ラッキードラゴンの朝

戯曲【ラッキードラゴンの朝】   広島友好

【あらすじ……】

 ある日、私立探偵エイチは夢のなかで「助けてあげてください」という声を聞く。

 その声に導かれるように、幼い姉妹がブタの貯金箱を持って探偵事務所を訪ねてくるのだった、「助けてあげてください」と泣きじゃくりながら。

 エイチは女の子たちの依頼を受け、丘の上に打ち上げられた小型フェリー

 ラッキードラゴン号に乗り、南の海へ旅に出るのだったが………

    「助けてあげる」相手とはいったいだれなのか?

              そして西の空に昇る太陽とは———?

     「ボクはどうしてもあの西の太陽の下に行かなければなりません。

        それがボクの運命なんです。友達を助けるんです。

         津波に流されチリヂリバラバラになった友達を助けるんです」

第5福竜丸と東日本大震災を下敷きにした芝居。

2015年8月8日・9日初演。男2・女2。120分。


『ラッキードラゴンの朝』

           作/広島友好

   ○時……現代

   ○所……エイチの探偵事務所、及び洋上のラッキードラゴン号。

   ○登場人物

    エイチ(私立探偵)

    姉妹(トシとネリ)

    アイキチ君

    ラッキードラゴン号の船長

    タイ漁の猟師(船長の弟)

    カンコウ鳥(ザネリ)

    カンコウ鳥(アイキチ君)


  ※舞台はシェイクスピア劇を思わせるようなほとんど何もない(つまり簡潔でかつ適切な舞台セットしかない)空間を想定している。



   私立探偵エイチの探偵事務所。午後も遅い。

エイチ 私立探偵エイチです。

   今、厄介な仕事を抱えています。

   ……普段は暇なんです。ビルの三階のこの事務所で日がな一日客を待ち続けています。

   ええ、ここは前の所長のダブリュウから彼が引退するときに引き継いだものなんです。わたしは彼ダブリュウの婿養子なんです。不幸な婿養子です。その婿養子のいきさつは、また別の話。

   それはさておき、探偵稼業は「マチ」の商売です。大きな「街」に事務所を構え、依頼人を「待ち」ます。決して営業したりはしない。営業して歩く探偵なんて、宗教の勧誘と同じぐらい怪しい。「奥さん、どうです、ご主人の浮気調査など。安くしときますよ」なんて。

   間。

エイチ 始まりは夢です。夜寝て見る夢。「助けてあげてください」という女の声を聞いたんです。それが切実で、真に迫って、夢じゃないようなリアルさでした。そういう夢ってたまにあるじゃないですか。変にリアルな夢……。

   その日の午後、女の子の姉妹が事務所を訪ねてきたんです。上は九歳、下は七歳ぐらいでしょうか。その女の子たちが言うんです……

姉妹 助けてあげてください。

   女の子ふたりが事務所のドアの所に立っている。

エイチ ……ってね。泣き出すんです。

姉妹 (泣き出す)助けてあげてください。

エイチ ブタの貯金箱を持って。目がウルウルしてました。こんな悲しそうな顔見たことない。わたしは胸を衝かれた。

姉妹 助けてあげてください。

エイチ 確かに看板には「よろず相談承ります」と書いてある。古い文句だ。前の所長の、義理の父の、ダブリュウがこしらえた看板です。

   ……でも、断りました。そりゃそうでしょ、わたしはプロの探偵なんですからね。そんな女の子の訳のわからない、ブタの貯金箱の依頼だなんて。

   (姉妹に)ここはね、子どもの来るとこじゃないんだ、残念ながら。もっとも大人になっても、関わらなきゃ関わらないほうがいいんだけどね、探偵とは。

姉妹 (必死に)助けてあげてください。

エイチ どうかな、クラスの学級委員か、学校の先生に頼んでみちゃ。ここはね、大人の訳ありの依頼を受ける所なんだよ。ごめんね。

姉妹 助けてあげてください。助けてあげてください!

エイチ はい、さようなら。

   エイチは女の子たちを事務所から追い出す。

エイチ ふぅ……。――あれ? ブタの貯金箱忘れてる……。(ドアを開け、外に呼びかける)おぉーい。おおぉーい。忘れ物。おぉーい! ……もういないや。こりゃ、依頼を受けたことになるのかな……?

   しばらくして封書の手紙が届きました。

   封書の手紙が事務所のドア下部の隙間から投げ入れられる。

   エイチは封書を拾い、開く。

エイチ 中には船のチケット一枚と捜査の経費としてお金が同封してありました。(お金を取り出す)……子ども銀行発行、百万円札。

   なぜだかわたしはそのチケットを持って、丘の上の船着場へとふらふら出かけました。

   そこは丘の上の船着場。

   ラッキードラゴン号が丘の上にさみしく停泊している。

エイチ この街には丘に打ち上げられた小型フェリーがあるんです。街の中にポツネンと浮かぶフェリー。それは異様な光景でした。まるで津波に……。でも慣れるとそうでもないんです。だれも振り向きもしない。わたしはモギリのおばちゃんにチケットを見せると、その船に乗り込み、――旅に出ました。

   船のデッキにいるエイチ。

   ラッキードラゴン号の案内人である片目の少年が出てくる。黒い眼帯をしている。

片目の少年 ラッキードラゴン号、出航します!

エイチ 背の低い船の案内人が……それは、そう、片目の少年でした……出港の合図を告げます。

片目の少年 ラッキードラゴン号、出航します! ラッキードラゴン号、出航しまーーーすっ!

エイチ わたしはその片目の少年を見て、死んだ息子の面影がチラッと頭をよぎりました。息子も彼ぐらいの年でした……。

片目の少年 ラッキードラゴン号、出航しまーーーすっ!

エイチ わたしはぐるりを見回しました。デッキの手すりにもたれて眺める陸地の風景は――荒れ果てた瓦礫の海。理不尽な力に建物を根こそぎにされたような。まるで空襲のあとの焼け野原のよう。まるで津波のあとの街並みのよう。その風景がどこまでも続いてる……。ひるがえって船の様子は至って平凡。潮でさびたデッキ、狭いドアをくぐると中はゆったりとした客室部分になってました。客室へ降りる乗客はみな疲れた様子。乗客乗員は全部で二十三名でした。

   ラッキードラゴン号の船長がやってくる。中年。威厳がある。だが取っ付きにくくはない。赤い制帽を被ってはいるが、服は漁師のような作業着である。

船長 ご乗船の皆様、わたくしはラッキードラゴン号の船長です。本日は天候も快晴。波も穏やか、凪の海です。これから進路を南に取り、大海原をゆっくりと進んでまいります。どうぞ快適な船の旅をお楽しみください。

エイチ 船長さん。

船長 なんでしょう。

エイチ この船は食事は出ますか。

船長 ええ。お乗りの船は、マグロ漁を兼ねておりましてな、南洋取れ立てのマグロをその場でさばいてお召し上がりいただけますよ。

エイチ マグロですか。それも取れ立て。

船長 新鮮。活き活き。決して心配ありません。

エイチ 楽しみだ。

船長 ハブ ア ナイス トリップ!

   船長はエイチと握手をすると、その場から立ち去っていく。

   出航の汽笛がなる――。ラッキードラゴン号は海へ出ていく。

エイチ 女の子たちの依頼を受けたのは口実でした。わたしには旅が必要なんです。休暇が必要なんです。そこに送られてきた船のチケットは好都合でした。「ラッキードラゴン号」。名前もいいじゃないですか。この先の旅の幸運を約束してるみたいで。

   ところで、探偵稼業も二十二年になります。ダブリュウから独立して七年。もう十分じゃないか……そんな気もするんです。正直よくやってきた。

   もっとも他にも道はあったんでしょうが、ね。大学時代、探偵事務所にアルバイトで働き出した頃に、まぁ、手伝いに来ていたダブリュウの娘に惚れましてね。あとはお決まり、若気の至り。彼女と抜き差しならぬ仲になり、その成り行きで、望まれるままダブリュウの婿養子になったわけです。

   今じゃ後悔してますよ。婿養子なんてね、なるもんじゃない。昔から言うじゃないですか、小糠三合あれば……。それにあれやこれやありましてね、妻と離婚しようと思ってるんです、ここだけの話……。

   ダブリュウには探偵稼業のABCから教わりました。二人で難事件を解決したこともあります。例えば、失踪したケイを探し当てた事件。あの大震災の翌日、ケイの奥さんが、夫がいないことに気づいたんです。携帯電話も通じない。地震で何かあったのか、津波に巻き込まれたのかと、ケイの奥さんは心配して探し回ったそうです。でも手がかり無し。一年後、家族の勧めでケイの葬式を済ませました。夫の遺体なしで。

   ところが、葬儀から一年後、ケイの奥さんの元に、ケイに似た人物が南の土地にいるらしいという情報が入りました。しかしチラッと見かけたというだけで、それが本当なのかどうか、また実際南の土地の具体的にどこにその似た人物が住んでいるのか、確かなことはわかりませんでした。そこで、わたしたち探偵の出番です。

   ケイの奥さんには、なにか勘が働いてたんでしょうね。女の第六勘。夫は死んでいるはずないと。

   わたしとダブリュウは南の土地に飛びました。わたしたちには、企業秘密ですが、失踪人を捜索するネットワークと言いますか、奥の手があるんです。犯罪ギリギリですがね。

   わたしたちは南の土地のカー用品店で働いているケイを見つけました。しかし彼は自分をケイとは認めないのです。自分はケイではない、ピーである。そのケイの奥さんとは会ったこともない。ましてや自分は魚を獲る漁師ではない。カー用品を扱う車のベテランなのだと。

   でも、彼がケイであることは間違いありませんでした。奥さんからもらった写真もそっくりでしたし、一番は彼の身体的特徴、左の耳たぶに星形のほくろが三つ並んでいるんです。これはどう見ても間違いない。

   しかしケイであるはずの彼は自分はケイではないという。たぶん、震災のショックで、自分を守るために記憶を消してしまったのではないか。そうわたしもダブリュウも考えました。

   しかしそのケイも自分の奥さんに実際に会えば、なにかを思い出すにちがいない。そう考え、わたしとダブリュウはケイの奥さんを南の土地に呼び寄せました。

   (意外な結末を思い出し、笑ってしまう)ふふふ。あ、すみません。

   結局、彼は自分が何者か思い出すことはありませんでした。でもね、奥さんに一目惚れしたんですよ。正確には一目惚れの二度惚れ。ふふ。彼は漁師のケイではなく、カー用品店のベテラン店員のピーとして、ケイの奥さんである自分の妻に結婚を申し込んだんです。

