「美容とダイエットの敵について」 一人芝居…女性1人・25分…アントン・チェーホフ作『タバコの害について』より

(あらすじ)

井上市子が、ある地方で、夫の代わりに講演をする。

しかし、「美容とダイエットの敵について」の話をするはずが、話題はどんどん自分や仕事のこと、娘や夫のことにズレていく。

特に夫への不満は耐え難いものがあり、話はエスカレートしていくのだった………

※チェーホフの「タバコの害について」より翻案・創作した作品。

中年女性ひとり芝居。  女1。25分。



   美容とダイエットの敵について          モノローグ 一幕                   作・広島友好


   ○登場人物  井上市子…宅配便運送会社の社長を夫に持つ女性

   ○舞台はある地方の講演会の演壇。



井上市子 (カツラを乗せたような豊かな髪を両耳にウェイブさせている。古い流行りだが上等な仕立てのスーツでお上品に登場。一礼して上着を正す)お集まりの皆様。(髪を撫でつける)きょうここでなにかためになる楽しい教養講話をしてほしいという申し出を、なにを間違ったかうちの主人が受けたそうでございます。そうなんです。主人にそういった話はまったく無理なんでございます。――そこで、わたくしが代わりにという次第です。もちろん、わたくしは大学教授でもございませんし、教養などというものにはまったく縁のないただの主婦でございます。けれども、それにもかかわらず、こう見えてもわたくしは、もう三十年というもの、少しの休みもなく、自分の健康を損ねるほど一心に、言葉通り身銭を切って経験を積み、研究を続け、時にはエッセイにその体験談を書いてまいりました。いえ、エッセイと呼べるものではないにしても、あえて言わせていただくなら、まあ、エッセイみたいなものです。特に、数日前、わたくしは『いつでも胸にときめきを』と題するちょっとしたエッセイを書き上げました。これがひどく娘たちに喜ばれましてね、特にチョコレートと恋愛について書いたところなどは、たいそう喜んでもらえました。しかし、わたしは読んで聞かせたあと、原稿を破って捨ててしまいました。いくら書いてみたところで、どのみち、素敵な男性がいなけりゃダメなんですからね。ですから……ときめき抜きでチョコレートばっかり食べてるんですよ……さて、本日の講演のテーマといたしまして、わたくしは、美容とダイエットの敵がなんであるのか、その正体について取り上げてみました。と申しますわたくしも、この敵に打ち負かされてきたわけですが、なにしろ、きょうは皆様のご興味を惹く話をすると主人が安請け合いしてしまいましたので、しょうがないのでございます。美容とダイエットについて話せというなら、それもいいでしょう――どっちも、わたくしには同じことなんです。とは申しましても、どうか皆さん、これからのわたくしの話を気軽に、肩の力を抜いて聞いていただきたいんです。眉間にシワを寄せて聞いてもそれこそ逆効果ですもんね。話の内容に疑問をお持ちの方や、そういうものを必要とされない方は、お聞きにならずに、どうぞごゆっくりお眠り下さって結構です。(上着の具合を直す)特にきょうこの席にお見えのお美しい方々には、いらぬ説教でございますね。とは申しましても、他でもございませんが、美容は、それを意識するだけで、脳が活性化されますので、お美しい皆様方も講演をお聞きになるだけで、さらに美しさに磨きがかかると思うのです。たとえば美を意識し脳を活性化させますと、毛細神経を刺激し、シワの増加を防ぎ、美肌にも効果が現れます。まさに、いいこと尽くめなのでございます……ええ、わたくしは講演をしている時に、脇汗をかく癖がございますが、どうか気になさらないで下さい。これはアガっているためなんです。わたくしはだいたいひどく汗っかきな体質の人間でしてね、脇汗をかくようになったのは、1991年の9月7日のことなんです。これは、わたくしが4番目の娘の奈々江を生んだ日です。うちの娘は一人残らず7日生まれでしてね。もっとも(時計をチラと見て)時間もあまりないようですから、本題からそれないようにしましょう。その前にちょっと内輪話をしておきますが、うちの主人の実家は元々トラックの運送屋なんですよ。まあ宅配業というほどのものじゃございませんが、似たようなものです。ここだけの話ですけどね、主人は次男なんです。なのに、つぶれかけた実家の仕事を押しつけられましてね。能力もないのに、形の上では代表取締役社長ということになっております。でも実際は経営のことなんてトンとわからない人間なんです。このわたくしがいなけりゃなんにもできないなんて、地元じゃ口が裂けても言えない事実なんですよ! わたしは実は会社の役員も務めているんです。