姫山物語(戯曲前半)(姫山恋花簪を改題)

姫山物語(戯曲前半)(姫山恋花簪を改題)

山口県山口市姫山の伝説を劇化。燃える恋のお話。劇団俳協創立20周年戯曲募集佳作作品。


 昔むかし、西の国のある所でのお話。

 殿様が町で見初めた長者の娘を館へ召し上げようとするが、祭の夜に一人の若者に恋をした娘は召し上げを拒否する。が、実はその若者はお忍びで祭に来ていた殿様であった……

   劇団俳協創立20周年戯曲募集佳作作品。「姫山恋花簪」を改題。

   伝説劇。

2002年劇団俳協にて初演。男6・女4。その他。140分。



   姫山物語 ―姫山の伝説より―

             作・広島友好

(「姫山恋花簪・ひめやまこいのはなかんざし」改題)

    登場人物

      きく

      長者

      つぎ

      うめ

      うめのばば

      殿

      老家臣

      家臣

      飴売り

      番人一

      乞食=のちに番人二

      その他……家来 下男

           踊りの人々など民百姓

           大道芸人 物売り 等々

    時  昔むかし

    所  西の国のある所

     暗い中、乞食に落ちぶれた長者が道端にうずくまるようにして座っている。

     背後には、仰向けに寝た女の横顔のような形をした山の姿がぼんやり見える。

     かすかに遠く祭囃子の音。

長者   哀れな乞食(ほいと)でござります

     立ち過ぎる人

     行き止まる人

     銭米(ぜにこめ)恵んでくださいませ

     うめ、来る。赤子を背負い、ねんねこでくるんでいる。

     うめ、長者に握り飯の包みを差し出す。

長者   おありがとうございます。

うめ   長者さま。

長者   え? ……何を言われます。長者などではありません。ただの乞食です。

うめ   長者さま。おきくのおとさまよ。わしじゃ、うめじゃ。

長者   ……おお、おうめか。お前何しに来た?

うめ   何言うちょるんじゃ。きのうもおとといも飯を持って来てやっちょるんは、わしじゃなぁか(ないか)。

長者   ほうか……。

うめ   ほうじゃ。

長者   ……おうめ。

うめ   何じゃ?

長者   お前は変わっちょらんの。

うめ   また――。長者さま、わしはもう六人の子のかかじゃ。

長者   ほう。おうめがかかさんか。

うめ   きのうも同じこと聞いたわ。

     ト背の赤子がむずかったらしい。

うめ   おお、よしよし。ん? お話か。お話が聞きたいんか。そしたらな……、昔々、ある所に――

長者   おうめ。

うめ   え?

長者   その子はお前の子か。

うめ   またか。

長者   娘か。女の子か。

うめ   そうじゃ。うちの子は皆女の子じゃ。よし、よし。……昔々、ある所に、それはそれは美しい娘がおったんてえや――

長者   わしにも、娘がおった……

うめ   (長者のつぶやきに重なるように)その娘は長者の家の娘じゃった。

長者   名をきくと言うた。そりゃ、きれえな娘じゃった。

うめ   そうそう、娘の名はきく。長者の娘のきく。菊の花に負けんぐらいきれいな娘じゃったんてえや。ある時、館におる殿さまがおきくを町で見初めたんて。殿さまはおきくが忘れられんようになって、とうとう館へ召し上げることにしたんて。じゃけどおきくには――

     トうめのばばの声。

ばばの声 おうめ! おうめ! どこ行った?

うめ   (若い娘になっている)あ、――ここじゃ、おばば。

ばば   (出て来る)どこほっつき歩いちょるんじゃ? 話し声がしたが、誰かそこにおるんか。

うめ   うん――

     ト長者のいた所を見る、がそこには誰もいない。

うめ   ――いんや。この子に昔話をしちょったとこじゃ。

ばば   さ、あっちでもやや子がむずかっちょる、面倒見ろ。

うめ   きょうはおきくちゃんと祭に行く約束しちょるんじゃ。

ばば   おきくちゃんじゃない。おきくさまと言わんか。

うめ   おきくちゃんはおきくちゃんじゃ。

ばば   何遍言ってもわからんのう。うちは長者さまのお情けをもらって食わせてもらっちょるんじゃ。おとさんもかかさんも長者さまの入り用な物を都まで仕入れに行って銭や米をもらいよる。長者さまあってのわしらの暮らしじゃ。そこんとこをようわきまえておきくさまとつき合えよ。

うめ   じゃけど、おきくちゃんがおきくちゃんと呼んでもええと言ったんじゃ。

ばば   (うめの頭をぽかりと殴る)これ!

うめ   (大声ですぐ泣く)ああぁ~ん!

ばば   何でお前のようなひねくれもんが長者さまの娘御と仲がええんか、わしゃ不思議じゃ。ええか、もうつき合うな。後で悔しい思いをするのはお前じゃ。

うめ   (大仰に泣きながら)ああ、わかったけえ、きょうだけは祭に行かせてくれ。年に一度の盆祭じゃ。おきくちゃんと約束したんじゃ。

ばば   おきくさまじゃ。

うめ   おきくさまと約束したんじゃ。約束破ったら怒らせてしまうぞ。おきくさまが怒れば、長者さまも長者のかかさまも腹を立てる。長者のかかさまを怒らせたら鬼より恐いぞ。

ばば   うーん……。

うめ   おばばのけつに火をつけに来る。

ばば   仕方ないのう。きょうだけじゃぞ。ええか。

うめ   (けろっと泣き止む)うん。わかった。

ばば   あ、また、うそ泣きじゃ。

うめ   へへ。

ばば   じゃけど今の長者のかかさまは、何と言ったもんか、あれでそれじゃから、本当に何じゃのう。もう少しわしらに何してくれたらあれなんじゃが。

うめ   何言うちょるかわからんぞ。

ばば   前のかかさまを知っちょるもんは余計にそう思う。

うめ   おきくちゃんの本当のかかさまのことか。

ばば   おきくさまじゃ。

うめ   どんな人じゃったんじゃ、おきくさまのかかさまは?

ばば   そりゃ美しい人じゃった。顔もさることながら、心根がやさしかった。おきくさまはかかさま似じゃ。

うめ   それがどうして追い出されたんか。

ばば   どこぞの坂のもんじゃったのを、その美しさに引かれて長者さまが無理やり嫁にしたんじゃが、それが後でのう、生まれが違うと、長者さまの親類縁者の者皆からいじめられて追い出された。

うめ   じゃ今、おきくちゃんのかかさまは……?

