早くこれ、なんとかしなくちゃ!
愛 あたしらが幸子さん引き止めちょくから。ほれ。(なんとかしなさい)
富士雄 頼むよ、母さん。
愛 翼ちゃん。
翼 ラジャ―。
幸子が玄関から部屋の戸口に現れる。その幸子を、愛と翼が引き止めようとする。その間に富士雄と緒方先生は引っつき合ったまま部屋の隅にそっと移動し、ボタンとレ―スの飾りをなんとかほどこうとする。
愛 (戸口に立ちふさがって)あぁッ、どうしたほ幸子さん?
幸子 もう年ですねぇ。途中で、父の家の鍵を忘れてるのに気づいて。保険証を病院に持ってかなきゃなのに。――何、翼、ちょっとどいて。
翼 (必死に通せんぼしながら)ア~~ン、お母さん――あのね、あのね、おじいちゃんもう死んじゃった?
幸子 ピンピンしてるわよ! ちょっと転んだだけ。(部屋に入ろうとする)
愛 (通せんぼ)じゃけど、パチンコ玉で大事な何のタマが破裂したって。
幸子 お義母さん! 話が大きくねじまがってる。
翼 だけどもう立ち上がれないんでしょ?
愛 半身不随!
翼 かわいそうなおじいちゃん!
幸子 足くじいただけよ。検査はしなくちゃだけど。なんなら一緒に病院行く?(また部屋に入ろうとする)
愛 (通せんぼ)さ、幸子さん!!
幸子 びっくりするじゃないですか、大きな声出して。
愛 か、肩もんじゃげよう。(と幸子の肩をもみながら玄関の方へ押し返す)
幸子 何、お義母さん。アハハ、くすぐったい。
愛 いつもお世話になっちょるから。ね、翼ちゃん。
翼 そうそう。ありがとうお母さん。ぼくは腰を。
幸子 何、翼まで。やめてっ、こそばいって。
愛 コチョコチョコチョ。
翼 コチョコチョコチョ。
幸子 やめなさい。先生もいらしてるんでしょ?
愛 (もみながら押し返す)幸子さん!
翼 (もみながら押し返す)お母さん!
幸子 やめて、急いでるの。キャ―っハハハっ。ほんと、やめてッ。死ぬぅ!
愛 コチョコチョコチョ。コチョコチョコチョ。…………
翼 コチョコチョコチョ。コチョコチョコチョ。…………
幸子 キャ―っハハハっ! …………
愛と翼、幸子を玄関の方へ押しやっていく。
一方、もつれ合った富士雄と緒方先生は……
緒方 今のうちに……(とレ―スの飾りとボタンをほどこうとする)
富士雄 望月――
緒方 取れないね……
富士雄 あのさ――、取れないなら、取れないでも。
緒方 え――?
富士雄 もしかしたら、こ、こういう運命だったのかも。
緒方 何、富士雄君……
富士雄 引っついたものが取れないってことは――神さまがこのままでいろってことなんじゃ――
緒方 神さまが――?
富士雄 望月、おれ……おれさ――
緒方 富士雄君――
ふたり、一瞬見つめ合う。
幸子(声) (ぐんぐん近づいてくる)富士雄さぁん、先生来てらっしゃるの――
翼 (戸口に現われて、必死に)来るよ、お母さんが!
愛 (戸口に現われて)富士雄、観念しろっ!
富士雄 あぁっ、やっぱまずい!
緒方 (必死の形相)でえぇぇいッ!!!
緒方先生、もつれ合ったボタンとレ―スの飾りに必殺の空手チョップ!
とそこに幸子が入ってくる――間一髪! その瞬間には、もつれ合っていた富士雄と緒方先生はきちんとすわり、何事もなかったかのように教育談義。
緒方 (内心かなり動揺)そ、それでご家庭の教育方針はどのような?
富士雄 (内心かなり動揺)や、やっぱり子育てはテキト―がいちばんかと。「毎日テキト―、元気でぼちぼち」。アハハハ!
幸子 何言ってるの富士雄さん、「テキト―」だなんて⁈
富士雄 あ、なんだ、さ、幸子さん、帰ってきてたの。アハハ。こちら、望月先生。あ、ちがう、緒方先生。つ、翼の初恋の人。
幸子 翼の、初恋?