経営全般を監督したり、資金繰りに駆け回ったり、従業員の福利厚生に気を配ったり、貸借対照表をつけたり、荷物の配送管理をしたり、お得意様の接待をしたりするのが仕事です。おとといの夜は、社員全員参加の親睦お好み焼き大会でした。手作りのお好み焼きで社員を慰労するのがわが社の恒例なんですよ。ところがです、一口に言うと、支度がすっかりでき上がった頃になってから、わたくしが会場にやってきますと、90人分のお好み焼きが焼き上がっているじゃないですか。つまり、お好み焼きを余計に作り過ぎちゃったわけなんです、うちのヘッポコ亭主が。いったいどうすりゃいいと思います。運転手、事務員合わせて19人だというのに、どうして90人分ものお好み焼きを焼くんでしょ。19人分を90人分ですよ。自分の会社の社員の数さえ知らないんだから、信じられないでしょ。そりゃわたし初め、社員全員ががんばって食べましたよ。一人4人前、19×4で76人分。「あとの残りは自分で食べなさいよ、この唐変木」ってこう主人に言ってやりましたよ。わたし機嫌が悪いと、主人を、唐変木って言っちゃうみたいなんですね。唐変木だとか、おたんこなすだとか、ちょんちょこりんだとか。ちょんちょこりん以下ですけどね、うちの主人は。主人はいつもスネるんですよ。スネて嫌がらせをするんです。ホントにそのお好み焼きを残らず平らげたんですよ、残り14人分をろくに噛みもしないで丸呑みするみたいに、きのう1日で食べたんです。とにかくいつだって意地汚いんですからね。早い話が、食っちゃ寝食っちゃ寝、ぐうたらに過ごしてばかりいるんです。「おまえが働いてくれてるお陰で楽して暮らしていけるよ……」なんて言いましてね。ところでと(時計を覗く)つい、おしゃべりが過ぎて、多少本題からはずれたようですね。もっとも、皆さんだって、本音を言えばそりゃ、昼のメロドラマなり、なにかこう流行りの韓流ドラマなり、恋愛映画なりをご覧になる方が楽しいでしょうね。(芝居がかって)「きみの瞳には、ぼくの未来が映っている……」これはなんの映画にあったセリフでしたっけ、どうも思い出せませんけど……そうそう、すっかり言い忘れていましたけど、わたしは主人の会社で、実質的な経営の他に、ドライバーもやりますし、トラックの整備、オイルの点検、タイヤの交換、なんでもやるんですよ。わが社でタイヤ交換が一番早いのは、やっぱりわたしなんですけどね。うちの会社は七曲市の国道7号線沿いの、77番地にあるんです。わたしの人生がこうまでツイてるのも、きっとこのために違いありませんね。つまり、わたしの住んでるのが7丁目7番地だし、娘たちの生まれたのも7日だし、家の部屋の数も7なんですよ。主人の生まれだけが4月4日なんですけどね……ホントに! もしなにかお届け物のお荷物がございましたら、わたくしはいつでも会社におりますし、会社のリーフレットも、ご希望の方には、受付でお渡ししておりますので。(ポケットから、リーフレットを何枚か取り出す)きょうは特別にこの会場にお越しの皆様には20パーセントOFFの価格で宅配たまわります。ご希望の方は、手を――まあ、7人も。ありがとうございます。ホント、7はラッキーナンバーだわ! まったくわたしって人間は、なにをやらせてもうまくいき通しで、年を取るごとに、頭の切れも良くなるようでしてね……現にこうして講演をしている時でも、次から次に仕事の新しいアイディアがわいてきましてね。なんだかウキウキして、踊り出したい気分なんです。この場で踊ってもいいなら、踊ってしまいたいぐらいなんですよ……ええ、ええ、そうなんです。娘もみんないい子たちばかりでしてね……びっくりするぐらいいい子たち! わたしがなにか言うと、「やっぱりママの言う通りね」ってニッコリ微笑んでくれるんですからね……わたしには娘が7人もございましてね……あら、失礼、6人だったかしら……(勢い込んで)やっぱり7人ですよ! 長女は奈菜といって27歳、末娘は17歳です。みなさん!(辺りを見回す)わたしは幸せな人間です。本当に満ち足りた幸せな人間になることができました。しかし、実際には、今皆様方の前に立っているのは、世の女性の中でもっとも不幸な女なのでしょうね。実際それが真実でしょうし、わたしもあえて異を唱えるつもりもございませんけどね。でも、わかってもらえたなら! わたしは33年も主人と一緒にいるんです。これがわたしの人生の最悪の年月(としつき)だったと言えるでしょうね、まあ、最悪とまではいかなくても、たいていそういったようなものです。一口に言って、この33年の歳月は、永遠の不幸のようにとどまったきりですが、正直な話、もう勝手にしてといった気持ちですよ。(会場の隅を見て)もっとも、主人がその隅にいるようですけど、あの人がいたって、なんだって好きなことをしゃべるんですからね……わたしはね、もううんざりなんですよ……主人にじいっと睨まれると、寒イボが出ちゃうんです。