ばば   さあ、どうなったもんやら……。しかし、あれほど親切な人はおらんかった。

     祭囃子の音高まる。

うめ   (背負っていた子を降ろそうとする)あ、こうしちゃおれん。

ばば   こら、待て。やや子は負ぶってけ。

うめ   やや子がおっては面白うない。いつぐずり出すかわからんぞ。

ばば   負ぶって行かんなら、祭は行かせん。

うめ   (大仰に泣く)ああぁ~ん!

ばば   (頭をぽかりと殴る)うそ泣きしてもつまらんぞ。ほれほれ。

うめ   (やや子を負うて)おばば、はよ寝てしまえ。またお漏らしするぞ。お漏らししても拭いてやらんぞ。

ばば   こら!

うめ   きのうの雨もおばばのおねしょじゃ!

     うめ、走り出す。

     祭囃子が大きくなる。

うめ   ぞくぞくするのう!

     うめ、踊りながら道を行く。

     トそこは長者の家。

     先程の長者とは別の乞食と長者の女房つぎがいる。

つぎ   去(い)ね去ね。乞食にやる銭などない。

乞食   これこの通り、お願いでござります。

つぎ   乞食が頭を下げても、当たり前過ぎて何の効き目もありゃせんぞ。さ、去ね去ね。こら、近寄るな。

乞食   長者のかかさま。

つぎ   去ねと言うのに。臭いわくさい。(うめに気づき)おお、おうめ、ええとこに来た。こいつを何とかしちゃってくれ。

うめ   何とかと言われても……。

乞食   長者のかかさま、後生じゃ。

     ト家の中から長者、出て来る。先程とは打って変わり、長者と呼ばれるにふさわしい立派な身なり。

長者   これこれ、何を家の前で言い争いをしちょるんじゃ。

つぎ   これを見てくれ。しつこくつき纏われて困っちょったとこじゃ。

乞食   長者さま。哀れな乞食でござります。どうか銭を恵んでくださいませ。

長者   乞食か。祭の日じゃというと常にも増して蠅のように乞食どもがたかってくる。お前でいったい何人目じゃ。さ、去ね去ね。

乞食   これにはわけがありまして……

長者   乞食のわけなぞ、蠅の餌にもならん。

乞食   どうかお耳をお貸しください。このところ流行(はやり)の三日病に子どもが二人ともかかってしもうて、きょうともあすとも命が知れん。人の噂では都にええ薬があるという。何とかそれを手に入れて、駄目かもわからんが、子どもに飲ませてやりたい。

つぎ   見も知らん乞食の子のために、大事な銭を貸してやる者などおりゃせんで。

乞食   長者さま。長者さまも同じ子の親なら、わしの気持ちもわかるはず。

長者   乞食の気持ちが何でわかろうか。

つぎ   痛い目にあわんうちにさっさと去ねよ。

きく   おとさま。

     きく、家から出て来る。

長者   おお、おきく。

きく   おとさま、どうかこの人にお金を分けてあげてください。

長者   何を言うちょるんじゃ。

きく   何も悪いことに使うわけでなし、子どもの病を治すため。どうか。

つぎ   本当のことか、わかったものか。

長者   おきく、こっち来い。お前の心根のやさしいのはようわかったから。これ、匂いが移るぞ。ほれ、もしかしたらこの男も三日病にかかっておるかも知れん。

きく   おとさま。

乞食   わしも好き好んで物貰いなどするのじゃありません。ここ何年かのお天道さまの乱れで、米は不足し、その上、物の値はうなぎ登り。いつの間にか借り入れ銭が増え、首が回らんようになり、追い討ちをかけるようにこの三日病です。こんな身に落ちとうて落ちたわけじゃ……

長者   これもみな前世の報いとあきらめるんじゃな。

きく   いえ、この世におるもんは皆善いことがあるように生まれて来ちょるんです。

つぎ   また、そねいなことを――

長者   (乞食に)文句があるなら館へ行け。政(まつりごと)の悪いせいじゃとわめき立てたらええんじゃ。それでも駄目なら一揆でも起こすんじゃな、乞食が集まっての。じゃが、短気で知られる若殿さまに捕まって、縛り首にあうのが落ちじゃ。

きく   せめて、食べるもんだけでも――

長者   ええ加減にせんか! おつぎ。

つぎ   (きくの手を取り、乞食から引き離す)さ、こっち来い。

長者   さ、去ね去ね。ここにおっても何にもならんぞ。それでも居座るつもりなら館の家来衆に頼んで牢に入れてもらうぞ。

乞食   ――。

長者   さ、去ね。

     乞食、去る。

長者   けちがついたわ。祭じゃ祭じゃと寺や館にさんざ金を取られたうえに、あのような乞食にまでたかられてはたまったもんじゃない。誰が祭など始めたもんやら。(去る)

つぎ   (きくに)ええか、きょうは一日おとなしくうちにおるんじゃ。祭にはあの乞食のような輩がわんさとおる。お前のようにやさしい素振りをするもんは、ええ物の餌食じゃ。それに祭など出てもちっとも面白いもんじゃない。さ、その手を洗ってこい。

     きく、たまらず駆け去る。

つぎ   おきく!

うめ   おきくちゃん!

つぎ   は! 誰に似たもんやら。(去る)

うめ   は!(つぎの真似などしてみる。ト思い直してきくの去った後を追う)おきくちゃーん!

     ト反対側からやって来た二人連れ(殿と老家臣)にぶつかる。

うめ   うわ!

殿    気をつけろ!

うめ   すいません。……(二人から離れて)ええ男じゃのう。じゃけど、この辺じゃ見かけん顔じゃ。(殿と目が合い、媚びた笑みなどつくる)おっと、ぐずぐずしとっては祭が終わるぞ。おきくちゃーん!(去る)

     町の者に扮した殿と老家臣。

老家臣  殿、大丈夫でございますか。

殿    ああ。しかし、じいはあのような者が恐ろしいと申すのか。

老家臣  ええ、ええ、あのような娘こそ恐ろしいのです。民ほど恐ろしいものはございません。

殿    とんとわからぬ。

老家臣  ですからこうして民の元に下りて来て、その目で祭を見ていただこうとしておるのです。民の恐ろしさというものは頭ではわかりませぬ。この肌で直に感じるもの。

殿    ただ浮かれ騒いでおるだけではないか。見ろ。

     ――人々が踊り騒ぐシルエット――

老家臣  そこです。そこが恐ろしいのです。

殿    だから何故じゃ?

