(戯曲前半からの続き…)
◎三場
怨霊が吠えるような炎の轟音がする。
二場から三日後。夜も更けた頃。
ここはヤクドクの森。白い花を咲かせたヤクドクの木が何千何万と立ち並んでいる。そのヤクドクの森が燃えている。赤く燃え立つ炎。その炎が白い花を飲み込む。火の粉がまるで黒い蛾が飛ぶように舞い上がっていく。そして広がる毒の灰。その燃えるヤクドクの森の炎の中で、手に松明を持ち、一心不乱に踊るうしびととテルテ。二人は無心に火をつけている。まるで取り憑いた「夢」と「罪」を焼き払う喜びに心活き活きと踊っているようである。同時に罪の深さにおののいて泣いているようでもある。それは幻想的な光景に見える。がしかし、確かに起こっている事実なのである。
けたたましい半鐘の音が鳴り響く中――溶けるように暗くなる………
◎四場
三場から五日後のこと。その日の午後。
一場と同じお堂のある小島。そのお堂の前の空き地。
ヤマコがお堂に向かいひざまずき、手を合わせている。
ヤマコ ……観音菩薩様、観音菩薩様。どうぞどうぞ、うしびとが見つかりますように……お導きを……。アズマの国を――アズマの国を――、お救い下さい!…………
ヤマコ、さらに深く額ずく。
…………
…………
ウミヲが浜の方からやってくる。
ウミヲ ヤマコ。そこの岩場にイカダがあった。やつらやっぱりここに来てるにちげえねえ。
ヤマコ 本当かい!
ウミヲ 言った通りだろ。人は追いつめられると、どうしたって前来たとこに来ちまうもんなんだ、馴染みの所に、思い出の場所に。追いつめられ、逃げ場を失ったやつは、特にな。
ヤマコ あんたの山勘が当たったわけだ。
ウミヲ 勘じゃねえ。経験から導き出された確かな答えよ。
ヤマコ 人の居所嗅ぎつける、人さらいの習性としか思えないけど。
ウミヲ 口の減らねえ女だ。――ま、いいさ、イカダは沖に流したし、これでうしびとも、逃げるったって逃げられねえ。
ヤマコ、またお堂に向かい手を合わせる。
ウミヲ お堂の中は探したか?
ヤマコ 中にいらっしゃるのは、観音菩薩様だけだ。あんたも手ぇ合わせな。アズマの国の安穏を祈ったって、バチ当たらないよ。アズマの国を、アズマの国を、どうぞどうぞお守り下さい………
ウミヲ (神頼みのヤマコに半ばあきれつつ)ヤクドクの森が焼けて、ヤクドクの毒が灰とともに舞い散っちまったからな。これで当分、アズマの国のあの辺り一帯にゃ近寄れねえ。(手を合わせる)観音菩薩様。ヤクドクに群がってた「ぐるみ」の連中は大弱りです、守護も地頭も、名主(みょうしゅ)も国人(くにびと)も。そのおこぼれを頂戴していた、この哀れなウミヲも困っております。どうかその慈悲深いお心で、お助け下さいませ。うしびとのやつを捕まえて、せめて懸賞金をたぁんまりもらえますように、よろしくお頼申します~~~っ。
ヤマコはウミヲの様子にあきれ、手を合わすのをやめ――
ヤマコ 本音言いなよ。仏様の前なんだから。
ウミヲ なんだぁ?
ヤマコ ウミヲ、あんたの一番の目当ては、別のところにあるんだろ?
ウミヲ 俺ゃうしびとの首にかかる懸賞金がほしいのよ。国の守がお触れを出した。今やつの首にゃあ銭十貫文かかってる。なんつったって、あのうしびとのことをよく知ってるのは、俺らだろ? 懸賞金はもらったも同然だ。
ヤマコ あんたは――、テルテが惜しいんだろ? あの素もぐり上手が。
ウミヲ (びっくりして目を見開いて)なんだ、妬いてんのか?
ウミヲはヤマコの顔を見つめる。
ウミヲ お前の目はどこを見てんだか。その左右のズレた目は。右目で俺を、左目はアズマの国か……。
ヤマコ あたいら一族郎党には、大問題なんだよ。ヤクドクの実の採り入れに、あのうしびとを手配したのは、うちの親方ってことになってる。早くうしびとを見つけて、国の守に差し出さなきゃ責めを負わされるよ。不安なんだあたいは、家のことが、親方のことが。(自分の肩を抱く。その肩は震えている)
ウミヲ (ヤマコの肩をそっと抱く)来いよ。震えを止めてやる。(お堂に誘う)
ヤマコ 駄目だよ。畏れ多いよ。
ウミヲ お前のことは、アズマの国を離れてからも、いっときも忘れたことはねえ。わかってくれるだろ。俺ゃお前一筋だった。な。今からでも縒(よ)り
戻そう。
ヤマコ じゃなんでアズマの国捨てたのさ。あたいや親方捨てたのさ。
ウミヲ ヤクドクの木が狂いやがったからさ! 毒の花粉をまき散らすようになったからさ。これじゃ安心してガキだってこさえらんねえ。
ヤマコ あんたはやや子ほしがってたね……。
ウミヲ 俺ゃサンジョウの親方に何度も言った。ヒノモトの国へ移ろうって何度も説得した。俺らの村がヤクドクの毒に侵されるめえに、ヒノモトの国へ移って、人商いの宿をやろうって。けど、あの頑固親父は――。(いら立つ)
――短い間。
ヤマコ あたいはあの子に、テルテに占われた。
ウミヲ 本当かよ――? なんて?
ヤマコ アズマの国を捨てるだろうって――親方を捨てるだろうって――一族郎党を捨てるだろうって。その夢に取り憑かれてる。(頭を抱える)気の狂いそうな夜もある。
ウミヲ だったら――、なおさら俺と――
ヤマコ 親は捨てらんないよ。家は捨てらんない。国は捨てらんない。
ウミヲ 何故さ?
