姫山物語(戯曲後半)

姫山物語(戯曲後半)


(戯曲中盤より続く)

きく   館へ! おとさまのとこへ、おとさまのとこへ!(去る)

うめ   おきくちゃん!

     うめ、きくの後を追う。

     ***

     館の中の牢。

     牢の中に長者。外につぎと家臣。離れて牢番がいる。

     牢の奧にわずかに人影が見える。

長者   話が違うではありませぬか。わたしは一揆の標的にこそなれ、自らが一揆を企て国を乱そうとしておるなどとは、濡衣と申すものでございます。

家臣   のう、長者。無理が通れば道理が何とやらじゃ。

長者   わけがわかりませぬ。

家臣   どこの誰でもよいのじゃ。殿に逆らい裏切るものは、見せしめに晒し者にする。すると、民百姓は恐ろしさに縮み上がり、殿に刃向かおうとする心をなくしてしまう。

長者   わたしは殿さまを裏切ってなどおりませぬ。

家臣   まあ、わかっておる。しかし、殿がのう……

つぎ   (家臣に纏わりつきながら)ご家来さま、何とか殿さまにお計らいいただきませんでしょうか。ねえ。

家臣   (気持ち悪がって)ええ、離れろ。まず娘を館へ差し出さんことには殿の怒りは収まるまい。わしがお主のために汗をかいても娘を何とかせねばのう。そりゃわしもできるかぎりのことはする。(袖を振りながら)してくれるだけのことをしてくれたら、やれるだけのことはやる。それが人の道というものじゃ。

長者   はは、それはもう充分に。

家臣   よし、よし。まかせておけ。(笑いながらしばし牢より離れる)

つぎ   何もかもおきくが悪いのじゃ。あのような親不孝者、見たことも聞いたこともない。

長者   いずれにしても、何とか説得せねばこちらの命が危ない。あれからおきくの居所はわかったのか。

つぎ   いいえ、それがまだ。家の者に方々探させてますけど。

長者   おきくは何じゃ、思いを交わした者でもおるのか。

つぎ   おるともおらんとも。あの子はわしに本当のことはしゃべりませんから。

長者   あの気性にも困ったものじゃ。根はやさしい子じゃが、思いつめると回りの者に火傷を負わす火のような女子になる。

つぎ   前のかかさまもそうだったと聞きます。

長者   ああ、よう似ちょる。

つぎ   (妬いて)あんたはそこがようて惚れたんでしょ。

長者   何を昔のことを、こんなとこで――。

つぎ   フン!

     ト牢の奧から男の声がする。

男    おうおう、うるせえなあ。寝られやしねえや。

つぎ   (長者に)奧に誰かおるんか。

長者   ああ、もう一人何やら物売りが捕まっておるんじゃ。

男    ここはあんたらだけの牢じゃねえんだ。静かにできねえんならとっとと他所へ行ってくんな。(寝返りを打ってこちらに背を向ける)

     ト使いの者、来る。

使者   申し上げます。ただ今、長者の家の者と名乗る娘が二人、やって来ておりますが、いかがいたしましょう?

家臣   おお、娘が自ら進んでやって来たか。飛んで火にいる何とやらじゃ。(使いの者に)よし、通せ。

     きく、うめ、来る。

家臣   おお! おきく。心を変えて参ったか。殿のおそばにお仕えする気になったのか、ううん?

きく   お願いでございます。おとさまと話をさせてください。この通りでございます。(頭を下げる)

家臣   ……よし。よく父の話を聞くのじゃぞ。よいな。(離れる)

きく   おとさま!

長者   おお、おきく。よう来た。

きく   おとさま、きくの話を聞いてください。

つぎ   それより大変なことになったのじゃ。おとさまが一揆を企てておると疑いをかけられておるのじゃ。

きく・うめ ええ!

長者   のう、おきく。一生の頼みじゃ。館へ仕えてくれ。いくら一揆など企てておらんと申しても、殿さまの怒りが収まらねば聞いてくださるまい。一揆を企てたとなれば死罪は免れん。のう、おきく。これ、父がこうして頭を下げて頼むのじゃ。

きく   いやじゃ。館になど仕えとうない。うちは本当のことを言う。本当の気持ちを話せば殿さまもわかってくださるはず――

つぎ   何を寝ぼけたことを! お前のわがままのせいでわしら皆が大迷惑じゃ。(きくを叩く)さ、心を入れ替えろ、心を!

長者   おつぎ、やめんか! おつぎ!

うめ   (つぎを止めて)長者のかかさま、長者のかかさま、やめてください。――山に、山にあやしい男がおります! 一揆を企てちょる男が!

つぎ   ……何? 何と言うた?

きく   おうめちゃん!

長者   本当か、おうめ? 山に一揆を企てちょるもんがおるんじゃな?

うめ   はい。

つぎ   うそじゃないじゃろうね。

うめ   この目ではっきり見ました。顔も覚えちょります。館のお侍衆が必死になってその男を探しちょりました。じゃから、山にその男がおることを殿さまに教えれば、長者さまは助かります。

長者   おお、それはよいことを聞いた。

つぎ   でかしたぞ、おうめ。

きく   (うめを引っ張って来て)何を言うんじゃ!