   今ではいい思い出です。

   夜になる。無数の星が出てくる。

エイチ 夜にはデッキに出て、夜風に当たりました。不眠症なんです。独立するようになってから。心理的なもんなんでしょうか、眠れなくなりましてね。いつもは寝付くためにホットしょうがジュースを飲んでるんですが、忘れてきてしまった。

   ほら、星がこんなにいっぱい、近くに瞬いて。星空の下に揺れる海の波頭のひとつひとつもまた星の瞬きのようです。瞬く星と星が向こうのほうまで果てしなく広がって。夜空と暗い海の境がひとつになって。星の暗がりに浮かぶラッキードラゴン号は、まるで、宇宙の天の川を行く銀河フェリーのよう。こんな風景を、息子にも見せたかったなと思ったりしますね。

   ふふ。(思い出し微笑む)息子は子どもらしい子どもでしてね。いつも和ませてくれたもんです。例えばこんな風に……「ぼく星をたべれるよ、見てて、パパ。(星に手を伸ばしつかまえ食べる仕草)パクパクパク。パクパクパク。おいしいねぇ。パクパクパク。パパにもあげる」……。(思い出し、鼻がツンッとなる)

   「この子はわしなんかよりずっと頭がいい。いい大学に入れて、決して探偵にはしない」……祖父であるダブリュウがよく言ってましたっけ……。

   間。

エイチ さて、今回の依頼です。そもそも今回の依頼ってなんですか? 「助けてあげてください」って。その助けてあげる相手っていったいだれなのか。バカでしょ、「だれか」を聞くの忘れてました。だって、あの女の子たちの依頼を受ける気がなかったんだもの。

   わたしは手帳を広げ、整理してみました。(手帳に書きつける)「助けてあげてください」とはだれのことか? 女の子たちに関係するだれかなのは間違いない。家族……お父さん、お母さん。兄弟姉妹。お祖父ちゃんにお祖母ちゃん。おじおば。いとこ。はたまた友達。先生。近所の人。習い事関係……。大切な人であり、かつ、身近な人であることは間違いない。

   第一に、女の子たちのお父さんの線が強い。船乗りなのか。あの船長かな? この船の乗客か。それとも海でおぼれているとか。それともこの船の行く先に捜索人はいるんだろか。この船は南洋へ、南の海へ進んでると船長は言ってたから、南の国にいるのかな。サンゴ礁に浮かぶ南の島にいるのかな……?

   なんの手がかりもないまま一週間経ちました。退屈でしょ、船の旅は? ラッキードラゴン号は船長の言う通り、南へ南へと進んだ。南洋の広い海の真っただ中に。四方が海。見渡す限り海。海。海。海……。

   眠れないわたしはいつものように、デッキに出て夜明け前の風に当たっていました。きょう三月一日は息子の命日なんです。わたしは朝日に手を合わせようとしました。いつもあの方角に、東の空に朝日が昇ってくるんです。

   しかし――、その日はいつもと真逆、遥かかなたの西の空から、太陽が昇ってきたんです。確かにその方角は東ではありません。振り返ると、東の空からも朝日が昇ってきていました。西と東、二つの太陽が、同時に辺りを明るく照らし出したんです。

   やや遅れて、遠く雷のように轟く音もして来ました。やがて船がゆっくりと大きく揺れました。(エイチの体も揺れる)二度、三度……いや、もっと……。大波が西の海からやってきたんです。

   次第に西の空がかき曇り、わき上がる黒い雲が遠くを暗く染めました。そして静かに雪が……降り始めたんです。遥かに見渡す西の空に白い雪が。南の海に白い雪が。夏と冬がいっぺんにやってきたようでした――。

   アイキチ君が現れる。片目の案内人の少年は実は……

アイキチ (思いつめ)ボクはどうしてもあそこへ行かなければなりません。あの西の太陽の下に行かなければなりません。それがボクの運命なんです。友達を助けるんです。津波に流されチリヂリバラバラになった友達を助けるんです。だから、今あなたと帰ることはできないんです。

エイチ わたしはそのとき――、この案内人の少年が、この片目の少年が、女の子たちの探している相手だと気づきました。女の子たちの兄さんだと。船に乗るときに気づいてれば、仕事はすぐに終わったのに。――きみ、名前はなんていうの?

アイキチ ボクはアイキチ君です。エイチさん。

エイチ なんで知ってるの、わたしの名前を?

アイキチ ボクは無線ができるんです。無線通信士なんです。(無線を打つ仕草をして)ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト…ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト…………

エイチ だったら話が早い。みんながきみを、アイキチ君の帰りを待ってるんだ。

アイキチ ボクは帰れません。

エイチ あれはきみの妹たちだろ。わたしに依頼しに来たのは。ね。引き返そうよ。

アイキチ ダメです。勝手な航海はできません。航海の途中に帰ればきっとあとで後悔します。目的を遂げるまでこの船は帰れません。使命があるんです。

エイチ う~ん、そりゃそうだなぁ。二人だけ帰るってわけにも行かないもんなぁ。

アイキチ そうです。

エイチ 行けば、帰るね。その、西の太陽の下に行けば。

アイキチ ええ。友達を見つけられれば………船を見つけられれば………

エイチ だれかを助けてあげるためには、そのだれかに寄り添うしかありません。アイキチ君の旅の終わりまでわたしもお供するしかない。見張るでもなく、見張るしか。寄り添うでもなく、寄り添うしか。

   エイチは仕方なく意を固める。

アイキチ ところでエイチさん、あなたはこの船のチケットを持っていますか?

エイチ チケットなら、ここに。(取り出して見せる)

アイキチ んん? これはニセモノです。

エイチ ええ?! でもこれは女の子たちから送られてきて――

アイキチ どこにもラッキードラゴン号と書いてありません。

エイチ ホントだ……

アイキチ 船の規則により、あなたを拘束します。

エイチ いや、わたしはきみを連れて帰らなきゃ、そういう任務が――

アイキチ あなたはいったいぜんたいなんですか、スパイですか?

エイチ 探偵だよ。

アイキチ 探偵?! ハハァン……

エイチ ちがうんだよ、探偵とスパイとは。

アイキチ でもスパイも探偵でしょ。

エイチ スパイは、ありゃ国に雇われた探偵、言わば国立探偵。わたしは、ブタの貯金箱の女の子に雇われた探偵、私立探偵。

アイキチ なにを言ってるのかわかりません。船長に会ってください。船に残りたければ、許可をもらってください。

エイチ 仕方ないなぁ。そうしよう。

アイキチ 船長! 船長!

   船長が来る。作業服に赤い制帽を被っている。

   船長はアイキチ君からかくかくしかじかと耳元で説明を受ける。

船長 ふん。ふん。ん。わかった。(エイチに)一つあなたに質問します。身元を確かめるためです。よろしいですかな?

エイチ ええ。構いません。

船長 あなたはこの船がなんの船か知っておられるか? このラッキードラゴン号の目的を知っておられるか? 探偵ならわかるでしょ?

エイチ この船? この船の目的? (アイキチ君をチラと見て)あの西の太陽の下に行くんじゃ?

船長 ブーッ! 残念! この船はあてどなく流されておるんですな。

エイチ 流されてる? あてどなく?

船長 波にさらわれてどこまでもどこまでも行くんです。あてどなく、どこまでも。どこへ行くのかわからんのですな、だれにも。船長のわしにも。

エイチ そんなどこへ行くかわからない船なんてあるんですか。船長は南へ行くって言ってたじゃないですか。

船長 左様、南へ南へ……あてどなく流されておるんですな、潮の関係で。

エイチ じゃ、いったいいつ港に帰るんですか。いつ?

アイキチ そうじゃないんです。船長はいつも言葉をはしょってしまわれるんです。言葉足らずなんです。船長はこうおっしゃられてるんです。この船は捜索船なんです。大津波によって沖へ沖へと海に押し流されてしまった幾千もの船を捜しているんです。その捜索船なんです。この海には津波にさらわれた幾千もの船が助けを求めて漂っているんです。どこかしらに漂っているんです。その船を捜し出すんです。なんとしてでも捜し出すんです。波に流されてどこへ行ったかわからない船を捜すには、自分も波にさらわれてみるしかないでしょ?

エイチ 自分も波にさらわれる……

アイキチ だから、このラッキードラゴン号も波にさらわれてどこへ行くのかわからないんです。

船長 その通りだ。

エイチ (船長に)わたしはアイキチ君を連れて帰らなきゃならないんです。彼の妹たちに頼まれたんです。ブタの貯金箱をもらって。

船長 しかしニセモノのチケットしか持ってない。

エイチ だからこれは――

船長 あなたに、心優しき海の男であり、かつまたこのラッキードラゴン号の船長でもあるわしから、二つの選択肢を差しあげましょう。

エイチ ……ええ。

船長 船での労働を選ぶか。船底の監禁室を選ぶか。

エイチ そりゃ……仕事を。労働を。

船長 では――船底へ。

エイチ ええ?!

船長 そうじゃありません。そこのバケツを持って、船底に溜まった水をかき出してください。それがあなたの労働です、ノンチケット(無切符)乗船者としてのね。では、よろしいかな。さ。(船底へエイチを連れて行こうとする)

アイキチ 船長! 待ってください! 流されている船と無線がつながりました。ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト…ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト……………………

   アイキチ君は見えない無線機で無線交信をする。背中に見えない無線機を背負い、歩き回りつつ電波のいい位置を探り、片手を耳に当て無線を受信し、片手でモールス信号を打っている。

エイチ トーツートーツーって? なにしてるんです。

船長 見えませんか。見えないんだな大人には、この無線機が。心の腐った大人には、アイキチ君の背負ってる無線機が見えないんだなァ。彼は無線交信をしておるんです。アイキチ君はね、このラッキードラゴン号の立派な無線長なんですよ。

エイチ 無線交信……。無線長……。

アイキチ ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト……………

エイチ 船長、船長には見えるんですか、無線機が?

船長 わしぃ? わしは……見ようによっては……見えんことも……(ト無理に目をすぼめたり見開いたり)

アイキチ ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト……………

船長 どうかね、アイキチ君?