翼 (父をかばって仕方なく)ハハハ……緒方先生、だ~~い好き。(内心トホホ)
緒方 お邪魔してます。翼くんの担任の、緒方です。
幸子 母の幸子です。すみません、留守にしてまして。急に実家の父が――
緒方 あ――、このたびは、ご愁傷さまです。
短い間。
幸子 え?
緒方 え?
幸子 父なら……死んでませんけど。転んで、病院で治療は受けてますけど。電話では捻挫だけだと。
緒方 でも、おばあさまが――ご実家でご不幸があったと……
愛 不幸は……不幸じゃろ。
幸子 すみません、何か説明がちがってたようで……
緒方 いえ、あの、お怪我が軽くて。
幸子 ――あら、先生? すごい汗。
緒方 (頰を赤らめて。あごの汗をぬぐう)やだ――。
幸子 あれ……富士雄さんも。
富士雄 (ギックリ腰をかばって腰を浮かせて、微妙にいやらしい格好をしていた)え、そう? なんかこの部屋暑くて。ハハ。な、翼。
翼 もう、熱々。
幸子 (緒方先生を見て)服も乱れて……。
緒方 (ハッと胸元に手を)――!
幸子 (富士雄と緒方先生を交互に見る)……。
幸子の女の勘が「あやし―」とサイレンを鳴らしている。
緒方 (腰を浮かせて)あ、あの、わたし、次のご家庭に――
幸子 え? でもまだ。
緒方 翼くん、いいお父さんとお母さんね。
翼 もうなんにも言うことないです。じゃから先生、早く帰ったほうが。
幸子 何か、翼のことで、ご質問とか?
緒方 もうお話は十分、おばあさまとお父さんに。
幸子 (鋭く)そんなに急がなくても――何かやましいことでもあるみたい……
緒方 (ハッと立ち止まり)ま、まさか――⁈
沈黙――幸子と緒方先生。
緒方 ……では、翼くんの長所を五つほど教えていただけますか。今後の学校生活での参考にしますので。
幸子 長所を……はい。翼はそりゃもう元気で、優しくて……ユ―モアがあって…………ええっと…………(答えに窮する)
翼 お、お母さん⁈
幸子 ……ユ―モアがあってですね、えっと…………元気で――声が馬鹿でかい!
翼 オヨヨ!
愛 「毎日テキト―、元気でぼちぼち」。
富士雄・翼 (笑うしかない)アハハハ!
幸子 何それ⁈ (つられて笑う)ウフフフ。
緒方 ――参考になりました。失礼します!
緒方、一礼してそそくさと去っていく。追って、幸子と翼と愛が見送りに出る。富士雄はひとり部屋に残り、聞き耳を立てる。緒方「翼くん、あしたまた学校で。……失礼しました」。幸子「ご苦労さまでした」。愛と翼「さよなら―」。などなど。
富士雄 (やるせない表情)なんかちょっと夢見ちゃったな……。
三人、部屋に戻ってくる。
愛 やれやれ、やっと帰ってった。先生のお相手は肩が凝るね。
翼 ありがと、おばあちゃん。
富士雄 (腰をさすりつつ)翼、手貸せ。(幸子に)あっちの部屋で横になっとく。
幸子 (声に震えを帯びて)待って、富士雄さん……!
富士雄 え――?
幸子 隠してることない? 何かわたしに――?
間。
富士雄 あの……実はね、幸子さん――
愛 (小声で)早まるな、富士雄。
富士雄 (小声で)でも。
幸子 何、富士雄さん?
富士雄 実はね……おれと緒方先生――
愛 (小声で)アァっ、身の破滅。
富士雄 ふたりは――その……中学んときの同級生なんだ。でね、久しぶりに会って、話に花が咲いちゃって。で、なんか身振り手振りで昔の話してたら、盛り上って汗かいちゃって……
愛 (小声で)で、ヤケボックイに火が。
翼 (小声でたしなめる)おばあちゃん!
幸子 それだけ?
富士雄 うん、それだけ……。
幸子 わたしてっきり――
富士雄 何?