ヤマコ 当り前じゃないか! アズマの国はふるさとだよ。黄金(こがね)の稲穂が稔る、豊かな国だったんだ。だからあんなに風が香るほどうまかった。アズマの国の海は、宝石みたいに魚がいっぱい泳いでた。だからあんなにキラキラ光ってたんだ。
ウミヲ 知ってるか、ヒノモトの国のやつらは、いつかヤクドクの木が毒を出すだろうってわかってたのよ。だから自分らの国には、一本もヤクドクの木を植えなかった。わざわざ遠く離れたアズマの国に、ヤクドクの木を押しつけたのよ。(指で輪っかの銭の形を示し)わずかばかりの見返りつけてな。……「ヤクドクの木」、言い得て妙じゃねえか。「ヤク」を手に入れるために、おのれの国に植えられねえような「ドク」の木を、アズマの国に植えやがった。うしびとのような下の下(げのげ)のやつらに、実の採り入れをやらせてな。危ない目に合わずに、甘い実を手に入れる。「ヤクドクの木は未来永劫、安穏でござぁい!」ってな神話作り上げてな。いい仕組みだぜ。
ヤマコ そんな事、あんたに言われなくてもみんな知ってるんだよ。知ってて、だまされてるんだアズマの国は。お人好しの国なんだよっ!(自分の国ながら腹立たしい)
ウミヲ わかってりゃ世話ねえや! ……テルテの占いはよく当たる。俺の宿でも評判だった。
ヤマコ らしいね……。
ウミヲ (舌打ちして)俺ゃ一度も占ってもらったこたぁねえけどな。
ヤマコ (嘲笑して)あの子も人を選ぶのさ。
ウミヲ うしびとを見てみろや! テルテの占いに呪われて、ほんとにヤクドクの木を燃やしやがった。テルテの占いから、のがれられるやつはいねえんだよ。――お前もそうだ。
――短い間。
ヤマコ (自分の「占い」の話題を避けて)うしびとってなんだろね……見かけも何もかも、同じ人なのに、何故扱いがちがうんだろ?
ウミヲ やつらは――なんだその……、劣ってんだろ? 穢れてんだろ?
ヤマコ 穢れてるって――何さ。もし穢れてるとしても、川の流れで体洗えば済むことだろ。それでも駄目なら、阿弥陀如来様に清めてもらえばいい。
ウミヲ 穢れが取れねえから、うしびとだって言うんだよ! 賤(いや)しい生まれってのは、前世の報いだって言うじゃねえか。因果応報、因果は巡るってやつだ。
ヤマコ 御仏(みほとけ)の前では、誰も同じさ。こぅ手ぇ合わせてお念仏唱えりゃ、誰もみな救われるんだよ。悪いやつほど救われるって、どこかの偉いお坊さんが言ってたよ。――いや、うしびとこそ、いの一番に極楽へ往生できる存在なんだよ。それが御仏の慈悲の心さ。
ウミヲ いいよ、そんな頭のこんがらがること考えなくても。うしびとは――いつまで経っても――うしびとさ。
ヤマコ ……あんたと、ちっとも変わんないように思うけど――。
ウミヲ (思い直して)あいつは――、あのうしびとは、ある意味偉えよ。あれだけの事をやったんだから。たいしたもんだ。
ヤマコ ……ヤクドクの森は、見事に焼け野原だ。
ウミヲ (鼻で笑って)それに比べりゃ、お前は怖気者だな。
ヤマコ 何っ! あたいのどこが怖気者だよ!
ウミヲ お前はよ、アズマの国を捨てられねえ。テルテのお先告げがあるのに、捨てられねえ。――いや、捨てられねえんじゃなくて、自分が変わるのが怖えのさ。
ヤマコ ――! 知ったふうなことを!(しかし少なからず動揺している)
ウミヲ 来なよ、俺の宿へ。お前さえ来てくれりゃ、俺ゃ怖えもんなしだ。お前は俺の――アズマの国なんだよ!
ヤマコ (心を動かされる)あたいが、あんたの、アズマの国――。
ウミヲ お前さえいてくれりゃ、国を捨てたって平気の平左だ。俺と一緒に宿をやろう。親はいつか老いさらばえて死ぬもんだぜ。親に縛られてたって、しょうがねえだろ! サンジョウの親方も、心ん中じゃ、お前の幸せを願ってるさ。な。(手を引く)
ヤマコ ――お堂は嫌だよ。バチが当たる。(……ウミヲの衣の裾をそっとつまむ)
ウミヲ じゃ――、俺の舟で。
ウミヲ、ヤマコを連れて浜辺の方へ去る。
…………
…………
しばらくしてうしびととテルテが、ウミヲたちが去った方をうかがうようにして、お堂の床下から這い出てくる。
うしびと 駄目だ駄目だ、もう駄目だっ。ウミヲたちがここまで来てるなんて。追っ手に追われ、犬に追いかけ回され、行き場を失い、この小島までなんとかのがれてきたが――。
テルテ イカダも沖に流したって言ってたべ。
うしびと この頭から悪夢を追い出し、今度は目の前の現実が、悪夢になった。――どうかしてた、そなたにそそのかされて、その気になって……。しかもあの宿でヤク茶を浴びるほど飲んでいたとは――。何故言わなかった、あれが、ヤク茶だと。
テルテ だって口止めされてたもん。
うしびと ヤク茶のせいだ。ヤクのせいだ。占いに呪われ心が狂い、ヤク茶のヤクで頭がいかれた。
テルテ (のん気に笑って)ふふっ。おめえ――、楽しそうだったじゃねえか。
うしびと 私が――?
テルテ 活き活きしてたべ。ヤクドクの木が燃え上がるたんびに、火の粉が舞い上がるたんびに、後ろ足蹴立てて、「モウオォォーーっ」て。おめえは、何か大きな大きなもんに歯向かうみてえで、勇ましかった、たくましかった。惚れ惚れするようだった。大きな大きな、歯向かいようもねえもんに、歯向かって歯向かって、すべて焼き尽くして――(激しく咳き込む)
うしびと 大丈夫か。そなたやはり――
テルテ (何とか息を鎮めて)……よく焼けたねぇ。ヤクドクの木は、幹ん中がガランドウだからねぇ。おら、清々したっ――。
うしびと 松明で、木に軽く火をつけただけなのに、あっという間に燃え広がって――
テルテ ……きれえだったねぇ。めらめらめらめらヤクドクの木が燃え広がって。まるで焼畑の火ぃみてえに。ヤクドクの花粉と一緒に、毒の灰が舞い上がって、まるで蝶々のよう――
うしびと いや、あれは黒い蛾だ。火に焼かれた黒い蛾だ。
テルテ ――赤く燃えた黒い蛾が、火に焼かれた黒い蛾が、ゆらゆらゆらゆら枝から枝へ、幹から幹へ、ヤクドクの森から森へ――。おめえさ、燃えるヤクドクの木を見て興奮して、そのヒヅメの足跳ね上がらせて、踊ってたねぇ。暴れ牛みてえに、狂い牛みてえに。こんな風にしてさ。(思い出して踊ってみせる)「モウォ! モウォ! モウォッ! モウォ!」。アハハハハっ……(体が苦しそうでもある)
うしびと あ、あれは、火の粉が足元を焼いて、熱くて仕方なく――。困っているのが楽しんでるように見えるのは、泣いているのが笑ってるように見えるのと、同じこと。
テルテ 黒い蛾が――(また咳き込む)、黒い蛾が――、何匹も何匹も、おらの周りをひらひらひらひら。おら、数わかんねえぐれえ、黒い蛾、食っちまった――。(激しく咳き込む)
うしびと (テルテの背中をさする)そなたは父上の死で、自棄になっていたのだ――。
テルテ ……!