うめ   あんな奴と関わり合いになっちゃいけん。身を滅ぼすだけじゃ。

きく   そんなことない。

うめ   目覚ませ、おきくちゃん。長者さまはどうなっても構わんのか。

きく   ――。

うめ   おきくちゃんはええようにだまされちょるだけなんじゃ。な、この恋はあきらめるんじゃ。百足か蜂に刺されたと思うて、あきらめた方がええ。

きく   いや! おうめちゃんは人を好きになったことがないけえそんなむごいことが言えるんじゃ。

うめ   う、うちはおきくちゃんのためを思って――

きく   ほっといて!

     ト牢の奧から声がする。

男    (きくに)おう、おめえは祭の時にいた娘じゃねえか。

きく   あ、あんたは、飴売りさん。

飴売り  こんな所で会うたあ、縁があるね。

うめ   あんた、なしてここにおるんじゃ?

飴売り  なぁに、お札を持ってなかったのよ、祭で商いをするための、ね。そしたらいきなり館の侍連中がやって来て、一揆だなんだのって、あらぬ疑いをかけられて、捕まっちまったってわけ。これがその時の傷さね。(トおでこの傷を見せようとする)

     ト使いの者、来る。

使者   申し上げます。

家臣   どうした?

使者   ただ今、若殿さまが直々にこちらにお越しになるとのことでございます。長者の件、詮議致すと申されております。

家臣   そうか。わかった。

長者   おお、よし、渡りに船じゃ。(つぎに)山にあやしい男がおることを殿さまにお知らせするんじゃ。そうすればとりあえず命だけは助かる。その間におきくを……(ヒソヒソヒソ……)

きく   うちはどうしたらええんじゃ、どうしたら――

うめ   うそをつくんじゃ、うそを。好きな者などおりゃせんと。

きく   そんなことできん。

うめ   今この時だけのことじゃ。ええな。好きな者などおりゃせんと、うそをつくんじゃ。

     声――「殿のお成ぁりー」

きく   ああ――! 

飴売り  よう、おきくちゃんよ、これをやろう。(ト懐より飴を取り出す)さっきから聞いてると何やら訳有りのご様子だ。

きく   これは、何――?

飴売り  (牢の中からきくに手渡して)勇気の出る飴。これを一粒食べるとどんな時でも勇気が湧いてくるという代物だ。

うめ   あ、(殿さまが)来た――

飴売り  (きくに飴を食べるように促して)ほれ。

きく   うん。(飴を食べる)

     殿、来る。老家臣と家来数名が後に従ってやって来る。

     長者たち一同、頭を下げる。

老家臣  長者。

長者   はは。

老家臣  その方、娘を館へ差し出すと固く約束をし、殿から支度の金、米、酒、塩などを頂戴しておきながら、召し上げの当日になって突然娘を逃がすその所業、いかんとも許しがたい。よくよくその所業の意味を探れば、殿に刃向かい、一揆を企みしこと天下に明らかなり。

長者   ――滅相もございません。

老家臣  しかし、もう一度心を改め、直ちに娘を館に差し出し、なおかつ、殿から頂戴せし支度金他すべて倍にして返し納むるならば、その方の一揆を企てし件、改めて審議し直してもよいと殿が仰せられておられる。

飴売り  (傍白)濡衣着せて、その上殿さま丸儲けかよ。

老家臣  長者。このありがたき殿のお言葉を素直に受け、殿に対し不平不満のなきことと、一揆を企てておらん証しに、その方の宝である娘きくを即刻館へ差し出すこと申しつける。

長者   はは。それはもちろん、喜んでわたしの宝であるきくを館に差し出します。また、誓って、一揆を起こそうなどと思ったことは露ほどもございません。むしろ、一揆の芽がありますれば、進んで摘み取ってまいったものでございます。

老家臣  そうか。

長者   のう、おきく。館へ仕えてくれるな。

きく   いやです。館へは仕えとうありません。

長者   おきく!

飴売り  (傍白)いいぞ、おきくちゃん、その調子。

つぎ   またお前はそんなことを――

老家臣  待て、待て! 長者の娘、きく。何故そのように強情を張る? わがままを言う? 父を困らせ、母を悩ませ、何が左様に面白い? わけを申してみよ。

きく   (強く押し黙る)……。

殿    その方――

きく   ――(殿の顔を見そうになるが)

殿    いや――、面を上げずにわしの話を聞くのじゃ。

きく   ……。

殿    その方、何か覚悟を胸に秘めているようにわしには見える。遠慮せずにその方の心の内を申してみよ。

きく   ……。

殿    どうした……?

きく   ……。

老家臣  何故そのようにかたくなに押し黙る。殿があのように仰せられておるのに。さ、わけを申してみよ。父がどうなってもよいのか。あん? それともひょっとして、誰か思いを交わす者でもおるのか。

きく   ――!

殿    …………。

老家臣  どうなのじゃ。黙っておったのではわからんではないか。

きく   思いを交わす……

殿    ――

うめ   (小声で)おきくちゃん!