アイキチ この広い海の大洋の上を、星屑のように流された船がチリヂリバラバラに散らばっています。やはりそうです、星屑のように数え切れない船が、あてどなく漂って流されてるんです。ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト。みんなふるさとの港へ帰りたいと言っています。ふるさとの港へ。だけど、潮をかぶってエンジンがやられてしまったようです。波間を漂い続けて燃料の尽きてしまった船もある。ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト。みんな、津波のような大波をかぶって流されてしまったと言っています。津波のような大波にさらわれてあっという間に沖へ沖へと流されてしまった。

船長 アイキチ君、これはぁひとつひとつ船を見つけていくしかないな。ひとつひとつロープで結んでいこう。

アイキチ ええ、船長。ひとつひとつ船を見つけていって、ひとつひとつロープで結んでいきましょう。そうして一艘残らずふるさとに連れて帰りましょう。

船長 この広い大洋に散らばる船をロープでつなぐと星座のようになるだろな。ん、きっと。きれいだろなァ。

アイキチ はい。星はみんなつながってるんです。ボクらの船もつながってる。

船長 その船のひとつに彼も、きみの友達も乗っておるんだったな。

アイキチ 友達じゃありません。ネズミみたいなヤなヤツです。ひどいヤツです。ふざけてボクの片目を盗ってっちゃった。

船長 そうだったな。でもそのお陰で見えるんだろ、海の果てが。

アイキチ ええ、ザネリが――友達の名前だけど――ザネリが盗ってったボクの片目が、ザネリの乗る船の景色をボクに見せて寄こすんです。(その動作をしながら)ザネリがボクの片目を空にかざすでしょう、そうすると向こうの空が見えるんです。ザネリがボクの片目を海に向けると、向こうの海が見えるんです。(今ある片目を手で押さえて隠し、盗られて今はない片目で遥か遠くを見て)ザネリの見てる景色が、ボクの盗られた片目を通して、遠く離れたボクにも見えるんです。頭に浮かぶんですはっきりと。でも、それがボクにはつらいんです。

船長 何度聞いても不思議だなぁ。盗られた片目でねぇ、海の向こうの景色が見えるなんて。きみはここに居ながらにして漂っておるんだなァ。で、そのザネリ君は今どこにいるのかね?

アイキチ わかりません。見えるのは同じような海ですし、同じような空ですから。どこにいるのか、まったく全然………

船長 うみはひろいな~、おおきいな~。つきはのぼるし~、ひは………よし、アイキチ君は交信を続けてくれたまえ。南へ南へ、ヨーソロー!

アイキチ はい。ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト…ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト…………(無線交信しながら行ってしまう)

   エイチはアイキチ君のうしろ姿をボウッと見送る。

船長 (エイチに)なにをボウッとされておる? あなたは、バケツを持って船底へ。

エイチ ええ……行きましょう。

   二人は階段を歩いて降りて(舞台をぐるりと一周して)船底へいく。

エイチ ……しかし本当なんですか。盗られた片目を通して、その先の景色が見えるって?

船長 さあ? 話を合わせるしかないですな、心優しき大人としては。アイキチ君は詩人ですからな。人と変わっておるんです。見えないものを観、聞こえないものを聴く。なんでも父親がラッコを獲る猟師でしてな。

エイチ ラッコって、あのラッコ?(ト腹の上で貝を割る仕草)

船長 (小バカにして)他にラッコがおりますか? そのラッコの皮をはぐ父親の仕事を友達にからかわれておったようですなァ、どうも。「アイキチ、お父さんから、ラッコの上着が来るよ」ってね。――おっと、そうだ。その前にこれを着てもらえますかな。

   船長は階段に備え付けてある棚から何か服のような物を手に取る。しかしそれは目には見えない。

エイチ ン? これって、なにも見えないですが?

船長 これは、透明な防護服です。わしら船乗りは裸の王様防護服と言っとりますがね。

エイチ 裸の王様防護服。

船長 着ているような着ていないような。

エイチ 意味がわかりません。

船長 この船は、ラッキードラゴン号は原子力発電船なんです。略して原発船。原船。

エイチ ええ! このオンボロ船が?

船長 (ムッとして)ム! オンボロ船?

エイチ いえ、この、素晴しいラッキードラゴン号が?

船長 半永久的なクリーンなエネルギーを使わずにして、どうやってこの長い航海を続けられるとお思いかな。

エイチ しかし。

船長 さあ、さっさと着たまえ。裸の王様防護服を。

エイチ はぁ……。(しぶしぶ着る)

船長 大丈夫、大丈夫。まぁ、着てても着てないのと同じなんだから。気休めだからな。着ていないような服を着てるつもりで着ていなさい。

エイチ じゃ、着なくても。

船長 安全委員会の規則だ。着なさい。

エイチ はぁ……。

   二人は船底に着く。

エイチ それでこの船底で、わたしはなにをすればいいんです?

船長 ほら、船のエンジン部分から、チョロチョロチョロチョロ水が漏れ出てるだろ。あの水はエネルギーの本体を循環して冷ましてる水なんだが、あれが漏れ出てしまってね。あの水をね、汲み出してほしいんだ。

エイチ この水を、バケツで。

船長 (エイチを制して)ちょっと汚れてるから、決して素手で触ったり、ましてや飲んだりしないように。それはすべて自己責任になるからね。

エイチ それって、なんです、からだになにか影響があるってことですか。危険だってことですか。

船長 ただちに人体に影響を及ぼす範囲ではないのではないかと思われておるとの専門家の心強い見解をもらっとる。

エイチ それって危険だってことでしょ?!

船長  (素早く目をふさぎ、口をふさぎ、耳をふさぐ動作をする)

エイチ なんです、それ?

船長 見ザル、言わザル、聞かザル。

エイチ ええ! できませんよ。こんな仕事。

船長 ではこの船を、ただちに、即刻、なんの猶予なく、降りてもらうしかない。

エイチ でも……

船長 周りはサメがうようよ。

エイチ でも……

船長 アイキチ君ともおさらばだ。

エイチ ……。

船長 お嬢ちゃんたちも泣いて悲しむだろうねぇ、アイキチ君の妹たちが。ありゃかわいい。天使みたいだ。心優しき大人は女の子を泣かしちゃいかん。

エイチ ……。

船長 どうするかね。きみの選択だ。きみもプロじゃないのかね。

エイチ ……仕方ない。

船長 だれかがそれをやらねばならぬ。汚れ仕事をやらねばならぬ。防護服も着たことだし、大丈夫だよ。(船底から階段を上がっていく)

エイチ 船長、もう一つ。この汲み出した水はどこに捨てればいいんです?

船長 (なんのためらいもなく)海へ。

エイチ この汚れた水を海に流していいんですか? この汚染水を!

船長 (素早く見ザル、言わザル、聞かザルのポーズ)「状況は完璧にコントロールされておる」。できればそこに転がっとる除去装置で水をよく濾してから捨ててくれ。ほらそこの、除去装置で。

エイチ (見つけて)ザルですよ、これ! ザル!

船長 ザル? (見ザル、言わザル、聞かザルのポーズ)見方によってはね。

エイチ 船長!

船長 うみはひろいな~ おおきいな~……

エイチ 船長ったら!

船長 だれかがそれをやらねばならぬ。汚れ仕事をやらねばならぬ。(見ザル、言わザル、聞かザルのポーズを決め、去る)

   船長は階段を上がっていってしまう。

エイチ (仕方なく作業に取りかかる)……だれかがそれをやらねばならぬ。汚れ仕事をやらねばならぬ。そうしてそれは、わたしのような無切符乗船者の仕事となる。この手になんのチケットも持っていない者の仕事に。わたしのような船の底辺に、底の底に落ちた者の仕事となる……

   エイチは汲み上げた水を持って階段を登り、その汚染水をデッキから海に投げ捨てる。それをくり返す。

エイチ わたしは溜まり続ける汚染水を汲み上げ、海に垂れ流し続けた。何杯も何杯も。何杯も何杯も。何杯も何杯も。最初は良心がチクチク痛んだ。だが、次第に鈍感になってきた。――人間ってやつはどうしようもない。

漁師 こらっ! なにしちょるか!

   そこに老朽化した、しかしよく手入れされている小船に乗った漁師がやってくる。作業服に麦藁帽。

エイチ なんです、あなたは?

漁師 なにしちょるかって聞きよるんじゃ!

エイチ わたしは、その、水を海に。

漁師 水? 水は水でもただの水じゃなかろぅが。わしゃ知っちょるぞ。汚ぁ水を海に流すな。

エイチ あなたはいったいぜんたいだれですか?

漁師 わしゃ漁師じゃ。タイ漁の漁師じゃ。

エイチ そんないっぱい魚を釣ってるようには見えませんが。

漁師 バカ。大漁じゃない。タイ漁。タイの一本釣りの魚獲り。

エイチ ああ。そのタイ漁。

漁師 寝ぼけたことを。わしゃこの糸一本で、エビでタイを釣るんじゃ。日本一のタイ漁の漁師じゃ。

エイチ はぁ……。

漁師 ええか、タイはエビで釣られるおっちょこちょい。おまえらは金で良心を釣られるボンクラじゃ。

エイチ わたしはただの乗客ですよ。

船長 ふん、傍観者か。一番タチが悪い。ええクソッ、おまえじゃ話にならん。責任者出せ。

エイチ 責任者って……船長はどこだろ? 船長。船長。

   アイキチ君が騒ぎに気づいてやってくる。

エイチ あ、アイキチ君。アイキチ君。

アイキチ 何事ですか、探偵さん。

エイチ あの漁師さんがね、怒ってるんだ。汚い水を海に捨てるなって。

アイキチ おじさん。また来たんですか。いい加減にしないと、ボクも怒りますよ。

漁師 わしの目の黒いうちは海を汚すことぁ許さんぞ。

アイキチ これはね、クリーンなエネルギーなんですよ。CO2も出さないし、安心で安全なんだ。

漁師 だまされるか。

アイキチ だまされてるのはおじさんです。頭固いんだから。(エイチに)この人はね、船長の兄弟なんです。

エイチ え、そうなの。

アイキチ ね? おじさんは船長の兄弟なんですよね。

漁師 あいつはわしの兄貴じゃなぁ(ない)。

アイキチ (エイチに)ね。

エイチ 人生、複雑だな。

アイキチ 顔もそっくりだし。

漁師 わしらはな、島でも評判の仲のええ兄弟じゃったんじゃ。マサチャン、タッチャンってな。島の学校でも一番じゃった。

エイチ それがどうして?

漁師 原発船がマサチャン、タッチャンを二つに引き裂いたのよ。

エイチ この船が?