うしびと 今思えば、そなたの父上は、最後まで海を捨てずにいて、幸せだったのかもしれぬ……。
テルテは胸が苦しくて、懐から巾着袋を取り出し、中に入れてあった粉を口へ放り込む。
うしびと なんだ? 何を飲んだ?
テルテ ……ヤク茶の茶の粉。
うしびと やめろ! ヤク茶はやめろ! いっときは気持ち良くても、しばらくしたら、体の芯から毒になる。
テルテ おら――胸がずんだか苦しいんだもん。じんじんせつねえんだもん。(さらにヤク茶の粉を飲もうとする)
うしびと やめろと言うのに!(ヤク茶の粉を、テルテの手から払い落とす)
ト二羽のカラスが鳴き交わしながらやってくる。二人の頭上を飛び交う。そのときお堂に糞を落として行く。
うしびと あ――。カラスめ。畏れ多くもお堂に糞を落としていった。
テルテ お堂はふんまみれだなぁ。見てみろ、ふんの中に種がある。カラスの食べ残した、木の実の種だべ。
うしびと さわるな。穢れるぞ。一度ついた穢れは、なかなか落ちるものではない。
カラスの鳴き声――。「カァーっカァーっ………」
テルテ ケガレる――。
テルテは自分の指に取った木の実の種をじいっと見る……。
テルテ (ふと)ぐずぐずしてると、ウミヲたちが戻ってくるねぇ。………(と言いつつもどこかのんびりしている)
テルテは体内に宿る気力が乏しくなってきている。その様子に覇気がない。
うしびとは何か決心したらしく――
うしびと テルテ。一つ私に考えがある。
テルテ 何? どんな? おもしれえこと?
うしびと ここで二人――別れよう。そなたはヒノモトの国へ行け。そなたの望みどおり、綺麗な海のそばへ。
テルテ おめえは――、どうすんだ?
うしびと 私はもう一度、アズマの国へ行く。「灯かりの下の闇ほど暗い」。これこそ逃げる際の秘訣だ。まさか追っ手も、大罪人の私が、アズマの国へ戻るとは思うまい。ヤクドクの森の集落には、うしびと仲間もいる。ヤクドクの木がなくなって、喜んでいる者もいるはず。ほとぼりが冷めるまで、そこで匿ってもらおう。もしも運があるならば、海を渡って佐渡の島まで、母を捜しに行こうと思う。下人の母は、主の意のままに、売られ売られて、今は佐渡の島にいるという。噂では足の筋を絶たれ、逃げることもままならず、日がな一日鳴子を鳴らし、干した粟に群がるスズメを追い払っているとか。
テルテ やだよっ! おらひとりヒノモトの国へ行くなんて――。
うしびと その体じゃ駄目だ。一緒にアズマの国へ行くなんて無理だ。あったかいヒノモトの国へ行け。空気の綺麗な西の国の、そのまた西へ。
テルテ 呪われた夢が消えたら――おらは用なし? 足手まとい?
うしびと そういうわけでは――
テルテ おらが、邪魔? おらが、お荷物? おらが――、嫌え?
うしびと テルテ――わかってくれ。
テルテ、お堂の前に額ずいて。
テルテ 神様、仏様、観音様! 神様、仏様、観音様! うしびとがおらを捨てようとしていますっ! ゴミみてえに捨てようとしていますっ!
うしびと やめろ!
テルテ やめないよっ。神様、仏様、観音様! うしびとがおらを見放そうとしています。どうかうしびとを、懲らしめてやって下さいっ!
うしびと やめろ! やめなさい!
テルテ おらも連れてって!
うしびと 駄目だ。
テルテ おめえさっ! おらを連れてって。
うしびと だったら――、この先を占ってみろ。
テルテ 占う――この先を?
うしびと どうしたらのがれられるか。追っ手をまけるか。どうしたら自由になれるか。さあ、さあ! 占ってみろ! それがわかるなら、そなたを一緒に連れていこう。
テルテ 急に言われたって、無理だよ。
うしびと では駄目だ。さよならだ。さよならだけが人生だ。元気のあるうちに、ヒノモトの国へ行け。(置いて行こうとする)
テルテ 待って! 待ってったら! だったら――おら、おめえに頼みがある。一生に一度のお願いだべ。
うしびと なんだ、頼みとは? 聞ける……頼みなら――
――一瞬の間。
テルテ おめえの子種おくれよ。
うしびと こだね? 子種って?
テルテ まろびととの結びつきができりゃ、おら――
うしびと (戸惑って)子種ってなんだ? 結びつきって?
テルテ おら、ずっと考えてたんだ。(うしびとの手を自分の着物の胸へ導く)おめえとのやや子授かりゃ――むろんおらはこの世の底に落ちたまんまだけんど――でも、おらのやや子はまろびとだ。その子授かりゃ、おらもきっと這い上がれる。きっととき放たれるよ。
うしびと そなた、そんな事を――。
テルテ な、いいだろ。もしもきょう別れるなら、あしたからはもう、他人同士だ。まろびとだって溜まるだろ? ね、したいだろ?(うしびとの股間をさわる)
うしびと テルテ――。
テルテ その代わり、系図書いておくれっしゃ。
うしびと 系図?
テルテ おめえとおらがまぐわったって証さ。やや子生まれたら、おめえの子だっていう、まろびとの子だっていう証――。
うしびと そ、それは――!(戸惑い動揺する)
テルテ おら、ヤク茶やめる。約束する。(笑顔になって)やや子できるんなら、ヤク茶やめなくちゃ。――お願い! おらのこと、嫌えでねえなら――。
うしびと 誰がそなたを嫌おうか。
テルテ だったら――!
うしびと しかし――しかし……、あ、あれは……あれは――
テルテ なんだべ?
うしびと ――まやかしなのだ。
テルテ まやかし……?
うしびと (ためらうが……)実は――私は……生れ落ちたときからの、うしびと。まろびとでもなんでもない。母の――かあやんの――作り話なのだ。
テルテ かあやん……おめえのおかあ?
うしびと 物心ついて、いちばん最初に覚えているのは、かあやんの衣洗う姿。かあやんは川淵で衣を洗っていた、山のようにたくさんの衣を、砧(きぬた)を打ちながら、歌をうたいながら……。あれは家の主(あるじ)、一族一同の汚れ物だろうか。私は、その衣洗いをするかあやんの着物の裾を、幼い手でつかんでいた。小気味良く動くかあやんの手の動きを、いつまでも飽きずに眺めていた、あったかい心持ちを感じながら……。かあやんの手は荒れて、指はあかぎれていた……。と――そこへ通りかかった村のわらしどもが――忘れもしない――こう言ってかあやんを囃し立てたのだ。「うしびと うしびと 何してござる ひづめの指で 洗ってござる あるじの衣 洗ってござる……!」(悔しさに涙に声が詰まる)
テルテ ――!