老家臣  祭の夜に浮かれ騒ぐということは、それだけ日ごろの暮らしに満足を覚えておらん証拠。この毎日の憤りや不満がひとたびあらぬ方へ向かいますれば、一揆を引き起こす力ともなりうるのです。

殿    一揆……。

老家臣  民一人一人は愚かで取るに足らぬもの。が、これが何らかの拍子に一つに集まり、荒れ狂う川のごとく流れ出しますと、国さえ滅ぼす恐ろしい力となるのです。遠く都では世上(せじょう)が乱れ、一揆が頻発し、手のつけられぬ有様と聞きます。年貢のお助けはもちろん、仏を騙り領主の支配を受けつけぬ輩もあるとか。

殿    そうならぬように、それこそ民百姓のために政を執り行えばよいではないか。

老家臣  ですからこうして姿を隠し、見回るのです。民の心の奥底を覗くことが肝要なのです。

殿    しかし、このようにこそこそと――

老家臣  いや、こうでもせねば民の本音は探れません。民ほど信じられぬものはないのです。

殿    信じられぬのはそちたちの方じゃ。

老家臣  若、何と仰せられました?

殿    本音を明かさぬはじいや家臣の者たちじゃ。わしのおらぬ所で何をひそひそ話しておるのじゃ。

老家臣  何と! ――それは若の誤解でございます。お館さまがご病気の今、一刻も早く若にこの国を治める領主になっていただかんと、皆必死になって相談をくり返しておるのです。大殿のご病気につけ込んで、隣国の領主たちはこの国に攻め入ろうとその機をうかがっております。東隣りの国の姫君との婚礼の話を進めておりますのも、国のためを思えばこそ――

殿    姫と申しても十にもならぬ子どもではないか――

老家臣  しかし、それも国を守るため。その上都からはたくさんの浮浪人が流れて来ておりますし――

殿    もうよい!

老家臣  まことでございます。皆、若の力にならんとして――

殿    うるさい。もうわかった。(去る)

老家臣  若! それともう一つ大事なことが。何があろうと身分だけは決して明かしてはなりませぬぞ。これは大殿のお定めになった決まりでございます。若! 若!(後を追って去る)

     舞台の一方に、きくとうめ。

うめ   (たんたたたん、たんたたたん、などと口ずさみながらきくの回りを踊っている)元気なくなってしもうたのう? せっかくの祭なのに。

きく   ……。

うめ   逃げんと、言い返せばええんじゃ。思ったことを腹に溜めんと、すぐ口に出して言い返すんじゃ。そしたら暗い顔せんでも済む。

きく   ……。

うめ   そねいに落ち込んじょったら、祭が終わってしまうぞ。それとも長者のかかさまの言う通りおとなしくうちにじっとしちょるか。

きく   ……。

うめ   おきくちゃん一人が乞食のために胸を痛めてもどうすることもできんのじゃ。よしんばあの男に銭をやることができても、乞食は他にもごまんとおる。これもみな人の世の定めじゃ。……じゃけど、長者さまももう少しおきくちゃんの味方になってくれてもええのになあ。

きく   おとさまはええんじゃ、関わりない。

うめ   でも、血のつながったたった一人の親じゃないか。

きく   もうええ。言わんとって。うち元気出すから。

うめ   そうか。元気出すか。

きく   うん。

うめ   それでは、長者のおきくさま。祭に参りましょう。

きく   おきくさまなんてふざけんで。

うめ   ごめんごめん。さ、祭じゃ祭じゃ。そうじゃ、さっきこの辺じゃ見かけんええ男がおったぞ。一緒に見に行こう。

きく   うちは男なんか興味ない。

うめ   興味ない? 本当か。

きく   うん。

うめ   信じられんわ。

きく   信じられんって言われても……。

うめ   おきくちゃんは様子のええ男見ても胸がじわんじわん、鳴ったことがないんか。

きく   胸が鳴る……?

うめ   そう、胸がこう熱うなって、じわんじわんと鳴りだすんじゃ。お寺の鐘の早叩きのように。

きく   ない。胸が鳴ったことなんか。

うめ   うそじゃ。信じられん。

きく   でも、本当じゃから仕方ない。男見て胸なんか鳴ったことない。

うめ   おきくちゃん。祭の夜には一目見ただけで男衆と恋を交わす女子もおるんじゃぞ。祭の夜だけは八百万の神さまが恋を交わすのを許してくださるんじゃ。

きく   恋を交わすって……どういうことじゃ?

うめ   おきくちゃんは何にも知らんのじゃな。

きく   だって――。

うめ   しょうがないのう。

     トうめ、辺りをキョロキョロ見て、きくに耳打ちする。うめもやはり恥ずかしい。

きく   うそじゃ、そんなこと! ――おうめちゃん。おうめちゃんは恋を交わしたことがあるんか。

うめ うち――? うちは、ま、まだ、ない。ないけど、――してもええと思っちょる。

きく   あ、おうめちゃん、赤うなった。赤うなった。ゆでだこのように赤うなった。

うめ   こら!

     きく、笑いながら走り出す。少し元気が出てきた。

きく   早よう、早よう。祭が終わるぞ!(去る)

     うめもきくの元気になったのを見て自然笑みが漏れる。

うめ   待って、おきくちゃーん!(きくの後を追い去る)

     祭囃子の音が大きくなり、舞台全体が祭の情景となる。

     現代の盆踊りのようなおとなしさではなく、もっと荒々しく、粗野で猥雑で力に溢れ、また装飾に富み、華美でも珍奇でもある。

     櫓の上で太鼓や鉦が激しく打ち鳴らされ、笛や三味線がその後を調子づけている。奏者もまた踊りながらの演奏である。櫓を中心にして老若男女が入り乱れ踊っている。中には色とりどりの飾りの布切を着物につけ頭に花笠を被った一群が、朱や金の扇子を打ち振り踊っている。

殿    (一人足早に踊りの輪に向かって行く)

老家臣  (追って)若、若! お待ちください。じいから離れてはなりませぬ。何かあっては一大事――(人込みに飲み込まれていく)

殿    うるさいぞ、じい。そちの望み通り民の声を聞いて回るのじゃ。

     一方より、きく、来る。

きく   (手を振る。うめの姿は舞台にはまだない)おうめちゃーん! うわあ、すごい!(踊りに見とれる)

     踊りの輪が躍動する。お囃子が活気に満ち、激しさを増す。

     ト踊りの輪に弾かれたのか、きくはよろけて、その拍子に殿とぶつかる。

きく   あ、ごめんなさい。

殿    いや――。

     二人、しばし見つめ合う。きくの胸が早鐘のように鳴る。

     踊りの人々が二人をけしかける。

踊り人一 踊れおどれ!

踊り二  何突っ立っとるんじゃ。

踊り三  ええ若い衆が。

踊り四  もう疲れたか。

     踊りの人々、笑う。

踊り一  何しに来たんか。

踊り二  踊りに来たんじゃろ。

踊り三  さ、踊れおどれ。

踊り四  踊れおどれ。

一同   踊れおどれ! 踊れおどれ! エヤ、ソラ、ソラエヤ! エヤ、ソラ、ソラエヤ!