きく   ……思いを交わす者など――おりません。

殿    何!

老家臣  (笑いを含みながら)それではわけがわからんではないか。館へは仕えぬ、けれども思いを交わす者もおらん。のう長者、お主の娘は父がどうなっても平気と見える。

長者   (あせって)娘は必ず説き伏せます。殿さまを裏切るつもりなど毛頭ございません。その証しに良い知らせがあるのです。

老家臣  何じゃ、それは? 

長者   山にあやしい奴がおるのです。一揆を企てる者が。

老家臣  何?

殿    それはまことか?

つぎ   はい。あやしい男の顔を見た者が、ちょうどここに居合わせております。

長者   (調子づいて)その男の他にも都からの流れ者や隣の国の手の者が何人もこの国に入っておるやも知れません。あることないこと言いふらし皆を焚きつけておるかも。(飴売りを見て)こやつもその仲間かも知れませぬ。

飴売り  あらぬ疑いあらいやよ、てなもんだ。

長者   何度も申しますが、わたしなどは一揆の標的にこそなれ、一揆を企ておるなどとは……

殿    まことなのじゃな?

老家臣  (殿に)まことなら、さっそくにも山狩りをせねばなりませぬが、(長者に)まさか、言い逃れではあるまいな。

長者   滅相もありません。

殿    よし、山狩りをするのじゃ。

老家臣  しかし長者、山狩りをしても猫の子一匹出ぬとなれば、その時は覚悟はよいな。一度ならず二度までも殿を裏切ることとなれば、その方の胴体に手も足も首も引っついてはあの世へ行かれぬものと思え。

長者   うそではございません。おうめ。殿さまの前でどんな男だったかくわしく申し上げるのじゃ。どこで見て、どんな人相だったか。

つぎ   さ、早く。

うめ   (きくをチラリと見て、目が合い――しかし)山に、山に――

きく   ――お待ちください! 山にそのような者などおりません! すべて、すべて、うそです。

うめ   おきくちゃん!

きく   うそなのです。

老家臣  うそとはどういう意味じゃ?

きく   うそは、うそです……。

長者   おきく!

老家臣  黙れ、長者!

長者   ……!

老家臣  (きくに)うそと申したな。

きく   ……。

老家臣  長者はこの場を逃れたいがためにうそをついておると、こう申すのじゃな。世も末じゃ。父のうそを娘のお前が暴くのか。

きく   いいえ、そうではありません。

老家臣  では、何と申すのじゃ?

きく   ……。

老家臣  どうなのじゃ?

きく   すべてのまことをお話しすれば、山狩りはせぬと約束してくださいますか。

老家臣  まず、申してみよ。

きく   (意を決して)……うちです。うちなんです。――一揆を企てようとしているのは、――このうちなんです!

殿    何!

うめ   おきくちゃん……!

     皆、唖然とする。

飴売り  (傍白)こいつは驚いたぜ、あの娘(こ)が一揆を――。……いや、あの目を見なよ。こりゃあ小さな胸の内に大きな真実を隠してるのに違えねえ。

老家臣  (しばらくして――大笑いしながら)はっはは、何をたわけたことを。父をかばいたいがためにそのようなうそを――

きく   うそではございません。

老家臣  (きっとなって)ならば、その証拠を見せてみい!

きく   ……。

つぎ   さ、おうめ。殿さまにあやしい男のことを。

うめ   は、はい……。

きく   (はっと何かを思いつき)これを――、これをご覧ください!(ト袂から紙を――うめが饅頭を包んできてくれた経文の書いてある紙を取り出す)

老家臣  何じゃ、それは?

きく   これは、この紙は、一揆を企てし者の名が連ねてある連判状です。

老家臣  何!

殿    連判状!

きく   (紙を読まれぬように袂にしまいながら)……まことは、思わぬところに隠れておると申します。うちのような子娘が一揆を企てておるなどとは信じることもできぬでしょうが、うちが声をかければ、町の衆も村の衆も皆すぐに立ち上がり、館へなだれ込んで来ます。

老家臣  (歯軋りして)何――

きく   何故なら――、(いつかの乞食の言葉と、祭で出会った男の言葉を思い出しながら……)ここ何年かお天道さまの乱れで米は不足し、その上物の値はうなぎ登り。いつの間にか借り入れ銭は増え、そこに追い討ちをかけるように三日病の流行。きのう家族仲良く暮らしていた者が、きょうは病の子のために物貰いして歩く世の中です。――それもみな館の政の悪いゆえ。争いに明け暮れ、館の中の揉め事と都へのおもねりに時と金を浪費し、民百姓をおろそかにしております。この国は乱れてます。この国の乱れを正すためならうちは命も惜しみません。

老家臣  娘、お前、よくもそのようなことをぬけぬけと――。

きく   ……。

老家臣  と、殿。

殿    ……。

家臣   差し出がましいことですが……

老家臣  おお、申してみよ。

家臣   これは切支丹宣教師から聞いた話なのですが、南蛮では一人の子娘が民百姓を先導し、百年にも及ぶ戦を終わらせた話もあるとか。たかが子娘一人とは言え油断は大敵かと。

老家臣  うむ……。殿。いかがいたしましょう?