うしびと 覚えているのは、かあやんのその姿。――その母が、たわむれに何度も話して聞かせてくれたのだ。お前には、まろびとの血が流れているのだと。ある日のこと、熊野詣で通りかかった、やんごとなきお方の御一行が、母の主の館にお泊りになられた。そしてその夜、ミカドの血を引くまろびとの男(おのこ)が、美しい母を見初めて、一夜の床を共にしたのだと。その落とし胤(だね)が、この私なのだと。お前には、まろびとの血が流れている。だからいつか世に出て、このみじめな母を救い出しておくれ――。かあやんは耐え切れぬ毎日を耐えるために、みじめな自分の境涯を繕うために、そのような夢を――作り話をこさえて、私に語って聞かせたのだ。心の支えとするために――。
テルテ (うしびとの目をじいっと見て)駄目だよ――おらにそんな長ったらしいうそついても!
うしびと これがまことの話なのだ。
テルテ おめえやっぱり――、おらの体がケガレてるから――
うしびと ――穢れてる? 穢れてる! (何かに対して激しく怒る)穢れてなぞいるものか! うしびとこそが、謂(いわ)れなくそう蔑(さげす)まれもするが――穢れてなぞいるものか! そなたの清い魂は――うしびとのこの私がいちばんよく知っている――そなたの清い魂は、穢れてなぞいない! 誰も穢れてなぞおらんのだ、そなたも私も。
テルテ だったら――お願いっ! おらにも、おめえのおかあのように、生きる望み授けておくれっしゃ!
うしびと かあやんのように……生きる望みを――。
テルテ あいっ!
うしびと、心を動かされる……五拍の間。
うしびと テルテ……私にはお先告げはできないが、どうやらそなたに、夢を与えることはできるようだな。あしたを生きる夢を――、そなたを支える御物語を――。
テルテ あいっ。
二人、手をつなぎお堂の中へ。
…………
…………
ヤマコとウミヲが戻ってくる。ヤマコの足取りは憤慨している。先をずんずん行く。ウミヲが、ヤマコを後ろから追いかけてくる。
ウミヲ なんだよ! どうしたよ。待てって! 途中でやめんなよ。
ヤマコ あんたの舟の荷物は何? あたいの頭の上に落ちてきた物は?
ウミヲ お前のよがり方が激し過ぎるんだよ。へヘヘっ。(いやらしく腰を振る)
ヤマコ 馬鹿!(ウミヲの頭をどやしつける)
ウミヲ ――ありゃ牛の骨さ! ヤクドクの木の、肥やしにするんだよ――するはずだったのよ。
ヤマコ ヤクドクの木の肥やしに……?
ウミヲ 牛の骨を粉にして、ヤクドクの木の根にまく算段だったのよ。「モゥオ!」――牛は鳴き声以外、なんだって使えるからな。それが、うしびとを急に追うはめになっちまって、港から荷を積んだまま来ちまったのよ。
ヤマコ 気色悪い。穢れるよ。
ウミヲ 金になるんだよ。人さらいばかりじゃおめえ、お上の目がうるさいからな。――だけど困ったね。ヤクドクの森が、焼け野原になった今となっちゃ……。
ヤマコ (お堂にひざまずき祈る)清めたまえ、鎮めたまえ。清めたまえ、鎮めたまえ。…………
ウミヲ よせよ! 俺が何か悪いことでもしたか。「ヤクドク」という大きな大きな金儲けの木があって、それを少々利用しようとしてただけだろ。お前だって、ヤクドクの実の採り入れに、何人うしびとを送り込んだ? えぇ、よぉ? 罪は同じさ。罪を被(こうむ)るんなら、な、蜜も味わなきゃ。――それも、今じゃおじゃんだが。
ヤマコ …………。
ウミヲ それよりも続きをしようぜ。(自分の股間をまさぐる)我慢が切れた。辛抱ならん。あとひと突きで天に昇るって時に、お預けされてよ。(ヤマコの手を引き、お堂の中ヘ入ろうとする)仏の子を授かるとしようや。
ヤマコ お堂は駄目だって――観音様が嫉妬するよ。
しかしウミヲはヤマコの手を引き、お堂の中へ入ろうとする。しかし、お堂の観音開きの扉があかない。
ウミヲ ウゥッ、あ、あかねえ! 中から誰か押さえてやがる。もしかして――
とっさにお堂が答える。
テルテの声 (観音様に扮して必死に)や、やめよぉ、ウミヲよぉ。やめろったら! 扉をあけるなっ。大人しくしろぉっ。よっく聞けぇ。ケガレたる者よぉ。
ヤマコ アァッ、アァア……観音様の声だっ!
ウミヲ 馬鹿な! お前は信心が深過ぎる。
テルテの声 (中から必死に扉を押さえながら)よっく聞けぇ。ケガレたる者よぉ。心ケガレたる者よぉ。そのケガレを取るためにぃ、衣を脱ぎ捨て、海へゆけぇ。海へゆけぇ。波でその身を清めるがよい。
ヤマコ ハハぁっ。(ひれ伏す。仏を畏れ、衣を脱ぎ出す)
ウミヲ おいっ! 何脱いでんだ! 観音様の声なんてするわけねえ! こらっ、テルテ! テルテ! わかってるぞっ、おらっ!(さらに力を入れ扉をあけようとする)
テルテの声 (必死)やめろぉ! ウミヲよぉ!
ウミヲ テルテ! テルテ! 出てきやがれっ。クソォ! おりゃあっ!(お堂の扉を力尽くで無理やりあける)
扉を押さえていたテルテが一人、弾みで飛び出てくる。
テルテ (お堂の前の地面に転がり落ちる)アテぇッ!
ウミヲ うしびとはどこだ? 言え! 言え!(テルテの頬を乱暴に張る。取って返してお堂の中へ)うしびと! うしびと! ああっ、お堂の床に抜け穴がっ!
テルテ (とっさに)う、うしびとはね、ヒノモトの国へ行ったべ。ヒノモトの国のあったかい所へ。西の西の、そのまた西へ。そうっ――、クマソの国へ。
ウミヲ、腹を立てテルテの胸倉を絞め上げる。短剣を取り出し、鼻先に突きつける。
ウミヲ いい気になりやがって。おめえのその顔に「牛」って字を刻んでやろうか! おめえは借金だってまだ残ってんだぞ。
テルテ いんや、おらもう充分働いた! 身を売って働いたっ。おめえがみんなお足ちょろまかしてるんだべ!
ウミヲ な、生意気言うんじゃねえ! おめえを今度はきっぱり売り飛ばしてやる。今よりもっとひでえ所に宿替えさせてやる。虫けらのように、男どもの慰み者になる所にな。(半泣きになり)テルテぇ、俺がどぉんだけおめえに情けかけてきたか、わかるだろ、よぉっ。テルテよぉ……!(可愛さ余って首を絞め上げる)
テルテ ぐっ、ぐ、苦しっ。(白目をむき泡をふく)
ウミヲ テルテぇ……! チキショウっ……!(なおも締め上げる)
テルテ (息ができない)アッ、アッ、アガァァッ……!