漁師 兄貴はこの兄弟舟を捨てて、ラッキードラゴン号の船長に成り下がってしもうた。札束に目がくらんだのよ。

アイキチ 船長はね、病気の奥さんのために――

漁師 バカ。苦しいのはだれも一緒じゃ。ましてやわしらは兄弟じゃなぁか(ないか)。なんぼでも助けおうてやれたじゃなぁか。わしゃ義姉さんが好きなんじゃ。(涙ぐむ)

アイキチ その話は何万回も聞きました。スケベじじい。ボクらは忙しいんです。

漁師 原船反対! 海を返せ! 原船反対! 原船反対! 海を返せ! 原船反対! 原船反対! 原船反対!…………

アイキチ うるさい人だ。えいっ。(バケツの汚染水を漁師にかける)

漁師 なにするかっ! ペッ、ペッ!(口に入った汚染水を吐き出す)

アイキチ ごめんなさい。手がすべっちゃった。(舌をペロッ)

漁師 (顔にかかった汚染水をぬぐう)ああ、アアァッ。

アイキチ おじさん、早く家に帰ってシャワー浴びないと大変なことになるよ。ハハハ。ハハハハ。

漁師 クソォッ、覚えちょけ!(舟をこいで逃げていく)

エイチ いいのか、あんなことして?

アイキチ だって仕事の邪魔するんだもの。大事な大事な仕事があるのに。それにバカだよ、大きな力に逆らって。かないっこないのに。時代は進んで――、あっ――!

エイチ あっ――、そのときまた西の空に太陽が昇りました。

   二人は今昇る西の太陽に惹きつけられるようにその方を見上げる。

アイキチ 西からお日様が――、きれいだねぇ。ボク、お日様を見るのが、お星様を見るのと同じぐらい好きだ。気持ちが清々する。

エイチ しかしその西の太陽は、なぜか恐ろしいほど大きいのでした。海を呑みつくしてしまうほど大きいのでした。まぶしい黄色から燃えるような赤へ、七色に狂ったように燃えているのでした。

姉妹の声 助けてあげてください……助けてあげてください…………

   姉妹の声がかすかに無線交信のように聞こえてくる。

エイチ「助けてあげてください」「助けてあげてください」……そのときわたしの耳に女の子たちの声が聞こえてきました。遠く小さな声なのですが、かすかでか弱い声なのですが、それははっきりとわたしの耳に届きました。

姉妹の声 お兄ちゃんを助けてあげてください…………

エイチ (懸命になって)アイキチ君、ねえ、きみ、西の太陽を見ちゃいけないよ。日の光を浴びちゃいけない。

アイキチ なぜ。こんなに気持ちいいのに。

エイチ なぜだかわからないけど、いけないよ。声がするんだ、きみのいもう――――あっ――あっ――、…………海鳴りだ――海鳴りだ!

海鳴りの音 (初めは小さく、やがて大きく)どっどど どどうど どどうど どどう……どっどど どどうど どどうど どどう!…………

   海鳴りとともにラッキードラゴン号は大きく揺れ、エイチとアイキチ君を足元からひどく揺らす。海鳴りの音が重く深く轟く。

海鳴りの音 (大きく)どっどど どどうど どどうど どどう! どっどど どどうど どどうど どどう!…………

   ラッキードラゴン号は西から来た大波に乱暴に揺すられる。

エイチ (立っているのがやっと)助けてっ! 助けてっ! アアッ! アアッ!

アイキチ (揺れを楽しんでいる)ハハハハ! ハハハハ! まるで銀河遊園地だ! ハハハハ!

海鳴りの音 (さらに大きく激しく)どっどど どどうど どどうど どどう! どっどど どどうど どどうど どどう!…………

エイチ (立ち上がり、倒れ、またデッキの手すりにしがみつく)アッ――! アアァッ――!

アイキチ ハハハハハ! ハハハハハ!

海鳴りの音 どっどど どどうど……どどうど どどう!……どっどど……どどうど……どどうど……どどう…………どっどど……どどうど……どどうど……どどう…………(やがて小さくなって消えていく……揺れも治まっていく)

エイチ ハァハァハァ………治まっ……た……みたいだ………

アイキチ チェッ、つまんないの。あ、あれ見て!

   西の空の彼方に黒味を帯びた巨大な入道雲がわき上がる。

アイキチ 入道雲がもっくもっく、もっくもっく。もっくもっく、もっくもっく。

エイチ (恐れを感じて)入道雲なんてもんじゃないよ、あれは。黒味を帯びて。それに大き過ぎる。

アイキチ 入道雲がもっくもっく、もっくもっく。三つも四つも重なって、もっくもっく、もっくもっくわき出てる。ああっ――お空の屋根についちゃった!

エイチ まるで巨大なキノコだなァ……毒キノコだ。

アイキチ うん――キノコ雲だ。――あ、あ、……雪だ。雪が降ってきた。

   ラッキードラゴン号の上に白い雪が降ってくる。

エイチ 黒い入道雲の次は雪でした。さらさら、さらさらと、さらさら、さらさらと粉雪がこの船を覆うように降ってきた。

アイキチ (舌を出して雪を受ける)えーーっ。

エイチ ダメだよ! 雪を食べちゃ。

アイキチ またぁ。どうして。

エイチ ここは南の海なんだよ。南の海でおまけに夏なんだ。雪が降るなんておかしいじゃないか。

アイキチ えーーっ。えーーっ。なんの味もしないよ。やっぱり雪だ。

エイチ やめなよ、アイキチ君。

アイキチ えーーっ。あれ? でもなんだかこの雪、ジャリジャリする。なんだろ、これ?

エイチ 吐き出すんだよ、アイキチ君。ペッ、ペッて。

アイキチ もしかして――サンゴかな……?

エイチ サンゴ……? サンゴ礁のサンゴ……?

アイキチ 見て見て! あそこ! あそこ!

   そのとき海の向こうで、西の太陽とは逆方向へ必死に逃げるものの影が見える。

エイチ え? どこ?

アイキチ トビウオだ。トビウオ。

エイチ トビウオ? ……ホントだ。

アイキチ すっごい勢いでどっかへ飛んでく。――いや、ちがう。あれイルカだ、イルカ!

エイチ イルカ? ホントだ。

アイキチ すっごい勢い。でも……ちがうなぁ。あれ、ジュゴンかな。

エイチ ジュゴン? ホントだ。

アイキチ ハハハ、ちがった、人魚姫だ。

エイチ 人魚姫? ホン――まさか。

アイキチ わかった、スナメリだスナメリ。小さなイルカだ。

エイチ スナメリ。小さなイルカ。

アイキチ 三頭いる。おとうさん……おかあさん……真ん中の小さいのは男の子だな。親子のスナメリだ。仲がいいねぇ。仲良く泳いでる。

エイチ 親子のスナメリ……仲がいい……

アイキチ ここは水がとってもきれいだからねぇ、スナメリが泳ぐんだ。……あれ? なんだか変だよ。あんなに急いで。ねえ、どうしたのスナメリさん! スナメリさん! ああっ、きっと逃げてるんだ、この雪から。スナメリさん! スナメリさん! スナメリは寒さが苦手なんだ。雪に当たると泡になって消えてくんだきっと、ふふ、童話みたいに。あぁ、スナメリもバカだなぁ、逃げるとこなんてないのに。海はつながってるのに。どこまで行ったって雪は追いかけてくるのに。

エイチ ねぇ、アイキチ君、もう引き返さないか。胸騒ぎがするんだ。きみの仕事が大事なのもわかるけど。

アイキチ 待って――、探偵さん。

エイチ なに?

アイキチ 交信が入ってきたみたい。(無線交信を始める)ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト…ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト……

   船長が空模様を見ながらやってくる。

船長 なんだ、この天気は? どうしたね、アイキチ君。気象情報か?

アイキチ そうなんです。あっちでもこっちでも雪が降っているようです。さらさら、さらさらと真っ白な粉雪が。真夏の大洋に雪が降りそそいでいます。ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト……真夏の大洋に雪が降っています。そして空に昇る太陽が二つ。西の空と東の空に。夏の南の海に雪が降ってきて、夏と冬がいっぺんにやってきて、まるで盆と正月がいっぺんにやってきたみたい。太陽も二つに増えて、地球は――お祝いをしています。ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト……世界中の無線士たちがお祝いの歌をうたっています……ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト……ツーツー、ツーツー、ツーユー、ツーユー……(歌い出す)ハッピーバースディ ツーユー ハッピーバースディ ツーユー ハッピーバースディ ディア地球 ハッピーバースディ ツーユー……皆さんご一緒に。ハッピーバースディ ツーユー ハッピーバースディ ツーユー ハッピーバースディ ディア地球 ハッピーバースディ ツーユー!

   自然と周りから拍手が起こる。

アイキチ みんながこの世の誕生を祝ってる!

エイチ わたしにはこの世の終わりを自棄になって騒いでるみたいに思えるけど。

アイキチ ね、船長。雪合戦しましょ! ボク、雪合戦がしたいなぁ。

船長 なんだ急に、きみは。子どもっぽいこと言って。

アイキチ だってボク、子どもなんだもの。

船長 ハハハハ、そうだった。あんまりきみがしっかりしてるもんで、忘れてたよ。

アイキチ 探偵さんもやろうよぉ。

船長 きみもやりたまえ。

エイチ それは船長命令ですか。

船長 いや、きみの選択だ。

アイキチ さあ、裸になって、お日様の光を浴びながら雪合戦をしましょう。よーい、初め!

船長 アイキチ君、きみは東北生まれの、東北育ちだったな。肌が生っちろい。

アイキチ 船長、いいから始めましょ。

船長 言っとくが……わしゃ負けんぞ!

アイキチ それっ! ハハハハ! ハハハハ!

船長 アハハハ!

   船長とアイキチ君の雪合戦が始まる。夢のように楽しそう。童心に帰って無邪気に雪の球を投げ合う。

アイキチ ハハハハ!

船長 ふふふ。ハハハハ! (ふと雪をほうばる)この雪、うまいな。

アイキチ 探偵さんも、ほらほら。

エイチ わたしは遠慮させて――

アイキチ (雪の球をエイチの顔面に投げつける)えいっ!

エイチ アッ――やったな! コノッ! 待て、アイキチ! アイキチ!(雪合戦に加わっていく)

アイキチ ハハハハ! ハハハハ! それぇ!

   三人の、そして二十三名の乗客乗員の雪合戦が楽しく続く………

   そこにかすかに「助けてあげてください」の女の子たちの声がしている……だが、雪合戦に夢中になっている彼らの耳には聞こえない。

   やがて………

船長 ……アハハハ……ハァ、ハァ、もう降参だァ。もうやめだ。ハハハ……ハァ、なんだか……気分が……ちょっとあれだし………

エイチ (怪訝な面持ち)……。(ふとアイキチ君を見て)どうした?

