百山富士雄と妻の幸子。そして子どもの翼。
百山ファミリーとかれらを取り巻く人々の心あたたまるハートフルコメディ。笑いでつづる家族スケッチ。
百山ファミリーにきょうはなにが起こるのか?
第10景『吾郎さんの大学受験』
富士雄の家に、得意先の会社の息子吾郎が大学受験に備えてお泊まりすることに。吾郎は三浪で、変な新興宗教にはまっている。富士雄は吾郎を受験会場へ送っていこうとするが、吾郎は行かないと言い出す。グルからのメールで、東の方角は避けなければならないのだ。しかしなんと富士雄の家の玄関は東向きで…。吾郎を無事に受験会場まで送り出すことが出来るのか。百山一家は大わらわ?!
抱腹絶倒のハートフルコメディ。
人気の作品。各地の劇団により好評上演。
未発表(2023年10月現在)。登場人物5名。約40分。
ハ―トフル・コメディ
家族百景
作・広島友好
第十景『吾郎さんの大学受験』
○時……今
○場所……主に百山家の居間
○登場人物
百山富士雄(ももやまふじお)金型工場の職人サラリ―マン
百山幸子 富士雄の妻(ももやまさちこ)
百山翼 富士雄と幸子の子ども・小学六年生
百山愛 富士雄の母…富士雄とは別住まい
山際吾郎(やまぎわごろう)三浪の受験生
*台詞はそれぞれの地域の生活語に直してもらって結構です。(作者)
◎第十景『吾郎さんの大学受験』
翼 きょうは吾郎さんの大学受験の日。吾郎さんの目指すのは、なんと国立大学の医学部! ただいま三浪中で今年こそはと……。じゃけど、神頼みっていうか、変な宗教にはまってて……、おかあさん、おかあさん!
翼、トイレから居間に駆けてくる。
幸子、出てくる。
幸子 なに? 朝っぱらから騒々しい。
翼 トイレ、吾郎さんが閉じこもってる!
幸子 ああ……緊張するとお腹の調子がねえ。おかあさんもよくわかる。
翼 もれちゃうよぉ。
幸子 すぐ出てくるわよ。
翼 それに、なんかぶつぶつ言ってる、トイレん中で。
幸子 ぶつぶつ? 年号かなんかじゃない? 「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」。「鳴くよ(794)ウグイス平安京」。そんなレベルじゃないか、ハハハ。
翼 (少し小声で)ちがうよ、例のほら。
幸子 (両手をすり合わせてお祈りの仕草)こっち?
富士雄、自分の部屋から来る。朝の出かける仕度を整えながら。
富士雄 どうした?
翼 吾郎さんがトイレから出てこんの。
富士雄 ええ? そろそろ出かけないと。もしも道が混んでて、受験会場に間に合わないと、えらいことになっちゃうよ。
翼 出世に響く?
幸子 こらっ。子どもがそんなことを。
富士雄 や、社長に大目玉を食うのは間違いない。なんせ社長の大恩人のご子息だからな、吾郎君は。
幸子 じゃったら、社長さんが預かったらええのに。
富士雄 一年目は。じゃけど不合格。
幸子 じゃったら、専務さんが。
富士雄 二年目は。これまた不合格。
幸子 じゃ、部長さんが。
富士雄 三年目は。これまた撃沈。
翼 ……で、ついにうちに?
富士雄 専務も部長も給料が大幅ダウンしたとかで、ほかのみんなが預かるのを嫌がったんだよ。
幸子 ええ~っ、そうなの⁈ 言ってよそれ。
翼 え、え? それなのに、なんでよりによってうちなほ?
幸子 (翼に。あきらめ加減)だから、方角がいいんだって。
翼 方角?
富士雄 去年は、岡田部長の家の方角がいいっていうんで、受験の前日に吾郎君が泊まったらしいんだけど……
翼 じゃったら今年も?
富士雄 じゃけど、見事失敗じゃろ。
翼 ああ。
幸子 (翼に)で、今年の受験の、縁起のいい方角に当たるのが、うちなんだって。
富士雄 それにわが家は名前もいいから、ぜひにって。向こうの社長が。
翼 名前が、いい?
富士雄 おれは百山の富士雄で、日本一の富士の山。幸子さんは名前の通り、出会う人みんなに幸運を授けてくれる幸せの子。これだけでも勇気が湧いてくるってのに、おまけに「翼」に「愛」だろ? (翼を吾郎に見立てて)吾郎君、医学部合格の夢に向かって、大空に「翼」をはためかせよ。心配するな、この世界は――
愛 (急に出てきて)なにより「愛」にあふれちょる!