ヤマコ やめなよっ! 泡ふいてるよ。死んじまうよっ。
ウミヲ うるせえっ!
ヤマコ 可愛さ余って憎さ百倍かい!
ウミヲ 黙ってろっ。
とそこへ、お堂の床下からうしびとが勢いよく這い出てくる。
うしびと モウオォォオっ!!!(ウミヲに激しくぶちかまし)
ウミヲ (突き飛ばされる)おおっ――!
うしびとはその手に観音菩薩像を持って、ウミヲを威嚇するように構える。
ウミヲ オホッ! 出やがったな、うしびと! 手に持ってるのはなんだ? てめえのツノか?(自分の言った冗談を気に入って笑う)ヒェヒェヒェヒェッ! 大人しくしなっ。(短剣を構える。殺気が漂う)
うしびとはウミヲに対し、ツノと言われた観音菩薩像を振り回す。御本尊。
うしびと おぅっ! おぅっ!(振り回す)
ウミヲ (短剣で威嚇する)シィッ! シィッ!
うしびと おぅっ! おぅっ! おおぅっ!
ウミヲ シィッ! シィッ! シィィッ!
うしびと おぅっ! おぅっ!
ヤマコ やめなよ、観音様を振り回すなんて――。(観音様が)目ぇ回しちまうよっ!
テルテ (突然低い声で唸り出す)おおおぉぉぉ……おおおぉぉぉ……
ウミヲ ん? なんだぁ? おおっテルテ、おめえ――!
テルテ、上体をふらふら揺らしながら、半ば失いかけた意識の中で朦朧と占い出す。
テルテ おおおぉぉぉ……おおおぉぉぉ……植えろぉ、植えろぉ、種を植えろぉぉ。この身の上に種をぉ、焼け野原のこの身の上にぃ……種が芽を出す。芽は双葉をつけ、茎を伸ばす。やがて花が咲き、甘い甘い実をつけるだろうぉぉ……植えろぉ。植えろぉ。種を植えろぉぉ。ヤクドクの焼け野原に、うしびとの持つ種を、新しい種を植えろぉぉ。よいか、うしびとよぉ、種を植えろぉぉ………
うしびと わ、私が――?! 種を――?! 焼け野原に――?!
テルテ おおおぉぉぉ……おおおぉぉぉ………
ウミヲ いい加減にしねえか! 何占ってやがる。目ぇ覚ませ!(テルテの頬を強く張る)こらっ! おいっ!
テルテ (条件反射的にウミヲに噛みつく)――!
ウミヲ アィテテテテッ! クソッ! このアマっ!(短剣で、噛みつくテルテの腕を刺す)
テルテ (悲痛な絶叫)アァッ!
ウミヲ (自分がした事ながら急に心配になって)アアッ――だ、大丈夫か?
テルテの占いに半ば恐慌をきたしたうしびとが、観音菩薩像を振り回し、ウミヲに襲いかかる。
うしびと うおぉぉおぉぉぉっ!
うしびと、ウミヲの脳天に思い切り観音菩薩像を叩きつける。「ゴンッ!」――と乾いた小気味良い音が響く。衝撃で観音菩薩像の胴体が二つに割れて、その胴体の中から大量の木の実の種が溢れこぼれ、ウミヲの頭になだれ落ちる。
ウミヲ ムギュゥッ!(倒れ、一瞬気絶する)
テルテ ……た、たね?! 種だ――?!
ヤマコ 大丈夫?! 大丈夫――観音様はっ! あぁっ、おいたわしい――。(半分取り乱して、ウミヲより壊れた観音様に気を奪われる)
ウミヲ、朦朧としつつも身を起こす。
ウミヲ クソォッ……うしびとめっ……!
うしびと (ウミヲの背に飛び乗り、牛に跨るように「牛乗り」になる。ウミヲの耳を手綱のように引っ張り上げながら)こいつめっ! こいつめ! まだうしびとと呼ばわるかっ!
ウミヲ (痛さに思わず牛みたいにうめく)モモモモオウッー!
うしびと こいつめ! こいつめっ! こいつめ! こいつめ!
ウミヲ やめてくれっ。やめてくれ。モモウッやめてくれ。耳がちぎれるっ!
うしびと (涙声)こいつめ! こいつめぇ!
ウミヲ わかったっ。悪かったっ! 悪かったよっ。モモウッ謝るよぉ。
うしびと こいつめ! こいつめ! こいつめっ!
ウミヲ うしびと、俺が悪かったっ!
ヤマコ もういいよ。充分だろっ。(割って入ってやめさせる。ウミヲを抱きかかえ頭を抱く)あんたっ! あんたっ!
ウミヲ う、うぅっ、うしびとめっ……ムギュウっ!(再び気絶する)
うしびと、テルテを抱きかかえる。
うしびと テルテっ!
テルテ ああ、ああっ、おめえさっ。うれしいよっ。(抱きつく)――アテテテッ。(抱きついた弾みで腕の傷が痛む)
うしびと そなた――、大丈夫か?
テルテ うん。
うしびと 走れるか。
テルテ ――うんっ。
うしびと (心を決めて)参ろうっ、一緒に!
テルテ ――どっちへ? 東へ? 西へ?
うしびと いいから! 早く!
テルテ あっ――、ちょっと待って。
テルテ、観音菩薩像からこぼれ出た種を両手いっぱいに拾い、懐に抱く。
うしびと 早くっ!
テルテ あいっ!
うしびととテルテ、逃げる。走る。
ヤマコ 待って! 待って! うしびとっ! テルテっ! (観音菩薩像を抱き上げ)アアッ観音様! (気絶しているウミヲに)ウミヲっ! ウミヲっ! 観音様でお陀仏だなんて、あたいヤだよぉ!(ウミヲを抱きしめ泣きつく)しっかり! しっかりしてよぉ! あんたっ。あんたァァァ~~~~っ!
ヤマコの泣き上げる声につられて、島の鳥たちが一斉に鳴き出す。
ヤマコ あんたァァァァ~~~~~っ!!!
