広島友好

記事一覧(9)

「ハートフル・コメディ家族百景」4・5・6景

ハートフル・コメディ   家族百景           作・広島友好第四景『子ども記者参上!』第五景『生命誕生!?』第六景『突然の来訪者』○時……今○場所……主に百山家の居間○登場人物百山富士雄(ももやまふじお)百山幸子 富士雄の妻(ももやまさちこ)百山翼 富士雄と幸子の子ども子ども記者(光・ひかる)謎の女性松山 近所の主婦宮西 富士雄の会社の元上司   *台詞はそれぞれの地域の生活語に直してもらって結構です。                      (作者)   第四景『子ども記者参上!』翼  突然ですが、ぼく百山翼は、全国読書感想文コンクールで最優秀賞を取っちゃいました。(客席の反応を受けて)それが全然めでたくないんだ。とんでもないことになっちゃって。タネをまいたのはぼくなんだけど……。   翼駆けてくる。学校帰り。手に賞状を持っている。翼  大変、大変!   幸子出てくる。幸子 なに、またどっかの窓ガラス壊したの?翼  ちがうよ。最優秀賞取っちゃった。読書感想文の。(ト賞状を見せる)幸子 エー! すごいじゃない。翼  すごくないよ。どうしよう。幸子 どうしたのよ?翼  だってそれ、おかあさんのだもん。幸子 わたしの?翼  ほら、冬休みの宿題で、読書感想文あったじゃない。幸子 ああ。休みのぎりぎりまでやらなかったやつ?翼  他の宿題もあるから感想文後回しにしてたら、おかあさん自分の昔の作文持ってきて。幸子 あれはこんなふうに書いたらって参考に。あれ出しちゃったの?翼  丸写しして出しちゃった。幸子 もう! まったく。翼  だって時間なかったもん。宿題間に合わないからあせってた。幸子 どうすんのよ。翼  どうしよう。幸子 しょうがないわねぇ。そう。ウフフ。(以外にうれしそう)翼  なんか、うれしそうだね?幸子 そんなことないわよ。翼  ねえ、言った方がいいと思う?幸子 え? なにを?翼  なにをって、パクったって。幸子 パクったっていうのとはちょっとちがうんじゃない。翼  そうかな?幸子 おかあさんのなんだもの。翼  じゃ黙ってようか?幸子 そりゃダメよ。言わなきゃ。ウフフ。翼  なんだよ。笑って。幸子 なんだかんだ言っても最優秀賞でしょ。翼  だから困ってんじゃん。幸子 でもおかあさんが子どものころ書いた作文よ。てことはわたしが、さっちゃんが取ったってことじゃない。翼  さっちゃんって?幸子 わたし。おかあさんのあだ名。子どものころの。翼  でも。幸子 やっと認められたのよ。うん。翼  認められた?幸子 おかあさん勇気がなかったの。翼に見せた作文ね、あれずうっと押し入れにしまってたの。こんなの書いてもダメかなって。だからだれにも見せたことなかったの。翼  それなんでおれに(見せたの)?幸子 なんでって(あんたは)わたしの子どもじゃない。翼  そうだけど。幸子 自分の子どもになら恥ずかしくないの。翼  そんなの見せたりするからこんなことになるんだよ。幸子 あ。写したのは翼でしょうが。翼  そうだけど。幸子 フフフ。でもやっぱり才能があったんだ。わかってたんだけど。自信なくて。かあさん昔は女流作家になりたかったの。樋口一葉とか。与謝野晶子とか。翼  (首ひねる)ひぐちなに?幸子 知らない? 一葉。もー今どきの子は(ダメね)。あーん、もっと早く自分の才能に気づいてれば。いや気づいてたんだけどな。翼  (小声で)遅いよ。もういくつだと思ってんの。幸子 え? なんか言った?翼  ううん。それよりどうしよう? 大問題だよ、パクリだってばれちゃったら。幸子 言うべきか言わざるべきか? それが問題ね。翼  マスコミが大勢押しかけてきたりして。幸子 大げさね。芸能人じゃないんだから。翼  今はインターネットの時代だから、ちょっとのことで大問題になったりするの。それにあの作文、読書コンクールのホームページに載ってるらしいし。先生にも褒められて引っ込みつかないよ。幸子 じゃなんでそのとき言わないの。翼  言えないよ。学校中知ってんだから。ああ、ホントどうしよう。ニュースになったりして。「小六男子、盗作疑惑!」なんて。幸子 テレビの見過ぎ。翼  今はね、どんな素人でもすぐ時の人になっちゃうの。幸子 まさか。翼  わかんないよ。もう玄関のとこまで来てたりして、マスコミが。   「ピンポーン」翼  うそ!   子ども記者来る。分厚いメガネをかけている。かなり押しが強い。子ども記者 こんにちはー。お邪魔しまーす。百山翼さん、最優秀賞おめでとうございまーす!翼  だれ? 勝手に入ってきて。記者 毎朝子ども新聞の記者です、わたし。(首から下げたIDカードを見せる)幸子 毎朝……!翼  ……子ども新聞!幸子 知ってる?(毎朝子ども新聞って。)翼  さあ。記者 全国読書感想文コンクールで最優秀賞を受賞した百山翼さんに突撃インタビューにやってまいりました、わたし。(幸子を写真に撮る。パシャ、パシャ!)幸子 わ。記者 さすがに落ち着いてらっしゃる。幸子 (ちがう、ちがう、と手を振る)記者 え? ちがう。(分厚いメガネを押し上げ、幸子に近づき顔をじっと見る)あ、おかあさん? 通りで老けてる。(翼に)こちらが百山翼さん。え? 男の子? この子が、最優秀賞?翼  なんだよ。記者 いえ……。(パシャッと写真撮る)翼  わ!記者 早速インタビューを始めましょう。さ、さ。どうぞこちらへ。翼  さ、さ、っておれの家だろ。記者 どうぞどうぞ。   子ども記者、無理やり二人を座らせて、小型テープレコーダーなど取り出し、インタビューを始める。記者 エー、本日は晴天なり。本日は晴天なり。よろしいですか。それでは。きょうは、全国読書感想文コンクールで見事最優秀賞を獲得された百山翼さんに突撃インタビューを行います。受賞おめでとうございます。翼  は、はい……。記者 いやぁ実にすばらしい才能ですね。まったくもって感心しました、わたし。感動とはこういうことを言うんでしょうね。くぅやしいですけどぉ、脱帽しました、わたし。幸子 そう。ウフフ。翼  (小声で注意)おかあさん。記者 まったくもって感服しました。テーマの捉え方。文章のみずみずしさ。形容詞の使い方。なによりすばらしいのは主人公への感情移入。主人公になりきっている。主人公の心をわがことのようにつかんで、喜び悲しみを共にしている。並みの小学生の作文とは思えません、わたし。幸子 ウフフフフ。翼  おかあさん。もう。記者 さて翼さんにお尋ねいたします。翼  はい……。記者 どのような思いでこの感想文をお書きになられたんでしょうか?翼  へ? どのような思いって……ねえ……写しただけ……幸  (小声で)翼!翼  あ!(口つぐむ)記者 (ジロリ)写しただけ……?翼  そ、それは、その……幸子 いえ、その、書いた人の、いえ、作者の、その、主人公の気持ちを自分の心に写すようにして、自分ことのようにして書いたんです。そうでしょ、翼。翼  そ、そう。その通り。記者 おかあさん。ちょっとすみません。翼さんに聞いてるんですけど、わたし。幸子 あ、ごめんなさい。記者 では、簡単にどんな内容か教えていただけますか?翼  え? 忘れちゃった。記者 忘れた?翼  あ。幸子 それはですね、主人公が孤独な境遇にもめげず、持ち前の想像力と勇気で、元気に困難に立ち向かっていく姿を自分に重ね合わせて……記者 おかあさん。黙ってて下さい。わたしは翼さんに……。でも、やけにくわしいですね?幸子 それは、その、もちろんわたしは母親ですから、この子の書いたものはなんでも隅から隅までようく知ってるんです。はい。翼  そ、その通り。記者 ……。それでは翼さん。作者のどんなところがお好きですか?翼  どんなところって……(幸子をチラチラ見るが……)幸子 (答えようとするが……)記者 黙ってて下さいね、おかあさんは。幸子 はい……。記者 どうでしょう? 翼さん。翼  げ、元気なところかな。ハハ。記者 元気なところ?翼  できれば会ってみたいなぁ、なんて。記者 ええ!幸子 バ、バカ。記者 驚いた、わたし。作者はもうとっくの昔に死んでるんですよ。翼  ええ! そうなの。記者 作者のルーシー・モード・モンゴメリは1942年、今からもう六十年以上前に死んでます!翼  ああ、いや、だから。空想の世界で、会ってお話ししてみたいな、なんて。ハハハハ。幸子 (笑ってごまかすしかなく)オホホホ。記者 ……。ではこの感想文を書くのにどのくらい時間がかかりましたか?翼  ん。一日で。記者 (驚いて)一日?翼  (記者の驚きを逆に取って)いや、一時間ぐらいかな。記者 一時間?幸子 つ、翼。翼  いや、三十分だったかな。記者 あんないい作文を、たった三十分で……。翼  え? 短かった? ハハハハ……。   子ども記者、マイクを置き、メモ帳をバタンと閉じて。記者 実はわたし、大いに疑問があるんです。翼/幸子 え?記者 女の子だと思ってたんです、わたし。この感想文を書いたの、女の子だと思ってました。翼  て、言われても……記者 内容がまず女の子っぽい。主語が「わたし」だし。翼  それは、作文だから「わたし」って書くことも。記者 名前が翼だし。翼  名前は関係ないじゃん。あ。翼で女の子だと思ったの? それそっちの誤解じゃん。記者 それに文章が古くさい。翼  え〜。それはしょうがないよ。書いた人が書いた人じゃん。記者 え? なんですって。書いた人が書いた人?翼  それは、その……記者 あんな古くさい文章、めったに書けるもんじゃないわ。まるで昭和チック。幸子 (ショック!)しょ、昭和チックって! あなたさっき文章がみずみずしいって。記者 あ。それは社交辞令です。幸子 ま!翼  しょうがないだろ、親が年いってんだから。幸子 ま!記者 なにより疑問に思うのは、主人公への強い思い入れ。感情移入。翼  だからそれは心を写して――記者 アンなのに?翼  え?記者 赤毛のアンなのに?翼  え? 赤毛のアンだっけ?幸子 (小声で)翼。そんなことも忘れてるの。翼  (小声で)だって、テレビ見ながら写してたんだもん。記者 わたしがもしアンだったらこうします、こう思いますっていう言い回しが使われてましたけど、でもそれってどう考えても書いたのが女の子じゃなきゃおかしいでしょ。ええ?翼  それは、その。記者 (「翼」の感想文の一部を諳んじてみせる)「もしわたしがアンのようにブローチをなくしたと疑いをかけられたら落ち込んでしまうと思います。でもアンはピクニックに行きたい一心で、逆に素敵な物語を作ってマリラおばさんに語って聞かせました。わたしはそんなアンが大好きです。」こんな文章が男の子に書ける?翼  想像力だよ。記者 想像力?翼  それに男の子がアンを大好きでもいいじゃん。幸子 そうよ。(翼に)たまにはいいこと言うわね。記者 じゃ他にアンの好きなところは?翼  それは、その。記者 答えられないじゃない。翼  いや、アンって赤毛でいいなぁって。ハハ。記者 アンは自分の赤毛がとっても嫌なのよ。知らないの?翼  し、知ってるよ。知ってるけど赤毛も素敵だよ。おれだったら赤毛がいいな。幸子 ええ、そうよ。この子には赤毛がお似合いよ。それに(この子)ちょっと女の子っぽいところもあるし。翼  ええ! おかあさん。記者 なによりもその顔。赤毛のアンを読む顔じゃない。文学って顔じゃない。ただの山猿じゃん。翼  ひ、ひどいわ。幸子 顔じゃないでしょ、書くのは。記者 ズバリ言います、わたし。盗作じゃないんですか、これ。子どもが書いた作文には思えない。幸子 書いたのよ。子どもが。記者 じゃ、どこかの女の子の作文を丸写しして……幸子/翼 それは……記者 とにかくこれは重大問題です。教育委員会が調査に乗り出さないわけがない。そう思います、わたし。幸子 まさか。教育委員会が……。   ト「ピンポーン」と玄関のチャイムの音。幸子/翼 ヒェ!(二人抱きつく)記者 お客さんですよ。その間にわたしはお部屋拝見。部屋をのぞけば一目瞭然。どんな隠しごともわかっちゃう。全国のみなさんに隠された創作の秘密を暴露レポートします、わたし!(翼の部屋へ駆けていく)翼  待てよ! ダメだって。勝手に人の部屋入んなよ!(追っていく)   ト謎の女性来る。スーツを着て、ビシッと決めている。謎の女性 ごめん下さい。幸子 はい。謎女性 百山翼ちゃんのお宅ですか。幸子 そうですけど……。謎女性 突然お邪魔して申しわけございませんが、こちらに女の子が来てませんか?幸子 ええ。子ども記者さん。謎女性 そう。子ども記者。幸子 (傍白)子ども記者のこと知ってるってことは、やっぱりこの人教育委員会の人かしら?謎女性 男の子だったんですね。幸子 え?謎女性 ご近所の方にちょっとお話をお聞きしまして、わたし。幸子 げ。身辺調査?謎女性 百山翼ちゃんって名前だから、男の子じゃないかって話題になってたんですけど。でも内容が内容でしょ。じゃやっぱり女の子かなと。意見が一致しまして。幸子 それは……。いえ、あの、実はあの作文……謎女性 え?幸子 実はその……謎女性 一目見たら納得するんです。幸子 え?謎女性 顔を見てね、頭いいってわかれば納得するんです。幸子 え?      ト翼駆けてくる。翼  大変、大変! あの子、部屋荒らしまくってるよ。チョー最悪! なんとかしてよ! あの子ホントに記者なのかよ!   翼また引っ込む。   謎女性 あの子が、翼ちゃん?幸子 ええ。謎女性 あの子が最優秀賞を……。(傍白)あの山猿みたいな子が?幸子 (よく聞き取れなかった)え? 今なんておっしゃいました?謎女性 天は二物を物々交換ね。幸子 (傍白)なんだかよくわかんないけど、疑ってる。どうしよう。正直に言うべきか、言わざるべきか。謎女性 ちょっとおうかがいしますが、わたし。よろしいですか。幸子 は、はい。謎女性 おかあさまはどういう教育方針でお子さんをお育てですか?幸子 教育方針って、いえ、取り立てて。自由に伸び伸びと山猿みたいに……謎女性 うそ! もっとなにかあるでしょ。もっとこう本当のなにかが!幸子 うそは……やっぱりまずいかなと……。謎女性 うそ。……うそはいけませんね、うそは。幸子 うそはいけません。まず親がうそついちゃ。謎女性 親がね。子どもにうそ教えちゃ……。幸子 はい。あの……実は――   子ども記者戻ってくる。手にマンガ本。記者 驚いた。マンガばっかり!翼  (来る)いいだろマンガ読んだって。返せよ!記者 べー! あんた「赤毛のアン」読んだことないでしょ!翼  あ、あるよ……。記者 うそ。翼  あるよ。マンガで。記者 じゃ今そのマンガの「赤毛のアン」はどこにあるのよ。翼  売っちゃったよ、ブックオンに。記者 うそつき!   ト二人のやり取りを見ていた謎の女性が子ども記者に話しかける。謎女性 もういいでしょ取材は。   子ども記者びっくりする。記者 あ!謎女性 ハッキリしたわ。もうなにもかも。幸子 ハッキリした……!翼  (ドキ!)記者 でも納得できない。謎女性 もういいじゃない。ハッキリした。うそはいけないわ。記者 うそだってつくでしょ。こんなときは。だれだって。謎女性 うそはダメ! (幸子に)ね。そうですよね。幸子 はい……。   幸子と翼、顔を見合わせる。互いにうなずき交わす。翼が言おうとするのを幸子が制して、幸子 実は……(言おうとする)謎女性 実はこの子、子ども記者じゃないんです。幸子/翼 え?記者 おかあさん。   幸子と翼、子ども記者と謎の女性を見比べる。幸子/翼 おかあさん……?謎女性 うそはまずいわ。光。記者 ……。幸子 どういうことです?謎女性 この子三年連続次点だったんです。読書感想文コンクールの。子ども記者でもなんでもないんです。この子がどうしても最優秀賞取った子の顔が見たいって言うもんですから、わたし。どんなかしこい顔してどんな勉強してるのか知りたいって。それ見てどんなすごい子かわかったなら、あきらめもつくって。この子ノイローゼみたいになってて。だったら、新聞記者だったら、最優秀賞の子がどんな子かわかるわね、簡単に会えるわねって言ったら、この子本気にしちゃって。記者 ……。翼  でも、その身分証明書?記者 これ? こんなの首から(カード)ぶら下げとけばそれらしく見えるの。幸子 じゃ、あなた教育委員会の人じゃ……?謎女性 わたしが? 教育委員会。とんでもない。わたしはただの主婦で、母親で、保険の外交員。(このスーツは)仕事中なの。仕事放り出して追いかけて来て。超親バカでしょ。幸子 ううん(そんなことない)。謎女性 でも、天才っているんですね。山猿みたいな顔して、マンガばかり読んで。あんないい作文書くなんて。幸子 ハハ。(内心複雑)謎女性 あ。ごめんなさい、失礼なこと言って。幸子 いえ。謎女性 この子、努力型なんです。「赤毛のアン」なんか二十回ぐらい読んで。毎日毎日書き直して。翼  へえ……。記者 ……。謎女性 もういいでしょ。気が済んだ?記者 今度からマンガばっかり読むことにする、わたし。謎女性 もう。ひねくれて。記者 フン。謎女性 顔じゃないの。頭の良さは。翼ちゃんだってきっと努力してるのよ。人の見てないところで。(翼に)そうでしょ?翼  (困るが)う、うん……。記者 ……。謎女性 行こう。   二人去ろうとする。幸子 待って下さい。あれ、翼の作品じゃないんです。謎女性 え?翼  おかあさん。幸子 写しちゃったんです。謎女性 写した?記者 だれのを?幸子 知り合いの、さっちゃんっていう子の作文。この子丸写しして出しちゃったんです。それで……謎女性 その子、今どこにいます? さっちゃんって子。幸子 それは……その……遠いところに行っちゃってて……謎女性 いいんです。気休めは。うそは、まずいですよ。幸子 うそじゃないんです。さっちゃんて子が……謎女性 もうそれ以上は。みじめになりますから。(わが子に)次がんばろう。ね。次がある。記者 ダメだよ。どうせわたしなんて。本音言うとマンガきらいだし。謎女性 光。幸子 (思わず)ダメよ! そんなこと思っちゃ! きっと後悔する、大人になって。おばさんわかるの。勇気持ってトライしなきゃ。ね。あなた才能があるんだから。努力する才能が。三年連続次点なんて、並みじゃない。記者 褒めてないと思うけど。翼  おれも、すごいと思うよ。同じ本二十回読むなんて。すごいよ、マジで。記者 ……。本当に……、そう思う?翼  うん。謎女性 ありがとう。それじゃ。   二人去る。   ト子ども記者引き返してきて、手にしたマンガを「さよなら」のように振って、記者 (吹っ切れた声で)借りてくね。マンガ。翼  うん!   二人(子ども記者とその母)出ていく。翼  おれ。言うよ、ホントのこと。あしたの朝。○○先生に。幸子 うん。そうね。それがいい。翼  でもなんでおかあさん、さっちゃんなんて言ったの? 自分が書いたって言えば良かったのに。幸子 なんでだろ。今さらわたしが書いたって言ってもうそくさい気がして。翼  そうかな。幸子 あぁあ。