ところで、わたしの言いたいのは、こういうことなんですよ。うちの娘たちがさっぱり男性と縁がないのは、きっと、本人たちの顔が主人に似たためでしょうね。それでも主人は変な虫がつかないか心配して、娘のケイタイをチェックしたりするんです。まったくあの人は、ネチネチして、無口で、根暗な男ですからね、娘たちが嫌がってるのもわからないんですから……もっとも、ごく内緒でお教えしときますけどね、(フットライトの近くまで歩み寄る)うちの娘の顔をご覧になりたければ、伯母のやってるモッチェリオっていうケーキ屋で会えますよ、モッチェリオってのは、ほら、出窓にまるでスズメバチが巣を作ったみたいな黄色い看板のある店なんですけどね。あの店じゃね、バニラアイスの乗ったホットチョコレートを出してくれるんです。主人の顔も見るのがイヤになった時はこれを飲むんですよ……(あごのたるみを引っ張りながら)お断りしておきますが、わたしは板チョコ一枚で胸焼けがするんです、チョコを一口口に含めば幸せな気分になりますし、同時に、言うに言われぬせつない気持ちになりましてね。なぜか若い頃を思い出して、どういうわけか飛び出していってしまいたくなるんです。ああ、その気持ちがどれほど強いか、わかってもらえたなら! (夢中になって)飛び出したいんです、なにもかも放り出して、一目散に駆け出してしまいたいんです……どこへって? どこだってかまうもんですか……ただ、この夢もない、バカげた、チャチな生活から抜け出せさえすりゃいいの、こんなにもわたしを縛りつける、いくら時間があっても足りないような、女らしさのカケラもない、この生活から飛び出せさえすりゃいいんです、あのケチで、下品で、意地の悪い、ハゲ頭のそばから駆け去るんです、33年もの間わたしを縛り続けた主人のそばや、姑や、会社や、主人の親戚や、そういったままならないよしなし事一切から、飛び出せさえすりゃいいんです……そして、どこか遠い遠い大都会に住んで、刺激のある毎日の中、アイドルか女優か映画スターにでもなったみたいにフラッシュライトを浴びて、華やかな街を、夜通し歩きながら、なにもかも忘れてしまいたいんです……ああ、わたしはなに一つ縛られたくないの! 33年前、結婚式の時にはめた、このおぞましい、安物の結婚指輪を、はずしたくてたまらないんです……(指輪を抜き、叩きつける)わたしはいつもこれをはめて、便利な主婦や愛想のいい社長を、やらされてきたのよ……こんなもの! (指輪を踏みにじる)こうしてやる! わたしはまだ若くて、金持ちで、魅力的な人間です、まったく、古びて、傷だらけのこんな指輪なんて必要のない人間なんですよ……(手を見せる)わたしは、もう自由なんです! わたしは、こんなものより、もっと愛されたいの、もっとチヤホヤされたいの、もっと褒められたいの。これでもわたしも昔はきれいだったし、才能もあったんです。激しい恋をしたことも、夢を抱(いだ)いたこともあったし、自分をたいした人間だと思っていたこともございます……でも今となっては、もうなにもかもムダなのよ! 昼のドラマだけが楽しみなの……昼ドラ最高! 妄想だけがわたしの友達よ! (会場の隅にチラと目をやり、急いで指輪をはめる)ところで、主人がいなくなったみたいです……スネて、家に帰ったんですよ……(時計を覗く)もう時間ですね……誤解しないで下さいね、お願いですから、あれでもあの人、いいところがあるんですよ、つまり、わたしがいないとダメだってだけなんですから。(会場の隅を見てニッコリする)戻ってきたみたい。(声に甘みを含ませて)ただ今、申し上げましたように、美容とダイエットを追求するには、世の中手強い敵ばかりですけれど、この敵に負けてはいられないのでございます。わたくしといたしましては、『美容とダイエットの敵について』という本日の講演が、必ずや皆様に「美」をもたらしてくれるものと、確信している次第でございます。これをもちまして、わたくしの話を終わります。思うことを残らず申し上げましたので、気持ちがさっぱりいたしました! あしたからもがんばりましょうね、女性の皆さん!(一礼して、満面の笑みで退場)                  ――幕――    



アントン・チェーホフ作(神西清訳)『タバコの害について』より翻案・創作しました。感謝いたします。(作者)

広島友好戯曲プラザ

劇作家広島友好のホームページです。 わたしの戯曲を公開しています。 個人でお読みになったり、劇団やグループで読み合わせをしたり、どうぞお楽しみください。 ただし上演には(一般の公演はもちろん、無料公演、高校演劇、ドラマリーディングなども)わたしの許可と上演料が必要です。ご相談に応じます。 連絡先は hiroshimatomoyoshi@yahoo.co.jp です。

0コメント

  • 1000 / 1000