     踊りの渦が二人を巻き込む。二人は踊りの人々の力に突き動かされるように踊り始める。

     うめ、来る。

うめ   あ、あ、おきくちゃん。何じゃ、もう踊りよる。それも男と――。

     うめ、おきくに近づこうと人込みを掻き分け進むが、近づけない。むしろ遠ざかっていくようである。

踊り五  踊れおどれ! エヤ、ソラ!

踊り六  踊れおどれ! ソラ、エヤ!

つぎ   踊れおどれ! エヤ、ソラ!

     踊りの輪の中につぎの姿がある。

うめ   あ、長者のかかさまじゃ。祭など面白うないと言いよったのに!

つぎ   (嬉々として)踊れおどれ! ソラ、エヤ! 踊れおどれ! エヤ、ソラ!

     一方で――殿ときく。踊りながら――

殿    祭は――

きく   ――え? 

殿    (大きな声で)祭は――楽しいか。

きく   は、はい……。

殿    暮らしに、不満はないか。

きく   え? ええ……。

殿    何でもよい、申してみよ。

きく   でも……

殿    遠慮せずに本当のことを申すのじゃ。暮らしに不満はないか。

きく   不満なんてない。ないけど……

殿    ないけど、何じゃ?

きく   ――さみしい時がある。

殿    さみしい……。

     また二人、踊りの渦に巻き込まれる。

     うめ、踊りながら出て来る。

うめ   踊れおどれ、エヤ、ソラ! 踊れおどれ、ソラ、エヤ!

     老家臣、来る。殿を探している。踊りの渦に巻き込まれ、弾き飛ばされ、踊りを踊っているかのようである。

     老家臣、うめにぶつかる。

うめ   痛っ! 何じゃ。ここはじいさんの来るとこじゃないぞ。去ね去ね。去んでばあさんと藁でも編んどれ!

     踊りの人々、どっと笑う。

老家臣  おい、わしを誰と思っておるのじゃ。

うめ   はなたれじいさん!

     踊りの人々、またどっと笑う。

老家臣  何を! 娘と思って言わせておけば――

うめ   ほう、えらい元気なじいさんじゃの。

踊り七  おお、肌の色艶もこれまたええぞ。

老家臣  当たり前じゃ。まだまだ若い者には負けやせぬ。

踊り八  あ〜、うちゃこのじいさんに惚れてしまいそうじゃ。(笑う)

踊り九  ええぞ、じいさん。踊れ、おどれ。

踊り十  踊れおどれ、エヤ、ソラ!

一同   踊れおどれ、ソラ、エヤ!

     老家臣、うめと相対して踊り始める。踊りの渦に巻き込まれて行く。

     きくと殿、踊りながら出て来る。

殿    さみしいとは、何じゃ……?

きく   ……。

殿    それは館の政への不満からくるものか。

きく   違う。そうじゃない。

殿    だったら、何じゃ?

きく   うちには――、かかさまがおらんのじゃ。

殿    え?(うるさくて聞き取れない)何と申した?

きく   (大きな声で)かかさまが、おらんのじゃ!

殿    何、母上が……。

     ト殿の動きが止まる。

     きくも気づいて止まる。

きく   ……?

殿    わしもじゃ……。

     二人、見つめ合う。殿の胸が早鐘のように鳴る。

     ト踊りの人々にぶつかる。

踊り十一 踊れおどれ!

踊り十二 踊らん者は邪魔じゃ、邪魔じゃ。

踊り十三 恋を交わすなら、山へ行け、草むらに行け。

踊り十四 じゃけど、まだちいと早いわ、宵の口じゃ。

     踊りの人々、どっと笑う。

     きく、踊りの輪から抜ける。殿、後を追う。

殿    どうしたのじゃ?

きく   (恥ずかしい)何でもない。……あ! 見て。

     飴売りが球を四つ両手で器用に投げ上げながら客寄せをしている。

     他にも通りには、歌、踊り、曲芸などの芸能を見せ、銭米をもらう者たちも多数いる。その回りに人の輪ができている。猿舞わし、獅子舞い、人形あやつり、山雀(やまがら)使いに琵琶奏者。他にも、物語や説経をおもしろおかしく歌い聞かす者たちもいる。

飴売り  (球を投げ上げながら)さあ、いらっしゃい、いらっしゃい。(首に提げた箱から飴玉を取り出し)さあさあ、只今取り出(いだ)しましたこの飴は、皆さま御存知の珍糖香(ちんとうこう)でござります。海の向こうは唐(から)の国の帝(みかど)が、朝昼晩とお口に含まれていたという評判の代物。一口食べれば、あら不思議、摩訶不思議な力が湧いてござる。さあさ、飴はいらっしゃりませぬか。飴ぇ、飴ぇ! (きくに)さあさあ、一つ、飴はいらんかね。

きく   どねいしょう?

飴売り  そうそう。二人にぴったりの飴がある。きょうはお祭、これは特別に只であげよう。(殿ときくに飴を手渡し)さあ、食べた、食べた。

殿    ――よし。(飴を食べる)――うまい。

きく   (殿を見て、自分も食べる)うん、甘い!

飴売り  そう、甘いでしょう、甘いでしょう。この飴は何の飴かご存知かな、お二人さん。

殿    いや、わからぬ。

きく   何? 何の飴?

飴売り  ハハハハ、恋の飴さね。

きく   恋の――

殿    飴――

飴売り  男と女子(おなご)が二人一緒にこの飴を口に入れると、その二人はたちまち恋に落ちるという不思議な飴だ。

     殿ときく、二人目をぱちくりと見交す。

きく   うち――知らん――(赤くなり、パッとその場を離れる)

飴売り  ハッハハハハ。

     ト前後に頭をつけた双頭の獅子舞いが表れ、互いの頭を折り重ねるようにしてぐるぐる回転しながらきくの前を横切って行く。

     トまた次々にきくと殿を物売りたちが呼び止める。

     魚(いを)売り、燈心売り、茶売り、草履売り、白粉売り、箒売り、枕売り、提灯売り、と数え切れない。それぞれがそれぞれの売り声を上げ、行き交う人に品物を売りつけようとしている。

     燈心売り。

燈心売り 燈心、とーしん、とーしんいらんか。明るーい燈心。長ーい燈心。……

     茶売り。

茶売り  茶、お茶。茶。お茶。日本茶、ちゃ、ちゃ、ちゃ。……

     子を背負った女の草履売り、殿の袖をつかんで、

草履売り 草履買ってえ。

殿    いらん、いらん。

     男の白粉売り。

白粉売り (白粉を顔に塗りたくりながら)白粉塗って、また塗って。肌の黒いのあばたにえくぼ。にきびそばかす、からすの足跡。隠せぬものは黒目の目。(きくに)娘さん、白粉塗ってみんかの。

きく   (白粉売りの顔の真っ白なのを見て)きゃっ!