おかあさんもう一度作家目指してみようかな。翼  それがいいよ。才能あるんだし。幸子 (生意気)言ったな。翼  でも小六からやり直さなくちゃね。幸子 なんで?翼  なんでって。小六から今までのブランクがあるじゃん。幸子 バカね。あの感想文中二のときに書いたのよ。翼  あ。ズル!。幸子 ウフフフ。食事にしよ。翼  うん。幸子 どっか外食べ行くか。回転鮨でも。翼  おとうさんは?幸子 どうせ残業でしょ。黙ってよ。翼  うん。   トどこからか(舞台奥)富士雄のくしゃみ。   「へ、ヘックション!」翼  え? おとうさん?幸子 うそ。まさか。ウフフフフ。翼  ハハハハハ。   二人、笑い合う。                           (幕)   第五景『生命誕生!?』翼  きょうは日曜日。おかあさんは、近所の仲良し松山さんと昼から出かけてる。でも、なにやらぼくらに隠しごとがあるようで……。   幸子と松山帰ってくる。幸子、松山に半ば抱えられるようにして。幸子 あー、もうダメ。ボタンボタン。くるしっ。(スカートのボタン外す)松山 そんなに(気持ち悪く)なるまで食べなくても。幸子 誘ったの松山さんじゃない。松山 そうだけど。九つ食べることないわよ。いや、わたしの半分取ったから、九つ半か。幸子 だって千円よ。松山 あなた三千円は食べたわね。ショートケーキ、モンブラン。イチゴにチョコタルト。パンプキンにフルーツケーキ。チーズケーキと……あとなんだっけ?幸子 チョコムースとシュークリーム。松山 それにわたしのメロンケーキ半分か。幸子 あれは松山さんが食べてって。松山 そうだっけ? でもついついね。千円でケーキ食べ放題なんてめったにないもんね。あそこの店、おいしいし。ボリュームあるし。わたしも食べ過ぎちゃった。幸子 あー、もう幸せ。松山 ホント。幸子 でも(家族の)みんなに内緒だからちょっと気が引けるな。松山 そう? ご主人いるの?幸子 (奥で)釣りの本でも読んでんじゃない?松山 翼くんは?幸子 サッカー。お土産買ってくればよかった。松山 藪蛇になっちゃうわよ。気にしない気にしない。主婦はそれだけ働いてんだから。百山さんは外で仕事してんだし。幸子 そうか。いいことにするか。   「ハハハハハ」「ウフフフフ」二人笑い合う。幸子 でもちょっと食べ過ぎ。この(腹から胸の)辺りが。ムカムカして(気持ち悪い)。松山 薬持ってきたげようか。うちにいいのがあんのよ。幸子 いい、いい。(いらない)松山 すぐだから。なんだかわたしも。ウプッ。(吐き気)幸子 いいよ。松山さん。松山 待ってて。(去る)      幸子、腹から胸を押さえて。幸子 やだ。なんかホントに。ウプッ。      ト愛来る。裏口から。いつもそうしているように入ってくる。手にケーキの箱を持って。愛  幸子さぁん。おる〜?幸子 (軽く驚いて)あ、おかあさん。愛  駅前でね、安かったから買ってきたほ。ケーキ。幸子 ケーキ! (ケーキと聞いただけで)ウプッ。愛  ほら、幸子さんの好きなチーズケーキ。   ト愛、ケーキを取り出して幸子の顔の前に。   幸子、チーズケーキを見て、思わず、幸子 ウプッ!(耐えきれなくなり)おかあさん。ちょっとすみません。(吐き気をこらえつつ洗面所に駆け込む)愛  え……?   愛、幸子の様子に唖然とする。首をひねりながらチーズケーキと幸子の去った方を交互に見やる。ト……愛  あ!   愛、あることに思い至る。やがてそれは時を置かず愛の中で確信に変わる。愛  間違いないね。   ト富士雄来る。富士雄 あれ? 幸子さん帰ってなかった?愛  間違いないよ、富士雄。富士雄 え? またかあさんの間違いないかよ。今度はなに?愛  そんな言い方するんなら教えちゃらん。富士雄 もう。すぐへそ曲げて。愛  (わたしの)長年の経験と勘を信じんのかね。富士雄 わかったよ。だからなに?愛  妊娠しちょる。富士雄 だれが?愛  だれがって決まっちょるでしょうがね。富士雄 決まっちょるって、だれが? 愛  このバカ。富士雄 まさか、幸子さん?愛  間違いないね。富士雄 でも。幸子さんがそう言ったの? 愛  そうじゃあない。富士雄 だったら。愛  また疑う。富士雄 なんか証拠でもあんの?愛  さっきわたしがチーズケーキを幸子さんの鼻先にこう持っていったら、ウプッて。富士雄 ウプッて、うそ。つわり?愛  翼を生んだときも幸子さんはチーズケーキの匂いがダメじゃった。富士雄 あ! そうだっけ。でもまさか。あの年で。愛  女は死んで灰になるまで女なほ。富士雄 それは文学的なたとえで。愛  あんた思い当たることはないんかね。富士雄 思い当たることって?愛  もう。そんなことまで年寄りに言わすんかね。富士雄 え? もしかしてあれのこと。(照れて)かあさん。なに言ってんの? 年考えてよ。ここんとこしばらくご無沙汰で……あ! そう言えば。愛  なになに?富士雄 二ヶ月前かな。会社の飲み会で酔っ払って帰ってきて。愛  うんうん。富士雄 いい気分になっちゃって。愛  ふむふむ。富士雄 そんでもって翼もサッカー部の合宿でいなくってさ。幸子さんと二人っきりになって。なんだかムラムラッと。愛  ムラムラッと……富士雄 おかあさん!(恥ずかしい)愛  つまり思い当たることがあるんじゃね?富士雄 ないとは言えない。愛  じゃ間違いないね。富士雄 でもどうしよう。愛  なにが?富士雄 この年で赤ちゃんなんて。愛  ええよ。どの年でも赤ちゃんは。富士雄 そ、そうだよね。愛  そうだよ。富士雄 そうだよね。ハハ。ハハハハ。   富士雄うれしい。富士雄 赤ちゃんかぁ。愛  ええね。赤ちゃんは。富士雄 いいよねぇ、赤ちゃん。ウフフ。   二人自然とニタニタ。頬がゆるむ。   ト翼帰ってくる。サッカー部の帰り。翼  腹減った〜。なんかない? あ、おばあちゃん。来てたの? ケーキあんじゃん? チーズケーキ。食べてもええ?愛  手洗いんさい。翼  きれいだって。いただきまーす。   翼、ケーキをモリモリ食べる。   愛と富士雄はその間にうなずき合って、富士雄 翼。驚け。翼  なに?富士雄 おまえ、お兄ちゃんになるんだぞ。翼  え? お兄ちゃん?富士雄 おかあさんに赤ちゃんが出来たんだ。翼  えー! やったー! いつ生まれるの?富士雄 まだ先の話だ。今わかったばかりだから。翼  じゃ、大事な時期だね。富士雄 お、言うじゃないか。翼  知ってるよ、そのぐらい。おとうさん大貢献だね。出生率下がってっから。富士雄 そっかぁ。翼も一人っ子でさみしい思いさせたからなぁ。愛  みんなでね、幸子さんを大事にせんにゃいけんよ。翼  うん。愛  (富士雄に)あんたもがんばらんとね。富士雄 わかってるよ。当たり前じゃん。残業も増やしてさ、もっと稼ぐよ。釣りもしばらくやめにする。愛  それがええね。富士雄 家も建て増しするかなぁ。手狭だよ、この家。子ども二人いたら。愛  わたしは天満宮にお参りに行って安産のお守りもらってこよう。町内会長さんに名前もつけてもらわんにゃ。翼  えー! なんで?愛  ありゃ人格者じゃ。翼  やだよ。名前はおれにつけさせてよ。富士雄 弟か妹かわかんないぞ。翼  おれ弟がええな。富士雄 女の子もかわいいぞ。翼  絶対弟だよ。愛  どっちでも孫はかわいい。   「ハハハハハ」皆、笑い合う。   ト幸子戻ってくる。幸子 なに? みんなで盛り上がって。   皆笑顔で迎える。「えヘヘヘヘ」幸子 なに? 気持ち悪い。ごめんね。わたしちょっと調子悪いから横になるね。   皆、幸子にやさしくする。富士雄 うん、無理しちゃダメ。横になったがいいよ。翼  肩もんだげようか。愛  毛布。毛布。幸子 (毛布は)いらないいらない。富士雄 晩飯はおれが作るから。愛  チーズケーキは……あっちやっとこうね。翼  あ。レモン買ってくる、おれ。幸子 なにレモンって? なにかたくらんでない? 気持ち悪いわよ、みんな。   富士雄、皆に押し出されて、富士雄 幸子さん、あれだよ。水くさいよ。幸子 え?翼  なんかおれらに隠してることない?幸子 (ドキッ)隠してること?愛  ズバリ言ってもええ?幸子 え。もしかして、わかってた? わかってたの、みんな。皆  うん。幸子 なんか言い出しにくくて。でもちがうのよ。ちがうのよ、全然。わたしは誘われて……ウプッ!愛  ほら! やっぱりつわりだ!幸子 つわり? ええっ! ちがうわよ。ウプッ。富士雄 隠さなくていいよ。幸子 隠してなんかないわよ。(傍白)隠してることもあるけど。翼  じゃ、なに? その吐き気は。幸子 こ、これは……富士雄 なんか他に隠しごとでも?幸子 そんなこと……してないわよ。愛  じゃ、つわりだ。幸子 ちがうって。(傍白)どうしよう。ケーキバイキングだなんて言えない。翼  どうしたの?幸子 別になんでも。富士雄 でもあの晩さ、確かに。幸子 あの晩って?富士雄 ほら。二ヶ月前の飲み会の日。二人でワイン飲んでさ。ほら。幸子 (気づいて)もう! 富士雄さん。知らない。愛  じゃったら、これはどうだ。つわりじゃないんなら平気なはずだ。   ト愛、チーズケーキを幸子の鼻先に近づける。幸子 ウプッ!(気持ち悪くて胸を押さえる)皆  やっぱり!幸子 ちがうって! もしホントにそうだったら……そのときは生むわよ、わたし! ウプッ。   幸子、トイレに駆け込む。富士雄 幸子さん!(心配してついていく)   愛と翼、顔を見合わせ微笑み合う。翼  やっぱり恥ずかしいんだ。おかあさんでも。愛  そりゃそうさ。久しぶりじゃしね。年いっちょるし。   ト松山来る。松山 あ。おばあちゃん。幸子さん、大丈夫でした? これ薬。わたしもなんだか胸焼けして。九つ半でしょケーキ。いくらなんでもねぇ。食べ過ぎよねぇ。愛  ケーキってこれ?(ト自分の買ってきたケーキを示す)松山 そうそう。駅前のケーキ屋のバイキング。翼  バイキング?松山 やだ、おかあさん言ってなかった? バイキングで食べ過ぎたって、ケーキ。あそこおいしくって。あ。ウプッ。また気持ち悪くなってきちゃった。お大事に。(小走りに去る)   翼と愛、顔を見合わせる。翼  おばあちゃん! また間違えたでしょ。愛  わたしゃてっきりつわりじゃと。翼  聞いたでしょ。ケーキの食べ過ぎだよ、絶対。おかあさん。愛  だね。翼  ああ、ショック!愛  わたしもなんだか気が抜けたよ。翼  ずるいよ! 内緒でケーキバイキングなんて。愛  ふぅ。翼  待ってよ。大変! おとうさん。愛  富士雄がどうした?翼  おとうさん、つわりじゃないってわかったらチョーショック受けんじゃない?愛  そうとう喜んじょったからねぇ。翼  赤ちゃんじゃないってわかったら……愛  三日は落ち込むね、ありゃ。目に見えるようじゃ。翼  どうしよう?愛  どうしようたって……   ト幸子戻ってくる。   愛、チーズケーキを幸子の鼻先に持ってくる。幸子、少しスッキリしたのかさっきほど嫌がらない。幸子 (少し苦笑いしながら)なんですか、おかあさん。愛  あんた、なんともないんかね?幸子 なにがです?愛  匂い。チーズケーキの。幸子 別に。どっちかっていうと好きですけど。でも今はちょっと。愛  そう。やっぱり。翼  (少し意地悪に)なにか隠してない? おかあさん。幸子 (とぼけて)え? 別に。翼  九つ半って、すごいよね。幸子 え?愛  はい、これ。(薬差し出す)幸子 あ!翼  食べたんでしょ? ケーキバイキング。おいしかった?幸子 どうしてそれを?愛  さっき松山さんが(来た)。翼  気持ち悪くなるよねぇ。ケーキ九つ半も食べたら。幸子 それはその。誘われて、つい。断るつもりだったんだけど。安くて。翼  (責める口調で)おかあさん。幸子 ごめん。翼  もう!幸子 今度ケーキ買ってくるから。翼  おれらはいいけどさ。おとうさんどうするの?幸子 おとうさん?翼  (おかあさんが)妊娠してると思い込んでるよ。幸子 ええ?翼  おばあちゃんが、おかあさん妊娠してるって、おとうさんに。幸子 おかあさん。愛  わたしは幸子さんがつわりで苦しそうじゃから。(とチーズケーキを幸子の鼻先に)幸子 あ。それでチーズケーキ。翼  おとうさん、ホントのこと聞いたら絶対落ち込むよ。幸子 さっきもあの人優しくて。洗面所汚しちゃったんだけど、後始末してくれて。それも鼻歌うたいながら。♪幸子さんはなんにもしなくていいんだよ〜。て。翼  どうする?幸子 どうしよう?愛  ここはわたしに任せんさい。翼  おばあちゃん。愛  わたしが話そういね。富士雄には話し方がある。(わたしは)慣れちょるから、任せなさい。翼  なにいばってんの。元はと言えばおばあちゃんが原因なんじゃん。愛  ええから。ええから。翼  ええからじゃなくって。幸子 あ。来たわよ。   富士雄戻ってくる。鼻歌などうたいながら。上機嫌。富士雄 ねえ、優奈なんてどうかな。やさしそうでいい感じじゃない? 女の子だって決めつけちゃあれだけど。そんな気がするんだ、おれ。そんでもってやっぱり家は増築しようよ。子どもも一人増えることだし。ここ壁取っ払ってさ。やっぱ狭いよ、この家。あ。部長に連絡しとかなきゃな。なんたって仲人だもんね。ハハ。ちょっと早いか。   一方、愛たちは早く富士雄に本当のことを言わなくちゃと気を揉む。   愛、ようやく決心して富士雄の前に来る。愛  富士雄。おまえにちょっと話があるんじゃ。富士雄 なに?愛  いや、その。富士雄 あ、増築のこと? わかってるよ。同居でしょ。いつかはおれもかあさんこの家に引き取らなきゃなって、思ってたさ。いつまでも一人暮らしはさせられないもの。子どもも出来ることだしこの際さ。同居しようか。赤ちゃんの面倒見てくれればこっちも助かるし。ね。愛  (少しジーンときて)ありがとう。富士雄。気持ちだけもろうちょく。   愛、引き返してくる。愛  やっぱり言えん。翼  おばあちゃん、しっかりしてよ。幸子 長引くほど傷は深くなるわ。愛  そうだね。   愛、再び富士雄の元へ。富士雄、間取りなど考えている。愛  富士雄。幸子さんのことじゃけど。あれ、実は……富士雄 なに? なんだよ。愛  実はね……富士雄 はっきり言いなよ。愛  あれ間違いなほ。富士雄 間違い? 間違いってどういうことだよ!愛  (富士雄の剣幕に押されて)いや、その。富士雄 ハッキリ言いなよ。愛  妊娠しちょるの、実はわたしなほ。富士雄 ええ!翼/幸子 おばあちゃん!富士雄 なに冗談言ってんの。愛  冗談じゃない。富士雄 じゃ、いつ? だれとだよ?愛  老人旅行で。行きずりの若い男と。翼/幸子 おばあちゃん!富士雄 からかうなよ。かあさん。愛  ハ。ハハ。わかった?富士雄 わかるよ。愛  ごめん。あんまり幸せそうなからちょっとからかったほ。富士雄 バカ言って。愛  ハハ。   愛、翼たちに引っぱられてくる。翼  なに言ってんのおばちゃん。愛  まず軽いジャブを。翼  軽くないよ。愛  ショックやわらげた後でホントのこと言おうと思って。幸子 やわらいでない、全然。翼  もういい。おれ行ってくる。幸子 がんばって翼。   翼、富士雄の元へ。翼  おとうさん。おれやっぱり赤ちゃんなんていらないや。富士雄 え?翼  世の中どんどんどんどん悪くなってるし。いじめはあるし。教育費も上がるばっかだろ。それに憲法も変わって今度きっと徴兵制できちゃうよ。もうお先真っ暗。赤ちゃん生まれても幸せになれないよ。富士雄 なんでおまえそんな暗いこと言ってんだ。信じなきゃ。おまえにしろ優奈にしろ、子どもの未来は明るいぞ。うん。とうさん守ってやるから。(飛びきりの笑顔)翼  そっか。富士雄 そうだよ。(飛びきりの笑顔)翼  ありがとう。なんか勇気出てきた。   翼、愛たちの元へ帰ってくる。翼  ダメだよ。全然前向き。ものすごい笑顔。愛  よし、もう一度わたしが行ってこよう。今度はビシッとけじめつけるから。幸子 がんばって。   愛、富士雄の元へ。愛  富士雄。富士雄 なに。愛  あんた驚いちゃいけんよ。富士雄 また冗談?愛  そうじゃあない。よう聞きなさい。ええかね。幸子さんのお腹の中に入っちょるのは、あんたの子どもじゃないほ。富士雄 ええ! またぁ。愛  これは冗談でも遊びでもないほ。ホントにホントなほ。富士雄 じゃ、だれの子だよ。言ってみろよ。(なんだか段々腹が立ってくる)愛  それは……富士雄 言えないじゃん!愛  バ、バイキング!富士雄 バイキング? バイキングってなに? 海賊かよ!愛  ちがった。ケーキ屋。富士雄 あ、あのパテシィエか。愛  そう。駅前の。幸子 おばあちゃん。話変な方向に持ってかないで。富士雄 幸子さん。きみって人は!幸子 落ち着いて富士雄さん。富士雄 いつそんな男と!翼  おとうさん、落ち着いて!富士雄 離せ! 翼。愛  あきらめろ、富士雄。九つ半じゃ。富士雄 ええ! 九つ半の子どももいるの! ショック!幸子 ちがうわよ!翼  おとうさん!   ドタバタもめる。「信じてたのに!」「富士雄さん!」「富士雄!」「おとうさん!」   ト松山駆けてくる。松山 (むしろ自分の状況を面白がって)大変、大変。うちのが勘違いしちゃって。わたしがつわりだって。このわたしが。ハハハハ。ちょっとやだ。子どもの名前まで考えてるのよ。おまけに家、増築するって言うし。ちょっとだれか来て話してくれない。ケーキの食べ過ぎだって。駅前のバイキングだって。ハハハ。九つ半だって。早く来てね。(去る)   一同呆然。富士雄 ……え? じゃ、幸子さんのつわりって……ケーキの食べ過ぎ?皆  ……。富士雄 (幸子に)食べたの……九つ半?幸子 ……。(うなずく)富士雄 ハハ。みんな知ってたの? はしゃいでたのおれだけ?愛  富士雄。翼  おとうさん。富士雄 ハハ。いやおかしいとは……。ついつい話に乗っちゃって。幸子 ごめんなさい。だますつもりじゃ。傷つけちゃって。富士雄 いや……。幸子 あなたがその気なら、わたしがんばって……富士雄 いいよ、無理しなくて。お互い年だし。このままで十分幸せさ。今だってちょっと夢が見れた分だけ幸せだった。うん。翼に妹がいて、家族増えて楽しいだろうなって。雛祭りとか、リカちゃん人形とか。きれいな服いっぱい買って。幸子さんに似てかわいいだろうなぁって。想像した分だけほんわかあったかくなって、幸せだった。なんか得した気分だよ。幸子 富士雄さん。(涙ぐむ)   幸子、富士雄の手をギュッと握る。翼  がんばってみれば。最近は医療も進んでんだから。富士雄 こら。大人をからかうな。翼  からかってなんか。愛  なんならわたしが力貸すよ。富士雄 またぁ。元はと言えばかあさんだろ。間違えたの。それにどうやって力貸すの?愛  へへへ。奥の手が。幸子 やだ。おかあさん。   皆笑い合う。   ト松山駆けてきて、松山 ねえねえ、いつ来てくれんの? 妊娠してるって言っちゃったじゃない、わたし。ハハハハ。早く来て。(去る)愛  よし。行ってこう、わたしが。富士雄 話こんがらがっちゃうよ。愛  わたしの目に狂いはない。   