富士雄 (同時に)かあさん!
幸子 (同時に)おかあさん!
翼 おばあちゃん! どうしたの、朝早く?
愛 ヘッヘヘ。三浪しちょる子がおると聞いて、顔見ちゃろうと思ってね。
富士雄 かあさん! 意地の悪い。
愛 どっかの新興宗教のグルにはまっちょるっていうじゃない?
富士雄 どっからそんな情報を⁈
愛 秘密のネットワ―ク。CIA。FBI。
富士雄 またぁ! ふざけて。
愛 ま、三浪もしたら、神仏に頼りたくなるのもわかる気がするけどね。
幸子 でも、カルトは駄目よね。
富士雄 今はとにかく、吾郎君を受験会場まで無事に送り届けることが、わが百山家の最重要ミッションだ。
翼 ラジャ―!
富士雄 (朝の支度をしながら。例えばシャツのボタンをとめるなど)じゃ翼、頼む、呼んできてくれ。
翼 え〜。だから出てこないんだって、吾郎さん。
富士雄 やむを得ん。ドアを壊してでも引きずり出せ。
幸子 富士雄さん! ロ―ンまだ残ってるのよ!
富士雄 じゃけど幸子さん、もしも吾郎君が受験に失敗したら、会社にだって居づらくなる。ボ―ナスだって大幅ダウン。いや、下手するとクビにだってなりかねない。そうなればロ―ンどころじゃ。
幸子 翼。金槌で叩きこわしちゃって!
翼 ラジャ―!
とそこへ吾郎がやってくる。レンズの分厚い眼鏡。
吾郎 あ。どうも。
富士雄 今、呼びに行こうかと。
翼 もれちゃうもれちゃう!(騒々しくトイレへ駆け去る)
幸子 あの〜、お腹の調子が悪いとか? なんなら薬持ってく?
吾郎 ……落ち着けないから。
富士雄・幸子 え?
吾郎 この家は落ち着ける場所がない。朝から晩までドタバタドタバタ、ペチャクチャペチャクチャ。(富士雄を見て)夜は夜で大いびき。
富士雄 え、おれ? それは、ごめんなさい……。
吾郎 まったくもって心が休まらない。
幸子 それはそれとして、そろそろ出かけないと。
吾郎 あ、朝のお祈りの続きが。(座ろうとして)東はこっちですか?
幸子 東? 東は、え、どっち?
愛 こっちじゃろ。玄関の方。
吾郎 (その場で何やらぶつぶつと。両手を伸ばして床につけ、深く頭を下げ、また伸び上がって天を仰ぎ、また床に伏せる)………
愛 吾郎さんとやら……
吾郎 はい?
愛 効くの、そのおまじない?
富士雄 かあさん。(余計なこと聞かないで)
吾郎 ……ボクの人生、赤信号が点滅してるんです。
愛 ハッハ、たかが大学受験で、大げさな。
吾郎 たかが?
愛 人生ね、あきらめがカンジン。
吾郎 (思わず嘆くこれまでの人生)ああっ!
富士雄 かあさん、黙っててよ。(吾郎に)さ、元気出して行こう。車で送るよ。
短い間。
吾郎 ……駄目です。行かない。
富士雄・幸子・愛 え?
吾郎 行かない。
富士雄 なに言いよるん、受けてみなきゃわかんないじゃない。あきらめがカンジンったって、受ける前にあきらめちゃ。
吾郎 ちがうんです。方角が悪いんです。(スマホを取り出して)今朝、グルからメ―ルが届きました、方角が悪いと。
幸子 え、この家、方角的にいいんじゃないの?
吾郎 グルの教えは毎日変わるんです。
富士雄 毎日変わるの、教えが?
吾郎 そしてその教えが、信者にメ―ルでじかに届くんです。
愛 便利なような、ん〜なんじゃろね?
富士雄 で、そのグルが、方角が悪いと?
吾郎 きょう、絶対避けるべき方角は、東。
富士雄 でも、ほら、会場はここから南だよ。確か、うん、そうだ。
幸子 ん、ここから南の方角。
吾郎 この家の玄関が、東です。
富士雄・幸子・愛 ああっ……⁈
幸子 お勝手口は? お勝手は、西よ。
吾郎 西も駄目です。西はパワ―を全部持っていかれる。きょう、最高の運気を宿しているのは、北の方角です。
愛 じゃ、トイレの窓から出るしかないね。
富士雄 仕方ないなあ。もう時間もないから、じゃ、吾郎君はトイレの窓から出て。おれ、車で待ってるから。(と鍵を手に行きかける)
吾郎 駄目です!