     等々、大道芸、物売りよろしくあって……

     きくと殿、櫛簪売り(くしかんざしうり)の前を通りかかる。

櫛簪売り さあ、いらっせ、いらっせ。櫛櫛、簪、くしくし、かんざし。

きく   (櫛を一つ手に取って)うわあ、きれい。

櫛簪売り ほう、娘さん、これは目が高い。この櫛は明から渡来したすぐれ物じゃ。

きく   へえ、明からの。

櫛簪売り そうじゃ。明の国の櫛商人が商いに失敗して、金に困って海賊に安く売り渡した代物じゃ。じゃから物はしっかりしちょるのに、値は安い。

殿    見せてみろ。(トきくから櫛を取って見る)……これは偽物じゃ。

きく   でも、とってもきれい。

殿    ――よし、そうか。では、これをお前にやる。

きく   え、ええの? 

殿    ああ。

櫛簪売り 旦那。

殿    何じゃ?

櫛簪売り へへ、へへへへへ。

殿    何じゃと聞いておる。

櫛簪売り わかってますでしょ。お代を。

殿    金か。金など持っておらん。

櫛簪売り まさか。ご冗談を。(そばにいたもう一人のやくざ風の男に)なあ。

男    (卑屈に笑う)なあ。

殿    ないものはない。

櫛簪売り ない――じゃあ済まされん。

殿    では、あす、館へ取りに参れ。

男    館とは、どこの館じゃ?

殿    城のことじゃ。

櫛簪売り この野郎、おちょくっちょるんか!

男    金を出せ、金を!

     男たち、殿につかみかかる。が、殿、櫛簪売りの手をひねり上げる。

殿    無礼な!

櫛簪売り くそ、離しやがれ!

男    やるのか、この野郎!

殿    やるもやらぬも、そちたち次第じゃ!(ト櫛簪売りを突き飛ばす)

櫛簪売り この野郎!

男    おい、みんな!(強そうな男たちがぞろぞろ出て来る)

きく   やめてー!

     つかみ合いのけんかが始まる。

     途中、騒ぎを聞きつけて、老家臣とうめが来る。

老家臣  待て、待て! そのけんか相ならん。

櫛簪売り 何じゃ、このじじい。

うめ   じいさん、やめちょけ。けがするぞ。

老家臣  このけんか、わしが預かった。

櫛簪売り 何言うちょるんじゃ。

男    じじいの出る幕じゃねえぞ。

殿    引っ込んでおれ、じい。

老家臣  若、ここはじいに任せてください。皆の者、ここはわしの顔を立てて丸く治めるのじゃ。

櫛簪売り 誰の顔を立てるんじゃ、このしわくちゃじじいが。のけ!(老家臣を突き飛ばす)

老家臣  何をする! 無礼者奴が!

     老家臣もけんかに加わってしまう。

きく   やめて! やめて!

うめ   じいさん、やめろー!

     よろしくけんかが続いた後、殿と老家臣の二人は男たちに組み敷かれやられそうになる。が、きくとうめが近くで見物していた獅子舞いの獅子の頭で男たちを殴り、殿たちの危機を救う。

きく   来て!

     きく、殿の手を引っ張りけんかから抜け出す。

     けんかはいつしか見物衆をも巻き込んで大きくなっている。誰と誰がけんかしているのかわからない。一つの祭である。

     うめ、きくが殿とけんかから抜け出すのを見つけ、追いかけようとする。

うめ   おきくちゃん! 待って。おきくちゃん。

つぎ   (見物衆の中から出て来る)きくがどうしたのじゃ?

うめ   あ!

つぎ   どうした?

うめ   あー……! 漏らした。漏らした!(やや子が小便を)

     一方老家臣はふらふらになりながら、やっとけんかから抜け出した。

老家臣  若ー。わかー。……

うめ   あ〜、漏れちょる、漏れちょる。おきくちゃーん!

     暗転。

     ***

     祭囃子の音が間遠になる。

     きくと殿、山の中に逃げ込む。

     きくが殿の手を引いている。殿のもう片方の手には先程の櫛が握られている。

殿    どこまで行くつもりじゃ?

きく   あんたこそ何故あんなことをする?

殿    あんなこと?

きく   けんかなんてせんでもええのに。

殿    しかし、この櫛は偽物ではないか。明からの渡来物などとうそをついて、お前をだまして。

きく   知っちょる。

殿    え――?

きく   それが偽物なのは初めから知っちょる。明からの渡来物があんなに安いわけがないし、あの男たちが商いできるわけもない。うちだけじゃない。みんな知っちょる。

殿    知っておって、何故だまされる?

きく   あの人らは櫛を一つ、簪を一つ売って家のもんを食わしちょるんじゃ。皆それを知っちょるからだまされた振りして買ってやりよる。じゃからあんなに怒ってけんかなんかせんでも――

殿    では何故わしを助けた? あのままあの連中に袋叩きにさせておけばよかったではないか。

きく   それは――

殿    何故じゃ? 何故助けた?

きく   (ぱっと赤らんで手を離して)――勘違いするな。うちは一目で恋を交わすような女子じゃないぞ。

殿    何、恋を交わす――? どういう意味じゃそれは?

きく   え――?

殿    え?

きく   (恥ずかしい)――。

     きく、ぱっと殿から離れようとして、ぬかるみに足を取られこけそうになる。

きく   あ――

殿    どうした?

きく   水溜まり。……(動こうとするが、滑る)

殿    待て。ぬかるんでおるぞ。滑るぞ。(手を出す)あの松の根方まで行こう。さ。

きく   (ためらう)

殿    どうした? 手を貸せ。

きく   ……。

殿    お前もわしを信じられぬのか。

きく   ――。

殿    (手を降ろしかける)

きく   (殿の手を取る)

     殿、きくの手を引き、足元に気をつけながら松の大木の根方まで行く。二人、腰を降ろす。きく、恥ずかしくなって手を離す。

殿    のう? 先程、母はおらんと申しておったな?

きく   おらんというのは、正しくないんじゃ……。

殿    正しくない?

きく   うちにはかかさまがおるんじゃ。

殿    おるのに何故母はおらんと?

きく   つい――

殿    うそをついたのか。

きく   うそじゃない。今のかかさまは本当のかかさまじゃない。血がつながっちょらんのじゃ。後からおとさまのとこに嫁入りして来た人なんじゃ。

殿    では、実の母は亡くなったのか。

きく   生きちょるんか死んじょるんかようわからん。うちがまだ小さかったころに家を出てしもうた。それから一度も会うてない。

殿    そうか……。

きく   あんたに急に聞かれて、ついかかさまはおらんと言ってしもうた。何故じゃろう。今までかかさまはおらんなんて言うたことないのに……。あんたにこんな話してもつまらんね。

殿    いや、聞きたい。お前の本当の母のことを。

きく   うち、あんたに手を引かれて、思い出しよったんよ。

殿    わしに手を引かれ……、何をじゃ?