愛、追いかけて去る。富士雄 おかあさん。幸子 おかあさん。(翼に)翼。おばあちゃん止めてきて。翼  おばあちゃん! おばあちゃん!   翼、追いかけて去る。幸子 フゥ。まったく。富士雄 困ったもんだね。幸子 フフフフ。富士雄 ところで、どうする?幸子 どうするってなにが?富士雄 なにがって、今夜さ。がんばってみる?幸子 え? バカね、もう。フフフフ。富士雄 フフフフ。   ト二人いい雰囲気になるが、幸子 ウプッ。ごめん。(洗面所に駆け込む)   富士雄、苦笑いしつつもやさしく、富士雄 大丈夫、幸子さん。(追って去る)   愛と翼、戻ってくる。   愛、幸子と富士雄の様子をうかがって、愛  翼くん。翼  なに?愛  あんたきょうおばあちゃんちに泊まるか。翼  えー。なんで?愛  ね。そうしなさい。翼  えー。愛  それか七時には熟睡する。熟睡!翼  やだよ。見たいテレビあるし。愛  ええから。わがまま言わんの。   愛、翼をくすぐって無理やり引っぱっていく。翼  ちょっと。やだよ。おばあちゃん!(去る)   愛、顔だけ出して、愛   へへへ。                          (幕)   第六景『突然の来訪者』翼  きょうはちょっとさびしいお葬式。むか〜しおとうさんが会社でお世話になってた人が亡くなったんだって。   富士雄帰ってくる。喪服姿。富士雄 幸子さん。塩まいてくれる?   幸子、塩の壺を持って出てくる。富士雄の肩や胸の辺りにちょちょっと塩をまく。幸子 どうだった?富士雄 うん。少なかった、人。身内ばっかし。幸子 お年なんでしょ? どうしてもね。富士雄 会社も冷たいよ。幸子 重役かなにか? 宮西さんって。富士雄 ヒラだけどさ。会社に貢献した人だよ。もっとなにかあっても。幸子 (でも)退職してかなり経つんでしょ?富士雄 二十年以上かな?幸子 だったらしょうがないんじゃない。富士雄 ……。幸子 あなたは特別なんでしょうけど。富士雄 お世話になったからなァ。幸子 ……。富士雄 でもなんだか明るかった。幸子 なにが?富士雄 葬式。幸子 大往生?富士雄 微妙。八十ちょっとだから。でもなんかからっとしてた。幸子 お人柄よ。きっと。富士雄 そうかな。(ちょっと笑う)フ。幸子 なに?富士雄 いや。幸子さんのカンって当たるなって。幸子 ただのカンじゃないわ。第六感。首筋の辺りがゾクゾクってするの。うちに関係した不幸があると。富士雄 おれ全然ない。幸子 霊感強いのよ、わたし。富江おばさんが亡くなったときも、前の晩おばさん夢枕に立ったの。ミキやコウジとこれからも仲良くしてやってねって。富士雄 へえぇ。今度は? なかった? 夢枕。幸子 ない。あなたの上司でしょ。元々知らないし。富士雄 そっか。幸子 でも一度お会いしてみたかったな。富士雄 そう?幸子 (あなたが)宮西さん、宮西さんってよく言うから。富士雄 宮西さんいなかったら今のおれないもん。宮西さんから金型の基礎教わった。三年間。みっちりと。幸子 ありがたいわね。富士雄 (でも)そんときはわかんないんだよね。怒鳴られて、叱られて、反発してた。幸子 若いって、そんなもんなんじゃない。富士雄 ちゃんとお礼言っときゃよかった。幸子 ホントにいい人だったんだ。富士雄 でもね、フフ。幸子 なに?富士雄 ケチだった。幸子 ケチ?富士雄 金にしわいの。飲みに行ってもおごってもらったことない。絶対割り勘。幸子 へえ。富士雄 一度だけ困って、金借りにいったことあるんだけど、絶対貸してくれなかった。幸子 それ普通貸さないんじゃない。どんな人でも。富士雄 おれと宮西さんの関係だったからさ。なんじゃかんじゃ助けてもらってたし。幸子 それって結婚前のこと?富士雄 うん。幸子 そう。で、その困ったことってなんだったの?富士雄 え?幸子 ケチの宮西さんにお金借りようとするなんて、よっぽど困ってたんでしょ? それってなんだったの?富士雄 え? あ。なんだったけかな。忘れちゃったな。ハハ。着替えてくるわ。(そそくさと隣の部屋へ)幸子 ……?   幸子、富士雄の言動におかしなところを嗅ぎ取る。が、そのとき「ピンポーン」と玄関のチャイムが鳴る。   宮西来る。八十過ぎの老人。が、闊達としている。宮西 すみません。宮西と申しますが。幸子 宮西さん?宮西 今葬式の途中なんじゃが、抜け出してきました。幸子 (気づいて)あ。この度はご愁傷様です。宮西 こりゃどうもご丁寧に。幸子 宮西さんには、主人が大変お世話になったそうで。宮西 そうそう。幸子 失礼ですが、ご親戚の方ですか?宮西 親戚っちゅうかなんちゅうか。宮西です。幸子 はぁ。(変だなとは思いつつ)主人、今奥におりますので。ちょっとお待ち下さい。(富士雄を呼ぼうとする)宮西 いや、ええ、ええ(呼ばんでも)。言いにくいんじゃがね。幸子 はい?宮西 ほれ。(恥ずかしげに幽霊の「うらめしや」のようなポーズを取る)幸子 え?宮西 わしが言うことでもないかもしらんが、幸子 はい?宮西 ご仏前のね。幸子 ご仏前?宮西 ご仏前の中身が、入ってなかったほいの。幸子 え? うちのがですか?宮西 そう。幸子 中身って、お金が、ですか?宮西 ほうなほいの。幸子 それは、どうもすみません! (隣の部屋に)富士雄さん。富士雄さん。富士雄 なに?   富士雄出てくる。パンツとシャツの下着姿。宮西がいるのに気づいてないような……幸子 なにその格好。みっともない。富士雄 いいだろおれの家なんだから。幸子 もう。あなたご仏前忘れてない?富士雄 え? ちゃんと渡したよ、受付に。幸子 中身よ中身。富士雄 中身? 入れたよ。入れたと思うけど……。宮西 入っちょらんじゃった。富士雄 え? 幸子さんがお金入れてくれたんじゃなかったっけ。幸子 タンスの上に置いといたでしょ。白い封筒に入れて。富士雄 え? テレビの上って言わなかった?幸子 バカね。あれスーパーの割引券じゃない。封筒に丸ク(まるく)って書いてなかった?宮西 書いちょった、書いちょった。富士雄 うそ。マジで。幸子 もう。富士雄 なんでそんなのテレビの上に置いとくの。幸子 あなたが間違えたんでしょ。富士雄 そんな言い方すんなよ。宮西 (けんかになりそうなので)もしもし。なんならわしがご仏前もろうてこうか。幸子 そうですね。お渡ししなきゃいけませんね。ご仏前。富士雄 だれに言ってんだよ。おれ届けてくるよ。宮西 いやええ。わしがもろうてこう。富士雄 ダメだよ、やっぱり。中身すり替えなきゃ。ご仏前だと思って開けたらスーパーの割引券だったなんて、しゃれにならないよ。宮西 ええ、ええ。お金もらえれば。富士雄 もう一遍着替えて行ってくるよ。宮西 百山。   富士雄、隣の部屋へ。宮西 ふぅ。ちっとも変わっちょらんの。幸子 え?宮西 昔とちっとも変わっちょらん。おっちょこちょいでテキトーで、そのくせ変にきっちりして。幸子 ホントに。(苦笑) あの、どうぞ(座って下さい)。お茶でも。後で主人に車で送らせますから。宮西 お茶は(いらん)。トイレが近うなってやれん(ダメじゃ)。幸子 はい。……。   宮西座る。ボーッと。   短い間。幸子、間を持て余す。幸子 あの。宮西 はい?幸子 亡くなられた宮西さんって、どんな方だったんでしょ?宮西 どんなって……そりゃ言いにくいの。幸子 主人はいつも、宮西さんにお世話になったって、口癖みたいに。宮西 ほうですか、ほうですか。幸子 はい。……。   短い間。宮西、ボーッとしている。幸子、間を持て余す。幸子 あの。金型っていうのは、あれですよね。宮西 え?幸子 覚えるのにやっぱり三年ぐらいかかるんでしょうねぇ、基礎。宮西 三年とは言わん、かかるのう。幸子 そうですよね。……。   短い間。宮西、ボーッとしている。幸子、間を持て余す。幸子 (なにか会話をつなごうと思って)あの。富士雄さんって昔からああでした?宮西 え?幸子 宮西さんから、亡くなられた宮西さんから、なにかお聞きじゃありません?宮西 ああ。あんな感じでしたよ。金型屋としてはテキトー過ぎました。よう失敗しよったの。幸子 なにか宮西さんにご迷惑とか?宮西 ハハハハ。ご迷惑。ハハハハ。物作りは人作りっちゅうが。ほんまじゃの。人を育てるのは一筋縄ではいかん。幸子 そうでしょうねぇ。宮西 サイズを間違えるのなんかしょっちゅうじゃった。幸子 サイズを、ですか?宮西 0.089を0.098と読み違えたり。幸子 (富士雄なら)やりそう。宮西 金型で0.01サイズ間違うたらおおごとじゃ。それから穴の数を間違えたり。幸子 穴を……宮西 穴の数間違えたらはまるもんもはまらんわの。幸子 ですよね。ハハ。(恐縮)宮西 それからキリンをゾウと間違えた。ありゃ大失敗じゃった。ハハハハ。幸子 キリンをゾウに?宮西 メーカーさんの標識をキリンにせんにゃいけんとこをゾウにしてしもうたんじゃ。幸子 まさか。小学生じゃあるまいし。宮西 そのまさかをやった。大きな間違いは逆に気づかんもんじゃな。ハハハハハ。幸子 本当に申しわけありません。宮西 昔のこと。昔のこと。幸子 でも、よくご存知ですね。ご本人でもないのに。宮西 え?幸子 金型や、主人のこと。宮西 (冗談のように)ご本人じゃったりして。(トうらめしやのポーズ)幸子 まさか。やだ。宮西 ハハハハハ。幸子 フフフフフ。   場がなごむ。幸子 (なごんだ雰囲気のなかでつい)でも、あれですってね、宮西さんって。宮西 ん?幸子 あ。いえ、なんでもないんです。宮西 一度言いかけたことは飲み込んじゃいけん。幸子 いえ、その。失礼ですけど、ケチで有名だったそうですね。宮西 ケチ? わしが?幸子 いえ、亡くなられた宮西さん。宮西 ……。幸子 飲みに行っても一度もおごってもらったことがなかったって、主人が。宮西 (ムス)幸子 (宮西の様子に気づいて)すみません。宮西 ええからええから。他にはなんて?幸子 でも。宮西 ええから。わしも興味がある。幸子 なんでも主人が昔、お金に困って宮西さんに借りにいったことがあったそうですけど。でも断わられたとか。当たり前ですけどね、断るのが。宮西 ああ。その話。幸子 ご存知ですか?宮西 ご存知もなにもよう知っちょる。幸子 (思わず)あの、それって、主人がなんでお金を借りにいったか、宮西さんからお聞きになってらっしゃいません?宮西 ん? そりゃまあ。知らんこともないが。幸子 なんに困ってたんでしょう? あの人。宮西 その前に、念のため申しますが、百山くんの借金を断ったのはケチが理由じゃありませんよ、奥さん。幸子 は……?宮西 あれは手切れ金です。幸子 手切れ金!宮西 手切れ金。なんでも飲み屋のきれいなお姉ちゃんに引っかかって、別れる別れんの大変じゃったらしい。麗子とか言ったかの。マーマレードの。そんな金はいくらなんでも貸せんわな。幸子 手切れ金って、あの人飲み屋の女と浮気してたんですか?宮西 浮気かどうかは知らん。が、つきあっちょる女がもう一人おって、そっちと結婚したいから別れてくれと、こう言うたらしい、その麗子とかいう女に。そしたら麗子が法外な金を要求してきたとか。幸子 あ。待って。わたしのことじゃない? その結婚する女って。宮西 (幸子の反応に構わず冷静に)わしは金型屋には固い女性がええと思うちょります。特に百山くんみたいなテキトーな男には。飲み屋の女はいけん。幸子 それで、その麗子っていう女とは結局別れたんでしょうか?宮西 あ。(急に立ち上がる)幸子 え?宮西 ちょっとトイレ。(漏れそう)幸子 あっちの奥です。宮西 (行きかけて、うらめしやのポーズで振り向いて)タオルある?幸子 はい。トイレに。   宮西、微妙な歩き方でトイレへ。宮西 あ、それから。百山くんに言うちょって下さい。なにごとも、もう二度確認しろと。(トイレへ去る)幸子 変な人。   富士雄来る。喪服に着替えている。手にご仏前の袋。富士雄 じゃ、行ってくるわ。幸子 あ。中身をもう二度確認して。富士雄 もう二度? なんだよ。宮西さんみたいなこと言うな。   富士雄、改めてご仏前の中身を確認。幸子 ねえ。マーマレードの麗子ってだれ?富士雄 (ドキ)え? なに?幸子 とぼけないで。知ってるのよ。富士雄 なんだよ、急に。幸子 浮気してたの? どうなのよ?富士雄 け、結婚前の話だよ。幸子 あなた約束したじゃない。隠しごといっさいしないって。わたしは昔の彼氏のことみんな話したわよ。富士雄 おれも話したよ。幸子 じゃ、マーマレードの麗子ってなによ。富士雄 あれは彼女でもなんでもないよ。それにマーメードだよ、店の名前。マーマレードはジャムだろ。幸子 ごまかさないで。じゃ手切れ金は? どうやって払ったのよ。富士雄 なんでそんなことまで知ってんの?幸子 いいから、答えなさいよ。富士雄 それはその……。幸子 そんな金どこにあったのよ。富士雄 ……。幸子 あー! 新婚旅行!富士雄 新婚旅行?幸子 新婚旅行縮小しちゃったの、そういうわけだったんだ。富士雄 ええ?幸子 オーストラリアに行こうって言ってたのに急に宮崎に縮小しちゃったのそういうわけだったんだ。富士雄 縮小って言い方は。幸子 縮小じゃない。オーストラリアから宮崎って。女に手切れ金払ってお金なくなっちゃったんでしょ!富士雄 ちがうよ。幸子 うそおっしゃいよ。だってあなたあのとき――(思い出して)モウッ! くやしいィッ!富士雄 待てよ。落ち着いて幸子さん。   宮西戻ってきて、二人の様子を見てびっくり。宮西 あやややや。なんだか取り込んじょるようなから、わしはご仏前いただいて去のう(いのう)。幸子 すみません。そうして下さい。(富士雄の手からご仏前を取り宮西に手渡そうとする)富士雄 なにするの。おれが届けるよ。信用ないな。(取り返す)宮西 いやわしが。(ト取る)富士雄 いいったら。(ト取る)幸子 渡しなさいよ。(ト取る)宮西 もろうてこう。(ト取る)富士雄 おれが届けるって。(ト取る)幸子 いいから。(ト取る)   トしばし三人でご仏前の奪い合い。富士雄 貸せよ。(ト取る)あれ? なんか今(ご仏前が)宙に浮いてなかった?幸子 ごまかさないで。(ト取る)富士雄 いいって。(ご仏前を取って出ようとする)幸子 渡しなさいよ。逃げるの。富士雄 逃げないよ。だれからそんなこと聞いたの? (会社の)金田か? それとも七島か?幸子 ちがうわよ。富士雄 じゃなんでそんなこと知ってんだよ。手切れ金の話まで。幸子 今ここで聞いたのよ。富士雄 今? ここで? どうやって?幸子 この方に聞いたのよ。富士雄 この方ってだれだよ?幸子 (宮西に)あの、お名前は?宮西 宮西。宮西泰蔵です。幸子 宮西泰蔵さんよ。富士雄 宮西泰蔵って、宮西さんとは会ってないって言ったじゃん。幸子 会ってないわよ。富士雄 じゃ?幸子 だからこの方から。富士雄 だれもいないじゃん。幸子 いない?富士雄 手切れ金の話知ってるの、死んだ宮西さんだけだぜ。幸子 エー!   宮西、うらめしやのポーズを恥ずかしげにつくってみせる。宮西 失礼しました。まだ成り立てで。(とポーズをいろいろ練習する)死んだ宮西です。チーン。(鉦の音)幸子 ギャーッ!(富士雄に抱きつく)あ。あ。あ。富士雄 ど、どうした?幸子 そ、そこ。幽霊。宮西さん。富士雄 宮西さん? バカな。いくら霊感強いっても。幸子 ご仏前忘れてるって聞いたのこの人からだもん。それに手切れ金の話も。富士雄 また。からかって。今度はどんな戦法で来るの? そんなにおれを追い込みたいわけ?幸子 そんなんじゃないわよ。いいわよ。自分で確かめるから。   幸子、宮西の身体に触ろうとするが、すり抜けてしまう。チーン。(鉦の音)幸子 アワワ。本物だ!富士雄 そんなにそこに宮西さんの幽霊がいるってんならさ。幸子 なに?富士雄 宮西さんの得意なことやってもらってみてよ。幸子 得意なこと?富士雄 宮西さんにしかできないようなこと。それができたら、そこに宮西さんがいるってことだろ。幸子 そうね。だったら言ってみて、得意なこと。富士雄 安来節(やすぎぶし)。ドジョウすくい。幸子 ドジョウすくい?富士雄 宮西さんのドジョウすくいは天下一品だった。幸子 宮西さん。お願いできます? やってみて。宮西 (うらめしやの練習をしていたが)しょうがないのぉ。♪安来〜。……   宮西、ドジョウすくいを一くさり。絶妙な腰使い。幸子 おお。(拍手)富士雄 だったら怒りながら笑う人。幸子 怒りながら笑う人?富士雄 仕事ヘマしておれ叱るときよくやってたんだ、宮西さん。幸子 お願いできます?宮西 (やる。笑いながら)ハハハハハ。なんだ百山、おまえは! まだ金型のイロハも覚えてないんか、こら! ハハハハハ。幸子 おお。(拍手)富士雄 て、待ってよ。おれ全然見えないじゃん。幸子 そうだった。   富士雄、ちょっと思案して、富士雄 じゃ、宮西さんならあのこと知ってるはずだから聞いてみてよ。幸子 あのことって? もう一人女がいるとか。富士雄 いないよ。そうじゃなくって。いいから聞いてみてよ。幸子 わかった。富士雄 宮西さん。あのこと覚えてますか。覚えてますよね。宮西さんが定年間際で。おれが宮西さんの代わりに初めて大きな仕事任されて。それで大失敗して宮西さんに迷惑かけたこと。宮西 覚えちょる。幸子 (富士雄に伝える)覚えてるって。宮西 キリンとゾウを間違えた。幸子 キリンとゾウを間違えたって、それ?富士雄 うん。キリンとゾウ。気づいたときはもう製品完成してて。宮西さんおれの代わりに必死に得意先に頭下げてくれた。んで、無理言って納期伸ばしてもらって会社中で二晩徹夜して、なんとかゾウをキリンにやり直した。あんとき会社に損害かけたの、宮西さんが払ってくれたんだ。宮西 いや、退職金が減らされただけじゃった。幸子 退職金カットだったって。宮西 百山は金がなかったからのう。手切れ金で。幸子 そこにつながるか。宮西 あの失敗を(わしが)引き受けたのが、よかったか悪かったか。今でもようわからん。けど、おまえは叩かれ弱いからのう。幸子 あなた叩かれ弱いから、宮西さんが失敗引き受けてくれたんですって。富士雄 申しわけないです。宮西 人には、褒めて伸びるそと叩かれて伸びるそがおるからのう。幸子 その通り。宮西 社長は百山をクビにするっちゅうたが、わしは反対した。幸子 なんでです?宮西 百山はだれにも負けんほど金型が好きじゃったからのう。幸子 (ちょっと胸が熱くなる)社長があなたをクビにしようとしたの、宮西さん反対してくれたんですって。あなたは金型が好きだからって。富士雄 宮西さん。宮西 その後おまえもようがんばった。失敗が薬になった。幸子 その後よくがんばったって。失敗が薬になったって。富士雄 はい。(涙ぐむ)宮西 今じゃ一人前の金型屋じゃ。のう。ハハハハハ。幸子 (幸子もなんだか鼻がツーンとしてくる)一人前の金型屋だって。宮西さん。宮西 よかった、よかった。幸子 よかったって。   富士雄、感極まってそこにいると思われる宮西のところに飛んでいき、手を握ろうとする。富士雄 宮西さん!(方向が違う)幸子 そこじゃない! 行き過ぎ。お尻向けてる。富士雄 こう?(位置直し、手を握ろうとする)幸子 あなた、それ頭(宮西さんの)。頭握ってる。座ってらっしゃるの。富士雄 あ。すみません。宮西 ええ、ええ。(苦笑)富士雄 ここ? いい? おれ、(宮西さんの)手握ってる?幸子 うん。握ってる。富士雄 宮西さん。ホントにありがとうございました。あのときはバタバタしてお詫びとお礼としっかり言わないままでした。宮西さんのお陰で今のおれがあるんです。宮西さんから金型の基礎学びました。社会人としての基礎を教わりました。もう一度お目にかかって、感謝の気持ちを……宮西 会っちょる会っちょる。幸子 今会ってるわよ、富士雄さん。富士雄 はい。実感ないもんですから。ホントにありがとうございました。宮西 ええ、ええ。これでわしも安心してあの世にいける。幸子 これであの世にいけるって。富士雄 はい。宮西 (幸子に)年寄りのいらん世話じゃが、百山をよろしく頼むの。幸子 はい。宮西 あんたがおらんと、ダメじゃこの男は。幸子 (微笑んで)はい。富士雄 なに? なんて言ったの、宮西さん?幸子 内緒。宮西 内緒内緒。幸子 (宮西に)ねえ。富士雄 ずるいよ、幸子さん。宮西 (幸子に)あんた、百山と似合いの夫婦じゃの。われ鍋になんとやら。幸子 とじ蓋。(苦笑)ハハ。(富士雄に)お似合いだって、わたしたち。宮西 (急に立ち上がる)あ。幸子 え? どうしました?宮西 トイレ。(出ていこうとして)あ。うっかりするとこじゃった。ご仏前、忘れるなよ。もう二度確認しろ。ハハハハハ。   宮西、微妙な歩き方で去る。幸子 幽霊って、変な歩き方。富士雄 いっちゃった? いっちゃった?幸子 うん。富士雄 いっちゃったか、あの世へ。(手を合わせる)ナムナムナム……幸子 (傍白)ちょっとちがうんだけど……ま、いっか。でも立派な方ね。富士雄 うん。幸子 それに全然ケチじゃない。退職金も出してくれて。富士雄 そうだけど、そうじゃない。あの金後でおれ、請求されて払ったんだ、分割で。幸子 どういうこと?富士雄 宮西さんの退職金の減額分、利子つけて返したの。幸子 そうなの。富士雄 そう。じゃ、行ってくるよ。(玄関へ)幸子 え?富士雄 ご仏前。幸子 あ。待って。さっきの麗子って女のことだけど。富士雄 しつこいよ。それはもう終わった話。行ってきまーす!(出ていく)幸子 待って。富士雄さん! もう。帰ってきたらとっちめてやる。   宮西、ぬっと現れて、宮西 それがええかものう。(トうらめしやのポーズ)幸子 キャッ!宮西 ハハハハハ。幸子 フフフフフ。   二人、笑い合う。                       (幕)