アイキチ ボクもなんだか――疲れてきました。

船長 はしゃぎ過ぎたんだろ。

アイキチ ええ……そうでしょ。ボク子どもなんです。

   エイチはアイキチ君の異変に気づく。

エイチ あれ? アイキチ君、顔がなんだか腫れぼったいぞ。

アイキチ 顔が……熱いや……

エイチ こりゃ、ヤケドじゃないか。水ぶくれだ。

アイキチ かゆかゆかゆかゆ、目がかゆい。目が痛かゆい。

船長 (アイキチ君の手を止める)こら、こすっちゃいかん。

アイキチ 手をどけて。

エイチ (異変に気づいて)船長っ、あなたも顔が真っ黒ですよ。黒ずんで。顔色が悪いですよ。

船長 そうか? いやどうも……さっきから気分が優れんのだ。どうしたんだろ。

エイチ 船長、大丈夫ですか?

船長 いや、ダイジョブ、ダイジョブ……(大丈夫ではない)

   トこのとき、一羽の鳥――カンコウ鳥(かんこうちょう)――が鳴きながら飛んでやってきて、デッキの手すりに止まる。

カンコウ鳥 ア~ンシン、ア~ンゼン。ア~ンシン、ア~ンゼン。ア~ンシン、ア~ンゼン。ア~ンシン、ア~ンゼン。アアアアア~~~!

船長 おっ、カンコウ鳥だ。

エイチ カンコウチョウ?

カンコウ鳥 みなさん、カンコウ鳥からのお知らせです。ア~ンシン、ア~ンゼン。ア~ンシン、ア~ンゼン。この雪とおぼしき物体は、人体にはただちに影響はありません。この雪とおぼしき物体は、人体にはただちに影響はありません。ア~ンシン、ア~ンゼン。ア~ンシン、ア~ンゼン。アアアア、アホ~~~!

エイチ どけ、うるさい鳥だ。

アイキチ あれはね、探偵さん、カンコウ鳥だよ。お知らせ鳥だ。

エイチ お知らせ鳥?

アイキチ お上(かみ)のほうからやってきて、下々のボクらに大切なお知らせを知らせてくれるんだ。神話にも出てくる鳥なんだ。

エイチ 神話? どんな神話? ギリシア神話?

アイキチ うぅん、安全神話。

カンコウ鳥 ア~ンシン、ア~ンゼン。ア~ンシン、ア~ンゼン。この雪とおぼしき物体は、人体にはただちに影響はありま……

エイチ うるさい。あっち行け。バカ鳥め。

カンコウ鳥 アホ~~~! アホ~~~! ア~ンシン、ア~ンゼン。ア~ンシン、ア~ンゼン。アアアア、アホ~~~!…………(飛び去っていく)

アイキチ カンコウ鳥のお知らせ鳥が去ってゆく……。

   とエイチが、カンコウ鳥が飛び立つ海の向こうの何かに気づいて――

エイチ ――ん? 船長、あれはなんでしょう? あれ。

船長 ん? どこだ?

エイチ ほら、あそこ。あの海の向こうに、海に大きな穴があいてます。ほら、西のほうにサンゴ礁の島々が見えるでしょう? あの青い青い海に、あそこだけ真っ暗の、まるで海のブラックホールみたいな大きな大きな穴があいてる。

船長 きっと海の石炭袋だ。海のまさしくブラックホールだ。

アイキチ なんだか怖いや。海は大好きだけど、時々怖い。あの穴、まっくら闇で、吸いこまれそう。

船長 きっとあそこから西の太陽が生まれたんだな。(両掌を合わせ拝む)新しいお日様が誕生したんだ。海から西の太陽がすっぽり抜け出てしまって、穴があいておるんだ。

エイチ いや、船長、あれはなにかの大爆発でできた穴じゃないでしょうか? なにかが爆発してサンゴ礁の島に穴ができたんじゃ?

船長 まさか。ハハハ。西の太陽が大爆発したとでも……ハハハ………

アイキチ 怖いやボク。なんだか怖い。

船長 心配するこたぁないよ、きみ。この探偵さんは海を知らんのだよ。海で大爆発……だなんて…………。

アイキチ …………。

エイチ …………。

   でも、どうやら三人とも、西の太陽の大爆発なのではと思えてくる…………

アイキチ (船長の袖をつかんで揺する)ねぇ、船長、船長、いつもみたいにお話してよ。おやすみするときみたいに。

船長 ん……すまんが今はちょっと……(自身の体調に異変を感じ、ある思いが駆け巡る)

アイキチ ……探偵さん、なにかお話してくれる?

エイチ お話って……?

アイキチ ねぇ、お願い。ボク胸がつまるような気がして……

船長 すまんが、わしは考えごとが……(二人から離れてだるそうに手すりにもたれる)

エイチ ……そうだな……息子が好きだったお話がある。

アイキチ うん。なんでもいいから話して。

エイチ 怖がりのサイの話なんだ。

アイキチ サイ? あの、アフリカにいる?

エイチ うん。そのサイはね、とっても怖がりなんだ。硬いヨロイを着たようなからだを持ってて、ケンカをすればゾウだってライオンだって敵わないのに、でも見かけとちがって怖がりなんだ。んでね、草を食べに出る以外はサバンナの大きな穴に身をひそめてるんだ。だれとも口をきかないで、アフリカのジリジリ焦げるような熱い太陽が昇っては沈むまで、穴に身をひそめてる。話をするのは、からだについてる小さな虫を食べにやってくるナナギリという鳥だけなんだ。

アイキチ サイの虫を食べるナナギリ。

エイチ このナナギリがちょっとイジワルなヤツでね。きみの友達のなんとか言った――

アイキチ ザネリ?

エイチ そう、ザネリ君みたいに。で、そのザネリのナナギリはサイの耳にこんなことを吹きこむんだ。

アイキチ うん。

エイチ 「いいこと聞きつけてきたよ。首長のキリンの話なんだ。キリンのヤツは頭が小さくて脳みその足りないヤツだけど、サバンナの果ての果てまで見ることができるからね、信用していい話なんだ。なんでもサバンナの向こうの向こうに一本の黄色い木があって、その黄色い木に黄色い実がなるんだそうだ。で、その黄色い実を食べると、だれでも勇気が持てるというんだ。勇気の実がなる勇気の木なんだ」――とこう言うんだ、ナナギリがサイに。

アイキチ うん。

エイチ でね、サイはその日から、その勇気の実を食べる自分を想像するんだ。この黄色い実を食べれば自分は勇気百倍、ゾウだってライオンだって、自分にひれ伏すだろう。オレはサバンナの王になれるんだって。

アイキチ で、サイはどうしたの? その実をホントに食べに行ったの?

エイチ いいや、食べに行かなかった。サイには勇気がなかったんだ、その勇気の黄色い実を食べに行く勇気が。結局、サイは死ぬまで穴から出られなかった。

アイキチ ――そうっ。バカだね、サイって。(頭痛がするのか頭を撫でている)

エイチ その代わり、ナナギリが、その勇気の実を捜しに旅に出たんだ。

アイキチ 待って。それって、勇気の木に勇気の実がなってるって、本当はナナギリの作り話じゃないの?

エイチ そうなんだ、作り話なんだ。でもナナギリのヤツ、何度も何度も勇気の木の勇気の実の話をサイに話すうちに、その話を自分でも信じこんでしまったのさ。

アイキチ ふぅん。で、どうなったの、ナナギリは?

エイチ ナナギリは二度と戻ってこなかった。

アイキチ そうじゃなくて、ナナギリは勇気の実を見つけたの? その黄色い実を見つけたの? 見つけられなかったの?

エイチ 見つけたにちがいない――そう穴ぐらのサイは思ったんだ。

アイキチ ああっ、サイがね。サイは思ったんだ、ナナギリが勇気の実を見つけたと。――ボクもそう思うよ。思いたい。

エイチ ああ、わたしの息子も――そう言ってた。「パパ、ナナギリは、サイのかわりに勇気の実を見つけるよ、きっときっと。だって、トモダチだからね。サイとナナギリはトモダチだから。たとえどんなイヤなヤツでもトモダチだから。サイのために、勇気の実を見つけたはずだよ」

アイキチ 友達だから……どんなイヤなヤツでも……。

   船長が何か意を決して二人に近づいてくる。船長は二人の話の間中、頭痛、吐き気、目まいに襲われ、血の気も失い、立っているのもやっとの有様だった。その苦しむ姿は暗黒舞踏を踊っているかのようでもあった。

船長 諸君。話が盛り上がっとる最中だが、わしから大事なお知らせがある。そのォ、みなには悪いが……、わしは帰ろうと思うんだ。

アイキチ え? 帰るって?

船長 ふるさとに帰ろうと思うんだ。ラッキードラゴン号は、ただ今からふるさとの港へ引き返す。

アイキチ なに言ってるんです、船長! カンコウ鳥もア~ンシン、ア~ンゼンって言ってるじゃないですか。

船長 ありゃ、ここだけの話、うそばかりつく。

アイキチ 船長、まだ船を助けてあげてないんですよ。大洋に無数に散らばってる船を連れて帰らなきゃ。一緒に帰らなきゃ。

船長 そりゃそうなんだが……こぅ体調が悪くては。こりゃ異常だよ、きみ。船長には船を無事に港に帰す責任がある。乗客乗員の安全を守る義務がある。アイキチ君、きみも自分の顔を見てみたまえ。

アイキチ 船長! 助けてあげてください。ボクの友達のザネリを。ザネリの持ってるボクの片目を。ボクの片目が見てる船たちを。海に漂ってる友達たちを。

船長 うぅん、そうなんだがねぇ。わしも充分その気はあるんだが……いかんせん身体が……気力がわかんのだよ………

アイキチ 船長、助けてあげてください! 助けてあげてください!

   トそこへカンコウ鳥が飛んで戻ってくる。

カンコウ鳥 ア~ンシン、ア~ンゼン。ア~ンシン、ア~ンゼン。アアアア、アホ~~~!

アイキチ あ、またカンコウ鳥だ。

カンコウ鳥 アアアア~。おい、アイキチ! おまえまだわかんないのか! アイキチ、ラッコの上着が来るよ!

アイキチ だれ? きみ? だれ? なんでボクの名前を?

カンコウ鳥 相変わらずバカだな。オレだよ、オレ。カンコウ鳥のザネリだよ。

アイキチ ええ、ザネリ? ザネリ? ――ああっ、ザネリだね、ザネリ。きみ、鳥になっちゃったの? アア、髪がぬれてるねぇ。潮水をかぶったんだね。船長、ザネリが見つかりました! 船長。船長。……あれ? 船長動かないや。探偵さんも固まってる。

   カンコウ鳥のザネリがやってきて、辺りはアイキチ君とザネリの二人だけの闇の世界になる。

ザネリ おまえにはガッカリだよ、アイキチ。(アイキチ君の片目を取り出して掲げて)世界の果てまで見せてやったのに。海のすべてを見せてやったのに。なぁんにもわかんないんだから。

アイキチ ザネリっ! ボクの片目を返して!