鳥たちとヤマコのなき声の二重唱とともに………溶けるように暗くなる。
◎五場
四場から数日後。その黄昏時。
ここは、アズマの国のヤクドクの木の焼け野原。海辺の近くで、元はヤクドクの森であった所。所々焼け残った木の残骸が立ち残っている。心なしか焼け残りの燻ぶりから薄く煙が立ち昇っている。かすかに波音が聞こえる………
うしびととテルテ、焼け野原に種を植えている。地面に小さな穴を穿(うが)ち、その中に観音菩薩像から零れ落ちた種を一粒ずつ入れ、優しく土を被せる。手でその土を撫でる。テルテはヤクドクの毒とウミヲに負わされた傷で弱っている。しかし元気に振舞っている。傷ついた腕を布切れで縛っている。
テルテ (種まき歌をうたいながら種を植える)
ほい、ほい、ほい……ほい、ほい、ほい……
生えろよ 生えろ 空高く 伸びろよ 伸びろ 土深く
春に花咲きゃ 秋にゃ鈴なり 甘い実食べて 冬こゆる(肥ゆる・越ゆるの掛け言葉)
ほい、ほい、ほい……ほい、ほい、ほい……
テルテは種を一粒一粒、調子を取りながら植えていく。時折、種を一粒二粒食べてみたり……。途中で咳き込む。同時に腕の傷が痛む。
テルテ アテテテテっ。
うしびと (テルテを気遣いながらも黙々と植えている)おい、無理するな。
テルテ うんっ。(また植える)
ほい、ほい、ほい……ほい、ほい、ほい……
生えろよ 生えろ 空高く 伸びろよ 伸びろ 土深く…………(歌い続ける)
二人、しばらく種を植える。穏やかな波の音………
テルテ おら、種なくなった。(手の土をパンパンッと払う。腰をウゥンッと伸ばす)
一足早く種を蒔き終わっていたうしびとは、先程から白い粉を撒いている。まるで絵画の「種蒔く人」のように。
テルテ なんの粉?
うしびと ウミヲの舟にあった――肥やしだ。
テルテ ああ、牛の骨の……。
うしびと 砕いて、粉にした。
テルテ 「うしびとが牛の骨まく」――か。じゃ、おらはおしっこ種にかけるべ。
うしびと そなた、立小便ができるのか?
テルテ 立たねば、駄目?
うしびと (半ば冗談)そこら中に振りかけるならな。
テルテ まだ立ってしたことねえ、おしっこ。(笑う)やってみるか。
うしびと 無茶するな。体に障る。ヤクドクの毒を甘く見るな。
テルテ じゃ、おめえが代わりに。
うしびと (笑って)あとでな。ふふふ。
テルテ、焼け野原を遠くまで見渡して。
テルテ アハっ、それにしてもよっく焼けたもんだ。
うしびと (粉を撒いている)また人事みたいに。
テルテ うそみてえ、遥かかなたまで見渡せる。ヤクドクの木は果てしねえ森だったのに、きれえさっぱりしたなぁ。清められたもんだなぁ。ほら、海があんなに近くに――。
うしびと ああ、ほんとだ……。
テルテ 凪いでるねぇ。波一つ立ってねえ。海の向こうさ何があるんだか。あの穏やかな海の向こうに……。
うしびと うん……。
二人、しばし海を眺める。波の穏やかな音が打ち寄せては引いてゆく………
テルテ (急に後ろを振り返り)追ってくるかな、ヤマコたち?
うしびと ああ、たぶん。
テルテ 怒ってっかな、おらたちが舟を盗んで。
うしびと (苦笑)それ以前の問題だ。私らは大罪人。ヤクドクの森を焼いたんだから。
テルテ ウミヲ――生きてるべか?
うしびと さあ、な……。
テルテ おら、疲れたな……。(体がだるい)
うしびと 二日二晩、歩き通しだったからな。あの小島で舟を奪い、アズマの国を目指して休みなく漕ぎ続け、人気ない浜辺で舟を捨て、それから歩いて歩いて……。(ふと思い出したように)そなたの傷の手当てもせねば。
テルテ 道々畑の野菜盗んで食って、山のキノコかじって食って――
うしびと 先を急ぎながらも、すでに頭の中は、ヤクドクの焼け野原に、種を植える夢に囚われていた。新しい夢に取り憑かれ、いつの間にやら気が狂いそうになっている。足の裏の豆は破れ、腹の皮は背中にくっつき、疲れ果てているのに――種を植える夢に囚われ、足を止めることができなかった――。
テルテ おら、ほんに疲れたべ。
うしびと さ、もう行こう。ここは体に悪い。どこか安心できる所で休もう。焼け野原に種は植えたし……(自分の頭の中を探り「夢」が残っていないかを確かめる)もう――お先告げの夢も消えた。
波の音………
テルテ (体がだるく動く気力が出なくなる)……なあ、おめえさ。流木拾ってきてけれ。燃え残った木でもええ。海見下ろせる所に、小屋建てるべ。
うしびと よせ! またお先告げか。あしたを占うのか。
テルテ 小屋建てて、ここで暮そうよ。二人でやや子育てて。火ぃ焚いて、貝を煮て、魚焼いて食って……
うしびと ここら辺りの貝や魚は、毒にきっと侵されている。
テルテ (妙な確信がある)いんや、海が清めてくれるはずだべ。海はあんなにでっけえんだもん、まちがいねえ。……おら、この目で見てるみてえにわかるんだ。ここで小屋建てて暮してるうちに、おらたちの植えた種から、ちいぃっこい芽が出て、双葉が開いて、(少し笑って)おしっこかけて、木がぐんぐん育って……春には花が咲くだろ、夏には葉ぁ茂らせて、秋にはきっとみのりが来るべ。牛のように働いて、この土地さ耕して、畑作るのもええかもな。おらのお腹には、十月十日、まろびとの子どもが宿って――やがてこの世に生れ落ちる。そうなれば、おら、もう死んでもええ――。
うしびと (苦悶)そなたがこの先のことを話すと、それがお先告げのように聞こえてくる。また夢に取り憑かれ、四苦八苦で夢を叶えねばならなくなる。
テルテ おらがもしまだ元気なら、わらしに海のすべて教えるんだ。おとうみてえに、おとうがおらに教えてくれたみてえに。遠泳ぎの仕方に、素もぐりの仕方。貝の取り方、魚の獲り方、風の読み方、波の見方。そして海の怖さを、海のすんっばらしさを。――一度でええからおら、わらしと一緒に、真珠取ってみてえな! ……なあ、おめえさ、おらが死んだら、おらのむくろ海に流してけれ。そんでおめえは、わらしと一緒に、佐渡の島へおかあさがしにゆくとええ。きっとおめえさ、待ってるべ。
うしびと もうしゃべるな、テルテ。私のあしたを告げてくれるな。私のあしたを、縛らないでくれ。
テルテ おら、ちょっとだけ横になるべ。……眠いよ。なしてこんなに眠いんだろ。きっとお腹の子が、おらの体の中で、おらの肉、食ってるんだな。そんでおら、力が抜けて………