「ハートフル・コメディ家族百景」1・2・3景

 ハートフル・コメディー   家族百景           作・広島友好第一景『友、遠方より』第二景『金は家族の……』第三景『見果てぬ夢』○時……今○場所……主に百山家の居間○登場人物百山富士雄(ももやまふじお)百山幸子 富士雄の妻(ももやまさちこ)百山翼 富士雄と幸子の子ども百山愛 富士雄の母春日一郎 幸子の父ミッキー 幸子の旧友金田 富士雄の同僚*台詞はそれぞれの地域の生活語に直してもらって結構です。                        (作者)第一景『友、遠方より』   百山家の居間。翼  おばあちゃんが来ていた。おとうさんのおかあさん。うちから少し離れたとこに一人で住んでいる。いつもは元気なおばあちゃんだけど、きょうはちょっとちがってた。   百山愛が一人煎餅を食べている。愛  バリリ。バリバリ。(お茶をすする)ズズーズー。   翼来る。塾へ出かけるところ。翼  大丈夫? お腹悪いんでしょ。愛  ばあちゃんね、もしかしてガンじゃないかと思うほ。お腹にポリープとかいうのができててね。翼  食べ過ぎなんじゃない。愛  こんなこと一度もなかった。あんまりしくしくするから病院行ったほ。病院なんて本当は子どものころから大嫌いなんじゃけどね。翼  なんで?愛  「百山愛さーん」って大きな声で呼ばれるの恥ずかしいじゃろ。この年で愛もなにもありゃせん。でもお腹しくしくするし、仕方なく病院行ったほ。そしたらポリープ見つかって、すぐ検査しろってことになって。きょうその結果がわかる日なほ。幸子さんに聞きに行ってもらっちょる。翼  怖いんでしょ?愛  バカな。翼  じゃなんで自分で行かないの?愛  こういうのは他人が一番ええの。わたしが行ったんじゃ医者は本当のこと言いやせん。その点幸子さんは嫁じゃから。医者も言いやすいし。わたしにだって本当のこと伝えやすいでしょ。翼  おとうさんじゃダメなの?愛  ありゃ気が弱い。もしわたしがガンだってわかったらブルブルふるえてとても本当のこと言い出しゃせん。翼  おかあさんだって言いにくいんじゃないかな。愛  ん。末期のガンだったらそうかもね。ごまかそうとするかもね。すぐに結果言わないで、病院で誰かと会ったとか、それも会うはずもない人に偶然会ったとかなんとかごまかして、後回し後回しにしようとするじゃろね。まず第一にわたしの目を見ようとせん。それですぐわかっちゃう。翼  あ、時間。んじゃ行ってくる。愛  どこ?翼  塾。愛  気をつけてね。翼  はーい。   翼去る。愛  ふーっ。バリバリ。バリリ。   幸子帰ってくる。慌てて。幸子 ただいま。大変、大変。友だちにばったり会っちゃった。それも会うはずもない友だちに。愛  ええ!幸子 偶然。病院でいきなり。昔のバンド仲間なんですよ。二十年ぶり。今からここに来るんです。愛  幸子さん。幸子 ああ、部屋片づけなきゃ。   愛、幸子と目を合わそうとするが、幸子は部屋のあちこちを片付け始める。目が合わない。愛、呆然とし、その場から出ていこうとする。幸子 あ。いてくださっていいんですよ。愛  ちょっと。心の準備が。(奥へ去る)幸子 心の準備? そうだ。(紙を取り出す)検査の結果なんですけどね。どうしたんだろ。あんだけせかしといて。大丈夫かな。最近ボケてきてるみたいだし。   ト幸子の友人ミッキー来る。   隣の部屋では愛が聞き耳を立てている。   ミッキー キャー。来ちゃった。幸子 入って入って。狭いとこだけど。ミッキー きれいにしてる。幸子 そんなことないよ。物ないだけ。ミッキー ホント懐かしい。いつ以来だろ。幸子 ミッキーが東京行ってから会ってない。ミッキー じゃ十八以来?幸子 二十年ぶり。ミッキー そんなになるかぁ。幸子 ずっと帰ってこないんだもの。仕事どう? ヨーミンってやっぱり歌下手なわけ? そんなことバンドのメンバーが言えないか。ああ懐かしい。わたしもバンドやってたころ思い出すわ。ミッキー 幸はもう音楽やってないんだっけ。幸子 全然。仕事と子育てで手いっぱい。ミッキー 翼くんだっけ?幸子 そう。小六。ああ懐かしい。こっちはなに、仕事? コンサートでもあるの? 病院なんかで会うと思わないから。ビックリ。ミッキー ホント。幸子 わたしもめったに行かないから病院。おばあちゃんがちょっとあれで。愛  (ドキリ)ミッキー ちょっとあれって?幸子 ううん。たいしたことじゃないの。ミッキーどうして病院なんか行ってたの?ミッキー え、わたし?幸子 うん。ミッキー 幸。幸子 なに?ミッキー 実はね……幸子 なによ?ミッキー 実は今ちがう仕事してるんだ。幸子 え?ミッキー 音楽とっくの昔にやめてたんだ。幸子 エー。でも毎年年賀状で。ミッキー ごめん。見栄張ってた。今はね、インターネットで仕事してんの。ネットショッピング。ネットで健康食品なんか扱ってんの。幸子 だから病院?ミッキー (パソコンを出し操作しながら)ね。いろんな商品あるでしょ。サプリメント。ウコンにレイシ。ローヤルゼリーにたんぽぽ茶。こっちはダイエット食品。美容にいいモノもあるの。幸はお肌きれいだからいらないか。幸子 そんなことない。もうボロボロ。お手入れするヒマなんてないもの。ミッキー ね。最近疲れてない? 滋養強壮に効く薬もあるの。疲労回復。ちょっと値段高いけど。幸子 わ。ホントだ。ミッキー 売れてんだよ。こっちはね、ガンの特効薬。愛  ガンの特効薬。ああダメ。(ドキドキして奥に引っ込む)ミッキー ここだけの話だけど、これ飲むとどんなガンでもいっぺんに治っちゃうの。あ、疑ってる。みんな初めはそうなんだよねぇ。でもガンの人には喜ばれてるんだよ。幸子 ふうん……。ミッキー 取りあえずさ。登録だけしてみない。 幸子 登録?ミッキー 会員登録。うちのネットショッピングの。幸子 え、でも。ミッキー 簡単なんだ。(パソコンに入力していく)名前でしょ。百山幸子。生年月日は○年○月○日。住所は○市○○……幸子 あ、なんで知ってんの。ミッキー え。あ、さっき郵便受け見て覚えちゃった、仕事柄。後は銀行の口座番号入れとけばいいの。どうする? 別に買わなくたっていいんだけど。幸子 ハハ。じゃ、登録だけね。ミッキー カードか通帳ある?幸子 うん。なんか変な感じ。(鞄からカード出し渡す)ミッキー 口座を入力して。後は商品買うときに銀行の暗唱番号入れてクリックすればいいだけ。ちょっとやってみるね。例えばそうね、幸の誕生日にでもしとくか。幸子 ええ!ミッキー 暗証番号誕生日ってことないでしょ? 今どき。幸子 う、うん。ない……。ミッキー これでよし、と。後は好きな商品をクリックすれば翌日配達だから。ここをこうして……(クリックしようとする)幸子 あ、あ、あ!ミッキー なんて。幸には売る気ないから。幸子 え? どうして?ミッキー そんなに貧乏じゃない。幸子 言ったな。ミッキー うそうそ。幸はわたしの一番の親友だもん。ハハハ。幸子 フフフ。でもいろいろ大変なんだ。ミッキー うん。幸子 あのころが懐かしいよね。今みたいな生活の心配事なんてなくてさ。燃えてたっていうか、夢があった。ミッキー うん。幸子 ヒロシにケン坊。わたしにミッキー。ミッキーだけは音楽やってるんだと思ってたけど。ミッキー (さみしく微笑む)幸子 そうだ。ケン坊ってさ、ドクターと高校から付き合ってたって知ってた?ミッキー ドクター。幸子 ほら。クラスで女の子なのに医者になりたいって子がいたじゃない。ドクターってあだ名で。ミッキー ああ。結婚してんでしょ、二人。幸子 うん。ミッキー 子ども四人もいるのよね。うるさいよね、あの家。幸子 そう。にぎやか。ミッキー ねえ。幸子 あれ? なんで知ってんの?ミッキー え?幸子 ケン坊とドクターの家のこと? 行ったの?ミッキー 行ってない。行ってない。幸子 でも……。ミッキー ほら、同窓会名簿に載ってた。幸子 名簿に載ってる、そんなこと? 子ども四人いるとか。ミッキー 載ってんじゃない。 幸子 ええ?ミッキー いや。年賀状だったかな。近況報告。幸子 ああ。年賀状か。(と言いつつも釈然としない感じ)ミッキー (空気を変えるように)わたしさ、昔の写真持ってんだ。バンドのころの。幸子 エー。うそうそ。(写真見て)キャー! オーディションに行ったときのじゃん。東京の。懐かしい。涙出てきた。惜しかったよね、あのとき。もうちょっとで契約できてたよ。ミッキーのボーカル良かったもん。ミッキー 幸のドラムも最高だった。幸子 そんなことないけど。ミッキー CD出さないかって話あったんだよ、レコード会社から。幸子 あの曲? 「愛のバカヤロー」?ミッキー そう。幸子 あの曲が?ミッキー ちょっとやってみる?幸子 エー! やる? フフフ。ミッキー やろやろ。幸子 うん。いい? ワン・ツー、ワン・ツー・スリー・フォー!   幸子とミッキーの歌と演奏。ミッキーはギターを弾く真似、幸子もドラムを叩く真似。二人ともノリノリで演奏する。かつてのロックバンドのころのように。二人 愛のバカヤロー 愛のバカヤロー   愛なんてもういらない 愛なんて邪魔くさい   一度でいいからわたし自由にさせて   愛なんかどっかいっちまえ    愛のバカヤロー!   愛、いつの間にか出てきて、愛  楽しそうじゃね。幸子 あ、おかあさん。愛  愛、愛って。幸子 あ。ちがうんです。おかあさん。愛っておかあさんのことじゃ。愛  いいの、いいの。どうせバカヤローですからね。(部屋の隅にすわる)幸子 おかあさん。愛  (無視)ミッキー 大丈夫?幸子 はぶてちゃうといつもああなの。耳聞こえない振りして。ミッキー ヒロシのおかあさん、じゃないわよね。百山だもんね。幸子 ヒロシとはとっくの昔に別れてる。ミッキー 今どうしてるの?幸子 さあ。印刷工場で働いてるらしいけど。ミッキー そうなんだ。幸子 うん。ミッキー わたしね。ホントはヒロシのこと好きだったの。幸子 え?ミッキー 黙ってたけど。ヒロシに告白したことあんだ。でもふられちゃった。ヒロシは幸がいいって。ガーンときちゃった。愛  ガーン……の薬?(とパソコン見る)ミッキー 十八の乙女は恋破れて一人東京へ旅立ったのだ。幸子 知らなかった。ヒロシもなにも言わなかった。ミッキー そういうやつだよ。あいつ。幸子 ……。ミッキー 意地んなって音楽やってたけど結局食べてけなくて。ヨーミンのバックやってたってのはホントだよ。一時期だけど。ツアー一緒に回ってた。でもやっぱ食べてけなくて。今はこんな仕事してる。幸子 結婚は?ミッキー してない。一人いるんだけど。どうしようもないやつで、まるでガン。愛  ガン!(思わずクリック!)   愛は二人の会話の間にパソコンのマウスをいじっていた。愛  わ! わ! 幸子さん! 画面変わった。幸子 え?愛  (パソコン画面の文字を読む)「お買い上げありがとうございます」?幸子 おかあさんなにやってるんですかあ! あ! ガンの薬買ってる! こんなの飲んだって効き目ないですよ! おかあさんには!愛  ええ! そうなの?幸子 当たり前じゃないですか。愛  がーん!幸子 (ミッキーに)あ、ごめん。つい。ミッキー 滋養強壮にもいいけど、それ。幸子 ごめん。一つ買うわ。ミッキー いいよ。無理しなくて。どうせ無駄になっちゃうんなら。幸子 いいの。再会を祝して。でも分割にしてくれる。ミッキー フフ。幸子 本当はうらやましかったんだ、ミッキーのこと。東京でがんばってるんだと思ってた。わたしなんかただの主婦だし。夫はうだつの上がらない万年ヒラだし。ミッキー え。年賀状にはヤン様みたいだって書いてたじゃん。幸子 ジョーク、ジョーク。ミッキー いや。幸はえらいよ。子育てして、働いて。わたしは夢捨てちゃったしさ。子どももいないし。ときどき自分でもなにしてるんだろって思うよ、ホントに。   ト幸子の携帯電話が鳴る。幸子 ごめん。(携帯に出て)もしもし。え、はい。そうです。はい、はい……(隅の方へ)   愛、幸子をうかがいつつミッキーを袖に寄せて聞く。愛  あんた幸子さんとは親友かね。ミッキー そうですけど。愛  悪いけどあんた聞いてくれんかね。ばあちゃんって本当はどうなのって。聞いてくれるだけでええから。ミッキー なんのことです、それって?愛  ごまかさんで。親友じゃないんかね。親友っちゅうもんは心の中のことなんでも話せるもんじゃろ。ミッキー はい……。愛  ね、この通り。わたし隣で聞いちょくけえ。ね。(出ていく)ミッキー ちょっとおばあちゃん。……   一方、幸子。幸子 え、まさか。今来てるけど。うそでしょ。サギ? 友だちんとこ回ってるの? うん。わかった。確かめてみる。本当だったらわたしそれやめさせるわ。わかってる。ありがとう。(携帯切る)   愛、隣の部屋で立ち聞きしている。ミッキー あのさ、おばあちゃんのことだけど。幸子 今電話あった。ドクターから。愛  ドクター!幸子 寄ったんでしょ?ミッキー うん。幸子 なぜ言ってくれないの。ミッキー ……。幸子 隠しとくことできないから、こういうことわたし。愛  なになに?幸子 ダメ。いけないよ。愛  え! ダメ? いけない?ミッキー 幸。わかってたんだ。幸子 こんなことやめて。普通になって。ミッキー もう引き返せないとこまできてるんだってば。愛  引き返せない。幸子 人生やり直せるわ。これじゃサギよ。ドクターだましてたんでしょ。愛  つい、なんでもないって言っちゃった。幸子 いったいどうして?ミッキー 知らず知らずこんなことになってたのよ。弱いんだ。ガンみたいなやつなのよ。つきまとって離れない。借金だってあるし。ガンって一生治んないのよ。愛  がーん!幸子 ばっさり切っちゃうのよ、ガンなんて。愛  手術!幸子 思い切ってやっちゃえばいいの。見栄や体裁やまわりのこと気にしてるときじゃないわ。思い切ってやれば後はどうにでもなるもんよ。愛  もう後のこと考えてる。幸子 三ヶ月がんばってみたら。愛  余命三ヶ月?幸子 今までのことはちゃんと反省して、けじめつけて。あやまって。そんでもって新しい気持ちで三ヶ月まっ正直に生きてみるのよ。なんとかなるわよ。なんとかならなくても一生懸命生きてれば、せめて悟りぐらいひらけるわ。愛  ナムナムナム……幸子 きついかもしれないけど。ミッキー 今さら生まれ変われないよ。長く生きてるとね、浮き世の垢で汚れきってるの。幸子 なによ。まだ若いわよ。愛  そうかね。幸子 あっちでも十分やり直せるわ。愛  あっち(天を指す)!幸子 あっちで夢追ってるってずっとうらやましく思ってた。ミッキー 幸。幸子 あのころ思い出して。ね。がんばればまたあっちでもいいことあるわよ。愛  悪いとこじゃないかもね。幸子 死ぬ気でやればいいの。生まれ変わるのよ。今までやってきたことの罪はみんな償ってさ。愛  罪多き人生でした。幸子 ダメなときはダメなものよ。それでもがんばろうとするのが人間じゃない。ミッキー 幸。愛  幸子さん。幸子 ね。ミッキー・愛 (同時に)ありがとう。死ぬ気でがんばる。幸子 うん。信じてる。ミッキー・愛 うん。うん。幸子 行ってもう。別れは悲しいけど、出発して。旅立ちは早い方がいい。愛  旅立ち。幸子 これ以上まわりのみんなに迷惑かけないでね。ミッキー うん。愛  はい。ミッキー でもこれだけはわかって。幸のところへは来る気なんてなかった。たまたま病院で。幸子 うん。わかってる。   ミッキー出ていく。ミッキー ごめん。ありがと。幸子 いいの。がんばって。ミッキー (去りかけて)あ、おばあちゃんだけど。幸子 うちのことはいいの。わたしがなんとでもするから。愛  後はまかしたよ〜。(静かに奥へ引っ込む)ミッキー でもおばあちゃんって不思議な人ね。幸子 なんで?ミッキー わたしのことみんなお見通しだったような気がする。幸子 おかあさんが? ミッキー あんた幸の親友だろって。幸子 フフ。とってもいい人よ。ミッキー それじゃ。幸子 うん。またね。   ミッキー去る。   愛、フラフラと帰ろうとする。幸子 おかあさんどうしました?愛  いろいろお世話かけたね。そうだ。前に幸子さんの服なくなったことあったじゃろ。幸子 ああ、イブニングドレス。愛  あれね、わたしんちにあるほ。いっぺんだけ幸子さんの服着てみたかったほ。ごめんね。(出ていこうとする)幸子 あ、おかあさん。検査結果、病院の。