ザネリ 世界の果てを見せてやったのに。

アイキチ ザネリ、ボクね、その目で見たんだ。だけど片目で見えるのは世界の半分なんだ。正しいことの半分なんだ。ようよう見えるのは四方八方海ばかりで。八方四方空ばかりで。

ザネリ おまえホントにトロいなぁ! サンゴ礁を見ただろ。サンゴのでっかい輪っかを。サンゴ礁が小さな小さな島になってるのを。オレはたどり着いたんだよ、その小さな島に、あてどなく波に流れ流されてさ。

アイキチ アア、そうだったの!

ザネリ 結局見つけてくれなかった。結局助けてくれなかった。自分だけ助かってさ。友達見殺しにしてさ。見てるのに見えないんだったら、こんな目いらない!(ト海にアイキチ君の片目を投げ捨ててしまう)

アイキチ ああっ! ああっ! ひどいや。ザネリ、びどい! なんでこんなことするの!

ザネリ オレはねぇ、アイキチ、津波のような大波にさらわれてサンゴ礁の島まで流れ着いたんだ。そこでおまえの片目を取り出して、おまえに美しいサンゴ礁の景色を見せてやったんだ。エメラルドグリーンの海に、椰子の実たわわに稔る美しいサンゴの島を。腰ミノをつけて踊る島の人たちを。海に沈むでっかい夕日を。そうして助けを待ってたんだ、日がな一日。日がな一日。そしたら突然――夜明けとともに、西の太陽が焦げるほどの大爆発を起こして、オレはコッパミジン、サンゴもろとも粉々になり、お空の果てまで飛んでったんだ! 何万匹の魚とともに。何万羽の鳥とともに。お空に高く高く噴き上げられたんだ! キノコ雲になって噴き上げられたんだよ。気づいたら――鳥になってた。ア~ンシン、ア~ンゼン。ア~ンシン、ア~ンゼン。アアアア、アホ~~~!(鳴き声に涙と怒りがこもっている)

アイキチ ザネリ。ボクはどうしたらいい? なにができる? きみの望みはなに? なにをすればきみの幸いになるの? ボク、もう片方の目をあげてもいい。

ザネリ なんでオレだったんだよ!

アイキチ 耳も、鼻も口も、あげたっていい。

ザネリ なんでおまえじゃなかったんだよ!

アイキチ ボクなんだってあげてもいい。

ザネリ ウソつけっ! 命は惜しいくせに。命はくれないくせに。命はダメなんだろ。

アイキチ ああ、命はねぇ……ボクには妹たちがいるんだ……トシとネリが……帰りを待ってるんだ。

ザネリ おまえはね、帰れないよ、アイキチ。西の太陽の大爆発で、粉々になったオレのヌケガラを雪と一緒に食べちゃったからねぇ。

アイキチ ザネリのヌケガラを? でもあれは、ただの白い雪だよ。

ザネリ バカだなァ。あれは毒の粉だ。ポイズンだ。オレのヌケガラだ。粉々になったサンゴ礁の粉だ。毒まみれの死の灰だよ。

アイキチ アァッ、ボク、バカだった。食べちゃったよ、ゲーーーッ、毒の粉。サンゴの粉を。ポイズンの死の灰を。ザネリ、ザネリ、きみのヌケガラを。

ザネリ ア~ンシン、ア~ンゼン。ア~ンシン、ア~ンゼン。待ってるぞ、アイキチ。お空の向こうで。お空の果てで。ア~ンシン、ア~ンゼン。ア~ンシン、ア~ンゼン、アアアア、アホ~~~! 

   ザネリのカンコウ鳥が飛び去っていく。

アイキチ ザネリ! ザネリ! ……ああっ、ボク大変なことしちゃった。取り返しがつかないや。ザネリ、ザネリ! アア、どうしよう。片目もなくなっちゃった! 船長。船長! 探偵さん! 起きて。ねえ、起きて。ボク大変なことになっちゃった! 大変なことに――

船長 (目覚めて)……ん? なんだ? どうした、どうした?

エイチ (目覚めて)なに泣いてる、アイキチ君?

アイキチ ボク――ボク――――

船長 海の男が泣くなんて情けないぞ。とにかく今は進路を北に取るんだ。帰れソレントへ。もとい、帰れふるさとへ。北はどっちだ? アイキチ君、コンパスだ。ほら、泣いてないで。

アイキチ (パニックになりつつもポケットからコンパスを取り出す)ボク、ボクどうしたらいいんだろ――ああっ、船長、見てください。コンパスの針がクルクルクルクル回ってます。クルクルクルクル、クルクルクルクル。コマネズミみたいに回ってます。それともコンパスの針じゃなくて、ボクの目がクルクルクルクル回ってるの? どっちが北でどっちが南でどっちが東でどっちが西でしょう? どっちがふるさとの港でしょう?

船長 ムムッ。ム、無線をつないでみてくれ。

アイキチ (見えない無線機で無線交信する)ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト…ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト………船長、応答がありません! ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト…ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト………まったく応答がありません。港も、船も応答なし。ボクらはぐれたんだ、はぐれたんだ。このでっかい大洋の真ん中ではぐれたんだ。

船長 んな、バカな。

アイキチ ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト…(次第に投げやりになってくる)…ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト………(見えない無線機を放り出す)なんだかボク、ヤんなってきちゃったっ。

船長 そんな仕事は教えてないぞ。途中でものを投げ出すなんて。

アイキチ だって――だって………

船長 わが子同様育ててきたが、こんな根性なしの人間だとは――情けない。

アイキチ ごめんなさい、船長――ボク……ボク……気分が悪いんです。勘弁してくださいっ。ああっ、頭が痛い。割れそうだ。(両手で頭をまさぐる)

エイチ (気づいて)アイキチ君、髪が、髪が――

   アイキチ君が驚いて、頭をまさぐっていた手を離すと、その指の間に自分の髪が抜けて付いている。

アイキチ ああっ! ああっ!

エイチ アイキチ君、髪が! 髪が抜けてる!

アイキチ ボク、探偵さんみたいに坊主になっちゃうのかな! ヤだなぁ……。

エイチ ……!(自分の薄くなった頭髪を見る)

アイキチ ……ああ、ボクどうしたんだろ。なんだかのども痛い。身体が熱っぽくて、気力もわかない。怠け者になったんでしょうか、怠け者に? こんな自分はヤだなぁ。東に困ったお百姓がいれば、助けに行きたいのに。西にお年寄りがいれば、手を貸してあげたいのに。雨にも負けず、風にも負けずにいたいのに。船を連れて帰らなきゃならないのに。友達を助けなきゃならないのに。津波に流された友達を助けられる、そういう者にボクはなりたい――そう思ってたのに。アアッ、ボクはあのタイ漁の漁師のおじさんに悪いことをした。漁師のおじさん、ボクそんな気はなかったんだ……。ああ、もうどうしたらいいかわかんないや――。

姉妹の声 助けてあげてください……助けてあげてください………

   そのとき、遠くかすかに女の子たちの「助けてあげてください」の声がエイチの耳にだけ聞こえてくる。

エイチ ……聞こえる。聞こえる。きみの妹たちの声が。「助けてあげてください」って声がする。

アイキチ ボクには全然、まったく、なぁんにも聞こえない。悲しくなっちゃう。

エイチ 船長、聞こえるでしょ? 船長?

船長 ああっ、気分がっ……(悪い)

エイチ (両の耳に手を添えて)こっちだ。こっちから声がする。アイキチ君、わたしがきみの代わりに無線交信士になるよ。船長、こっちの方角です。女の子たちの声がする。こっちが北です。ふるさとです。

船長 なんにも聞こえんが……。そんなことより、すまんがね、きみ。代わりに船長を務めてくれんかな?

エイチ わたしが――、船長を?

船長 ここで職務を投げ出すのは断腸の思いだが……。舵を握るだけでいいんだ。ヨーソローと叫ぶだけで。なんだか気分が悪いんだ……。雪を食べ過ぎてしまったんだ、年甲斐もなく。ハハ……。

エイチ でも船長、わたしは海の男じゃないんですよ。操縦なんて――

船長 これはね、緊急事態なんだよ。頼むよ、頼む。元気なのはきみしかおらんのだから。これだよ、これ、裸の王様防護服を着とったのがよかったんだよ。頼むよ、日頃頭を下げんわしが頭を下げる。

エイチ ……できるかどうかわかりませんが。臨時船長になりましょう。

船長 ねえ、きみ。わしはこのまま死ぬんだろか。――いや、なにこりゃもちろん冗談だがね。しかしなんだなぁ、年を取っても死にたくないもんだな。人間がまったくできとらん。こんな姿、弟のヤツにゃ見せられんな、ハハハ。……わしはあっちで休んどるよ。(歩くのもやっとの体で船底へ行ってしまう)船長失格だ、ハハハハ………

   エイチは操舵室に入り、船の舵を握る。

エイチ わたしはうまれて初めて舵を握った。自分の人生の舵さえうまく操れないのに。ダブリュウはよくわたしに言ったもんだ……エイチ君、きみはどうも事態をややこしくする。もっとシンプルに考えなきゃいかん。もっと正しく、シンプルに。――今は舵を握ることだけ、北へ向かって進路を取ることだけを考えよう――北へ北へ、ふるさとへ。ヨーソローーー!

   ラッキードラゴン号は西の太陽の下から北へと進路を変える。

アイキチ (朦朧としている)ああ、どこへ行くんです?

エイチ ふるさとだよ、きみの。きみの妹たちの元へ帰るんだ。声がするんだ。(耳に手を当て聴く)ん、こっちだ。

アイキチ (激しく抗う、魂の底から)ダメだ、アアッダメだよ! 船を連れて帰らなきゃ。もっともっと友達がいるんだ。もっともっと。ザネリの他にも。マルソもカトウも。

エイチ すぐだから、ね。すぐ着くよ。十日もすれば、ふるさとに着くよ。アイキチ君、きみの妹たちが待つふるさとへ帰るんだ。

アイキチ (エイチの身体にすがりつく)ダメだよ! ダメだったら――

エイチ わたしはなんにもできない大人だが……せめて子どもとの約束は守りたいんだ。助けてあげてくださいって声が聞こえるんだ。

アイキチ 探偵さんっ、後生だから頼みを聞いて。ボクもうダメだと思うんだ。ね、船を助けようよ。

エイチ なに言ってるんだ。ふるさとへ帰るんだよ。――走れ、ポンコツ船め。もっと早く。おまえそれでも、原発船か!