殿    ……わしには信じられぬ。お前が、一揆を……。おきく。お前は自分の言っていることがどんなことか、どんな結果をもたらすのかわかっておらぬのだ。その、ことの重大さが。わしはそれを見逃すことはできぬのじゃぞ……。お前が一揆を……気が触れたとしか思えぬ。

きく   まことでございます。

殿    まこと――。まことと申すか。

きく   はい……。

殿    では、尋ねる。お前はこれまでうそをついたことはないのじゃな?

きく   (殿の顔を直視しそうになる)うそではございません。

殿    こちらを見るでない!

きく   ……。

殿    よいか。もう一度聞く。わしをどこの誰とも思わずに答えるのじゃ。うそは――ついておらぬのじゃな?

きく   ……はい。

殿    そなたの、本当の母上に誓って?

きく   ! ……はい……。

     間。

殿    それでは、その花は何じゃ?

きく   え――?

殿    その花の簪は何じゃ?

きく   これは――。

殿    その髪にさしておる菊の簪は何じゃと聞いておるのじゃ!

きく   これは、その、山に逃げております時に、たわむれに髪にさしたもの……。

殿    まことじゃな。(思いが爆発して)思いを交わす男からもらったものではないのか!

きく   ――!

長者   そのような花のことより、一刻も早く山狩りを。さすれば娘のうそも、この身の潔白も――

つぎ   おきくはあまりのことに気が動転しておるのです。子娘の戯言(たわごと)などに耳を貸さずに、山狩りを――

長者   山狩りを――

殿    おきく! ……さ、本当のことを申してみよ。

     きく、髪にさした花を取り、ちぎり、つぶす。

殿    何をする!

きく   (思いは千切れながらも)これは、何でもありません。たわむれに髪にさしただけのもの。どこにでもあるただの花。何でもないただの花です。(花を捨てる)

長者   殿さま、山狩りを

つぎ   山狩りを――

老家臣  殿。

きく   うちが一揆を企てたのです!

殿    (憤然として立つ)!!!

     間。

殿    ……よし、相わかった。……処刑じゃ。一揆を企てたこの娘を処刑するのじゃ!

きく   ――!

長者・つぎ ええっ……!

うめ・飴売り (同時に)ええっ……!

老家臣  殿、しかし……

殿    一揆は民の裏切りじゃ! 裏切りほどこの世で醜いものはない。醜い心のこの女子にふさわしい刑を与えるのじゃ。

飴売り  (傍白)そうかっかしちゃいけねえぜ。見えるはずのものが見えなくなっちまわあ。

老家臣  殿……。

殿    じい。主が一度決めたことは法じゃ。法は、天がひっくり返ろうが、地が割れようが、変えることは相ならん。……そうじゃったのう?

老家臣  はは。

殿    見目は麗しいが、人をだます醜い心を持ったこの女子にふさわしい刑を与えるのじゃ。

家臣   ……差し出がましいようですが、さすれば、蛇責めがよろしいかと。

殿    蛇責め?

家臣   醜い心の者には醜い蛇による責め苦がふさわしいかと。山の古井戸に吊り落とし、蛇ののたうつ地獄の中へ。

殿    よし! そちが差配いたせ。

家臣   はは。

     ト使いの者が急ぎ来る。

使者   申し上げます! お館さまのご容体が急変。ご危篤にござります。

殿    何、父上が!

使者   心の臓を押さえられ、殿と亡き大奥さまの名を呼んでおられます。

飴売り  (傍白)それ見ろ、罰(ばち)が当たった。

殿    わかった。すぐ参る。(去ろうとする)

老家臣  殿。

殿    何じゃ?

老家臣  お館さまがご危篤の時に、いや、ご危篤なればこそ申し上げるのですが、東隣りの国の姫君との婚礼、進めてもよろしゅうございますな。

殿    ……。

老家臣  こう申し上げるのは断腸の思いではござりますが、お館さまのお命は、もういくらも持ちますまい。

殿    言うな!

老家臣  いえ、ですから、お館さまの枕元に殿ご結婚のご報告を。さすればお館さまもどんなにかご安心かと――(声をつまらせる)

殿    じい、わしはやっと民の恐ろしさがわかったぞ……。よし、婚礼の話、進めるがよい。――わしにはもう、何の未練も――

飴売り  (前の台詞尻に被さるように)殿さま、ご注進、ご注進――

殿    何じゃ――お主は?

飴売り  ただの飴売りでござります。わたくし物売り歩く旅の途中、東隣りの国の姫君の雛祭りのお駕籠(かご)行列を見物しましたが、これがいや驚いたの何の。東隣りの国の姫君は、あばたとえくぼがおままごとをしているようなお顔の持ち主。そんな姫君と殿さまが結ばれましてお子でも産まれますれば、この国に美しい女子などもう一人もできますまいて。その上、このおきくちゃんを処刑するとなればなおさらのこと。どうか処刑も結婚もおやめ下さいまし――

老家臣  何だこの飴売りは――?