愛  もういい。もういい。幸子 いらないですよね、こんなの。愛  あっても無駄だね。幸子 そうですよね。どこも悪くないんだから。愛  そうそう。どこも悪く……え? でもさっきガンとか、あっちとか、旅立ちって。幸子 あれはミッキーのことですよ。彼女きっと立ち直ってくれると思う。愛  幸子さん。検査結果の紙は?幸子 (検査結果の紙を取り出し)はい。愛  (検査結果見て)あ。異常なし。フフ。フフフ。(うれしくて踊り出す)フンフフンフン。愛のバカヤロー。愛のバカヤロー。幸子 おかあさん! フフフ。愛  愛のバカヤロー。愛のバカヤロー……   ト幸子、愛の歌に乗ってドラムを叩き出す。そのドラムに合わせ歌い踊る愛。ノリノリの二人。二人 愛なんてもういらない 愛なんて邪魔くさい   一度でいいからわたし自由にさせて……   ト翼帰ってくる。「忘れ物、忘れ物」翼  あ!(ビックリ、呆然)二人 愛なんかどっかいっちまえ    愛のバカヤロー!               (幕)第二景『金は家族の……』翼  おじいちゃんが家(うち)に来た。でもぼくはたまにしか会ったことがない。それは塾からの帰り道のこと。   路上。春日一郎来る。花粉症のマスクにサングラス、帽子。あやしい。鼻がむずむず。一郎 へへ……へへ……ヘックシュン。   翼来る。塾の帰り道。一郎 翼くん。翼  だれ?一郎 おじいちゃん。翼  え、うそ。一郎 流山のおじいちゃん。正月会ったじゃろ。翼  (首ひねる)一郎 忘れたか。おかあさんのとこに行くとこなんじゃ。一緒に行こう。翼  ダメ。一郎 どうして?翼  知らない人と一緒に歩いちゃダメだって。一郎 知らない人って、おじいちゃんだって。翼  近寄らないで。腕二本分。一郎 腕二本分?翼  学校で習ったの。防犯訓練で。一郎 おじいちゃんだって。翼  じゃマスク取って。顔わかんない。一郎 マスクは取れん、花粉症で。翼  じゃ近づかないで。一郎 冗談はええから一緒に行こう。翼  (防犯ブザー出して)鳴らすよ。一郎 待ちなさい。翼  じゃ取って。一郎 いやいやマスク取ろうとしただけで、鼻が、むずむずして、へ、へ、ヘックシュン。翼  (ビックリして思わずブザーのひもを引っぱってしまう)   「ブー!」   翼、慌ててブザーを一郎の方に投げ捨て、逃げる。一郎 アワワワ!   一郎もあわくって逃げる。   人の声。「誰だ!」「待て!」   所変わって百山家の居間。   翼駆けてくる。翼  おかあさん! おかあさん! 襲われそうになっちゃった。幸子 (出てきて。エプロン姿)ええ! 大丈夫だった?翼  ブザー鳴らしたら逃げてった。幸子 どこで?翼  坂の通り。幸子 あそこ前からあぶないって言ってたのよ。それで、どんなやつ?翼  マスクして、メガネかけて、帽子かぶってた。幸子 見つけたらおかあさんバットで殴ってやるわ。翼  それが、おじいちゃんだって言うんだ。幸子 おじいちゃん?翼  うん。幸子 おじいちゃんっておかあさんの(わたしの)おとうさん?翼  かな。幸子 新手ね。翼  新手?幸子 今ごろはいろいろ新しいテクニック使うのよ。不審者も。翼  へえ。幸子 今におじいちゃんだって顔して家に上がり込んでくるかもね。翼  じゃ、おじいちゃんじゃないんだ、やっぱり。幸子 なんで?翼  マスクして顔わかんなかったから。もしかして。幸子 おじいちゃんは今ごろパチンコよ。翼  そっか。幸子 ホント。毎日毎日、朝から晩まで。パチンコするお金あるんだったら娘におこづかいくれればいいのに。翼  孫にじゃないの?幸子 まず娘によ。どんだけ心配してるかわかってないのよ。翼  さびしいんじゃないの。幸子 どうして?翼  一人だから。幸子 それにしてもよ。やめよ。腹立ってくるから。翼  そうだ。集金。(鞄から封筒出す)幸子 なに?翼  参考書代と教材費。塾の。幸子 また。(鞄から財布取り出す)来週でいい?翼  うん。幸子 きょうはちょっとね、お金ないの。おとうさんにおこづかいあげなきゃなんないし。翼  ふぅん。お菓子ある?幸子 その前に手洗って。うがいして。   二人台所へ。   一郎来る。富士雄と一緒に。富士雄 すみません。そうですか。ブザーを。一郎 (ムス……ブザーを富士雄に渡す)富士雄 ハハハ。子どもにみんな持たすんですよ、最近。わたしらのときはなかったですけどね。不審者もいたんでしょうけど平気で道草してましたよ。きょうはなんです、おとうさん。またパチンコですか。どうでした?一郎 (首振る)富士雄 出ませんよね、最近どこも。ハハハ。一郎 ……。富士雄 ただいま。あれ? 買い物にでも行ってるのかな。おとうさん、わたしちょっと回覧板まわしてきますから。すわっててください。(去る)   一郎すわる。鼻むずむず。一郎 ヘックション。   翼来る。菓子を食べながら通り過ぎようとしてビックリ。のどに詰まりそうになる。幸子を呼びに慌てて引っ込む。   一郎、ふと幸子の財布に気づく。一郎 幸子のか。(まわり見て)すまんねぇ。ちょっとだけね〜。(財布を開けようとする)   幸子と翼来る。幸子はバットを持っている。   一郎、背中を向けていたがハッと気づく。幸子 (バットを振り下ろす)キャー!   一郎、間一髪よける。よろしく立ち回り。一郎 わしわし!(マスクとサングラス取る)幸子 え? おとうさん!一郎 殺す気か。幸子 なにしに来たの。一郎 おまえ出かけてたんじゃ?幸子 出かけてなんかないわよ。あ。   幸子、ハッとして一郎から財布を取り返す。幸子 なにしてるの。これ富士雄さんのおこづかいよ。一郎 いや。別に。幸子 またパチンコ代? そうでしょ?一郎 頼む。少しだけ。幸子 ダメ。もう。この前も財布から……(ト翼がいるのでそれ以上言うのはやめる)一郎 ……。幸子 パチンコばっかりして。おかあさん悲しむわよ。他になにか趣味ないの。情けない。絵描くとか。散歩するとか。カラオケでも。旅行でも。一郎 一緒に行くもんおらんとつまらん。幸子 友だちつくったらいいじゃない。一郎 この年になったらそんな気の合う者おりゃせん。幸子 ……。一郎 定年したらかあさんと一緒に温泉巡りしようと思って金も貯めちょったけど。幸子 その金みんなパチンコにつぎ込むことないじゃない。一郎 一人じゃつまらん……。幸子 ……。ご飯食べてく?一郎 (立ち上がる)幸子 どこ行くの?一郎 トイレ。どっちじゃったかな。幸子 翼。教えたげて。   翼と一郎、二人奥へ。   幸子なんだか気が晴れず「ああ! クソ!」とバットを力いっぱい振り回す。トそこへ富士雄帰ってくる。富士雄 ウワッ! なに?幸子 むしゃくしゃして。富士雄 なに?幸子 父よ。また財布からパチンコ代とろうとしたの。富士雄 また。困ったね。幸子 パチンコやめさせなきゃダメだ。なんか起こってからじゃ遅いもの。あなたも父にお金あげないでね。富士雄 おれはあげないよ。幸子 きっとよ。あぁあ。昔はあんなじゃなかったけどな。まじめ人間で。パチンコなんかしなかった。富士雄 なんだっけ? カタイ仕事だったよね、おとうさん。幸子 冷凍食品。富士雄 でもさ。知らなかっただけじゃない。幸子 なに?富士雄 子どもだったから知らなかっただけで、案外昔から(パチンコやってたんじゃ)……幸子 父はまじめな人でした。会社人間で、残業残業。家族なんてホッパラかし。家じゃ亭主関白で、おかあさんあごで使うような人だった。でもパチンコなんかやらなかったわ。趣味のない人で。それが急にパチンコなんか始めて。富士雄 おかあさんの存在がそれほど大きかったってことじゃない。幸子 そうね……。富士雄 おかあさんが亡くなって、その穴、埋めようとしてんじゃない。パチンコで。幸子 ……。富士雄 あ、ごめん。話変わるけど、来週飲み会でさ。幸子 知ってる。富士雄 それで、少し援助してくれると助かるんだけどな。幸子 この間あげたじゃない。富士雄 あれはあれだよ。それにおれ……フフフ。幸子 なによ?富士雄 今度課長になるかもしれないんだ。幸子 え、本当。富士雄 その人間がさ、後輩におごってやれないとまずいじゃん。幸子 でもそれ課長になってからにして。富士雄 幸子さん。幸子 うそうそ。ちゃんと用意してありますよ。富士雄 ありがと。(幸子からこづかいをもらう)あれ、なんか匂うな、この金。幸子 え、そう?富士雄 味噌くさい。幸子 そりゃ糠味噌の中に……富士雄 糠味噌の中?幸子 あ、やば。富士雄 ハハァン。幸子さん、そんなとこに隠してんだ、へそくり。幸子 親譲りよ。富士雄 親譲り?幸子 母もそうしてたの。もういいじゃない。(慌てて台所へ)富士雄 あ、別のとこ隠すつもりだな。幸子 来ないでよ。富士雄 ヘヘヘ。   幸子台所へ。富士雄残る。   一郎戻ってくる。元気ない。一郎 それじゃ帰るわ。富士雄 今食事の支度を。一郎 嫌われもんがおってもつまらんじゃろ。富士雄 そんな。一郎 家族三人楽しく食事してちょうだい。富士雄 おとうさん。一郎 あんたには苦労かけるの。富士雄 え?一郎 幸子は小さいころから曲がったことが嫌いな性格で。まじめすぎてパチンコなんか我慢できんのじゃ。でもまじめすぎるとポッキリ折れやすい。かあさんもそうじゃった。簡単にポッキリいってしもうた。わしはどこへも行くとこない。会社におる間は趣味の一つも持たんとやってきた。定年したらかあさんを温泉旅行ぐらい連れてっちゃろうと、それを励みにがんばってきたけど。かあさん死んでどこも行くとこない。行く気もせん。せめてパチンコぐらいと思ったが、その金もありゃせん。情けないのう。ホント、情けない。ちいとでええからこづかいでもあったらのう。富士雄 え?一郎 ちいとでええからこづかいがあれば、わしもストレス解消できるし。胃の痛いのも治るんじゃが。富士雄 でも。一郎 ああ、どこぞにやさしい婿がおって、おとうさん、こづかいですよ。パチンコでもしていらっしゃいよ。ハハハ。いやでも。パチンコぐらいみんなやってますよ。それでストレス解消になって長生きしてくれるなら安いもんですよ。いや悪いのう。なんていう婿でもおったら少しはわしも幸せなんじゃが。あ、いかんいかん。なんか当てこすり言ってしもうたみたいじゃな。富士雄 いえ。一郎 ああ、帰って寝よう。ああ。アァア。富士雄 おとうさん。一郎 はい! なんでしょう。富士雄 ハハ。これ少ないですけど。(先程幸子からもらったお金を出す)一郎 いかんよ富士雄くん。幸子に叱られる。そうか。悪いの。いやぁええ婿持った。ええ婿持ってわしは幸せじゃ。富士雄 はあ。一郎 かあさん。富士雄くんがこづかいくれたよ。うんうん。うちの婿はとってもグッドよ。心配せんでええよ。富士雄 ありがとうございます。一郎 ん。これなんかくさいな。富士雄 そう、ですか。一郎 う〜ん。富士雄 どうしました?一郎 なんか懐かしい匂いじゃなと思うて。   ト幸子の声「富士雄さん、ちょっと」富士雄 ほい。おとうさんご飯食べてってくださいね。(台所へ去る)一郎 ……。たった五千円か。みみっちい婿じゃ。このごろぁ婿は選ばれんからの。ああでももうちょっと軍資金がほしいの。(幸子の財布に手を伸ばす)♪パチンコはやめられませ〜ん。   ト翼来る。料理を運んで。翼  あ!一郎 あ!   固まる二人。一郎 いや。これは、その……翼  ああ、わかった!一郎 え?翼  お、おこづかいだ。おかあさんにおこづかいあげるんでしょ。そうでしょ。一郎 ああ。うん。翼  おかあさんいつもおじいちゃんのこと心配してるもの。一人でさみしくないかねぇ。身体大丈夫じゃろか。風邪引いてないかな。栄養のバランスとっちょるじゃろか。運動してるかなって。一郎 幸子がそんなこと……。翼  だから、だから、おこづかいあげるんだ。おかあさんきっと喜ぶよ。いつもおじいちゃんからおこづかいほしいって言ってたもの。ぼくおかあさん呼んでこよっと。おかあさん。おかあさん。(慌てて去る)一郎 翼くん。   一郎、財布の中身を見る。一郎 なんじゃ。千円しか入っちょらんじゃないか。富士雄くんのこづかいじゃとか言いよったけど。こづかいが千円か。チッ。しょうない。(さっき富士雄からもらった五千円を取り出し)ん。クンクン。わかった。この匂いじゃ。この匂いでかあさん思い出してしもうたんじゃ。ま、ええか。(お金を幸子の財布に入れる)いの、いの。用のないものは帰るとしよう。   一郎去る。   幸子と翼来る。幸子、手にお玉。幸子 おとうさん!    が、一郎はいない。幸子、財布に飛びつき中身を見る。幸子 あ!(五千円取り出し)入ってる。翼  だから言ったでしょ。おこづかいだって。幸子 (涙ぐむ)バカバカバカバカ。親疑うなんて。恥ずかしい。翼  うん。   富士雄来る。富士雄 あれ? おとうさんは。幸子 うん。富士雄 帰ったの。パチンコかな。幸子 父はそんな人じゃありません!富士雄 なに急に。幸子 お金持ってないと思うし。富士雄 そうだね。ハハ。ところで幸子さん。幸子 なに?富士雄 あのさ、悪いけどおこづかいもうちょっともらえないかな?幸子 さっきあげたじゃない。富士雄 もうちょっとだけ。ね。今度課長になるかもしれないんだぜ。五千円じゃ恥ずかしいよ。幸子 しょうがないわね。このお金は大切に使ってね。富士雄 ほい。(お金受け取り)クンクン。ハハ。糠味噌くさい。幸子 うそ。富士雄 うそって。へそくりだろ。幸子 ちがうのよ。これ父が。富士雄 おとうさんが? じゃおとうさんもお金糠味噌に隠すのかな。幸子 まさか。そんなことする人じゃないわ。富士雄 あ。待てよ。これ、おとうさんが幸子さんにあげたの?幸子 うん。富士雄 てことは……幸子 なに?富士雄 ハハ。なんでもない。幸子 富士雄さん。富士雄 ハハハ。幸子 なによ、笑って。富士雄 金は天下の回りもの、なんちゃって。幸子 なに言ってんの。フフ。富士雄 食事にしよ。幸子 手伝って。富士雄 ほい。   幸子と富士雄、台所へ。   翼、両手を広げて「やってられない」のおどけた仕草。幸子の声 翼。翼  はーい。(台所へ去る)                                           (幕)第三景『見果てぬ夢』翼  その夜、おとうさんの帰りは遅かった。   百山家の居間。テーブルでうつぶせて寝ている幸子。   テーブルの上には課長昇進のお祝いのケーキ。   翼来る。翼  寝たら。幸子 あ。こんな時間か。翼  遅いね、おとうさん。早く帰るって言ったのに。幸子 うん。翼  ダメだったんじゃない?幸子 でも、あんなにはっきり確実だって。翼  課長ってそんなにうれしいの?幸子 そりゃ、ヒラよりいいわよ。翼  給料増える?幸子 ちょっとね。翼  金型作る会社っておもしろいのかな?幸子 大人の仕事はおもしろいとかそういうんじゃないの。でもおとうさんは今の仕事に誇り持ってるわよ。翼も金型作る仕事やってみる?翼  う〜ん。どんな仕事かよくわかんないし。幸子 働いてるとこ見たことないか。ま、自分の好きな仕事についてちょうだい。好きなこと見つけるのが大変なんだから。好きなこと見つけらんないうちに人生終わっちゃう人もたくさんいる。翼  ホント遅いね。ケーキ無駄になっちゃうんじゃない。幸子 縁起でもない。もしそうだとしても、おとうさんはちょっとのことじゃ落ち込まないわ。翼  やけ酒飲んで酔っ払って帰ってきたりして。幸子 そんなことないわ。きっと残業よ。もう寝なさい。翼  はーい。(奥へ去る)   ト富士雄が帰ってくる。酔っ払って。富士雄 ただいま〜。ピンポ〜ン。幸子 どうしたの?富士雄 幸子さん、待ってた。ごめん。電話すればよかったね。翼は? 寝てる? 翼〜。幸子 今寝ました。声大きいって。富士雄 幸子さん。ヘヘヘ。幸子 なによ? 気持ち悪い。富士雄 今貯金いくらある?幸子 なによ、急に?富士雄 ねえ、ねえ。幸子 いくらもないわよ、そんなの。富士雄 糠味噌貯金は?幸子 知らない。なに、どうしたの?富士雄 ジャーン!(封筒から冊子や本を取り出す)幸子 なに? (冊子のタイトルを読む)「おいしいメロンパンの焼き方」。「あなたもなれるメロンパン屋」。「メロンパン屋開業の手引き」。なにこれ?富士雄 実はメロンパン屋始めようと思うんだ。幸子 ええ?富士雄 前から計画練ってたんだ。チェーン店あるの知ってる? メロンパン屋の。(封筒に書かれているチェーン店の名前を示す)自己資金二百万で開業できんのよ。最初はチェーン店入ってノウハウ学んで、顧客つかんでさ。ワゴン車での路上販売だけど。そのうちにお金返して独立して、自分の店持つってどうよ。小さな店でも主は主。気持ちいいぞ。人に使われることもないんだから。朝まだ日の昇らないうちに二人で起きて、美味しいメロンパンを焼く。湯気の出てるできたてほかほかを店に並べる。店の前には美味しい匂いに誘われて主婦やOLや子どもたちが行列を作ってる。いらっしゃいませ。ありがとうございます。ここのメロンパン美味しいわね。メロンパンだーいすき。店にはお客の幸せそうな笑顔があふれてる。いいよ。いい。な。小さいころからの夢だったんだ、メロンパン屋。幸子 富士雄さん。ここすわって。富士雄 ねえ、幸子さん、貯金いくらある?幸子 すわって。富士雄 はい……。幸子 どうしたの? ちゃんと話して。ねえ。富士雄 金田が課長になったんだ。幸子 え、そうなの。でも部長さんからあなたが課長だって言われたんでしょ。富士雄 言われたと思ったんだけど。幸子 思った?富士雄 勘ちがいだったんだよ。おれの早とちり。もういいじゃない。どうせ今の仕事なんて好きじゃないんだから。幸子 うそ。金型作るの好きじゃない。富士雄 好きは好きだけど。もうどうでもいいよ。幸子 ……。富士雄 ねえ、メロンパン屋やろうよ。きっと成功するよ。してみせるよ。そんでもってビル建てようよ。メロンパンビル。ね、いいじゃない。夢あって。幸子 翼いるのよ。どうするの、教育費は? 食ってけないわよ。富士雄 幸子さん協力してくれたらなんとかなるよ。幸子 わたしはいやよ。料理下手だし。富士雄 一から教えてくれるんだって。パンの焼き方。幸子 そういう問題じゃないの。富士雄 ねえ。やろうよ。メロンパン屋。ねえ。幸子 逃げてちゃダメじゃない。富士雄さん。富士雄 逃げてなんかないよ。幸子 そう? だったらこれはどうなのよ。   幸子、本棚から本を取り出して富士雄に一冊ずつ渡していく。幸子 「美味しいそばの作り方」。「そば職人への道」。こっちはなに。「夫婦でできるペンション経営」。こっちは「今からでも遅くない楽しい田舎暮らし」。「自給自足のスローライフ」。富士雄 ……。幸子 あなた、なんか会社でつまづくとこれじゃない。現実逃避よ。富士雄 それを言っちゃいけないよ。幸子 わたしはちゃんと現実見つめてって言ってるの。そりゃ課長になれなかったのは残念だけど。翼もいるのよ。会社辞める勇気なんてないくせに。富士雄 今の仕事嫌いだって言ったろ。幸子 もう! くだくだ言ってると別れるわよ。富士雄 あいつの部下になるんだよ。金田の。なんで同期の金田に頭下げなきゃいけないわけ。