アイキチ ボク、妹たちに自慢したいんです。兄さんは船を助けたよ、たくさんたくさん船を助けたよ、大事な大事な友達を救ったよ、少しは役に立ったよって。

エイチ わかってる……。でもそれは元気になればいつだって――

アイキチ ――ああっ、大人は気休めばかり言う。わかるでしょ、ボクもうダメなんでしょ? 死の灰を食べたんだから。ザネリのヌケガラを食べたんだから。

エイチ 帰ろうっ、アイキチ君!

アイキチ 妹たちに伝えてください、トシとネリに伝えてください、兄さんの代わりになるようにって。よろしく伝えてください。

エイチ 嫌だ。わたしは嫌だよ。

アイキチ なんで!

エイチ 自分の口から伝えなよ。直接会って、顔を見て。

アイキチ ああっ。兄さんは一生懸命働きましたと。伝えてください。探偵さん。雨にも負けず、風にも負けず、働きましたと。一生懸命友達を捜しましたと。

エイチ 嫌だっ。

アイキチ ボクを最後の……最後の人間にしてくださいと。

エイチ 帰ろう、ふるさとの町へ……一緒に……

アイキチ ボクを最後の人間にしてください。死の灰で死ぬ最後の人間に……アア、イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだ、ホントはまだ死にたくない!

   船長が船底から顔を出し、

船長 きみたち、ラジオでこんなことを言ってるよ。実はね、西の空に昇る太陽は、あれは海の向こうのビッグな国が作った物なんだそうだ。海の向こうのビッグな国が壮大な化学工場で、十年分の国家予算をつぎ込んでつくった太陽なんだ。

   それでね、その海の向こうのビッグな国が作った西の太陽のエネルギーを、どうもわしらも使ってるようなんだ。大人しくて小さな小さな西の太陽につくりかえて、平和的に、ごくごく平和的に積極利用してるそうなんだ。わしらは西に昇る太陽の恩恵を受けて暮らしてるんだよ。考えてみれば、この船も西に昇る太陽のエネルギーで動いておる。つまりアイキチ君、わしらの命を奪おうとしているのは、この「恩恵」のせいなんだ。

エイチ 命を奪う恩恵なんてあるもんか!!!

船長 そうなんだなァ。だまされておるとはうすうす感じてたが。わしは海の向こうのビッグな国が大好きなんだなァ。でっかくて、夢があって、あの国が悪いことするようには思えんのだよ。そんな気が、なぜか、するんだよ。わしらに悪いことをするはずないって、見て見ぬ振りをしてたんだよ。考えないようにしてたんだよ。(素早く見ザル言わザル聞かザルのポーズ)まさに見ザル言わザル聞かザル――考えザルだ! 今、ようやくわかるよ、あのビッグな国の周到な「たくらみ」のせいなんだって。なにもかも西の太陽の「恩恵」のせいなんだって。さしずめわしらは自業自得のお月様か……日が昇れば、月は引っ込む。

   まるで沈む月のように船長はまた船底に引っ込む。

   アイキチ君は操縦するエイチの身体に力なく凭れている。

エイチ ラッキードラゴン号は全速力で走りました。ふるさとの、ふるさとの港へ向かって。帰る先があるから旅なんだ。帰るふるさとがあるから、わたしたちは安心して航海していられる。……九日目の朝でした。

   ほらほら、アイキチ君、ふるさとの港が見えてきたよ。日本の面影が見えてきた。きみの妹たちが心配して待ってるよ。ほら、トシちゃんとネリちゃんが。助けてあげてくださいの声が大きくなってきた。

アイキチ トシ……ネリ……!(頭を重たげにもたげて陸を見る)

   九日の間にアイキチ君は衰弱しきってしまっている。

エイチ わたしはね、アイキチ君、きみを港に届けたら、探偵を辞めようと思うんだ。どっか田舎で暮らそうと思うんだ。畑でも作ってね、自給自足ってやつだ。……実は、わたしはきみぐらいの息子を喪くしてね、まいってたんだ。妻に優しくできなくてね。妻はね、息子のビデオを見ようとするんだ。運動会とか、入学式とか。毎晩毎晩……。それがわたしには耐えられない。やめろって言うんだけど、やめやしない。妻はね、うつなんだよ。目の玉がなにも見てないんだ。目の玉が穴ぼこなんだ。穴ぼこの目で息子のビデオを見て、穴ぼこの目で涙を流すんだよ。……ねえ、本当の幸いってなんだろうねぇ。彼女のためになにができるんだろう。つらいねぇ。彼女の本当の幸いが、わたしにはわからない。なんだと思う、本当の幸いって、アイキチ君? 本当の幸いって?

アイキチ 最期に炊き立ての白いマンマで、卵かけご飯が食べたかった。

エイチ それが――、質問の答え?

アイキチ じゃあ、探偵さんは、なんのために生きてるんです? 子どものため? 奥さんのため? 仕事のため? 探偵さんの本当の幸いってなに?

エイチ それが、わからないんだ、それが。息子がいなくなってから…………

アイキチ じゃ、探偵さんの息子さんに会ったら、ボクがなにか言ってあげる。なにか伝えたい言葉がありますか?

エイチ そういうことじゃないんだ。そんなこと言っちゃダメだ!

アイキチ アア、ボクダメなのかなァ。どうか、ボクを最後の人間にしてくださいね……

エイチ (涙が込み上げて)もっと早く走れ、ポンコツめ!(速力を上げる。船が苦しそうなエンジンのうなりを上げる)みんながきみの帰りを待ってるよ、みんなが。……わたしはね、ブタの貯金箱をもらってるんだ。わたしはね、これでもプロなんだよ。女の子たちと約束したんだっ。

   アイキチ君は最期の力を振り絞って――

アイキチ ボクはね、探偵さん。聞いてくれる? 船を助けたいなんてウソだったんだ。友達のためだなんて、友達を救うためだなんてウソだったんだ。だって、ザネリやマルソもみんないじめっ子だったんだもの。「ラッコの上着!」ってボクをいじめて笑ってたんだもの。――ボク、ホントは片目を返してほしくて、それだけのためにラッキードラゴン号に乗ったんだ。それだけなんだ。

エイチ そんなことないだろっ。そりゃあ片目を取り戻したいってこともあったかもしんないけど、けど、きみはそれだけじゃないだろ。友達を助けたかったんだろ? 友達を助けようとしてたじゃないか、あんなに必死に。

アイキチ そりゃ、ザネリもマルソもあいつらイジワルだったけど、それでも、そんな友達を助けられる、そういう者にボクはなりたい――なりたいって思ったんだ。思ったんだけど………立派に生きてくださいねぇ、探偵さんは。よりよく生きてくださいねぇ、ボクの分まで。

エイチ アイキチ君……!

アイキチ (朦朧として目の前に見て)ああ、目の前がまっくらだ。大きな穴があいてるようだ。まっくら闇の大きな穴。海のブラックホールだ。きっと西の太陽の大爆発があけた穴だ。サンゴ礁にあけた穴。ザネリを噴き飛ばした穴だ。まっくら闇だねぇ、まっくら闇…………(かすかにさびしく微笑む)

   目の前に陸が近づいてきた。

エイチ ほらほら見えてきた。港が。陸が。きみのふるさとに着いたんだ。アイキチ君、しっかりしろ。アイキチ君。目をあけろよ、おい! ふるさとに着いたんだよ!

アイキチ ボクを最後の……最後のにんげんに……さいごの……(頭がガクリと垂れる)

エイチ (陸を見て)あっ――なんだろ、あれ、アイキチ君。海岸沿いに立つ空色の四つの建物が、空色の巨大な建屋が、白い白い煙を噴き上げてる。白い白いキノコ雲を、恐ろしげな白い煙を。――なにかが爆発したんだよ、なにかが。あれはもしかして、小さな小さな西の太陽だろか? その上をヘリコプターが飛んでる。ヘリコプターが大きなタンクをぶら下げて――アッ、水をかけた――水を――キノコ雲を噴き上げてる空色の建屋に、水をかけたよ! あれを見て、あれを、アイキチ君。なにかを冷やしてるんだなにかを――冷やさなきゃいけないなにかを――でもまるで――焼け石に水だなァ。

   (ふるさとの町の上空に何かが降ってくる)アッ、アッ、なんだあれ? あそこ。あそこ。……また雪だ。ぼたん雪だ、いや、白い灰だ。アイキチ君、見てごらん。アイキチ君。ふるさとの町に白い雪が降ってるよ、ふわふわ、ふわふわと白い灰が降ってるよ。四つの空色の建屋から噴き上げた白い灰が、ふわふわ、ふわふわと――ふるさとの港に――ふるさとの山に――ふるさとの川に―――

アイキチ (魂として)……ああ、まっくらだ。まっくら闇の大きな穴だ。ブラックホールだ。ザネリを噴き飛ばした穴だ。まっくら闇だねぇ……まっくら闇…………

   その身体から抜け出た魂のようにアイキチ君は去っていく……エイチはそれに気づかない………

   さらに港は近づいてくる。ふるさとの港はもう目の前だ。

エイチ ほらほら港はもうすぐそこだ。港が間もなくだ。きみのふるさとに着いたんだよ。アイキチ君! 目をあけろよ。おい! アイキチ君。

   (驚く)……アアッ! ――しかし港を目の前にして、一番大事なことに気がついた。肝心なことを聞き忘れてた! わたしの人生いつもこうだ――あれ? あれ? 船長、ブレーキは? ブレーキ、ブレーキどこ? 船長! 船長! どうやって止めればいいんだ、この船! どうやって! アアッ! アアッ――陸が――港が――!!! ぶつかるっーーー!!!

   港にぶつかったラッキードラゴン号は、岸を飛び越え、陸地に乗り上げ、突き進んでいく――――

エイチ (猛烈な振動に襲われながら)……わたしの操縦するラッキードラゴン号は、まるで竜のように踊り狂いながら岸を飛び越え、陸地をすべりました。竜がのたうち腹を打ちつけるように、陸地に船底を打ちつけながら突き進みました。その弾みで、アイキチ君の身体はどこかへ投げ飛ばされてしまった――……そしてようやく船は出航したときと同じ丘の上で、その竜のような身体を横たえ止まりました…………

   そこは丘の上の船着場。

エイチ 不思議なことに船には大量のマグロが乗り上げていました。そうです、この船はマグロ魚船でもあったのです。しかしそのマグロはどれもこれも、あのときのアイキチ君のように死んだ目をしていました……その死んだような目から涙を流していました………。

   (姿の見えないアイキチ君を捜す)アイキチ君! アイキチくーん! おーい、おぉーい! アイキチ……くん! アイキチくーーん……!