きく   ずっと昔、かかさまに手を引かれて、この近くの山の洞穴によう来よった。入口は狭いけど、中は広うて、夜でもどこからか明かりが入ってくる変な洞穴。

殿    そこで何をしておったのじゃ?

きく   かかさま一人で泣きよった。洞穴がひび割れるかと思うほど大きな声を上げて。(さみしげな笑みをつくって)……うちはまだ小さかったから、何がそんなに悲しいんかわからんと、子ども心に必死になってかかさまを慰めよった。

殿    ……。

きく   かかさまのことを思い出すと涙が出るけえ、いつもは思い出さんようにしちょるんじゃけど。今のうちのかかさまはあの人じゃから、思い出してもつまらんのじゃ……。

殿    ……。

きく   本当、何言いよるんじゃろ、うち……。

殿    わしも――、母がおらん。

きく   え――?

殿    わしの母はわしがまだ幼かったころ、病で亡くなった。わしにはお前のようなはっきりとした母の記憶がない。ただおぼろにその面影が浮かぶだけ。

きく   そう……。おとさまは?

殿    おとさま――、父は、おる。今は病に臥せておるが……。わしにとって父は岩じゃ。

きく   いわ?

殿    冷たく固い血の通わぬ岩じゃ。叱られたことしかない。わしはいつも一人じゃった。

きく   兄さまも弟もおらんの?

殿    おらん。

きく   友達は?

殿    おらん。天涯に一人じゃ。

きく   誰もいないの? あのおじいさんは、一緒に祭に来てた?

殿    あれはわしのことを信用しておらん。腹の中では何を考えておるやら。わしには従うものが多くおる。じゃが、誰もわしのことを信じてない。皆お追従を並べるが、それも聞くだけむなしくなる。――はは、つまらんのう。

きく   ううん。

殿    わしも何故、このようなことを話すのか。人には言うたことがなかったのに。

きく   ええんよ。

殿    わしは、――わしは父を岩と言うたが、本当は父のようになりたいのじゃ。

きく   おとさまのように?

殿    父のような大きな男に。強い男に。そして、この国の政をよくしたいのじゃ。

きく   政を……?

殿    今この国は乱れておる。争いに明け暮れ、館の中の揉め事と都へのおもねりに時と金を浪費し、民百姓をおろそかにしておる。何もかも館の政が悪いのじゃ。その乱れを根元から正したい。この国を正すためならわしは命も惜しまん――あっ!

きく   どうした?

殿    壊してしもうた……。

     殿、思わず力が入り、手の中の櫛を壊してしまう。

きく   あんまり恐ろしいこと言うからじゃ。国が乱れちょるとか、館が悪いとか。うふふふ。

殿    何がおかしい。つい力が入ったまでじゃ。安物じゃから壊れたのじゃ。

きく   うふふ。あははは。

殿    よし。わしがお前にもっといい物をやる。明から取り寄せた金箔の櫛じゃ。孔雀の模様をあしらったすぐれ物じゃ。

きく   うふふ、いらん、いらん。

殿    本気にしておらんな。明の国より直々に取り寄せた代物じゃ。この国に二つとないぞ。

きく   いらん、そんなもん。

殿    では何がほしい。遠慮なく言え。

きく   (笑って――しかし真剣になって)じゃ、金で買えんものがええ。

殿    何じゃそれは? そんな物があるのか。

きく   ある。

殿    あるか。

きく   よう考えてみろ。

殿    金で買えぬもの……?

きく   いっぱいある、いっぱい。こう考えればええ。いくらお金をもらっても人にはあげられんもの、それが金では買えんものじゃ。

殿    いくら金をもらっても……。おお、そうじゃ。一つあった。いくら金をもらっても人にはやれぬ物が。

きく   ね。

殿    では、その金では買えぬ大事な物をやったら、お前は何をしてくれる?

きく   それはおかしい!

殿    何がじゃ?

きく   何かをやるから、何かをしてくれっていうのはおかしいわ。

殿    人は人に何かをしてやり、そのお返しに何かをもらう。これでつり合うのじゃ。

きく   人に何かをしてあげるのは、その人から何かを得るためじゃない。その人をかわいそうに思ったり、その人を好きだったり……。

殿    好きだったり……。

きく   ――本当は、うちにもわからん。ただ……

殿    ただ……?

きく   昔、あの洞穴からの帰り道、かかさまが言いよったのを覚えちょる。その人を思うなら、その人のために何かをしてあげたいと思うなら……

殿    思うなら……、何じゃ? 

きく   まずわが身を捨てなさいって。

殿    捨てる?

きく   そう、捨てなさいって。

殿    ますますわからん。身は立てるもの。立身というではないか。身は立ててこそ、本懐を得られるのじゃ。

きく   そうじゃなくて、捨てるというのは、この世でこの身を捨てるというのは、あの世にこの身を捧げることになるって。そう言いよったのかかさまは。それだけは覚えちょる。

老家臣声 よーい。ほーい。

うめの声 おきくちゃーん。

殿    お前の言うことは難し過ぎてわからん。しかしわしは、お前にわしの大事な物をやる。金では買えぬ大事な物を。

きく   金では買えん、金をもらっても人にはあげられんものを、うちに?

殿    そうじゃ。

きく   どうして?

殿    ど、どうしてって、お前がほしいと言ったのではないか。

きく   でも……。

殿    男が一度口に出したのじゃ。これは約束じゃ。

きく   うちは何にも約束できん。あんたに何かしてやるとは約束できん。

殿    約束などせずともよい。

うめの声 (近くなる)おきくちゃーん。

老家臣声 よーい。ほーい。

殿    じいが来た。もう戻らねばならん。――そうじゃ。名は何という?

きく   きく。長者の娘、きく。

殿    おきく。

きく   あんたは? 

殿    わしか――。わしは……

老家臣声 (さらに近く)ほーい、よーい。

殿    ――今は名乗れん。

きく   名乗れん? どうしてじゃ?

殿    すまん……。

きく   じゃ、どこに住んでおる?

殿    それも言えん。

きく   言えんって――?

殿    言えんものは言えんのじゃ。じゃが、信じてくれ。わしはもう一度お前に会って、わしの大事な物をやる。

老家臣声 よーい。

殿    わしを信じてくれ。(きくと別れる)

きく   名も、住む所も言えんってどういうことじゃ。何も知らんでどうやって、どうやって信じろというんじゃ……。

     うめ、来る。

うめ   おきくちゃん。何しちょったんじゃ?

きく   別に何も……。

うめ   あの男はどうした? どこ行った?

きく   わからん。

うめ   何を二人で話しよったんじゃ?