幸子 仕方ないじゃない。会社なんだから。富士雄 あ、金田の肩持つの。幸子 そうじゃないわ。富士雄 幸子さんに同期の、課長昇進の飲み会に出るつらさがわかりますか。笑顔でおめでとう、なんて言わなきゃいけないんだよ。幸子 わかるわよ。富士雄 わかってないよ。おれはもう金田も金型も嫌いになったの。   ト同僚の金田来る。金田の声 こんばんは〜。ピンポ〜ン。富士雄 あれ? 金田じゃない。幸子 金田さん?金田の声 こんばんは〜。   富士雄玄関へ。金田を迎え入れる。富士雄 どうしたの。さっき別れたばかりじゃない。それに家反対方向じゃん。金田 飲み足りなくてさ。富士雄 奥さん待ってんじゃない。課長昇進のケーキかなんか用意して。幸子 あ。(そそくさとケーキを隠す)金田 二人で飲みたくなってさ。富士雄 なに言ってんの。あれだけみんなからお祝いされて。金田 ま、いいから飲もうや、一杯だけ。他のやつなんていいよ。おれはおまえと飲みたいの。会社で一番気の合う同期なんだもの。富士雄 まあ、いいけどさ。幸子さん、ビール持ってきてくれる。金田 あれ覚えてる、おまえ。Kの32。富士雄 なんだよ、いきなり。金田 覚えてるかって。Kの32。富士雄 Kの32だろ。忘れるわけないじゃん。あれ苦労したもんな。金田 0.1ミクロンだもんね。0.1ミクロン。富士雄 最後のカーブつけるのが、うまくいかなくてな。鉄にストレスかかっちゃって。金田 あれどのくらいかかったっけ? 日にち。富士雄 半年。七ヶ月。いやもっとか。金田 218日。富士雄 そんなか。覚えてんじゃん。金田 プレッシャーあったからな。会社ちょっとこうなってて(傾いてて)。大きな仕事だったし。最後はやっぱり腕だよな、腕。おまえならできると思ってた。富士雄 おまえの図面無理ばっかだもんな。金田 おまえだからさ。富士雄 へへへ。金田 燃えてたよな、あんとき。富士雄 そうだな。会社の危機乗り越えたもんな、あれで。金田 苦労わかるのは、百山だけだよ。(急に涙ぐむ)富士雄 なんだよ、急に。金田 話、聞いてくれるか。富士雄 なに? 改まって。金田 驚くなよ。富士雄 うん。金田 実はおれ、メロンパン屋やろうと思うんだ。富士雄 ええ! なに言ってんのおまえ。金田 驚くなって。富士雄 バカ、おまえ。メロンパン屋ぁ? 課長になったばっかじゃないか。金田 いや、前から計画練ってたんだ。(鞄から冊子を取り出し)チェーン店あるの知ってる? メロンパン屋の。自己資金二百万で開業できんのよ。最初はチェーン店入ってノウハウ学んで、顧客つかんでさ。ワゴン車での路上販売だけど。そのうちお金返して独立して、自分の店持つってどうよ。小さな店でも主は主。気持ちいいぞ。人に使われることもないんだから。朝まだ日の昇らないうちに夫婦二人で起きて、美味しいメロンパンを焼く。湯気の出てるできたてほかほかを店に並べる。店の前には美味しい匂いに誘われて主婦やOLや子どもたちが行列を作ってる。いらっしゃいませ。ありがとうございます。ここのメロンパン美味しいわね。メロンパンだーいすき。店にはお客の幸せそうな笑顔があふれてる。いいよ。いい。な。小さいころからの夢だったんだ、メロンパン屋。富士雄 ここすわれよ、金田。どうしたの?金田 どうもしないさ。今の仕事好きじゃなくなったんだ。富士雄 うそつけ。金型作るの好きなくせに。金田 好きは好きだけど、どうでもいいよ。な。メロンパン屋いいと思わないか。きっと成功するよ。してみせるよ。そんでもってビル建てる。メロンパンビル。な。いいじゃない。夢あって。富士雄 子どもいるんだろ。三人も。教育費どうすんだ。メロンパン屋なんてやっても食ってけないぞ。幸子 そうでしょ。その通りよ。富士雄 いや、金田はさ、課長になったばっかじゃないか。みんなも期待してんだし。ヒラとはちがうよ。   突然金田が富士雄に頭を下げて頼む。金田 百山、課長かわってくれないか。富士雄 ええ?金田 一生のお願い。今ならまだ間に合う。部長に話せばわかってもらえる。富士雄 そんなことできないよ。金田 元々おまえがなるはずだったんだ。それがおれの方がルックスいいもんだから。富士雄 金田。からかってんのか。金田 いや、ごめん。本当に真剣に頼んでるんだ。幸子 あなた。かわってあげたら。富士雄 幸子さん。幸子 こんなに熱心に頼んでらっしゃるんだから、むげに断ったりしちゃ悪いわ。翼  (出てきて)それがいいよ、おとうさん。富士雄 なんだおまえは。寝てなさい。   翼、引っ込む。富士雄 奥さん知ってるのか。おまえがメロンパン屋やるなんて聞いたら別れてやるなんて言うぜ。きっと。幸子 それはそうよ。メロンパン屋なんて始めたら絶対別れてやるわね。金田 いや、奥さん。うちのは大賛成なんです。幸子 ええ?金田 料理も上手だし。むしろ女房の方が乗り気なんです。富士雄 あ、そうなの。料理上手で大賛成。うちと真逆じゃ。幸子 (富士雄のももをつねる)富士雄 アテテテ。金田 どうした?幸子 ホホ。なんでもないんですよ。富士雄 ハハ。でも夫婦でメロンパン屋っていいだろな。金田 な。いいと思うだろ。富士雄 二人で協力して生きてくっていいよ。人生の後半を夫婦二人で額に汗して働く。ときにはどっか旅行いったりしてな。金田 それ理想だろ。富士雄 マイ・ビューティフル・メロンパン・ライフ!なんて。金田 最高!   幸子、急に真顔になってテーブルをドン!と叩く。幸子 それじゃ聞きますが。あなたにとってメロンパンってなんですか?富士雄・金田 ええ?富士雄 なんだよ、急に。幸子 聞かせてください。メロンパンってなんで焼くんですか?富士雄 (急な質問にしどろもどろになりながら)なに言ってんの。そりゃ小麦粉にイースト菌混ぜてさ。な。金田 ああ。メロントッピングして。幸子 そんなこと聞いてんじゃないわ。メロンパンっていったいなに? 売る目的は? お金? お金は今より収入落ちるはずよね。苦労も多いわ。責任だって重くなる。小さくても経営者は経営者なんですもの。ちょっと失敗すればどうなる? 家族も道連れよね。それでもやりたい理由ってなに?金田 失敗恐れてたらなんにもできないですよ、奥さん。責任は重いかもしれないけど、一人でなんでもやる充実感はあると思う。富士雄 そうだよ。お客さんがおれが作ったメロンパンで笑顔になる。それだけでも十分じゃない。金田 そうだよ。幸子 お客さんの笑顔って言ったけど、それって今の仕事でも同じじゃないですか。立派な金型作ってお得意さんに喜ばれてるじゃないの。立派な仕事じゃない。今の会社でできなくてどうするの? 逃げてるだけじゃない。富士雄 ……。幸子 そりゃメロンパン一筋なら、それが本当にやりたいことなら、わたしも応援するけど。夫婦なんだもの。富士雄 幸子さん。幸子 夫婦なんだもの。わたしたち。(涙ぐむ)金田 他人になにがわかる! えらそうに。会社での苦労も知らないで。人のこととやかく言わないでください。一大決心なんだから。あんたなんかにはわからないよ! おれの気持ちは。富士雄 わかるさ!金田 百山?   富士雄、そば屋やペンション経営や田舎暮らしの本を金田の前に置く。富士雄 ほら。ほら。金田 なんだよ。富士雄 おまえメロンパン屋の前はそば職人になろうと思ってただろ。金田 ど、どうしてそれを!富士雄 その前はペンション経営。ちがうか。その前は楽しい田舎暮らし。おまえ、会社でなんかつまづくといつもこれじゃないのか。現実逃避だよ、それって。夢持つのはいいさ。でも逃げちゃダメだよ。金田 それを言うなよ。富士雄 ちゃんと現実見つめろって。せっかく課長になれたんだから。金田 ……怖いんだおれ。人まとめていく自信がない。金型の図面ならいくらでも引いてやるさ。でもな、課長ってちがうだろ。職人たちまとめて、パートの女性たちまとめて。おれなんかおばちゃんたちに嫌われてるだろ。仕事細かいとか。それに部長もあんなだし。人の気持ちわかんない人だし。板挟みで、考えただけでも胃が痛いよ。うつなんだ。いっぱいいっぱいなんだ。でもおまえの手前そんな素振り見せちゃまずいと思ってな。富士雄 金田。金田 ハァ。おれはひとりぼっちだ。   短い間。富士雄 ここに味方いるじゃない。金田 え?幸子 あなた。金田 でも百山。おまえおれの部下になるんだぜ。富士雄 へっちゃらとは言わないが、おれは今の仕事愛してるんだ。おまえ支えてやるよ。金田 百山。富士雄 おれやっぱり、金型作るの好きなんだ。0.1ミクロンの世界でモノ作ってるのが性に合ってんだ。金型作るのが好きなんだよ。幸子 あなた。富士雄 いや、それでも夢は夢として取っとくよ。翼が大きくなって独立したら、そのときは早期退職して退職金がっぽりもらってさ、メロンパン屋やる。夢はそれまでお預けだ。うん。(本片付ける)幸子 富士雄さん。金田 ありがとう。百山。富士雄 おう。金田 元気出たよ。なんとかやってみる。富士雄 うん。金田 でも、なんだかおまえがメロンパン屋あきらめるみたいだな。富士雄 ええ? そうか。ハハ、ハハハ。金田 ハハハハ。富士雄 さ、金型屋の朝は早い。金田 そうだな。奥さん。すみませんでした。幸子 いいんです。今後ともよろしくお願いします。金田 それじゃ。   富士雄、金田を玄関へ送る。金田 そうだ。百山。あした朝一で納品書出しとけよ。富士雄 え、あれまだいいって。金田 これからは能率主義でいくからな。わかったな、百山。富士雄 はい。課長。金田 ハハハハハ。富士雄 ハハハハハ。   富士雄、戻ってきて。富士雄 聞いた聞いた、今の? 幸子さん。出しとけよ、百山、だって。出しとけよだよ。ああ、頭来る。幸子 富士雄さん。どうする本?富士雄 あ。うん。そば職人と一緒に仕舞っといて。あぁあ。幸子 なによ。ため息つかなくったって。わたしがいるんだから。富士雄 幸子さん。幸子 (ニッコリ)   二人、いい雰囲気。   ト翼来る。翼  ケーキもらっていい?   二人ビックリ。ドギマギ。富士雄は体操始めちゃったりする。幸子 あ、あしたにしなさい。翼  はーい。富士雄 翼。ところでおまえ、将来なにになるつもりだ?翼  子どもの夢に入ってこないで。(去る)富士雄 あ。あんなこと言ってる。幸子 寝よ寝よ。(寝る準備にかかる)富士雄 ねえ、ところで幸子さん。幸子 なに?富士雄 ホントのところ貯金いくらある?幸子 フフフ。内緒。富士雄 糠味噌貯金は?幸子 教えない。富士雄 ねえねえ。幸子 フフフ。富士雄 これくらい? それともこれくらい?幸子 フフフ。富士雄 ねえ。ねえ。幸子 フフフ。   二人じゃれ合う。翼  (出てきて)早く寝れば?   富士雄と幸子、顔を見合わせ笑う。                         (幕)

ハートフル・コメディ「恋、おばあちゃんの」/家族百景 第七景 各地で上演の大人気の戯曲です。

ハートフル・コメディ   家族百景           作・広島友好第七景『恋、おばあちゃんの』○時 ……今○場所……主に百山家の居間○登場人物百山翼  (ももやまつばさ)百山幸子 翼の母(さちこ)百山愛  翼のおばあちゃん杉下桂  愛の幼なじみ坂田絹  愛の幼なじみ坂田澄子 絹の娘*台詞はそれぞれの地域の生活語に直してもらって結構です。                      (作者)翼  (独白)おばあちゃんには親友がいる。むか〜しからの幼なじみで、付き合いはン十年になる。   親友ってなに、て聞くと、なんでも隠し事しないのが親友だよって。そんな友だち今いないじゃん。だからちょっとうらやましい。   愛と桂がお茶を飲んでいる。年寄り二人。茶飲み話。愛  早いねぇ。桂  早いねぇ。愛  もう花見だって。桂  桜がねぇ、満開。愛  この前お正月かと思ったら、桂  花見の季節じゃものねぇ。愛  じきに木の芽時になって、梅雨が来て、夏が来て、桂  すぐ秋よねぇ。んでまた寒うなって。愛  お正月じゃねえ。桂  そんでもってまた桜の季節が来る。愛  早いねぇ。桂  早いねぇ。   ト二人茶をすする。桂  ん? (家の中が)静かじゃねぇ? あれ? そういえば幸子さんは。愛  出かけちょるの、翼と。桂  翼ちゃんと?愛  今度高校生でしょ。その準備でなんやかんや買い物して来るって。桂  高校生。翼ちゃんが。もうそんなになるの。生まれたばっかしじゃと思っちょったけど。早いねぇ。愛  早いねぇ。   幸子、帰ってくる。幸子 ただいま。あら、桂のおばちゃん。いらっしゃい。桂  はい。お邪魔してますよ。ねえ、幸子さん。翼ちゃん、高校生になったんて?幸子 そうなんですよ。桂  おめでとう。幸子 ありがとうございます。桂  (鞄を探り)お祝いあげんといけんねえ。幸子 あ、いいんですよ。桂  (鞄を探りつつ)でもねえ。幸子 ホントに。桂  あとでなんか言われても。(鞄の中身を次々と取り出す)桂のおばちゃんはケチじゃったとか。幸子 やだ。言いませんよ、そんなこと。気持ちだけで。桂  でもねえ。幸子 気持ちだけで、充分。ね。桂  あ、そう?(あっさりとしまう) じゃ、かえって迷惑になってもいけんからね。幸子 ハハ……。愛  翼ちゃんは?幸子 うん。今部屋。すぐ来る。桂  でも早いねぇ、翼ちゃんが高校生。幸子 ホントに。桂  歳取るわけじゃ、わたしらも。愛  あとは翼が大学行って、ええ会社入って、嫁さんもろうて、孫の顔が見られれば、いつ死んでも悔いはない。桂  そりゃあんた、とうぶん死ねりゃぁせんでね。愛  ホントじゃ。ハハハハ。桂  ハハハハ。   愛と桂、ほがらかに笑う。幸子もお愛想笑い。幸子 ホント二人、元気よねえ。感心しちゃう。仲もいいし。桂  ほうかね。幸子 ずっと一緒でしょ。子どものころから。愛  小学校からね。桂  小学校からかいね? もっと前からじゃろ?愛  もっと前からかもしれんねぇ。幸子 それからずっとでしょ?桂  戦争でちょっと一緒におれん時もあったけど。あとはずっと一緒。愛  腐れ縁じゃねえ。桂  腐れ縁じゃねぇ。幸子 ホント天然記念物みたい。愛  天然記念物って、人を化石みたいな。幸子 あ。すみません。桂  ええのよ。化石よねぇ、化石。愛  やっぱり化石かね? ハハハハ。桂  ハハハハ。   愛と桂笑う。幸子 ねえ、仲のいい秘訣ってなに?桂  ん? そりゃ隠し事せんことじゃろうね。幸子 隠し事。桂  隠し事しよったら長続きはせんぃね。幸子 へえ。じゃ二人はなんでも知ってるわけだ、お互いのこと。桂  そりゃ、家のことも、なんもかんも。幸子 じゃ、好きだった男の人のことも?桂  そりゃそうよ。愛  桂ちゃん。あんたはいらんこと言わんのよ。幸子 いいじゃない。聞きたい聞きたい。愛  昔のこと。みんな忘れた。幸子 もう。桂  とにかくね、友だちつくらんにゃつまらんよ。翼ちゃんによう言うちょってちょうだい。勉強も大事じゃけど、友だちが財産じゃって。ね。幸子 はい。桂  グッ。(指でOKポーズ)幸子 友だちで思い出したけど、このごろ坂田さん来られんね。愛  入院したのよ、病院に。幸子 あ、そうだったね。愛  足、骨折してね。幸子 でもだいぶ前でしょ、それ?桂  ん……、ありゃ桜の季節じゃったから、一年経つかねぇ。愛  退院はしたっちゅうけど。家が遠いからねぇ。幸子 三人娘が揃わんとさみしいわね。桂  それそれ。わたしら三人いっつも一緒じゃったからねぇ。あんまり仲がええからあんみつ三人娘って呼ばれちょった。幸子 あんみつ三人娘?愛  学校の近くに「たぬき」っていうあんみつ屋があってね。なにかっちゅうとそこに寄っちょったから、三人で。幸子 それで、あんみつ。桂  たぬき娘っちゅう人もおったけど。幸子 いやだ。(プッと吹き出す)ウフフフフ。愛  幸子さん。笑い過ぎ。幸子 ごめんなさい。フフフ。   翼来る。翼  おかあさん。着替えたよぉ。   翼、詰め襟の学生服姿。新しい服に身体が飲み込まれている感じ。   愛と桂、初々しい翼の姿に賛嘆の声を上げる。愛  わぁ、翼ちゃん。かっこええねえ。桂  ええ。ええ。翼  (桂に)こんにちは。(照れている)幸子 翼、ぐるっと回ってみて。ぐるっと。モデルみたいに。翼  (照れて)ええっ! いいよ。幸子 いいから。愛  翼ちゃん。おばあちゃんたちによう見せて。ね。翼  一回だけだよ。(ぐるっと回る)愛  ええねえ!桂  ええ! ええ!   愛と桂が翼に拍手する。桂  (愛に)ねえねえ、そっくりじゃない。愛  え? だれに?桂  だれって――。愛  (すぐに思い当たる)ああ。桂  学生服のね、着た感じが、生き写しじゃぁね。愛  ホントじゃ、ホント。幸子 え? だれにそっくりなの?愛  おじいちゃんよ。桂  耕次郎さん。幸子 お義父さんに? 翼が?翼  おれが? だれに似てるって?幸子 おじいちゃんよ、おじいちゃん。耕次郎おじいちゃん。翼  耕次郎おじいちゃんって、おばあちゃんのおじいちゃん?愛  ちがうちがう。幸子 おばあちゃんの夫。おとうさんのおとうさん。翼  ああ。桂  血は争えんね。愛  血じゃねえ。幸子 隔世遺伝って子どもより孫が似るって言うもんね。桂  それそれ。カクセイカクセイ。翼  おれ、おじいちゃんにそっくりなの? なんかキモッ。幸子 なに言ってんの。桂  翼ちゃん。翼ちゃんのおじいちゃんはね、そりゃ素敵じゃったんじゃから。しゅっとして、すらっとして。頭もようて、やさしゅうて。女学生の憧れの的じゃった。翼  へえ。愛  (うれし恥ずかし)モテたのよ、おじいちゃん。桂  耕次郎さんが愛ちゃんと結婚したときは、そりゃもうみんながびっくりしたんじゃから。愛  ちょっと待って、桂ちゃん。それどういう意味?桂  え? どういうって?愛  耕次郎さんがわたしと結婚したときみんながびっくりしたって。桂  言ったそんなこと?愛  言った。桂  言ってないよ。愛  言った。翼  おばあちゃん。おれのことでけんかせんで。愛  してないよ、けんかなんか。桂  そうよ。わたしら仲ええんじゃから。   ト電話の音。幸子 電話だ。(部屋を出る)翼  おかあさん、もう脱いでいい?(ついて出ていく)幸子の声 ちょっと待って、みんなで写真撮るから。翼の声 (ちょっと不満げ)はぁい。   愛と桂。二人ねちねちと。気まずい空気。愛  あんたがそんなふうに思っちょったとは知らんかった。桂  え? なにが?愛  なにがって。耕次郎さんとわたしが結婚したときびっくりしたってこと。まるでわたしが耕次郎さんと釣り合わんみたいじゃない。わからんもんじゃね。長う付き合っちょっても人の心は。桂  またねちねちと。愛  またってなんかね、またって。桂  言ったそんなこと?愛  出た、その台詞。桂  なに? その台詞って?愛  桂ちゃん、都合が悪くなるといっつもそれじゃもん。「言ったそんなこと?」。ボケ老人の振りして。桂  ボケ老人って。ボケちょるのはあんたでしょうがね。愛  いつわたしがボケた?桂  ボケちょるのがわからんのがボケちょる証拠なの。愛  言ったな。桂  言ったそんなこと?愛  あ、またワザと。桂  へ、へ、へ。   険悪な雰囲気。   