テルテ、うしびとの腕の中でまるで死んだように眠る。
うしびとはテルテを見つめ、そして海へ目をやる。波の音がする………。
…………
…………
ヤマコとウミヲが来る。二人は盗賊のように口と鼻を布で覆って隠し、毒を吸い込まないようにしている。ウミヲはビクビクおびえ、自分の周りの見えない毒を手で払い、嫌がっている。
ヤマコ やっぱりここにいた。テルテの占い通りだ。
ウミヲ (瞬時に、殴り倒されたときの怒りが蘇り)うしびと、てめえっ――。
うしびと ウミヲ、そなた無事であったか――。
ウミヲ (動作をまじえて)俺ゃ首がのめり込んで、元に戻すのに、木の枝に縄かけて首吊って、丸一日ぶら下ってたんだぞ。――(テルテに駆けて近寄り)あぁっ、そんなことより、テルテは、なんだ――死んでるのか? テルテ! テルテ! (テルテの腕の傷を恐々さすり)俺が悪かったよぉ。痛かっただろぉ。おい、こんな所で毒吸っちまったか。
テルテ (目を開け弱々しい声で)ウミヲぉ……おらたち種植えたんだ……
ウミヲ ああクソッ……! 虫の息じゃねえかっ。(うしびとに)テルテには、貴様のような毒に耐えられる力はねえんだよ! なのに引っぱり回しやがって。種を植えたって、こんな所に木が育つかよっ。育つとしても、またヤクドクの木だけだろうぜ。
ヤマコ (うしびとに)あんたには、「裁き」受けてもらうよ。ヤクドクの森焼いた大罪人だ。ヒノモトの国も、アズマの国も、許しちゃくれない。ヤクドクのヤク売ってた、「ぐるみ」の連中が許しちゃくれない。――だけど、だけどさ、好き勝手に殺させやしないよ。あんたは、ヤクドクの木に群がってたやつらのこと、洗いざらい、お裁きの場で語るがいいや。あんたがどんな扱い受けたか、どんな蔑み受けたか。あんたを、うしびと呼ばわりしてたやつらの、身勝手さをよ。たとえ誰も聞いちゃいなくても、仏様は耳傾けて下さるよ。
ウミヲ おいおい、自分棚に上げて何言い出すんだ。うしびとどもを、ヤクドクの木の務めにずんだか送り込んでたのは、ヤマコ、お前だろうがよ。
ヤマコ あ、あんたもだろ。
ウミヲ ああ、俺らは一蓮托生よ。「ぐるみ」のやつらを悪く言えねえ。お前も俺も、ヤクドクの木のおこぼれで、儲けさせてもらってたんだから。
ヤマコ それでもさ――それでも、首斬られる前に、竹ノコギリで首ギリギリ切られる前に、うしびとにはさ、裁きの場で、何かを語るお情けは与えられるべきだよ。そう思わないかい?
ウミヲ 裁きだなんて……(ニタリと笑い)また逃げ出すに決まってるよ。(うしびとに迫る)なあ? 今度はどこへ逃げるよ、うしびとさんよ。えぇ? 逃げねえのかよ? よぉ? ――テルテを置いちゃ、逃げられねえか。
うしびと …………。
ウミヲ 俺ゃ正直、おめえを天晴れなやつだと思ってるよ。捕まるたんびに逃げ出すわ、ヤクドクの木をまるごと焼き払っちまうわ、ある意味偉えやつだと思ってる。うしびとでなけりゃ、俺の子分にしてやってもよかった。
ヤマコ あんたの子分だなんて、うしびとのほうがお断りだよ。(うしびとに)ねえ?
ウミヲ 何をっ――!
ヤマコ 見てみなよ、この焼け野原を! 度胸なら、うしびとがあんたより数段上だ。ちがうかい?
ウミヲ そりゃあ……そうだが。(認めざるを得ない)
ヤマコ あんたもあたいも、世の中の荒波にさらわれないように、大きな「何か」に必死にしがみついて生きてる、イソギンチャクみたいなもんさ。「ぐるみ」にしがみついてる、「ぐるみのぐるみ」さ。
ウミヲ ぐるみのぐるみ……ねえ。悔しいけど、言えてるな。――ま、いいや。俺ゃ懸賞金が手に入りゃ。
ヤマコ (苦笑する)フンッ。(うしびとに)さ、いいね、うしびと。観念しな。(連れて行こうとする)
うしびと 待ってくれ、しばし、しばし。テルテに歩く元気が戻るまで。せめて――、あの海にお日様が沈むまで。それまでそなたらも、この種を植えてみてくれ。
うしびとは懐から、取っておいた木の実の種を差し出す。
……ヤマコ、一瞬迷うが、種を受け取る。ウミヲはそれを受け取らない。
ヤマコ 縄はかけさせてもらうよ。
うしびと (手で制して)いや、もう逃げはしない……。(寝ているテルテを示し、ヤマコに目顔で訴える)
ヤマコ ……わかったよ。
ヤマコ、うしびとの首に縄をかけるのをやめ、縄をウミヲに渡す。そして、うしびとから手渡された種を口の中でねぶって湿らせ、土に植える。
ウミヲ よせよ、育つわけねえ。早く行こうぜ。毒吸い込んじまうよ。
ヤマコはウミヲを無視して種を植える。ウミヲは縄を手にして仕方なく立っていたが……
ウミヲ (あきれてブツブツと)しょうがねえなぁ……俺の言うこと聞きゃしねえ……。クソッ、半分寄こせ!(ヤマコの手から種を奪い取る)
ウミヲも種を植え始める。
うしびとはウミヲの様子にふっと笑みを漏らす。そして海に沈む夕日に目をやり、静かにテルテに語りかける。テルテはうしびとの腕の中で目をつぶっている。うしびととテルテの顔は夕日に赤く染まる。
うしびと テルテよ。日が沈むぞ。でっかいお日様が。一筋のまっ平らな波の中に、アズマの国の海の中に。テルテ、ほら見ろ。今、日が沈む――。……私は、「この時」が好きだ。あるのは、やるせないこの気持ちだけ。このやるせない気持ちが胸いっぱいに満ちて、おのれのみじめさを忘れさせてくれる。――わかるかい? お日様の前では、うしびともミカドもない。ミカドもうしびとも関係ない。海に沈むお日様の前で、なんと人は小さいんだろう、なんと愚かで――いとしいんだろう。私はヤクドクの木の枝の上で、蜜蜂のようにヤクドクの花に花粉をぬりながら、海に沈むお日様を眺めていたものだ、胸に涙をためて……。テルテ、見えるか。そなたの大好きな海に、真っ赤なお日様が沈んでいく……。(ふと疑いが頭をかすめる)テルテよ――、本当に焼け野原に木は生えるんだろか。その木にはなんの実がなる? そなたのやや子はなんになる? 何を成し、どんな人に? (微笑んで)どんな人とめおとになる? テルテ、テルテよ……教えてくれ――。なあ?(うしびとは一人感傷に浸っている)
テルテ (すると薄っすらと目を開け)うん……うん……おめえさ。おら――、占ってみるべ。(半身を起こし、揺れ出す)おおおぉぉぉ……おおおぉぉぉ……
うしびと、「占ってみる」と聞いてギョッとして慌てて――
うしびと あぁっ――しまったっ! テルテ、待てっ、テルテっ!