富士雄 なにが?
吾郎 百山さんも、トイレから。
富士雄 おれもぉ⁈
吾郎 受験会場に一緒に行く人も、北からでないと、運気が落ちてしまう。
富士雄 なんでおれが、自分ちのトイレから出なくちゃなんないの⁈
幸子 あなた……ロ―ンが。
富士雄 ……そうだった。(涙を飲んで)じゃ、行こう。
吾郎 はい。(富士雄とともに出ていく)
幸子 がんばって。あ。靴、靴。
富士雄(声) (トイレにいる翼に)お~い、翼! トイレ出ろ。
幸子、玄関にいったん去り、ふたりの靴を持ってトイレの方へ。三人の様子を愛は戸口から覗いてみる。
幸子(声) あせらず、自分の力を出し切れば、大丈夫だから。幸子が幸運を授けてあげる、ナンチャッテ。(吾郎に冷たい目で見られたようだ)……余計なお世話でした。いってらっしゃい。
幸子、戻ってくる。
愛 変な子預かったねえ⁈
幸子 富士雄さんの会社の、得意先の社長の息子。みんな、腫れ物にさわるみたいに、預かるのを拒否したみたいで。
愛 富士雄は昔っから、断れない性格だからねえ。そういえばあの子、中学生の頃に、近所のお寺の住職から、夏の肝試し大会の幽霊役を頼まれてね。真っ暗な夜の墓場に一晩立たされたもんじゃから、怖いのやら、体中ヤブ蚊に刺されるわで、次の日、熱出して寝込んだことがあったわ、アハハ。
幸子 ん〜、想像つく。アハハ。
翼がトイレから戻ってくる。
翼 おかあさん、トイレの壁に変な紙が貼ってあった。
幸子 なによ、変な紙って?
翼 なんか、真ん中の丸い輪ん中に、(手で印を結ぶ)こんな格好した、汚いヒゲを伸ばした長い髪のおじさんの絵が描いてあって、その上にも下にも横にも、そのおじさんの絵がいっぱい描いてあんの。
幸子 汚いヒゲのおじさんって――吾郎君のグルじゃない?
愛 そりゃ、マンダラだね。
翼 マンダラ?
愛 普通は、仏様が描いてある有り難い宗教の絵のことなんじゃけど……あの子、相当重症だ。こりゃなんとかしないと……
幸子 でも、きょうが済めば、うちとは関係ないことだし――
とそこへ吾郎が居間に戻ってくる。(玄関の方の戸口から)手に靴。
幸子・愛・翼 ええっ、なんで⁈
富士雄があとから追いかけてくる。手に靴。
富士雄 吾郎君、早く早く! 間に合わなくなっちゃうよ!
幸子 どうしたの?
富士雄 黒猫のせいだよ。
幸子・愛・翼 黒猫⁈
富士雄 黒い猫が車の前を横切ったの。
愛 そりゃ縁起が悪い。
幸子 ああっ、今年のボ―ナスが!
富士雄 あきらめるのはまだ早い。グルの指示で、もう一度家に戻ってから出直せだとさ。急ごう、吾郎君! なぁに、おれがついてれば大丈夫だから。
翼 出た、おとうさんの根拠のない自信。
吾郎 ……すいませんが、代わってもらえませんか。
富士雄 ええっ、代わるぅ⁈ まさかの替え玉受験⁈ それは吾郎君、ちょっとまずいよ。それにおれ、工業高校出身だし。その、学力が……
吾郎 まさか! いえ、あの、運転を。百山さん、縁起が悪いっていうか、カルマがついてるんじゃないかと……
富士雄 ええっ! 名前、富士雄だよ富士雄。日本一の名前だよ。カルマなんて、気味の悪いこと言わないでよ。
吾郎 でも黒猫が、百山さんを見て、不気味に微笑んでましたよね?
富士雄 うそっ、マジで⁈
愛 しょうがない、(運転のマイム)こうなりゃあたしが?
富士雄・幸子・翼 あぶない!
幸子 わたしが代わりに行くから。(急ぎ、出かける仕度を整えながら)翼、靴持ってきて。おっと、免許免許。
翼 うん!