幸子来る。幸子 おかあさん。坂田のおばちゃんが今から来るって。愛  絹ちゃんが。幸子 それがもう家の前まで来てるんだって。(ト玄関に去る)愛  わざわざ電話することないのに。幸子の声 娘さんが電話してきたの。一緒なんだって。愛  澄子ちゃんと?   玄関のチャイム。「ピンポーン」幸子の声 はーい。桂  元気になったんじゃね。愛  退院してから一度も病院で顔会わせんから、病気かと思っちょった。桂  よう来んのよ、保険料が高いから。愛  なに言いよるの。あそこは金持ちじゃあね。桂  じゃったらなんで?愛  娘夫婦がいじめるんよ。桂  澄子ちゃんが?愛  澄子ちゃんの旦那がよ。桂  よう同居せんかね、娘の親とは。愛  酒飲みじゃそうじゃから。酔うときついこと言うてらしいよ、ストレスで。桂  ほうかね。嫌じゃね、エリートも。   幸子来る。幸子 どうぞ。   絹来る。少し足元がおぼつかない。ヨチヨチ歩き。そのうしろから介添えする心持ちで娘の澄子が来る。   絹のどんよりとした表情が一瞬の晴れ間を覗かせるように輝く。絹  愛ちゃん! 桂ちゃん!愛/桂 絹ちゃん!愛  どうしたんかね、あんた。桂  心配しちょったんよ。絹  愛ちゃん。桂ちゃん。   澄子、幸子を部屋の隅に連れてくる。澄子 迷ったんですけど……話そうかどうしようか……幸子 はい……?澄子 実は……母がボケちゃってて。幸子 え? (気づいて声を小さくして)おばさんが?澄子 こないだから入院してたでしょ。その間に急に。幸子 でも骨折だったって。澄子 あぶないって言うでしょ、年寄りの骨折は。あれって、ボケにも当てはまるの。幸子 へえ……。愛  ええからちょっとすわりなさいね。桂  アメ食べるかね? 煎餅は?愛  お茶飲んで落ち着きんさん。桂  そんな興奮していっぺんに言っても。愛  そりゃ桂ちゃんでしょ。絹  愛ちゃん。桂ちゃん。愛  なに言いよるんかね。愛はわたし。桂  わたしが桂でしょうがね。相変わらず好きじゃねぇ、冗談が。絹  愛ちゃん。桂ちゃん。澄子 前ね、畳で転んだんです。なにもないところで。幸子 畳で。澄子 今思えばそのときからおかしかったのかも。あっという間に。幸子 見えないけど。そんな風に。澄子 徘徊するんです。もう疲れちゃって。幸子 ……。愛  ホント元気になってよかったね。桂  足はどんなかね。歩けるかね?絹  桂ちゃん。桂ちゃん。桂  うん、うん。歩けるかね。澄子 共働きでしょ、うち。面倒見切れなくて。冷たい気持ちじゃないんだけど。幸子 そりゃ、ねえ……。澄子 運良くあったんです、空きが。幸子 空き?澄子 施設の。主人のお得意さんにつてがあって。普通は老人ホームなんてなかなか順番回ってこないんだけど。ちょっとお金も使って。幸子 へえ……。愛  澄子ちゃん、よう絹ちゃん連れてきてくれたねえ。ありがとう。澄子 おばさん、こんにちは。ご無沙汰してます。桂  ああ、あんた素敵な服着て。お出かけ。澄子 ちょっと……母を連れて……。愛  絹ちゃんも?澄子 ええ……。愛  でも、まだ時間ええんじゃろ?澄子 それがあんまり。主人に迎えに来てもらうことにしてるんで。桂  どこへ行くの?澄子 え――?(言葉につまる)桂  ん?澄子 ちょっと……施設に。愛  なんの施設かね?澄子 ええ。それがね、おばさん……絹  (突然澄子に)どなたか存じませんが、どうもご苦労さんでした。澄子 まあ、かあさん! いやだ。   澄子、たまらなくなって背を向け涙をこらえる。愛  また、絹ちゃんの冗談が出た。冗談よ、澄子ちゃん。桂  これ聞かんと調子出んからね。   愛と桂、笑う。絹もつられて笑みを浮かべたように見える。   幸子が澄子の様子を気にする。澄子 (涙を拭って)ごめんなさい。幸子さんなら、ほら、わかってもらえると思って。気持ち。同じ年寄り抱えてるから。幸子 元気だからうちは……。澄子 (幸子の言葉に同意して)ねえ。   ホントは黙って施設に入れちゃおうかと思ってたんだけど。幸子 澄子さん。澄子 おばさんたちもショックでしょ、母がボケてるって知ったら。でもそれもどうかと思って。なんだかさみしいし。思いが残るでしょ。かと言ってみんなの前でボケてるなんて言うと本人のプライドもあるし。幸子 わかるの、おばさん?澄子 時々ねぇ。変なときに。悪口とか言ってるとひどく怒って暴れるの。かみついたり。幸子 うそ。おばさんが?澄子 そう。これ。(手の甲見せる)幸子 まあ。澄子 限界。   翼来る。翼  ねえ、いつ写真撮るの?幸子 ちょっと待ってて。今お客さんだから。翼  早くしてね。(去りかける)   ト絹が立ち上がり、翼の前に来る。翼  ……あ、こんにちは。絹  ご進学……おめでとうございます。翼  (戸惑い気味)どうも。ありがとうございます。絹  いつ、東京へ?翼  え? 東京?絹  いつ? 耕次郎さん。愛/桂 耕次郎さん?絹  東京へ、いつ?翼  え? なに?絹  八幡へ引っ越すんです、わたし。親戚が製鉄所で働いてるので。落ち着いたらまたここへ戻ってきます。ふるさとですから、ここが。翼  おばあちゃん。(わけがわからず愛に助けを求める)愛  絹ちゃん。どうしたの? これ翼よ。翼。わたしの孫よ。桂  また絹ちゃんの冗談よ。絹  ……耕次郎さん……。愛  しっかりしてよ。耕次郎さんは十三年前に脳卒中で死んだでしょ。絹  死んだ……耕次郎さん……。桂  びっくりした振りして。じゃけど、間違えるのもしょうがないわ。惚れ惚れするほどそっくりじゃもの、耕次郎さんに。愛  じゃけど翼ちゃんは高校生よ。桂  体格がええから大学生に見える。愛  ほうかねぇ。絹  いい……お孫さんね……。愛  じゃろぅ。なんて。孫自慢しちゃいけんね。桂  ええよええよ。翼ちゃんは愛想もようて。男前で。それにおばあちゃん思いじゃし。うちの孫なんか寄りつきゃせんからね。愛  ほうかね。恵ちゃんが?桂  小遣いやるときだけ。(孫の甘い声を真似て)おばあちゃぁんって。愛  ホントに?桂  ちゃんと調べちょるんじゃから、年金の支給日。愛  まさか。そりゃあんたが年金年金言うからじゃろ。桂  おばあちゃんあれほしい。おばあちゃんあれ買ってって。絹  好かん。孫は。愛/桂 え?絹  ボケちょる、おばあちゃん。きらい、おばあちゃん。おばあちゃんこっち来んで。……(ブツブツブツブツ)澄子 もう! 瑠実たち、一言も言ったことないでしょ、そんなこと。絹  (ブツブツブツブツ)……   気まずい間。翼  おれ、部屋におるから。幸子 うん。翼  写真撮るとき呼んで。(去る)絹  あ。   絹、翼の去ったあとをじっと見ている。澄子 (愛たちに)あの、さっきのあれっていつのことですか?愛  え? あれって?(耳に手をやる)澄子 (大きめの声で)さっき母が言ってた、引っ越しがどうのっていう?愛  ああ。戦後すぐのことじゃないかね。桂  耕次郎さんが東京の大学へ行って、絹ちゃんが九州の親戚の所へ行ったのよ。ちょうど同じ時期に。愛  そうそう思い出した。わたしらになんにも言わんで引っ越してったのよ、絹ちゃん。桂  しょうがないぃね。戦後の、まだまだ混乱しちょったころじゃもの。愛  それにしても、よ。澄子 そういえば聞いたことあります、母から。八幡に行ったって。桂  こっちの家をね、なんとかするのが大変じゃったそうな。愛  絹ちゃん。なんであんたなんにも言わんで引っ越してったの。あんときは哀しかったんよ、わたし。桂  もうええじゃない。(幸子と澄子に愛の気持ちを解説する)三人娘が唯一バラバラじゃったからねぇ。愛  ねえ、なんでじゃったの。怒らんから言ってみて。絹  愛ちゃん。愛  なに? 怒らんから言って。絹  ……。愛  絹ちゃん。絹  どこ、お手洗い?愛  お手洗い? もう! いつも行っちょったじゃない。そっちの角。絹  ほうじゃった。(ト立ち上がって部屋を出る)桂  ボケちゃダメよ、絹ちゃん。ハハハハ。   澄子、幸子に目でサインを送る。澄子 トイレは大丈夫なんです。不思議に。幸子 そうですか。澄子 ……あの、わたし、やっぱり、おばさんたちに言います。幸子 え?澄子 このまま一生逢えないなんて、やっぱり。幸子 (うなずく)   澄子、愛たちの元へ。澄子 おばさん、あのね。聞いてほしいんだけど。愛  なに?桂  ん?澄子 実はね、うちのおかあさん、ボケちゃってるの。それもかなりひどいの。桂  え?愛  絹ちゃんが?澄子 今もちょっと変だったでしょ。愛  気づかんじゃったけど……桂  ……いや、変じゃった。愛  あんた、また!桂  わたしゃちょっと感じちょった。澄子 入院してる間に急に悪くなってね。このごろは徘徊もするし、暴れるしで、わたしらの手に負えんの。愛  信じられん。絹ちゃんがボケちょるじゃなんて。桂  ボケは、あんた、人選ばんよ。総理大臣でもボケるんじゃから。愛  あんたはだれの味方かね。わたしゃ信じん。信じられん。幸子 おかあさん。   ト絹帰ってくる。愛  絹ちゃん。トイレわかった?絹  どなたか存じませんが、ご親切にありがとう。愛  き、絹ちゃん。(強いショックを受ける)   絹、愛たちに背を向け、部屋の隅に小さく座る。絹  (脈略なしに歌う)はぁるの〜 うらぁらぁの〜 すぅみぃだぁがわぁ〜……愛  絹ちゃん……。幸子 あ。(聞き耳を立てる)愛  どうしたの?幸子 トイレの水。出しっぱなし。(駆けて出る)澄子 すみません。愛  絹ちゃん。澄子 (決心して)おばさん聞いて。愛  なに? 怖い顔して。澄子 あのね、母をね、施設に預けることにしたの。今から行くとこなの。愛  施設に。桂  ほうかね。澄子 怒られるかもしれんけど、おばさんたちに。桂  なにを怒ろうかね。そりゃぁショックじゃけど。わたしらよりももっともっとあんたの方が苦しんじょるんでしょ。わかるよ、わたしは。澄子 おばさん。愛  ……。桂  好きで自分の親を施設に預ける子どもはおりゃぁせんぃね。みんな仕方なくそうするんじゃから。愛  わたしは信じん。信じんよ。桂ちゃん、なんかええ方法ない? 絹ちゃんを元に戻す。桂  ええ方法っても。愛  びっくりさせたらどうじゃろねぇ。桂  びっくり?愛  あれあれ、なんとか言うた……桂  ショック療法。澄子 ダメダメ、逆効果になっちゃって。下手に刺激すると感情乱して大変なんです。暴れ出して。絹  ♪さいたぁ〜 さいたぁ〜 チュウリップのはなが〜……愛  (絹の肩を抱く)絹ちゃんうそじゃろ。うそじゃって言って!桂  愛ちゃん!   幸子、戻ってきている。   翼来る。翼  おかあさん。(愛たちをチラッと見て)あれ、なんかあったの?幸子 ちょっとね。翼  ……。幸子 ん? なに。翼  これ。(ト一枚の紙切れを幸子に渡す)幸子 なに? (紙切れになにか書いてあるが字が汚くて読めない)汚い字ねぇ。翼  坂田のおばあちゃんに。幸子 え?翼  読んでって、渡された。さっきそこで。澄子 うちのおかあさんが?翼  はい。愛  どうしたの?幸子 おばさんが、翼にこれを渡したんだって?愛  絹ちゃんが?桂  なんて書いてあるの?幸子 う〜ん……澄子 (横から読んで)……「お話があります。いつもの所でお待ちしてます。絹」幸子 なに、これ? ラブレター?愛  まさか? 翼ちゃんに。翼  うそ。マジで?幸子 でもお話がありますって?桂  もしかして、耕次郎さんに話があるんじゃないの?愛  ええ?幸子 おじいちゃんに?桂  絹ちゃん、翼ちゃんのことを耕次郎さんと思い込んじょったでしょ。じゃから、もしかして。幸子 なるほど。桂  なにか思い残しがあるんじゃないの。幸子 思い残し?翼  なにそれ? 思い残しって。桂  わからんけど。なにか伝えたいことがあるんじゃなかろうか。伝えられんかったことが。幸子 おかあさん、なにか心当たりある?愛  いんや、全然。澄子 大切な思い出かしら。愛  思い出?澄子 昔のことは思い出すみたいなんですよ。昔にタイムスリップしたみたいに。そのときだけはしゃんとして昔のままの母なんです。愛  じゃ、耕次郎さんと話すときは絹ちゃんも昔のままに戻るってこと?澄子 たぶん。一時的には。愛  (思い入れて)よし。桂  よしってなによ?愛  そこから絹ちゃんを元に戻そう。桂  愛ちゃん。無理じゃって。愛  ええから、黙っちょって。桂  ……。愛  翼ちゃん。お願いがあるの。一生のお願い。翼  なに急に?愛  おじいちゃんになって。翼  ええ? おじいちゃん?幸子 おかあさん。愛  翼ちゃんに耕次郎さんになってもらうの。桂  耕次郎さんに?愛  翼ちゃん。いっときでええからおじいちゃんの振りしてみて。絹ちゃんが元に戻るかもしれんから。元に戻らんでもね、その思い残しをね、伝えさせて上げて。ね、この通り。翼  無理だよ。幸子 翼。おばあちゃんの一生の頼みなんだから。翼  でも。幸子 あんたにも親友おるでしょ。おばあちゃんの気持ちわかるでしょ。翼  でも。幸子 もう! でもじゃないの。おばあちゃんの一生って短いんだから。愛  幸子さん!幸子 あ。ごめんなさい。翼  わかるけどさ。気持ち。愛  翼ちゃん。澄子 わたしからも。翼  ウ〜ン……。幸子 翼。桂  わたしも、お願いするよ。愛  (うれしい)桂ちゃん。翼  わかったよ、もう。愛  ありがとうね。翼  その代わり……幸子 その代わり、なによ?翼  来月からおこずかいアップしてよ!幸子 現金なんだから。愛  おばあちゃんがお小遣いあげるから。翼  よぉし!絹  ♪おてぇてぇ〜 つないでぇ〜 のみちをゆけば〜……翼  でもどうすればいいの?幸子 演技よ演技。おじいちゃんになりきったつもりで。翼  演技っても。見たことないもん、おじいちゃん。桂  ほうかぁ。愛  翼ちゃんの赤ちゃんのころじゃったね、おじいちゃん死んだの。幸子 だったらね、こうしてみて。この言葉だけ使ってみて。「そうですね」と「なぜです?」。それから「いいかもしれない」。この三つの言葉でなんとかつないでみて。あとはこっちで指示出すから(身振り手振りで)。翼  う、うん。「そうですね」「なぜです?」「いいかもしれない」だね。でもちょっと不安。幸子 大丈夫。いい。おばさんにショック与えっちゃダメよ。とにかく相手の言う通りに。ね。おばさんの大切な思い出かもしれないんだから。翼  わかったよ。澄子 でも、そうだ。いつもの所って?幸子 いつもの所?澄子 さっき手紙に書いてあった「いつもの所」。桂  「たぬき」じゃろ。澄子 たぬき。桂  あんみつ屋。わたしらなにかっちゃぁたぬきに寄りよったから。ね、愛ちゃん。愛  そうじゃろうね。幸子 じゃ、たぬきであんみつ食べながら(チラッと絹を見て)ご機嫌に歌をうたって待っている若き日の絹さんの所へ、紅顔の美青年、大学生の耕次郎が話しかけるシーンから行くわよ。「絹さん、話ってなんでしょう?」。いい?翼  なんか映画監督になってる。幸子 いいのよ。愛  翼ちゃん、頼んだよ。翼  うん。愛  胸しゃんと張って。ええ男じゃったんじゃから、おじいちゃんは。翼  うん。幸子 ヨーイ、アクション!   翼、胸をしゃんと張って絹に近づいていく。愛と桂、幸子と澄子は部屋の隅でそれを見守る。翼  あの、絹さん、話ってなんでしょう?絹  (振り向いて、しばらく翼の顔をぼうっと見ていたが、目に急に輝きが戻り)耕次郎さん。翼  いいかもしれない。――じゃなかった。そうですね。絹  来てくれたんですね、耕次郎さん。お呼びだてしてごめんなさい。翼  (最初は言葉を探りつつ)な、なぜです?絹  実はわたし遠い所へ行くんです。引っ越すんです。翼  なぜです?絹  家を焼かれたもんですから。九州の親戚を頼って行くんです。あなたは東京の大学へ行ってしまわれるし。もう二度と逢えないかもしれませんね。翼  そうですね。絹  わたし、耕次郎さん――翼  ?絹  ――あなたのことをお慕いしていました。(ト翼の腕にそっとすがる)愛/桂 ええ!幸子 (傍白)思わぬ展開!絹  ずっとずっと耕次郎さんのことを。翼  いいかもしれない。絹  本当に。本当にそうお思いになる?翼  なぜです?絹  だって耕次郎さんには、愛ちゃんが……翼  なぜです?絹  だって二人は親同士が決めた相手なんでしょ。翼  そうですね。絹  でも、もしももしも、わたしのことを好いて下さっているのなら、翼  いいかもしれない。絹  耕次郎さん、――わたしを東京へ連れてって下さい!翼  そうですね。絹  耕次郎さん!(翼の腕に強くすがる)愛  うぎぎぎぎぃ。(嫉妬の炎がメラメラと)桂  愛ちゃん落ち着いて。思い残し思い残し。幸子 (小声で)バカ! 翼!翼  いや、その、なぜです?絹  わたしの方が好みだとおっしゃったじゃありませんか。愛よりきれいだし、わたしの方が可愛いって。(恥じらう)翼  そうですね。愛  そうですねって、くやしっ!幸子 おかあさん、演技演技。絹  でも、ダメ、やっぱり。翼  なぜです?絹  愛を傷つけてしまう。翼  そうですね。絹  耕次郎さん。――一度だけわたしを抱いて下さい。翼  ええ!絹  ごめんなさい。こんなはしたないこと言って。でも逢えないと思うと、抑えきれなくて。やっぱりダメですよね。翼  い、いいかもしれない。絹  耕次郎さん!(翼の胸に)愛  う〜ん。(気を失う)幸子 おかあさん!絹  いいえ、ダメダメ。わたし知ってるんです。耕次郎さんは愛ちゃんを愛してる。耕次郎さんはいつも愛ちゃんのことばかり話してた。翼  そうですね。絹  耕次郎さん。一度だけでいいです。わたしのこと、絹と呼んで下さい。絹と呼び捨てに。翼  なぜです?絹  その思い出だけで、強く生きていける気がするんです。離ればなれになっても。翼  (幸子の方を振り向いて小声で)どうしよう?幸子 (「やれやれ」と手振りで示す)絹  耕次郎さん。翼  (たっぷりと)絹。絹  (翼の胸に顔をうずめる)ああ! ありがとう。ありがとう。きょうのことは大切な思い出にしてずっとわたしの胸にしまっておきます。翼  いいかもしれない。絹  わたし、愛には会わずに行きます。愛を大切にしてあげて下さいね。それじゃ。   愛、絹の前へ。幸子 あ、おかあさん。愛  絹ちゃん。絹  愛ちゃん。聞いてたの?愛  うん。絹  怒ってる?愛  全然。絹  うそじゃ。愛  ちょっとね。絹  うそじゃ。愛  ものすごく怒ってる。じゃけど、平気。絹  ごめん。愛  ううん。(首を横に振る)絹  愛ちゃん。愛  絹ちゃん。(微笑む)フフフ。絹  フフフ。愛  桂ちゃんもおるよ。桂  フフフ。絹  フフフ。   ト車のクラクションの音。澄子 迎えの車だ。おかあさん。そろそろ。愛  絹ちゃん、行っちゃいけん!(絹に抱きつく)桂  絹ちゃん!絹  愛ちゃん。桂ちゃん。愛  絹ちゃん。絹ちゃん。桂  オーヨヨヨヨ。(泣く)絹  きっと帰ってくるから。ね。ね。友だちじゃから。友だちじゃろ、わたしら。愛  うん。ずっと友だち。ずっとずっと。桂  仲良し三人娘じゃからね、わたしら。澄子 行きましょ。(一瞬考えて)――絹ちゃん。幸子 あ、そうだ。待って。写真撮るから。写真。並んで並んで。ほら、翼も。翼  え? おれも。幸子 あんたは耕次郎さんよ。   幸子、翼を真ん中に仲良し三人組を並ばせる。絹  (ポーズを取りながら)落ち着いたら、わたしきっと戻ってくるから。ね。愛  絹ちゃん!桂  絹ちゃん、待っちょるよぅ!   幸子、みんなの写真を撮る。澄子 それじゃ。行こう、おかあさん。絹  うん……。(灯火が消えたように大人しくなっている)   絹、澄子に付き添われて去る。愛  絹ちゃん。絹ちゃん……。幸子 おかあさん。(愛の手をギュッと握る)愛  幸子さん。幸子 わたし、どんなことがあってもおかあさんをどこへもやったりしないから。愛  ありがとう。ありがとう。   ト突然桂、翼に近づき、翼の手をギュッと握る。桂  耕次郎さん。翼  え? なに?桂  わたし、どんなことがあっても耕次郎さんのそばを離れんから。愛  桂ちゃん?桂  わたしも耕次郎さんを――お慕いしておりました。翼/幸子 ええ!愛  桂ちゃん!桂  あんみつ屋で二人過ごしたあの夜がわたしの一生の宝物です。愛  桂ちゃん! あんたなに言いよるの?桂  あ、ごめん。つい昔の秘めた思いが――愛  秘めた思い?桂  愛ちゃん、ごめんね。いやなの、わたしも! 思い残して死ぬのはいや! 耕次郎さん! わたしを抱いて!愛  桂ちゃん!桂  だってあの夜、やさしい言葉をかけてくれたのは耕次郎さんなんじゃもの!愛  きーっ!(嫉妬の炎が大炎上) 耕次郎さん、あんたって人は! 浮気ばっかり! わたしがどんだけ苦労したか! バカバカバカバカ!(翼を叩く)翼  おばあちゃん。おれおれ。翼だよ!愛  もう許さん!(翼を追いかけ回す)桂  耕次郎さん!(翼を追いかけ回す)幸子 いくつになっても女は女ね。愛  待て〜!桂  耕次郎さ〜ん!翼  助けて〜!幸子 でもなんかいい、恋って。翼  おかあさん、のんきなこと言ってないで助けてよ!幸子 ごめんごめん。おかあさん落ち着いて! おかあさん! おかあさん!愛  待て! この浮気男!桂  耕次郎さ〜ん!幸子 もう! コラー! 言うこと聞かないと二人ともどっかへやっちゃうわよ!   愛と桂、ピタッと止まる。   不気味な間。愛/桂 ……へ、へ、へ。やれるもんならやってみさん(やってみなさい)。幸子 おかあさん!愛/桂 フフフフフ。幸子/翼 (ちょっと引きつった笑い)ハハ、ハハハハ……。   皆、笑い合う。                      (幕)