飴売り  (構わず)そんな姫君と殿さまを結ばせようとするたあ、よっぽどの馬鹿か、腹に企みのあるに違えねえ。

家臣   おい――

飴売り  (家臣を見て)それとも袖の下にたんまり金子(きんす)を溜め込んでよからぬ夢を見ているのか。

老家臣  うぬぬ。こやつ奴。――いや、殿、ものは見ようと申しますが、右から見たものも左から見ればまた違うように見えますもので――

殿    よい、じい。所詮わしは国と結婚するのじゃ。女子の顔の美しさなどもう関わりないわ。(去る)

きく   ――。

飴売り  (去っていく殿の背に)よう、おい、殿さまよ。見える耳で聞き、聞こえる目で見ねえと、足元にある真実さえ見つからねえぜ。よう、おい!

老家臣  ええい、誰かこの飴売りを黙らせろ。(家来が牢の中の飴売りのみぞおちに棒で一突き食らわせる)

飴売り  (のたうち倒れる)うっぐぐぅ!

老家臣  馬鹿奴。よし。長者の娘きくは山の古井戸で蛇責めの刑に処す。そして長者は、娘を育てたる者の責任として手鎖三十日、家は取りつぶしとする。

長者   お待ちください! 子娘の戯言に何をあのように殿さまがお怒りになるのか、わたしにはとんとわかりませぬ。

老家臣  もう裁きは下ったのじゃ。聞く耳はない。さ、娘を古井戸へ連れて行け!

きく   山狩りは、山狩りはおやめくださるのでしょうね。

老家臣  おう、そうじゃった。が、その前にその紙を寄越せ。

きく   いえ、山狩りをおやめくださると約束していただかねば――

老家臣  山狩りをやめるかやめぬかは、その紙を見てからじゃ。さ、こっちへ寄越せ。こっちへ寄越せ。

     きく、老家臣から逃げるが、牢の前に追いつめられる。

     ト牢の中から飴売りが手を伸ばしてきくの持っていた紙を取り、引きちぎる。

飴売り  ざまあ見ろ! おたんちんめ!(ト老家臣にちぎった紙を投げつける)

老家臣  何じゃ! 何をする!(拾って)これでは何も読めぬではないか。

うめ   (拾って)あ、この紙は……。

老家臣  くそぉ! 一度ならず、二度までも。この男に鞭を百ほどくれてやれ!

飴売り  へへ、鞭を百もくれるってんですか。じゃ、きょうからは飴売りは辞めて、鞭売りにでも商売替えをしましょうかね。

老家臣  ふふ、減らず口を叩けるのも今のうちじゃわ。さ、娘を連れて行け!(家来たち、きくを捕らえる)山狩りは断固行う。不穏の芽があればとことん摘み取らねばならぬ。おお、そうじゃ。そこにおる娘(うめ)を山狩りの案内人にするのじゃ。顔を見知っておると申しておった。(家臣に)ここはもうお前に任せたぞ。わしはお館さまが気がかりじゃ。(急ぎ去る)

きく   おうめちゃん、おうめちゃん。

うめ   (近づき)おきくちゃん、どうしてこんなことに……

きく   おうめちゃん。山に行ったら――

うめ   ん?

きく   山に行ったら――、菊の花がまだ咲いちょるか見て来ておくれ。咲いちょるなら山狩りのもんたちに踏みつぶされんように、そっとどこかに移しちょって。ええね。

うめ   (言外の意味を察して)うん、うん、菊の花じゃね。踏まれんようにじゃね。

家臣   さ、引っ立てろ!

うめ   おきくちゃん! おきくちゃん!

     きくは縄を掛けられ引っ立てられて行く。うめは家来に小突かれるようにして、きくとは別の方向に連れられて去る。

長者   (牢の中から手を伸ばして家臣にすがりついて)話が違うではありませぬか。

家臣   こら、離さんか!

長者   あなたさまの不正の数々、みな暴き立てますぞ。帳面にはいくら差し上げたかみなつけてあります。

家臣   うるさい! お主とわしとはもう一切関わりなしじゃ。あすにはお主の家は取りつぶし。帳面も何もかもこっそり焼き払ってしまうわ。(去る)

つぎ   ああ、えらいことじゃ。えらいことになった。(去ろうとする)

長者   おつぎ、おつぎ! どこへ行く?

つぎ   おきくは疫病神じゃったんじゃ! ありとあらゆる災いが一遍に来たわ。家が取りつぶされてはあんたとは一緒におれん。

長者   おつぎ! わしを一人にせんでくれ。

つぎ   何を――! 早く帰らんとあさってになってしまうわ。銭、米、着物、できるだけ持って行かんにゃ――。(去る)

長者   おつぎ! 待て! おつぎ! どうしたのじゃ。いったい何が起こったのじゃ!

飴売り  何が起こったかって。嵐が去って行ったのさ、長者さまよ。しかし、きくの花びらは吹き飛ばされやしなかったぜ。

     暗転。

     ***

     古井戸のある山の刑場。

     番人が二人立っている。

番人一  そろそろ来てもええころじゃが。

番人二  何がじゃ?