吾郎と幸子、トイレの方へ。翼、玄関の方へ幸子の靴を取りにいったん去り、次の富士雄と愛の会話のいいところで戻ってくる。
富士雄 ……かあさん、おれってカルマついてる?
愛 カルマって、なんじゃろ? 怖がらせるだけのもんじゃないほ?
富士雄 (気にする)そうかなあ。
愛 あんたもコロリとやられる口だね。
富士雄 (周りに人のいないことを確かめつつ)かあさん、子どもんときのアレ、やってくれる?
愛 (少し手振りを示して)あれかい? ほんとにしょうがないねえ、ええ年して。(富士雄の体についたカルマを不思議な手振りでお祓いするように)変なの〜、変なの〜、飛んでいけ~〜〜。変なの〜、変なの〜、飛んでいけ~〜〜。
翼 (戻ってきていて)え~、そんなの効き目あるの?
富士雄 翼、いたのか。
翼 (部屋を駆け出る)おかあさん、おかあさん! おとうさん、変なおまじないしてるよ~!
富士雄 翼! んなこと言わなくていいから。
幸子(声) アハハ、それ知ってるおかあさん。(居間に向かって)いってきま―す!
翼、戻ってくる。
富士雄 おまえはまったく。
翼 ヘヘヘ。
愛 しかしなんだね、人騒がせじゃね。
富士雄 まあ、うちの大得意の会社だから。
愛 て言っても、金型屋じゃろ?
富士雄 いや、プレス工場。うちに金型を依頼してくれる大事な会社なの。下請けのプレス工場が、元請けのメ―カ―から部品の依頼を受けて、その部品の金型を、孫請けの金型屋に依頼してくるってわけ。ま、親子みたいな関係だよ。
愛 プレス工場の息子を、わざわざ苦労して医者にせんでも。
翼 差別じゃそれ、おばあちゃん。
愛 差別とかじゃなくて、親が子の跡を継ぐっちゅうのは大事なことよ。
富士雄 吾郎君は、男ばっかりの三人兄弟の三男なの。長男が跡を継ぐ予定で、親父さんの会社で働いてんの。で、残り二人は、親がなりたくてもなれなかった夢を押しつけられてるみたい。
愛 え、親の夢って、医者?
富士雄 そう。
翼 残りの夢は?
富士雄 次男はファッションデザイナ―になる学校に通ってる。
愛 ん~、困った親じゃね。
富士雄 じゃけど、そのぐらいでないと駄目なのかもよ。儲けてるもん、その社長。苦労人で、業界の重鎮。
愛 へええ。
幸子(声) (悲痛な声)待って吾郎君! 待って! お願い!
吾郎が戻ってきて、居間を猛然と横切り、トイレに閉じこもってしまう。あとから、幸子が駆け戻ってくる。
幸子 吾郎君! 吾郎君!
富士雄 どうしたの幸子さん⁈ また黒猫?
幸子 つかまったの、信号に。赤信号に。それも連続四回!
愛 赤信号に連続四回⁈ 四浪の暗示じゃね。まさに危険信号。地獄の黙示録。
富士雄 かあさん、縁起でもない!
翼 ……じゃけど、戻ってくるの、早くない? 信号に四回つかまったんなら、行って戻って、もっと時間が……?
幸子 それはまあ……演劇的なウソってやつ⁈ お客さんを待たせるわけにもいかないから。
みんな (笑ってごまかす)アハハハ。
富士雄 んなことより、吾郎君だよ!
幸子、居間を駆け出て、トイレの前へ。
幸子(声) 出てきて、吾郎君! 赤信号ぐらいでまた一年俸に振るの?
吾郎(声) ボクなんかもう駄目だ、大学なんていかない! 死んでやる!
幸子(声) お願い、うちを巻き込まないで!
吾郎(声) (泣く)あああ~! 冷たい。冷たい一家だ!
幸子(声) ちがうのちがう! ただ今の発言は、撤回し謝罪します。そうじゃなくて、若いんだから、何度でもやり直せるわよ。
吾郎(声) もう何度もやり直したんだ! 四浪は嫌だ~!
愛 あぁあ、火に油そそいでるね。
幸子 (居間に戻ってきて)どうしよう⁈
富士雄 ん~、今年のボ―ナスはあきらめるしかないか。
翼 え~、おれプレステほしいのに。
幸子 わたしだって、新しい洗濯機が。
愛 よし! こうなったら、あたしが。(居間を出ていく)
富士雄 (呼びかけ大声で)なんか、ええ方法あるの?