テルテ おおおぉぉぉ……
ういびと おい、待て待て! だからもう占うなっ! 私はそんなつもりで言ったんじゃ――
テルテ おおおぉぉぉ……
うしびと もう何もしゃべってくれるな。(テルテを赤子のようにあやす)いい子だテルテぇ、寝んねしなぁ。
テルテ おおおぉぉぉ……
ウミヲ アハハっ、馬鹿なうしびとだぜ。こりゃいいや! またお先告げの餌食だぜ、ヘヘヘっ。
テルテ (トやおら)ウミヲよぉ――
ウミヲ はいっ――?
テルテ ウミヲよぉ――
ウミヲ お、俺ぇ――?!
テルテ ウミヲよぉぉ……ヤマコとやや子を作れぇ。わらしをたぁんと作れぇ。そのわらしどもに木の守(も)りをさせろぉ。おおおぉぉぉ……アズマの国の木の守りをぉ。守りびと(まもりびと)となって、アズマの国をとこしえに守るがいい。ウミヲよぉ、ウミヲぉ、わかったなぁぁ……おおおぉぉぉ………
ウミヲ 馬鹿なこと告げるなっ! うしびとじゃねえのかよっ! 俺ゃこの国捨てたんだ――!
テルテ ウミヲよぉ……ヤマコとともにぃ、わらしどもとともにぃ、アズマの国の守りびととなれぇぇ……おおおぉぉぉ………
ウミヲ やめろッ――! クソォッ、おめえもう死んでくれっ!(テルテの口を力尽くでふさぐ)
テルテ (条件反射的にウミヲの手に噛みつく)!!!
ウミヲ イテテテッ! また噛みつきやがった!
テルテ おらまだ死なねえよ。(自分の腹をさする)やや子育てるんだ! (何とか立ち上がり)ウミヲっ!
ウミヲ なんだぁ?!
テルテ これでも食らえ!(ウミヲに金蹴りを食らわす)
ウミヲ アギャッ! (悶絶)ウググウグゥ……!
ヤマコ ウミヲっ! ウミヲっ! あんた、大事な金のタマがっ――!
テルテ (うしびとに)今だよ、おめえさっ、逃げるべっ!
テルテは弱った体に力を振り絞り、うしびとの手を取り、抱きつく。
うしびと (テルテを抱き止め)テルテっ! よしっ!
うしびとは素早くウミヲから縄を奪い、ウミヲと、ウミヲを介抱するヤマコを縄で縛り上げる。
ヤマコ 何すんの!
ウミヲ (まだ痛さに悶えつつ)クソォっ……うしびと、てめえっ……!
ウミヲとヤマコはあっという間に縄で一つに縛られる。
うしびと テルテ!
テルテ うんっ! こっちだべ!
うしびととテルテは手をつなぎ海の方へ駆け出す。テルテは片手でお腹のやや子をかばうようにしながら。
ヤマコ (ウミヲとともに縄で縛られたまま)うしびとぉ! テルテぇ! 待てぇ! おーい、そっちは海だぞぉ?!
ウミヲ (足を内股にして自分のタマをモゾモゾ撫でつつ)クソォ……、ヘッ、逃げてる逃げてる、うしびとが。泳いで唐の国へでも渡る気かよっ……ヘヘヘっ。(半ば馬鹿にしながらも半ばやりかねないと思っている)
ウミヲとヤマコ、縄で一つに縛られたまま、海へ逃げるうしびととテルテの姿を見ている。波の音が聞こえる………
ヤマコ (突然――すっきりした声で)ここで待ってよう! 国守りになって――守りびとになって。きっと戻ってくるよ、あの二人は。芽が出たかどうか、確かめにな。
ウミヲ ヘンッ。あいつらは逃げ続けるよ。
ヤマコ 賭ける――あんた? この先どうなってるか?
ウミヲ (首を激しく振る。その弾みで唇が鳴る)ブルルルルッ! よせよ――とんでもねえっ。賭けも占いも――俺ゃやらねえよっ。
ヤマコ (気持ちよく笑う)アハハっ、アハハハハハっ! (ト縄から自由な体のどこかでウミヲの金のタマをさすり)あんた、どうだい? このタマで、やや子作れる――? (ト突然ヤマコはウミヲの唇に強く唇を重ねる)あんたぁっ!
ウミヲ ま――、待てよっ――。(ヤマコの唇を無理によけて)お前まで「夢」に縛られちまったのか?!
ヤマコ (ウミヲの唇を、体を――いや、そのすべてを求める)ウミヲよっ。ウミヲっ。やっぱあたいは、この国捨てられないよっ!
ウミヲ (口づけされ戸惑いながら)ヤマコっ。ヤマコっ……! ――クソォッ!(今度は自分からヤマコに口づけする。口づけしながら喋る)俺ゃ――アズマの国を捨てたんだ、捨てたんだよぉ――。ヤマコよぉっ!(言葉とは裏腹にヤマコを求めていく)
ヤマコ ウミヲよっ。ウミヲっ!(さらにウミヲを求める――自分のすべてを投げ出して)あたいとやや子こさえようっ! やや子、こさえようっ!
ウミヲ 俺ゃ――俺ゃ――、アズマの国を捨てたんだっ! 捨てたんだっ! 守り人なんぞ――ならねえぞォォ~~~っ!!!(言葉と裏腹、心と裏腹)
ウミヲとヤマコは縄に縛られたまま、お互いを強く求め合い地面に倒れ込む。やがて………その姿も溶けるように暗くなり消えて―――。
入れ代わるように、うしびととテルテの姿が夕日の中に浮かび上がる。弾むように駆けて逃げる。
テルテ ねえねえ!
うしびと なんだ、テルテ? ――大丈夫か、体は?
テルテ (腹を手で優しく撫でて)おめえさ、名前は? 名前どうする?
うしびと それはまだ早過ぎる。
テルテ (笑って)そうでねえ。おめえの名前だ。
うしびと 私の名前――?
テルテ (明るく笑って)ふふっ。だっておめえもう――、うしびとじゃねえんでしょ。
うしびと 名前なぞいろうか。私が、私であれば。
テルテ けんどおら――、おめえなんて呼べばええ?
うしびと そうか……。(瞬時考えて)アズマ……アズマタロウ――。アズマタロウはどうだ。私の名は――アズマタロウだ。
テルテ (杜氏が酒を口に含み転がすように、頭の中でその名前を転がす)アズマタロウ……アズマタロウ……うんっ。きょうからおめえは、アズマタロウだ。二つとねえ、ええ名前だべっ。うふふっ。
波の音が高く響いてくる。弾むように逃げる「アズマタロウ」とテルテ。二人の姿は、まるであまびとたちが波の中を泳いでいるようである。
紅に揺れる夕日の中に、二人の姿をいつまでも残しつつ、ゆっくりと暗くなる。
波の音だけが耳に高く響いて………
―――幕―――
※ヴィクトール・E・フランクル著『夜と霧』の中から、「テヘランの死神」の挿話を、一場の「地獄の赤鬼」に脚色引用しています。感謝申し上げます。(作者)
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