番人一  むすびに入れる、赤くて、丸くて、しわしわで、すうううっぱいもの。

番人二  何の玉じゃあるまいな。

番人一  違うわ。うめじゃ。

番人二  おうめか。あの娘も毎日毎日よう来るのう、山を登って。

番人一  山を下っちゃ来れまあで。しかし、これで何日になる?

番人二  月が満ちて欠けて――ちょうど一月。

番人一  欠けて満ちて――ああ、長い務めになったもんじゃ。一月もかかと子どもの顔を見ちょらん。

番人二  さみしいか、会いたいか。

番人一  子どもの顔も忘れてしもうた。かかの体は忘れられんが。

番人二  わしはお前がうらやましい。

番人一  このわしのどこがじゃ?

番人二  わしはかかも二人の子どもも亡くしてしもうて、会いたいと思っても会うこともできん。

番人一  一緒におればわずらわしいが、おらぬとなればさみしいのが家族というもの。

番人二  しかし、長い務めになったもんじゃ。

番人一  それはお前がおうめを通してやるからじゃ。おうめを古井戸へ通さんじゃったら、おきくはとっくの昔に蛇の責め苦に気が触れて、死んでしもうちょるじゃろうよ。

番人二  お前こそおうめの持って来るむすびがほしいばっかりに、見て見ぬ振りをしちょったじゃないか。

番人一  じゃから、そろそろ来てもええころじゃと言うておる。

番人二  ……しかし、何故じゃろ?

番人一  全然わからん。

番人二  まあ、聞いてから答えろ。

番人一  いや、聞かれてもたぶんわからんから、先に言うちょく。わしにはわからん。それから銭もないから一銭も貸さんぞ。これも先に言うちょく。

番人二  わしにはきくという娘が日に日に美しくなるように思えるんじゃ。

番人一  おお、お前もそう思うか。死んでいくものは醜くなるのが常じゃが、死に近づくほど美しゅうなる女子をわしはこれまで見たことがない。

番人二  わしのかかは泣いて泣いて、顔じゅうしわだらけにして、それこそ梅干しのようになって死んでいったがのう。

番人一  おお!

番人二  泣いてくれるか。

番人一  (舞台袖見て)いや、来た来た。腹の虫が呼んでおったぞ。

番人二  ――ん? おうめか。誰か連れて来よる。

番人一  老いぼれのようじゃな。

番人二  やや! あの男――もしかして――?

番人一  どうしたんじゃ?

     うめ、そして醜く汚れやつれ、一挙に年老いた長者がやって来る。長者は杖を突き、うめに手を引かれている。

番人一  おお、おうめ。きょうは遅かったのう。(むすびを受け取り)ささ、通れ通れ。

     うめ、長者の手を引き、通り過ぎようとする。

番人二  待て待て! ここより先は人一人たりとも通してはならんと殿さまよりきつく申し受けておるんじゃ。

番人一  どうしたんじゃ、急に?

番人二  黙っとれ。ここは誰も通すわけにはいかん。(長者に)――いつか来ると思っちょった。わしはこの日を待っちょったんじゃ。

長者   どこのどなたか存じませぬが、老いぼれに情けをかけて通してください。一目だけ娘のきくに会いたいのです。

番人二  うるさい! 人は一人も通すわけにはいかんのじゃ。

長者   そこを何とか。

うめ   (頭を下げる)この通りです。お願いします。

番人二  しかし、犬畜生は別じゃ。犬を通してはならんとは聞いちょらん。(番人一に)のう。

番人一  おお、そうじゃ。ささ、ちいとの辛抱じゃ。これもご愛敬。犬になってここを通してもらえ。

     うめ、四つん這いになる。

番人二  (長者に)さ、お前はどうした?

うめ   (小声で)長者さま。

     長者、四つん這いになる。

番人二  犬なら鳴いてみろ。さ、鳴いてみろ。

     うめ、「わん!」と鳴く。長者も仕方なく鳴く。

番人二  犬なら足を嘗めてみろ。

番人一  おい、そこまでせんでも。

番人二  犬ならわしの足を嘗めるんじゃ!

     うめ、番人二の足を嘗めようとする。

番人二  (うめを払いのける)おうめはええ。

     長者、仕方なく番人二の足を嘗めようとする。が、番人二は長者を足蹴にする。

長者   (倒れる)あ!

うめ   何するんじゃ!

番人一  おいおい。

番人二  (さらに蹴る)犬畜生なら文句は言えまい!

番人一  (止めて)そのくらいにしちょけよ。

番人二  うるさい、離せ! これは上の娘の分じゃ。これは下の息子の分じゃ。あん時お前が情けをかけてくれちょったら、子どもの命は助かったかも知れんのじゃ。せめて、米の飯を一杯なりと食わせてやりたかった――。(涙と悔しさが込み上げる)

長者   何を言われておるのか、わしにはわからん。

うめ   ああ――! あんたはあん時の、長者さまの家に来た、物もらいか!