   しかしアイキチ君の返事はない。姿も見えない。

   エイチは船から降り、アイキチ君のふるさとの町を見渡す。

エイチ アイキチ君、きみの愛した北のふるさとだよ。やっと着いたんだ。やっとふるさとに。きょうも変わらずふるさとの山は青いよ。ふるさとの川は澄んでるよ。なにもかも変わらない。なにもかも……見た目には……。(怯えを含んで)ただ……人がだれも住んでないんだ。だれも、ひとりも……ふるさとに、たった一人も。町だけが取り残されて。草だけがぼうぼう生えて。ここも死の灰を浴びたんだろか……目には見えない死の灰を…………

   海からカンコウ鳥が一羽やってくる。そのカンコウ鳥は紛れもなくアイキチ君の面影を宿している。

鳥アイキチ ア~ンシン、ア~ンゼン。ア~ンシン、ア~ンゼン。アアアア、アホ~~~!

エイチ あ、お知らせ鳥だ。カンコウ鳥だ。

鳥アイキチ ア~ンシン、ア~ンゼン。ア~ンシン、ア~ンゼン。このふるさとの町は住むのになんら問題ありません。このふるさとの町は住むのになんら問題ありません。町のクリーニングは完了しました。町のクリーニングは完了しました。いつでもだれでも戻ってきて、好きなだけ好きな所に住むことが可能です。好きなだけ住むことが。ただし……自己責任で! ア~ンシン、ア~ンゼン。ア~ンシン、ア~ンゼン。アアアア、アホ~~~!

   もう一羽、南の海からお知らせ鳥がやってくる。ザネリのカンコウ鳥だ。

鳥ザネリ ア~ンシン、ア~ンゼン。ア~ンシン、ア~ンゼン。アアアア、アホ~~~! この国は世界一安全です。この国は世界一安全です。なぜなら世界一厳しい安全審査の元、世界一安全なエネルギーを使っているからです。この国は世界一美しい国なのです。「美しい国、アンゼン!」。われらのふるさとはア~ンシン、ア~ンゼン。ア~ンシン、ア~ンゼン。

鳥アイキチと鳥ザネリ アアアア、アホ~~~! アアアア、アホ~~~!

エイチ もうわかったよ。あんまりしつこくくり返されると、人間バカだから、それが本当に思えてくる。さ、行け。

鳥アイキチと鳥ザネリ アアアア~~~!(飛び立つ)

エイチ (カンコウ鳥を目で追いつつ)……それにしてもゾンビみたいにしぶといなァ。

   間。

エイチ ……さてさて。わたしは自分の街に戻り、だれかの訪問を待つでもなく、呆然と日々を過ごしていました。

   そこはエイチの探偵事務所。

   ふたりの姉妹がやってくる。(やがていつの間にか二羽のカンコウ鳥はふたりの姉妹になっている)

エイチ しばらくしてわたしの事務所に、トシとネリ、あのふたりの姉妹が訪ねてきました。それは事前の連絡もなく出し抜けで、わたしを戸惑わせました。わたしはブタの貯金箱を女の子たちに返しました。仕事は……成功しなかったのですから。

姉妹 どうもありがとう……。

エイチ え?

姉妹 どうも……ありがとう……一生懸命やってくださって、どうもありがとう(泣く)……ありがとう…………

エイチ (涙が込み上げる)ありがとうって……そう言われると、つらいんだなぁ――。

   姉妹は一葉の写真をエイチに渡すと、手をつなぎ去っていく。

エイチ わたしは女の子たちから写真をもらいました。笑顔のアイキチ君の遺影でした。そしてそのアイキチ君の遺影を抱く姉妹の写真でした。女の子たちは、写真を見ていても声が聞こえてくるんじゃないかと思うほどの、悲しそうな泣き声を写真の中であげているのでした。そんな写真なのでした。

   姉妹は「泣いているふたりの姉妹の姿」のポーズを取っている。トシの腕の中にはアイキチ君の笑顔の遺影が抱かれている。

エイチ その写真の女の子たちほど、悲しそうな顔で泣く子どもを、わたしは知りません……。(しばし手元の写真を見る)

姉妹 (女の子たちは激しく泣きじゃくっている……アイキチ君の遺影を抱く写真のように)助けてあげてください!……助けてあげてください!…………

エイチ こういう涙を止めなきゃいけない。それが大人の仕事だ。それが――いつもあとになってわかるんだ。バカだなぁっ。

姉妹 助けてあげてください! 助けてあげてください…………助けて――あげて……………………(声は遠くなり消えていく)

   長い間………。

エイチ ……さて、それからのちの話です。結局わたしは探偵を……辞めませんでした。田舎にも引っ込みませんでした。探偵の仕事が好きなんでしょうか。仕事をしているとふとした拍子に、「じゃあ、探偵さんはなんのために生きてるんです? 探偵さんの本当の幸いってなに?」ていうアイキチ君の問いかけが心に蘇るんです。そのアイキチ君の声が聞きたいのかもしれません。わたしは……なんのために生きているのか……なにをなすべきなのか……。

   あるとき、わたしは妻に尋ねました、「どうする?」って。彼女は四六時中家にいて、ソファに寝転がり、ビデオを見ているんです。ビデオを見ながら穴ぼこの目から涙を流しているんです、暗い灯かりの下で……。その妻にわたしは尋ねました、「どうする?」 その辺を散歩でもするみたいに。「どうする? もう少し一緒に人生を歩いてみる……?」

   こうしてきょうもまたダブリュウから引き継いだ探偵事務所で、日がな一日客を待っています。代わり映えのしない一日です。何事もなかったかのような一日。変わったことといえば、日記を書くようになったこと。でも、きょうの出来事を記す日記ではなく、過去の日記なんです。毎日ペンを持ち、「あの日」のことを日記に書いているんです。作家にでもなったつもりで、あの日のアイキチ君との出来事を。毎日毎日、忘れないために、記憶するために書いているんです。心に刻むように書いているんです。息子の面影と、息子に似たアイキチ君の笑顔を忘れないように。トシとネリ、ふたりの女の子の涙を忘れないように。

   日記を書いても、なんの役に立つのかわからない。だれが読んでくれるのかもわからない。でも書くことで、書くことを深めれば、なにか深層心理の地下水脈みたいな所で、いろんな人とつながれる気がする。人類の意識の地下水脈みたいな所で。それともそんなの錯覚でしょうか? ずっとなにかを「マチ」続けてる気長な探偵家業が、そんな気を起こさせるんでしょうか。

   (呼びかける)……お空の果てのアイキチ君、もしも息子に会ったら伝えてくれよ。ふたりはいい友達になれるって……そうパパが言ってたって。もうさみしくないよって――頼むよ、アイキチ君…………(さみしく微笑む)

   ――思わず咳が出る。西の太陽の毒の影響か……

エイチ (不安げに甲状腺の辺りを押さえる)アアッ、のどがっ……。

   とドアの外でノックの音がした――客が来たのだ――

エイチ はい――。(ドアの所まで出迎えに行き)どうぞ。どうぞ、お入りください。ええそうです、探偵事務所ですここは。ご依頼はなんでしょう? (少しニタリと笑って)ご主人の……浮気調査ですか? (真剣な顔つきになって)――それとも、どなたか大切な人をお捜しですか?

                         (幕)



(モチーフの詩)

ある日わたしは夢を見ました

死んだ少年が――それは死んだ少年なのです――

わたしをじっと見ているのです 悲しそうな瞳で

(彼は死んでいるのですが、目を開けているのです

 つまりそれは死んだ少年の霊なのです)

わたしは彼の名を聞きました。

少年は大きな声で「クボヤマアイキチ」と答えたのです

目覚めてわたしはその名を覚えていました

その名は、あの名だと気づきました けれど念のため

あの名が、その名かを確かめました

それは水爆実験の死の灰で死んだ第五福竜丸の

久保山愛吉さんの名前でした(もちろん久保山さんは大人でしたが)

わたしはその名を知っていましたが

意識にのぼらせることなどなく生活していたのです

それが突然 何かの啓示か

あのクボヤマアイキチ少年の目が夢の中で

わたしをじっと捉えたのです

「何か書けということなの、アイキチ君?」

わたしはアイキチ少年の目にたずねました

しかし アイキチ君は

何も答えてはくれないのです

口も開いてくれないのです

ただその目でじっと わたしを見ているのです

その目で じっと………



【主な参考文献】

『銀河鉄道の夜』宮沢賢治

『幽霊たち』ポール・オースター/柴田元幸訳…新潮文庫

【他の参考文献】

『福島 原発と人びと』広河隆一/岩波新書

『青い閃光「東海臨界事故」の教訓』読売新聞社/中公文庫

『母と子でみるA34 水爆ブラボー 3月1日ビキニ環礁・第五福竜丸』

   豊崎博光・安田和也/草の根出版会

『母と子でみる 第五福竜丸』第五福竜丸平和協会編/草土文化

『写真でたどる 第五福竜丸』第五福竜丸平和協会編集・発行

『死の海をゆく 第五福竜丸物語』長谷川潮/文研出版

『死の灰を背負って 私の人生を変えた第五福竜丸』大石又七/新潮社

『ビキニ事件の真実 いのちの岐路で』大石又七/みすず書房

『核の難民 ビキニ水爆実験「除染」後の真実』佐々木英基/NHK出版

『祝島のたたかい 上関原発反対運動史』山戸貞夫/岩波書店

『プロメテウスの罠4』

『プロメテウスの罠5』

『プロメテウスの罠6』朝日新聞特別報道部著/学研パブリッシング

『メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故』大鹿靖明/講談社文庫

『僕のお父さんは東電の社員です』毎日小学生新聞編・森達也著/現代書館

『さようなら原発の決意』鎌田慧/創森社

広島友好戯曲プラザ

劇作家広島友好のホームページです。 わたしの戯曲を公開しています。 個人でお読みになったり、劇団やグループで読み合わせをしたり、どうぞお楽しみください。 ただし上演には(一般の公演はもちろん、無料公演、高校演劇、ドラマリーディングなども)わたしの許可と上演料が必要です。ご相談に応じます。 連絡先は hiroshimatomoyoshi@yahoo.co.jp です。

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