幸子 うぅん、なんでもない。
愛 (必死にごまかして)ハハハ、心配せんでええよ幸子さん、富士雄は自分で思っちょるほどモテやせんから。
富士雄 なんだよそれ!
幸子 それもそうですね。
愛 ギックリ腰じゃ悪さもできん。アッハハ!
幸子 (富士雄の手に手を添えて)……信頼してるし、富士雄さんのこと。
富士雄 おれ、裏切るようなこと、絶対しないよ。
幸子 (熱く見つめる)富士雄さん。
富士雄 (見つめ返す)幸子さん。
愛 はいはい、病院行くんじゃないほ。お父さんがさみしがって待っちょってよ。
幸子 そうでした。じゃ、行ってきます。
愛 よろしく言うちょってね。
幸子 はい。(富士雄に)じゃ、晩ご飯先に食べといて。
富士雄 心配しなくていいから。しっかり看病しておいでよ。
翼 (さっと部屋を出て鍵を取ってきて、幸子に渡す)おじいちゃんちのカギ!
幸子 ありがと。行ってきます。
幸子、玄関へ去る。富士雄たち、「気をつけて」「いってらっしゃい」などなど。
愛 ふぅ~、無事嵐をのがれたね。どうなることかと。
富士雄 母さんが大げさにするからだよ、ただの昔の友達なのに。
愛 わかっちょるわかっちょる。ほい。
富士雄 何? 手なんか出して。
愛 口止め料。
富士雄 何言ってんの⁈
愛 だってほら。背に腹はかえられぬ。
翼 なんか言葉の使い方まちがってる。
愛 じゃ、おこづかい。
富士雄 しょうがないなァ。ほいほ~い。
愛 また! テキト―な返事して。
富士雄 あとでちゃんとあげるよ。(笑って)口止め料。
愛 おばあちゃんね、欲しい物があるほ。
翼 なになに?
愛 口紅。
富士雄 ええっ? ムダムダ。
愛 何を失礼な。来週の土曜日は高鍋さんとデ―トなほ。
富士雄 高鍋さん? 元町内会長の?
愛 (乙女の恥じらい)熱心なお誘いが。
翼 でも、さっき使ってたお母さんの口紅があるじゃん。
愛 幸子さんのはツヤツヤがないほ。それに色の趣味も悪いし……
幸子 悪かったですね、趣味が悪くて。
愛 さ、幸子さん!
富士雄 うわっ、裏から戻ってきたの⁈
幸子、出て行ったのとは逆の戸口から現れた。
幸子 わたしも口紅買ってもらおうかなァ、慰謝料として。ウフフ……。(笑いが引きつって怖い)
富士雄 い、慰謝料って――、誤解だって誤解。ほんと、なんでもないんだから。
幸子 エルメスのバッグにしようかなァ。――病院行ってくる。(富士雄と目も合わせずに勝手口へ)
富士雄 (必死に追いかけて)幸子さぁぁん! アテテ、待って――アテテ!
幸子 来ないで、浮気男!(怒って去る)
富士雄 幸子さん――アテテ――幸――アテ――子――アテテテ――さん――アテテテ。待って、待って――イテテテテっ……(追って去る)
勝手口で声。「おれも一緒に」「ついてこないで、ギックリスケベ!」「幸子さぁん! 待って、アテテ、待ってってば!」「腰が痛いのも、別の理由があるんじゃないの!」「ご、誤解だって――アテテテっ……」。ふたりの声が遠ざかっていく。
愛 翼ちゃん。きょうはおばあちゃん、泊まるから。
翼 え、なんで?
愛 今夜は修羅場じゃから、その仲裁。
翼 余計ややこしくなっちゃうよ⁈ 火に……アブラカタブラ?
愛 火に油。
翼 それに大丈夫だよ、ぼくがいるから。子はカスタネットって言うじゃない?
愛 はぁ? ……それは、かすがい。「子は夫婦のかすがい」。
翼 そうとも言う、アハハ。
愛 翼ちゃん、あんたも結構テキト―じゃね?
翼 だってしょうがないじゃん、「毎日テキト―、元気でぼちぼち」!
愛 アッハハハ!
ふたり、笑い合う。
(幕)
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