番人二  二人の子どもが三日病でばたばたと死んだ後、かかも後を追うように亡くなってしもうた。わしはこの世に一人取り残された。

番人一  この長者も今はただの乞食。それもきょうかあすにも死んでいく娘を思うて、犬にまでなる子の親じゃ。お前も同じ親なら、この男の気持ちもわかってやれ。

番人二  その言葉をそっくりそのまま、わしが長者の家に物乞いに行った時に、この男に聞かせてやりたかったわ。(去る)

番人一  さ、行け。わしらがお前を通してやるのは、お前を哀れに思うからじゃないぞ。情けは人のためならずじゃ。

     うめ、古井戸に長者を連れて来る。古井戸の中にはきくが吊されている。きくの体には無数の蛇が這い回っている。きくはやつれているが、どこか気高く美しい。

うめ   おきくちゃん。おきくちゃん。長者さまを連れて来たぞ。

長者   おきく……。

きく   ……ああ、おとさま。おとさま……。

長者   ……おきく。お前の姿を見るまでは、わしはお前に恨みの言葉をぶつけるつもりじゃった。家はつぶされ、蓄えた金も米もみな取られた。挙句の果てにこのわしは一揆を企てた裏切り者と罵られ、あのように乞食にまで足蹴にされて。それもこれもお前のついたうそのせい。それもよりによって一揆を企んだ男のためとは――。

きく   おとさま――。

長者   おうめからみな聞いた。しかし、わしには合点がいかぬのだ。いくら思いを交わした男のためとはいえ、あのような大それたうそを――。そこまでするにはもっと深いわけがあるはずじゃ。正直に言うてくれ。――お前はわしを恨んでおったのだろう。お前の本当のかかを追い出したこのわしを恨んであのようなうそを――わしに仕返しするために――。

きく   おとさまを恨んだことなどない。ましてや仕返しなど――。今やっとうちはわかる。かかさまはおとさまに追い出されたんじゃなくて、自分から家を出て行ったんじゃと。

長者   何を言う? 自分から出て行ったのはおつぎの方じゃ。おつぎは金目の物全部持って逃げてしもうたわ。

きく   ……。

長者   では、おきく、お前はわしを恨んでおらんと言うんじゃな?

きく   はい。

長者   では、思いを交わした男を助けるためだけに……?

きく   もう、うちにはどうしてだかわからん。……ただ、あん時ほど心の澄んじょった時はなかった。自分が生きちょると感じたことはなかった。……でもその心も一日一日経つうちに、この蛇のように醜くなる。あん時の澄んだ気持ちが汚れてしまう。あん時したことが、愚かなまちがったことじゃなかったんか――うちのことを好いちょる人などおらんじゃったんじゃないか――あれは夢じゃったんじゃないかと――。

うめ   おきくちゃん――!

きく   でも、きょうまでこうして生きちょったのは、せめておとさまにあやまりとうて――。おとさまを苦しめることになるなんて考えも及ばんで――。うちは愚かで馬鹿な娘でした。おとさま、許してください。

長者   おきく。わしには許すということがよう言えん。この身に起きたことが信じられんのじゃ。じゃけど、わしに残されたもんはもうお前ただ一人。わしより先に死なんでくれ、のう、おきく。

きく   おとさま――。

     遠くから馬の鞍につけた鈴の音など、隣国の姫の嫁入りの行列が館へと進み行く物音が聞こえてくる。

うめ   おきくちゃん、あの音が聞こえるか。

きく   ああ……、うん……。

うめ   隣の国の姫さまが館へお嫁入りするんじゃ。

きく   うちには関わりない。

うめ   ところがそうじゃない。殿さまが嫁を取るちゅうことで、ずっと続いちょった山狩りがやめになったんじゃ。

きく   じゃあ――

うめ   そうじゃ。

きく   あの人は――

うめ   捕まらんかった。どこかへ逃げてしもうたんじゃ。

きく   ああ! おうめちゃん、うちはもう思い残すことはない。

うめ   何言うんか。

きく   おとさまにも詫びた。山狩りもなくなった。

うめ   しっかりせんかね。腹が減って元気が出んのじゃ。今すぐそこにむすびを降ろすけえ。あの飴売りさんもなあ、おきくちゃんのこと心配してこの国に残ってくれちょるんじゃぞ。

きく   もうええよ、おうめちゃん。ありがとう。ありがとうね……。飴売りさんにもありがとうって伝えちょってね。

うめ   おきくちゃん。

きく   でも、おうめちゃん、うちはね、本当は一つだけ心残りがあるんじゃ。

うめ   うん、何? 言うてごらん?

きく   あの殿さまの前で――あの殿さまの前で正直に言いたかった、うちのまことの心を!

うめ   おきくちゃん……。

きく   ……ああ、祭囃子が聞こえる……。

うめ   え? ……あれは、嫁入り行列の馬の鞍についちょる鈴の音じゃ。

きく   ……しゃんしゃんしゃん、しゃんしゃんしゃん……とんとことん、とんとことん……

うめ   おきくちゃん……?