愛(声) 殺虫剤でいぶし出す!
富士雄・幸子・翼 ええっ⁈
富士雄 (駆け出る)やめて、かあさん!
愛(声) (殺虫スプレ―をトイレの戸の隙間からふきつけているらしい)出てこい、弱虫!
吾郎(声) ぎゃ~~~っ! ゴホッ、ゴホッ!
富士雄(声) やめろっ、かあさん! おれの出世が!
愛(声) 富士雄、手を放せ! どうじゃ、出てこい!
吾郎 (居間に必死に逃げてくる)ウェっ! ゴホッゴホッゴホッ! 殺す気かよ、くそババア!
愛 (戻ってきて)なんじゃと、くそババア⁈(殺虫スプレ―を吾郎にふきかける)
幸子 おかあさん、落ち着いて!
吾郎 (殺虫スプレ―のせいなのかなんなのかわからないが、涙目で)ウェェ……!
愛 死ぬのが嫌なら、がんばれがんばれ。
吾郎 (胸がつぶれるようなため息)はぁぁあぁあ! ……がんばってきたんだ。がんばってがんばって、がんばっ……、パパに、「吾郎もよくがんばったな」って言ってほしくて、がんばって、がんばって! 兄ちゃんばっかり、兄ちゃんばっかり……
翼 わかるな、その気持ち。
幸子 あんた、一人っ子じゃない⁈
翼 わかるんだよ! ……なんとなくだけど。
吾郎 グルに言われたんだ。家にいるから苦しいんだ。すべてを捨てて家から出よ。
富士雄 そりゃ、親から自立するのも悪くないけど。
愛 ばか。別の意味、別の意味。
幸子 えっ、出家ってこと?
吾郎 一度は決心したんだ。でも出家するには、親の財産もすべて教団に寄付しなきゃならない。グルにこの身を任せる証に、全財産を。パパが一人で築き上げた会社も工場も全部……
富士雄 そ、それは……。
短い間。
愛 あぁあ、こんな迷信ばっか信じる医者の治療は、受けたくないねえ。
吾郎 ――。
愛 ええよええよ、四浪(よんろう)して、自分を知ろう(四浪にかけている)、ナンチャッテ。名前が吾郎だけに、五浪したりして。
吾郎、たまらなくなって大声で泣き出す。
吾郎 あぁああ! ……だ、大好きなトヨばあちゃんが、トヨばあちゃんがガンで死んで、ものすっごく苦しんで死んで。痛いよぉ、吾郎、痛いよぉって、ボクの手を握って泣いて……、おばあちゃん、ボク、ボク、大きくなったら、お医者さんになるからね。おばあちゃんをきっと治してみせるからね! ……トヨばあちゃんが、ホントにうれしそうに笑ったんだ。ボク、トヨばあちゃんみたいな苦しむ人を、この世からなくすんだって、そう誓ったんだ。誓ったはずだったのに……、なんだか親に夢をかすめ盗られちゃって、パパの夢、背負わされるみたいになっちゃって。苦しくて、情けなくて、苦しくて。
愛 (おばあちゃん思いの吾郎の話にすっかり心を動かされて。吾郎の背中をなでながら)あんた、今年はきっと合格するよ! あたしが保証する。
富士雄 なんだよ、落ちるって言ったり、受かるって言ったり。
愛 (無視して、吾郎に。胸元からお守りを取り出して)あたしがこのとっておきのお守りをあげるから。これがあれば、なんでも大丈夫!
幸子 おかあさん、大丈夫ですか、そんな安請け合いしちゃって?
愛 実はこれね……(言おうかどうしようかちょっとためらいを見せつつ)みんなには内緒にしてたんじゃけど、このお守りのお陰で、宝くじが当たったほ。高額当選!
富士雄・幸子・翼 ええっ! 高額当選⁈
翼 いくらいくら? 教えて?
愛 駄目。親戚が増えるから。
富士雄 (唾をゴクリと飲みこむ)親戚が増える……そ、そんなに……!
愛 もしこのお守りで医学部に合格したら、グルなんて捨てるって、この愛ばあちゃんに約束してくれる?
吾郎 え――?
愛 あたしを吾郎ちゃんの大好きなトヨばあちゃんじゃと思って。
吾郎 グ、グルを……捨てる……?
愛 (吾郎の体から変なものをお祓いするように)変なの〜、変なの〜、飛んでいけ~〜〜!
吾郎 え⁈
愛 変なの〜、変なの〜、飛んでいけ~〜〜!