きく   何でもありゃせん。

うめ   どこの誰じゃ、あの男?

きく   わからん。

うめ   何も聞いちょらんのか。

きく   (胸を押さえて)わからん、わからん!

     ト舞台のもう一方で――殿と老家臣。

老家臣  殿、いかがなされました。

殿    じい、民とはそんなに恐ろしいものか、信じられぬものか。

老家臣  は、左様に。ですからこうして殿にその目で直にご覧いただこうと……。実際、ひどいものです。けんかはするわ、荒れ狂うわ……。

殿    わしにはそうとは思えぬ。

老家臣  さればですが――、いかがなされました、胸など押さえて?

殿    いや、何か知らん、ここの辺りが――

うめ   おきくちゃん、どうしたんじゃ?

きく   ――おうめちゃん、うちどうしたらええんじゃろ? うち、うち――

うめ   一体どうしたというんじゃ?

老家臣  一体どうなされたのでございます?

殿    わからん。わしにもわからん。

老家臣  殿? 殿!

うめ   おきくちゃん? おきくちゃん! ――あ!(トきくの胸に手を当て、耳を当てる)あ、胸が鳴っちょる――!

     殿と老家臣を残し暗くなる。

殿    じい、わしは決めたぞ。

老家臣  は?

殿    あの娘を館へ召し上げるのじゃ。

老家臣  召し上げる? あの娘をですか、へちゃむくれの?

殿    違う。もう一人の方じゃ。長者の娘きくを館に召し上げるのじゃ。

老家臣  しかし、急に――。それに長者の娘ともなりますれば……

殿    その代わり――、きくが館へ来るのなら、東隣りだろうが、西隣りだろうが、どこのどんな国の姫とでも祝言を挙げてやる。

老家臣  本当でございますか。

殿    ああ……。

老家臣  (しばし思案して)……はは。それではさっそく長者の娘を館に召し上げるよう手配いたしましょう。(外に向かって)皆の者、召し上げじゃー。長者の娘きくを館に召し上げるのじゃ!

     声――「召し上げじゃー! 召し上げじゃー!」

     館の家来衆から民百姓まで「召し上げじゃー!」の声が広がっていく。

……暗転。

     ***

     「召し上げじゃー」の声の余韻の残る中、舞台が明るくなる。

トそこは長者の家。

つぎ   (着物を自分に当ててみて)ああ、きれいじゃねえ。女子(おなご)なら一度はこんな着物を着てみたいと思うものじゃ。わしはこの家に後添えで入ったから、体裁が悪いと嫁入りの着物も満足に着せてもらえんかった。ええのう、おきくは。きょうだけじゃない、殿さまにかわいがられれば、毎日でもきれいな着物が着られるんじゃ。しかし、わしもきょうからは殿さまの姫の母じゃ。こりゃ新しく着物の一つもこさえんにゃいけんのう。(ト着物を当て科をつくってみる)

     つぎの台詞の途中からうめが来ていた。

     つぎ、うめに気づいて――

つぎ   (やはり恥ずかしい)な、何じゃ、おうめ。何しに来た?

うめ   おきくちゃんにお別れを……。

つぎ   そうかそうか。別れを言いに来たんか。(呼ぶ)おきく、おきく! ま、ま、これからはそうそう会えんようになるしの。きくは館で殿さまにお仕えし、うめはこの家で働く身分。天と地の差ができてしまうからの。(きく、出て来る)ささ、別れを惜しめ。

長者   (家の奥から出て来て)何を言うちょる。門出じゃ門出。めでたい門出じゃ。お館と縁を結ぶこの家の門出じゃ。

つぎ   そうじゃった。めでたい日に別れとは縁起でもなかった。さ、おうめ、おきくの門出を祝ってくれ。

うめ   おめでとう、おきくちゃん……。

きく   ……。

長者   さ、早く支度をするんじゃ。ああ、忙し、忙し。(家の中に引っ込む)

つぎ   おお、ほれほれ、こんないつも着る物ははよ脱いで、この着物に着替えるんじゃ。

きく   うちはこのままでええ。

つぎ   何を言う。きょうの日のために都からわざわざ取り寄せた着物じゃ。ささ、はよ着替えろ。殿さまに見初められたその見目の良さがさらに引き立つわ。

きく   ……。

つぎ   ……何をそうふさぎの虫に取りつかれちょる? お館へ上がり、殿さまにお仕えするからには町に未練は残さぬことじゃ。ましてや、男などにはな。

きく   え……?

つぎ   祭の夜に交わした恋など、一夜の花火と思って忘れてしまうんじゃ。

きく   うちは、そんな――

つぎ   ま、ま。ええ、ええ。わしにも覚えはある。これは女子同士の内緒事じゃ。それにしても、もし少しでも未練があるなら、今のうちにすっぱりあきらめることじゃ。女の幸せは一時の気まぐれでは得られん。親の言うことに従って、身の定めを決めるのが一番じゃ。わしも初めは子持ちの男はいやじゃと泣いたが、親の定め通り長者の家の後添えとなり、今では食べる物も着る物も困ることなく幸せに暮らしちょる。銭があり身分のある男ほど女子にとって良いものはない。

きく   うちはそうは思わん。

つぎ   また口答えじゃ。誰に似たんか知らんが――

長者   (出て来て)何をしちょる? まだ着替えを済ませちょらんのか。

     下男が一人来る。

下男   長者さま。もうそこまでお館からの使いのご家来衆がやって来とります。

長者   何、そうか。

つぎ   ええか、おきく。わしはお前が憎うて言いよるんじゃない。親の言葉の有難さは、後々にわかるもの。ええな。

きく   ……。

長者   おお、来られたぞ。

     家臣、家来を引き連れて来る。駕籠も用意されている。

     長者たち一同、恭しく出迎える。

家臣   長者。娘をもらい受けに参った。娘をここへ出せ。

長者   はは。これに。――あいさつをするんじゃ。

きく   ……長者の娘、きくでございます。

家臣   おお、西国一の若殿さまが一目惚れされるのも無理はない。美しいとは得なことじゃ。のう、長者。

長者   はは。

家臣   が、それにしても……

長者   いかがなされました?

家臣   そこにおるのは娘の母か。

長者   は、左様で。

つぎ   つぎと申します。

家臣   この娘の母とは思えぬ。この女子からこのような美しい娘が生まれるとはまさに奇跡じゃ。

つぎ   ま!