「泣かないでよ、笹月さん」(日本劇作家協会のリーディングフェスタ2017で上演)

   一人芝居   泣かないでよ、笹月さん           作/広島友好    ○登場人物   男(ノボル…若いというほどではないが、中年と呼ぶにはまだ早過ぎる)    ○時   今であり、少し前    ○所   居心地のいい狭い部屋    [そこは居心地のいい狭い部屋。   小机の向こうに男がすわっている。   机の上にはタッパーに入ったクッキーが置いてある。   男は椅子に腰掛け、はす向かいにすわる相手の話を聴こうとしている……] 男  ……ええ、ええ。……ええ、ええ。だから交代したんです。……ええ、ええ。お気持ちはよくわかります……。   ええ、きょうになってね、都合が悪くなったって急に辞められて。僕はピンチヒッターなんです。    (前のボランティアが)なぜ辞めたのかって? わかりませんよ。いや、笹月さんが嫌われてるってわけじゃありません。その前の人とは……会ったことありませんけど。    ね。持ち時間の五十分が経っちゃいますよ。話して下さいよ。前の人じゃなきゃってお気持ちもわかりますけど……    [笹月さんが差し入れのクッキーを男に押して寄越した] 男  なんです? クッキー? 僕は……いただきません。    え? 手作りですか、笹月さんの? 前の人が好きだった……そうですか……。    ええ。ええ。(手元の資料をチラッと見て)そりゃ、笹月さんの被災体験が前の人には重たかったのかもしれませんね。食べちゃったのかも、笹月さんの体験を疑似体験しながら。身体の中に溜め込んで、重荷なっちゃったのかも。おっしゃる通り。    確かに辞める人も多いそうなんです、ええ、傾聴ボランティア。人の悩みを聴くのってしんどいですからね。「悩みを真剣に聴いちゃいけない。人の悩みを食べちゃいけない」って人もいます。人の悩みを食べちゃうと、逆に自分がその悩みに飲み込まれて病気になっちゃうってね。    でも、逃げ場はあるんです、ボランティアには。次のボランティアに交代すればいいんですから。で、今僕がいるんです。    あの人は逃げるような人じゃなかったって? ……んなこと言われても……。    [間] 男  ……話したくなければ話されなくても。こうやって五十分間一緒にいるってのも……。    ええ、ええ、楽しみにされてたんでしょ? 週に一回の楽しみ……話を聴いてほしかった……。    僕もね、ぜひ笹月さんの話を聴かせてほしいんです。それが必要な人間もいるんですよ、僕みたいに。    僕ですか? きょう急に言われたんです。ええ、交代を。協会に、傾聴ボランティア協会に。実は研修中でしてね、ええ、僕。ちょうどきょう研修終了の認定試験のはずだったんです。でも一コマも欠かさず受講したからもう試験はいいだろうって。四十時間もあるんですよ、研修が。でもそれよりは実際に人の話を聴くのが大事だって、協会の人に言われて。んで、急遽笹月さんの所に。だから、笹月さんが初めての人なんです、ボランティアの。    ――え? なんで傾聴ボランティアを始めようと思ったか? そりゃ、まあ……いろいろと。僕のことは…………    クッキーはいりませんって……。    ……じゃ、一つだけ。(傾聴相手の笹月さんの差し入れのクッキーを食べる)    [男の食べている表情はなんとも生気を失ったものに見える。ただ「物」を噛んで飲み下しているよう……] 男  ……えっ? いや、嫌いとか、そんなんじゃ……わっ、なんで泣くんですか、笹月さん! ――え? ちっともおいしくなさそう? 一生懸命作ったのに? ね、笹月さん。ね。泣かないで下さい。だれも見捨ててなんかないですよ。笹月さん。笹月さん。……弱ったなぁ。きょうが初めてなのに……。    [笹月さんは静かに泣き続けている] 男  (大きなため息をついたあと)……実は……ここだけの話……わかんないんです、味が。   ええ。ええ。クッキー食べても、おいしいかどうか。いや、笹月さんのクッキーが味がしないとかじゃなくて。どんな味がするのかわかんないんです、なに食べても。    病気って? どうなんでしょう。自分でもわかんない。子どもの頃からですから。食べては、汚い話、吐き出してた。    ――聴きたいですか、こんな話? え、なに? 時間は充分ある。これじゃ、どっちがボランティアだか……。    [男は仕方なく話し出す] 男  ……小さい頃、母親に叱られたもんです。食べようとしないんですからね。口に入れても吐き出すんですから。たまに……叩かれてました。    [瞬時に過去に戻る…そのときの自分に戻る…以下【過去】] 男  (幼い男が泣いている)エーン! ビエーン! エーン!    [瞬時に現在に戻る…今の自分に戻る…以下【現在】] 男  意地悪してると思ったんでしょうね、僕が。カレーライスにハンバーグ、せっかくの手料理を吐き出すんですから。    【過去】男  エーン! ビエーン! エーン!    【現在】男  今でも嫌われてますよ。    なんで母親に言わなかったんでしょうねぇ?   そもそも物には味がある、味がするってことがわかんないんですから、甘いとか酸っぱいとか苦いとか。言いようがないじゃないですか。   僕にあるのは感触だけ。口に物を入れたときの感触。触感。わかります? 例えば、口に十円玉入れるとするでしょ。そうすると、固くて、変に冷やっこくて、ザラザラして、異物感があるじゃないですか、あんな感じなんです。想像して下さい、ハンバーグは柔らかいゴム。カレーライスは、味がないもんだから、色からして変な物食べてる連想しちゃうんです。笹月さん嫌な顔するけど、ホントなんですよ。子どもの僕には苦痛でした。糸コンニャクなんて最悪!    【過去】男  エーン! ビエーン! エーン! ビエーン!    【現在】男  あとでね、僕にそういう障害があるってわかってからも、一度できた母親との溝は……なんだか埋まりませんでした。(さびしく苦笑する)    ええ、ええ、小学校の給食は最悪でした。拷問ですよ。   笹月さん、好きだったんですか、給食? 脱脂粉乳? その時代の人なんですか。今おいくつですか、年? へぇ。ハハ。僕には牛乳も脱脂粉乳も代わりませんけどね、たぶん。    イジメられましたよ。しょっちゅう給食残すんですから。変に正義感の強い女の子がいて、熊谷さん。今月のクラスの目標、残飯ゼロにしましょう! なんて。おかずなんてほとんど食べずに、大鍋の中に戻してました。それ、熊谷さんに見つかっちゃったり。    【過去】男  (小学生の男)わざとじゃないよ。イジワルじゃないって。なんで泣くの、熊谷が? 味がわかんないんだって。まずいんだって。だから泣くなよっ。(周りの友達に)ひどいってなんだよ。おれいじめてないよぉ。クソッ! どけ、熊谷! 泣き虫!    【現在】男  でも、気持ち全然伝わんなかった。逆にこっちも意固地になって。みんなわかんないんです、自分が体験したことないから。まずいってのはわがままだって、おれらもまずいトマトやピーマン残さず食べてるって。全然次元がちがうっての。ハハ、なんかまた腹立ってきちゃった。    六年生んときに家庭科の授業ってあるじゃないですか。笹月さんもあった? あれで調理実習ってあるじゃないですか。ひどいもんでした。味の加減がわかんないんだから。同じ班のみんなが僕の作った味噌汁飲んで引っくり返ってましたよ。ホント冗談でなく。引っくり返ったの、調理室の床に、ゲエェェッて。味噌汁って人殺せるなって思ったくらい。あのあとしばらく口きいてくれなかった……。    で、決めたんです。だれにも言わないって。自分が味わかんないこと。絶対言わない、友達のだれにも。むなしいもん。    だれかと一緒に食べなきゃいけないときには、演技するんです。ほら例えば、部活の帰りに寄る、立ち食いだとか。あれってなんとなく付き合わなきゃいけないでしょ。そんときはちょっとこぅ、微笑んで食べるんです。あ、さっきは油断しちゃったけど。いつもはほら、(たこ焼きを食べる真似をする)こんな風に。……ね、おいしそうでしょ。    あとは極力食べない。食べなきゃ、苦痛じゃないんだから。    それでも一日一度は食べないと、死んじゃうでしょ。また汚い話だけど、トイレと一緒、しなきゃ死ぬ。   やっぱりまだ生きてたいみたい。まだ若いし。やりたいこともあるような気もするし。他のこぅ、大変な人に比べたら、僕なんかってね。    笹月さんもね、大変な思いされたでしょ。被災されて。独りぼっちになられて。生まれた土地離れてこっちへ引っ越してくるのだって。だから僕の話なんかより、笹月さんの話聴いて――だから!(しつこくクッキーを勧められた)クッキーいらないって!(クッキーを手で払ってしまう) ――あっ、ごめんなさい。    [男はいたたまれずに立ち上がる] 男  ……僕にもね、唯一わかる味があるんです。クッキーじゃないけど、メロンパン。メロンパンの味だけ、なんとなく覚えてる。あれ、たぶん、二歳か、三歳。食べてたんですよ、メロンパン。おばあちゃんに駄菓子屋で買ってもらって。で、おいしいなって。すンっごく薄い味なんだけど、香るようにほのかに甘い味がしたんです。あれ一度だけ。    (床に落としたクッキーを拾いながら)ふふ、でね、その味を、メロンパンのほのかな味をいろんな物に当てはめてみるわけ。食べるときに、想像するんです。例えば、そうだなぁ、焼肉食べてるだけじゃ、ゴムですよ。汁の出るゴム。でも、メロンパンの味を思い浮かべて食べると、ちょっとだけ幸せなんです。メロンパン味のカルビ。メロンパン味のロース。メロンパン味のホルモン。不思議でしょ。    でもね、最近はやめてるんです。やり過ぎると、味の記憶がどんどん薄れてくる。ほら、よく、何度も昔話や戦争の体験談を語る人が、話をするたんびに真実から遠ざかっていくっていうじゃないですか。あれに似てるかな。もうホントのメロンパンの味がわかんなくなってきちゃって。味の記憶が靴底みたいに磨り減っちゃって……。    でもね、一番あれだったのは、彼女ができたときです。いたんですよ、僕にも、彼女が。マメで、優しくて。天使でした。ふふ、ちょっと不細工な、犬のチャウチャウみたいな。でも僕にとっては天使でした。    でも、人生って皮肉ですよね。笹月さんみたいな大先輩に言うのもなんなんだけど、ホント人生って、厄介ですよ。その彼女が、なんと料理自慢。笑うでしょ。    ええ、彼女の家には極力行かないことにしてました。行けば、バーンって手料理が出てくるじゃないですか。目に見えてるもん。それって断れないじゃないですか。    さっすが笹月さん。年の功。鋭い。そうなんです、事件は起きたんです。彼女が来たんですよいきなり、僕のアパートに。ラッキーって、笹月さん、全然ラッキーなんかじゃなかったんです。彼女、手作りのお弁当持ってきてたんですよ。(微笑む。さっきの、おいしそうに食べている演技の笑顔で口を動かす)……食べました僕。全部。きれいに。彼女の手作り弁当。……でもね、わかるんでしょうねぇ、ああいう料理自慢には。敏感なんです、人の表情に。    【過去】男  だからおいしいって。ホントだって。ほら、見た目もきれいだし、(お弁当を食べつつ)玉子焼きもおいしそうに黄色いし、鶏(とり)の唐揚もこんがりきつね色で……ご飯にしてもハート型のふりかけが、ね、ちょうどいい具合に――    【現在】男  僕は内心がっかりしてました。せっかく彼女が作ってくれた、そのお弁当の味がわかんないんですから。これっぽっちも。彼女の、大げさだけど、彼女の愛を捨ててる気がしたんです。    【過去】男  ――なに? 全然褒めてないって――お弁当の色や形ばかりって――? んなこと言われても……    【現在】男  僕の舌には、大きな、それこそ地球のマンホールみたいな大きな穴が開いてて、そこに彼女が作ってくれたお弁当をゴミみたいに放り込んで捨ててる気がしたんです。それが、作り笑いの底からにじみ出てたんでしょうねぇ。    【過去】男  なんで泣くの。食べてるじゃないか、おれ。一生懸命食べてるじゃない。泣かないでよ。ねえ、お願い。ねえ! ――泣きたいのはこっちだよ。    【現在】男  さっきの笹月さんみたいに泣くんですよ、彼女。僕ね、耐えられないんです、泣かれるの。熊谷さんも泣いてたなァ、給食んとき。母親もよく泣いてました。ノボル、なんでお母さんの作った物、食べてくれないのって。なんで、ノボル? ノボル、なんで? ノボル? ノボル……って。そういうの、耐えられないんです。    【過去】男  おれさ、ごめん――味わかんない……    【現在】男  言いました彼女に、ホントのこと。けど、なんていうか、彼女を慰めて、慰められて、そのときは泣き止んでくれたけど。   彼女は頑張ってくれました。いろいろ勉強して、亜鉛入りの手作りジュースなんか作ってくれて。亜鉛取るといいっていうんです、味がわかるようになるって。   彼女が僕に聞くんです、どうって。どう、味がする? どう、おいしい? どう? どう……?    僕のほうから連絡取らなくなっちゃって。    [男はベロッと舌を出す] 男  ね、穴の開いた人間なんです。(また舌をベロッと出す)ね…………    [間] 男  泣いてないですよ。    [間] 男  なんで笹月さんが泣くの!? え? ……胸に来た、今の話が? ね。笹月さん。ねぇ。泣かないで……僕、ホント耐えられないから……ねぇ、笹月さん……笹月さん…………    [笹月さんは泣いている] 男  ……笹月さんだから言うけど、ホント初めて話すけど、この間、もう前になるけど、でっかい震災があったじゃないですか。んで、テレビで被災された家族のドキュメンタリー見たんです。震災があって、子ども亡くしちゃって、引きこもっちゃうっていう親の話。笹月さんもあれで大変な思いされて、僕の言葉なんて全然軽いんだけど、僕の、その、穴にね、僕は穴の開いた人間だけど、その穴に、いろんな話をね、マンホールみたいな穴に、人のつらいことや、哀しいことをね、埋めてみてもらったらどうだろうって思ったんです。僕には耳があるわけだから。人の話を聴いて、僕は自分の穴を埋めさせてもらって、話をする人は、そのやり場のない思いを僕に放り込んでもらって。それで、元気になってもらって。で同時に、僕も自分の穴埋めてみたら、少しはどうかなるんじゃないかなって――。僕も救われるんじゃないかなって。自分勝手な言い方だけど。    だから――ね。泣かないでよ、笹月さん。    [男はギョッとした表情をする] 男  ――なに……ヤだな。なに、今度は笑って。満面の笑顔で。――え? 話してくれてありがとう……て、どういう意味? ……終了? 終了ってなんです? 合格って? え、え? 笹月さんって、なに、マジで。協会の人なんですか? 名誉顧問?! なに、それ? ええっ! これって、傾聴ボランティアの認定試験なの?!    [男は自分が認定試験を受けていたのだという事態がわかり、急にムスッとする] 男  ……はい。はい。ええ、そりゃそうでしょうけど。怒っちゃいませんけど。怒っちゃいませんって。傷ついてもいませんよ。……そりゃ、わかります。人の話を聴くには、人に話を聴いてもらう体験がいるんでしょ。――あ、心開いてね。心開いて、じっくり聴いてもらう。包み隠さずに自分のことしゃべって。それが、これからの傾聴に必要……。僕には……それが欠けてた……? それが一番難しい……。通りで、笹月さん、聴くのがうまいわけだ。だまされちゃった、ハハ……。怒っちゃいませんって――。    [間] 男  ――どうしますかって、なにがです?   ……ああ、傾聴ボランティアを、やるかどうか……?    [男は瞬時自分の心に問う……。そして決心する] 男  じゃ――今度は僕が聴かせて下さい。笹月さんの話。    [男は椅子に浅く腰掛け、軽く身を乗り出し、じっくりと耳を傾ける姿勢を取る] 男  ね。笹月さん。(ぽっかりと大きな穴の開いた舌をベロッと出す)ね。    [しばし後……笹月さんが男に何やら話し始めたらしい……] 男  ……ええ、ええ。……ええ。……ええ、ええ……(舌を出したまま話を聴いている)………    [男の顔は静かに微笑んでいる……美味しい物を食べてでもいるかのように……]                    (幕)