富士雄 もう大丈夫! これ、効き目あるんだ。吾郎君の体からグルもカルマも飛んでった! 今度はおれが保証する。
吾郎 でも、急に、そんな……グルがいないなんて。精神的に頼るものがないとボク……。あの、あの、愛ばあちゃん。おばあちゃんのこと、グルって呼んでいい?
愛 (笑って)ハハハ、ええよ! きょうからあたしをアサハラアイと呼べ。
幸子 (小声で)おかあさん、それビミョ―に言っちゃダメなやつ。
富士雄 どう、吾郎君?
吾郎 ……はい。行きます、ボク。
幸子 じゃ、今度は黒猫も赤信号も、気にせずにね!(とトイレの方へ)
吾郎 や、あの、ボクやっぱり……
他のみんな えっ? やっぱり駄目なの?
吾郎 ……玄関から出てみます。よく考えたら、去年もその前も、グルの言うことを聞いて駄目だったんだ。やっぱり、自分の頭で考えて、自分で決めないと。(愛を不安げに見て)……だよね、グル?
愛 アッハハ、その通り! さ、行っといで。
吾郎 はい!
富士雄 じゃ、おれが。
吾郎 百山さんは、あの、やっぱり。(一緒に行くのは……)
富士雄 ええっ、そんなぁ⁈
みんな、笑う。
幸子 さ、いきましょう!
吾郎 いってきます!
みんな、口々に「がんばれ」「落ち着いてやれば大丈夫じゃから」などなど励ます。吾郎、幸子とともに玄関から大学受験会場へ。
富士雄 やれやれ、やっと出かけたよ。
愛 まずは一安心。
翼 ……おばあちゃん、あのさ、あれ、なんのお守り? おれも一個ほしいな。
愛 ああ、あれね。翼ちゃんにはまだ早いかな。
翼 え~、おれだっていろいろあるんだよ。
愛 じゃけどあれ、恋愛成就のお守りよ。
富士雄・翼 ええっ、恋愛成就⁈
愛 よく効くって、評判なの。霊験あらたか。
富士雄 かあさんに恋愛成就のお守りなんていらないだろ。
愛 ばか。あれのお陰で、高鍋さんと素敵な一夜を。ムフフ。
富士雄 ウゲ、聞きたくないよ、親のそういう話。
翼 じゃさ、宝くじが当たったってのも、うそ?
愛 本当よ。うそなわけないじゃない。
富士雄 水くさいな、かあさんも。……おれさ、実はさ、今度車が車検でさ、二十五万キロだし、思い切って、新車をさ。いや、中古でもいいよ。
愛 (思わず失笑しながら)あんたも器がちっちゃいねえ。宝くじが大当たりしたって聞いて、中古車? 家買うとか、世界一周するとか……
富士雄 や、親孝行しようって思ってたんだよ。ここ、二世帯住宅に建て替えてさ。かあさんがいいって言うんなら、同居しようよ。ね? ん、そうしよう!
短い間。
愛 ないよ。
富士雄 え? 一緒に住む気、ない?
愛 ちがう。ないほ、お金。みんな沖縄旅行で使っちゃった。
富士雄 ええっ、全部⁈ 三億円⁈ でもまだ残ってんだろかあさん? 正直に言って。お願い!
愛 (冷ややかな目で)やだねえ、欲の皮つっぱらかっちゃって。わが子ながら醜いよ。十万円、十万円。
富士雄・翼 え、十万円⁈
富士雄 高額当選じゃないの⁈
愛 十万円は立派な高額当選でしょうが。
富士雄 だって、ハハ、十万円……
愛 十万円を笑うものは、十万円に泣く。富士雄、おまえにはやっぱりカルマがついちょる。
富士雄 ゲッ、やめてカルマ!
愛 アハハ。……翼ちゃん。翼ちゃんは大きくなったらなんになるかねえ。医者はお金が儲かるよ。おばあちゃんが病気になったら診てくれる?
翼 吾郎さんがいるじゃん。
愛 ん~、現実問題、あの子が医者になるのと、あたしの寿命が尽きるのと、どっちが先か? 大学に六年、それから研修医に二年……今年、医学部に受かるどうかもわからんし。
富士雄 かあさん!
翼 アハハ、おばあちゃんなら、大丈夫。殺したって死なないよ。
愛 ん~、おばあちゃんもなんだかこの頃、そんな気がするほ! ハッハハ!
みんな、笑い合う。
(幕)
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