長者   (つぎを気にしながら)いや、これは後添えに入った者で、おきくの生みの母はまだ娘の幼いころに生き別れまして……。

家臣   ほう。では前の女房が美しかったというわけか。

長者   ま、そのような次第で……。いや、早速娘の支度を整えますので、しばしお待ちを。こちらでゆっくりとこれなど(酒を飲む仕草)……

家臣   いや、のども渇いておるにはおるが、殿が今か今かと首を長くして待っておられる。

長者   では早速。――早く用意をするのじゃ。

     つぎ、きくに着物を羽織らせ、家に入ろうとするが、

家臣   よいよい、もうよい、そのままで。さ、この駕籠に乗れ。

きく   (つぎを振り払い)行きとうありません。

家臣   何?

つぎ   おきく!

長者   何を言うちょるんじゃ。

きく   行きとうありません。

つぎ   (取り繕って)はは、急に里心がついたのでありましょう。さっきまで館へ行かれる、殿さまに会えるとはしゃいでおりましたのに。まだまだ十四のねんねでございますから、本当に困ったもので……。

家臣   長者ものう、しこたま支度金をもらっておるから、娘が館へ上がらぬとなれば手が後ろに回る。あっはは。

長者   ささ、おきく。何の心配もない。殿さまもようしてくださるはずじゃ。

家臣   よし。さ、駕籠に乗れ、駕籠に。

     きく、家来たちに駕籠に乗せられる。

家臣   娘は確かにもらい受けた。では、参るぞ。

     家臣を先頭に家来たち駕籠を担いで去る。

     しかし、きくは駕籠の反対側から抜け出して、駕籠が行ってしまうとうめに抱きつく。

うめ   おきくちゃん……!

きく   (泣いて)おうめちゃん、うちは行きとうない。

     家臣たち、駕籠が軽いのですぐ気づき、取って返す。

家臣   やや! こら娘。何をしておるか。ふざけるでない。

長者   申しわけございません。おきく。おきく。

つぎ   何をしとる! 望まれて行くのじゃ。何を今さら。駕籠に乗れ。

     きく、長者やつぎなどに無理やり駕籠に乗せられそうになる。――しかし、きく、家臣の刀を抜き取り、構える。

家臣   あ、――何を!

長者・つぎ おきく!

うめ   おきくちゃん!

     きく、刀を振り回し、そして自分の首に押し当てる。

家臣   待て待て!

うめ   おきくちゃん、危ない!

つぎ   何しちょるんか!

家臣   早まるでない。

長者   一体どうしたというのじゃ?

つぎ   おきく、刀をこっちへお寄越し。

きく   いやじゃ。

つぎ   何が不満なんじゃ? かかさまに話してみ。さ。(手を出して刀を寄越せとやりながら)話せば気持ちも落ち着く。

きく   こっちに近づいたらいけん。

長者   おつぎ。(気をつけろ)

つぎ   のう、おきく。よう考えてみ。お前は幸せもんじゃないか。殿さまにその顔の美しさを見初められ、是非にともらわれていくのじゃ。女子にとってこれほどの幸せがあらうか。のう。

長者   ああ、そうじゃ。

きく   顔がきれいじゃからといってこんな目に会うんなら、こうして、こうして――(ト地面の泥を顔に塗る)

つぎ   何をする?

きく   こうしてしまえば殿さまもいやになり、あきらめてくれます。

つぎ   気が違うたか。

きく   かかさまにはわからんのじゃ、きくの心が――。

つぎ   とんとわからん。美しいと褒めたのに、顔に泥を塗る女子がどこにおるか。

長者   おつぎ、おきくを怒らせるな。

つぎ   心がわからぬなどと生意気な口を叩くが、おきく、お前こそ親の心がわからぬ不孝者じゃ。思い出してみい。小さいころ母恋しいと泣くお前をねんごろに育ててやったのはどこの誰じゃ。紛れもない、親のこのわしじゃ。

長者   さあ、おきく、気を落ち着けて。おとなしく言うことを聞くのじゃ。

きく   館へなど仕えとうありません。

つぎ   まだ言うか!

     つぎ、きくに突進して刀を奪い取る。しかし、きく、羽織っていた着物をつぎの頭から被せる。

つぎ   何するんじゃ!

     きくは前の見えなくなったつぎの体をぐるぐる回し、家臣たちの方へ突き飛ばす。そして逃げ出してしまう。

家臣   (つぎが体に乗っかかる)ああ、逃げよった! 追え、追え! 捕まえるのじゃ!(家来たち、駆け出す)

長者   おきく! こら、戻って来い! おきくー!

うめ   おきくちゃーん!

つぎ   (突然、大仰に泣き出す)あああぁあァ!

家臣   こら、のけ。のけ。重いわ。(つぎをのける)どうなっておるのじゃ、これは!

長者   はは。

家臣   話が違うではないか!

長者   いや、その……。

家臣   娘は承知しておると申したのは、長者、お前だぞ!

長者   も、申しわけございません。

つぎ   (大声で泣く)あああぁあァ!

家臣   うるさい、黙れ!

つぎ   (さらに泣く)あああぁあァ!

     家来たち、戻って来る。

家来   娘を見失いました。

家臣   見失ったではない! 見つかるまで探すのじゃ!

家来   は。(一人を残し、去る)

家臣   ち! のう長者。どうしてくれる? わしは何と殿に言いわけをすればよい、ああん?

長者   申しわけございません。娘は必ず見つけ出して、すぐにでも館へ届けます。

家臣   すぐとは、いつのことじゃ? 今か、それとも夕刻か。それともあすか、あさってか。

長者   できるだけ、すぐに……。

家臣   わしものう、はいそうですかと手ぶらで帰るわけにはいかんのじゃ。

長者   はは、それはごもっともで……。

家臣   こうなったら長者、お主に館へ来てもらうしかなかろうのう。

長者   わたしが、ですか。

家臣   仕方あるまい。子の罪は親が背(しょ)うものじゃ。おい。(家来を促す)

長者   (家来に後ろ手に縛られながら)どうか、どうか。おつぎ、おつぎ。

つぎ   (慌てながら長者の懐から財布を取り出し、家臣の懐へ)

家臣   心配するな。娘が来るまでの辛抱じゃ。それまで牢に留め置く。長者の女房。一刻も早く娘を探し出し、館へ届けるのじゃ。よいな。

つぎ   はい。

家臣   さ、行け。(ト長者を引き連れて去る)

つぎ   ああ、えらいことになったぞ。(家の者たちに向かって)おきくを探すのじゃ、おきくを! きーっ! おきくー! おきくー!

     つぎ、きくの後を追って走り去る。


(戯曲中盤に続く)

広島友好戯曲プラザ

劇作家広島友好のホームページです。 わたしの戯曲を公開しています。 個人でお読みになったり、劇団やグループで読み合わせをしたり、どうぞお楽しみください。 ただし上演には(一般の公演はもちろん、無料公演、高校演劇、ドラマリーディングなども)わたしの許可と上演料が必要です。ご相談に応じます。 連絡先は hiroshimatomoyoshi@yahoo.co.jp です。

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