長者   おきく……?

きく   ……ああ、花じゃ。花が見える。菊の花が……菊の花が、あんなにいっぱい。雲のように広がって……

うめ   おきくちゃん、しっかりして……! 

きく   楽しかったねえ、おうめちゃん……。おうめちゃん、また一緒に祭に行こうね、祭に、まつりに……

うめ   うん、うん……。

きく   ――ああ、かかさまじゃ。かかさまがうちを迎えに来てくれた。かかさま、うちはまちがっちょらんかったよね……これでよかったんよね……ああ、きれいじゃ、きれいじゃねえ……(息絶える)

うめ   おきくちゃん……? おきくちゃん? ――おきくちゃーん!

長者   おきく!

     番人たち、来る。

番人一  どうした? 

番人二  おお、とうとう。

     番人二人、手を合わせ口の中でぶつぶつと念仏を唱えてから、きくを吊していた古井戸の縄を引き上げようとする。

番人一  さ、のいた、のいた。

番人二  邪魔じゃ、邪魔じゃ。

うめ   おきくちゃんをどうするんじゃ?

番人二  すまんのう、おうめ。

うめ   どうするんか聞いちょるんじゃ。

番人二  みな命令なんじゃ。

うめ   じゃからどうするんじゃ?

番人一  山の麓の松の大木に吊して、七日七晩皆の晒し者にするんじゃ。

うめ   もうええじゃないか!

番人二  お館の命令には逆らえんのじゃ。

長者   せめて最後におきくの体を抱かせてくれ。

番人二  うるさい! のけ!

     ト番人たち、うめと長者を払いのける。

     長者は手を合わせ、無力にもぶるぶると震えるばかり。

     うめ、走り出す。町を行く行列に向かって――

うめ   死んだ。死んだ。おきくちゃんが――。何故こんな目にあわせるんか。おきくちゃんは人を好きになっただけじゃないか。お前ら一体何じゃ! 何さまじゃというんじゃ! おきくちゃんは、おきくちゃんは――(泣き崩れる)

     暗転――行列の音、高まる。

     それが次第に祭囃子に変わっていく。

     トやがて暗い中に乞食に身を落とした長者の姿が浮かび上がる。

     そこはきくの亡くなった山の麓。

長者   哀れな乞食でござります

     立ち過ぎる人

     行き止まる人

     銭米恵んでくださいませ

     赤子を背負ったうめ、出て来る。

うめ   長者さま。おきくのおとさまよ。ほら、飯じゃ。

長者   おお、おうめか。すまんのう。

うめ   祭じゃというのにこんなさみしい所におっては、誰も恵んでくれる者などおりゃせんで。

長者   ほうか……。

うめ   ほうじゃ。

長者   おうめ……。

うめ   何じゃ?

長者   お前は変わっちょらんのう。それはお前の子か。

うめ   また――。わしはもう十二人の子のかかじゃ。

長者   ほう。

うめ   きのうも同じこと聞いたわ。

長者   そうじゃったかいのう。

うめ   うちのおとさんは、前に子どもを三日病で亡くしちょるから、何人でも子どもをほしがるんじゃ。わしはもう体が持たんでよって言いよるんじゃけど、あっはは。……(背の赤子をあやし)おお、よしよし。どこまで話したんじゃったかの。……それでじゃ、娘は最後まで殿さまの言いなりにはならんかったんて。怒った殿さまは娘を古井戸に吊して蛇責めにあわせたんじゃ。娘は、うちはちいとばかり顔がきれいに生まれたけえ、こねいなひどい目にあうんじゃちゅうて、泣いて死んでいったんて。それからちゅうもんは、あの古井戸のある山から見える土地には、きれいな女子は一人もおらんようになってしもうたんてえや。ずんから、とんから、ぺ。(赤子に)あっはは。ま、お前はそねいな心配いらん。わしに似て銭と器量には縁がないけえの。美しゅう生まれんで幸せじゃ。かかさんみたいにおとさんのようなええ人見つけて、子どもいっぱい生んで、みんなで仲よう暮らすんが一番なんじゃ。……んじゃ、おきくのおとさまよ、わしゃ去んで帰るで。

長者   (……座ってうずくまったまま)

うめ   どうした? こねいなとこで寝ては風邪ひくで。さ、さ。あやまあ、幸せそうな顔して。寝ちょる時だけが幸せかの。(トねんねこを長者にかけてやって)うちのおとさんは長者さまにようしてやるのが気に入らんようじゃけど、ま、それはそれ。――じゃ、またあした、飯を持って来てやるけえの。おお、そうじゃ。祭じゃからといって見ず知らずの男に恋などしちゃいけんと、上の子らによう言うて聞かせちょかんにゃいけんかった。さ、去の、去の。(赤子をあやしながら)ずんからとんから、ぺ。ずんからとんから、ぺ。……(踊るようにして去る)

     うめが去るのに合わせて祭囃子の音が近くに聞こえてくる。

     乞食の長者はうずくまったまま……祭り囃子だけがさらににぎやかになる。

                       (幕)

広島友好戯曲プラザ

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